読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

お伊勢まいり① -新・御宿かわせみ- 平岩弓枝 オール読物2015.2月号

2015-01-30 21:44:36 | 読んだ
2014年6月号で、「新」の主人公・神林麻太郎が英国と米国に医学留学に行ってしまったので、これからどうなるのか?しばらくはお休み何だろうなあ、と思っていたら、思っていたより早く2015年2月号で再開である。

オール読物の表紙には
「新春 待望のかわせみ再来!」とある。

物語は『かわせみ』が、今年(何年だかはわからない)の春早々に二度の大嵐で屋根瓦が吹き飛ばされ、庭の松の木が折れて渡り廊下を直撃する被害が発生したところから始まる。
東京全体で被害が多かったころから、復旧に時間を要することで、女主人のるいは、古くから居る嘉吉、お吉、庄吉、お晴以外の奉公人たちをいったん返して、修理をすることとした。
もちろん、宿稼業は休業である。

この被害に関して、今は行方不明となっている神林東吾の実家や、娘千春が嫁いだ清野家、東吾の親友の麻生家などにお見舞いをだし、またそれぞれの家からも見舞いをいただいている。
この辺の描き方が、この物語の特徴で、なんというか、物語の筋というか進み方にはあまり関係のないようなところなのだが(つまりは、この寄り道がこの物語を面白くさせているともいえる)

そうこうしているうちに、神林東吾のよき相棒であった畝源三郎の妻(神林麻太郎の相棒の畝源太郎の母で、旧姓麻生・花世の姑)であり、今は日本橋の近くで娘の千代と古美術商を営んでいる「千絵」(登場人物を紹介するのにその肩書きの長いのもこの物語の特徴)が、この休業中に「お伊勢参り」に誘いに来た。

で、これもすったもんだの末に、るいはお吉と元岡っ引きで深川で蕎麦屋を営み「かわせみ」の股肱の臣を自認している長助を伴にして、お伊勢参りに出かけることにしたのだった。(♪ベンベン)

昔から伊勢まいりには「講」という組織をつくって、世話人が随行して出かけるそうで、出発の日は品川に集合して出かける。
一行は、大店の旦那やその女房などとかわせみ関係者である。
初日は保土ヶ谷まで行く予定であったが、一行はまあ高齢であり、初日は神奈川の泊り。
これが、昔は大名の本陣であったとことということで、ここでも、いろいろと説明があり、昔の大名は・・・なんて話がでてきたりする。

そして次の日、平塚に入る手前で「相模川(別名馬入川)」で渡し船に乗るとき、るいは声を失い、その背後でお吉がかすれた声で叫ぶ。
「若先生」

で、今回は終了。

さて、この若先生とは行方不明になっている神林東吾なのか、それとも英米に留学した神林麻太郎なのか、それとも全然違う「若先生」なのか、なんだか非常に思わせぶりなのであり、2月発売の3月号が待ち遠しいのである。


追伸
今号には「御宿かわせみ」読書会、という対談が掲載されている。
ずっと読んでいる人、初めて読んだ人、がいろいろな感想を述べている。
一読あれ。


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鬼神の如く 葉室麟 小説新潮2014.1-201412月号

2015-01-29 15:52:36 | 読んだ
とうとう、インフルエンザ(A型)になってしまった。
というわけで、自宅謹慎、いやいや自宅監禁、いやいや自宅療養中です。
皆様お気をつけください。
(インフルエンザに罹ったおかげで、生まれて初めて点滴なるものを体験しました)

さて、小説新潮に12回にわたって連載された「鬼神の如く」である。

題材は「黒田騒動」である。

黒田騒動といえば、栗山大膳、倉八十太夫、黒田忠之である。

今回の物語の主人公は、栗山大膳である。

そのほか、徳川家では、秀忠、家光、幕府では土井利勝、井伊直孝、更に宮本武蔵、柳生但馬、柳生十兵衛、夢想権之助など、歴史好きにはおなじみの人物たちが登場する。

黒田騒動は、黒田藩主の黒田忠之が宿家老・栗山大膳に反発し、自らの寵臣・倉八十太夫を重用したことにより、栗山大膳が忠之を謀反人として幕府に訴え、幕府の裁定により謀反は認められず忠之は本領安堵、大膳は南部藩お預け、倉八は高野山へ追放となったことである。

騒動の割には裁きは軽かったように思える。
「これは、黒田忠之の父・長政が関ヶ原の折に、調略と戦双方に活躍をした事により、神君・家康公より子々孫々まで黒田家を粗末にしないという感状をもらっていたからだという。

とまあ、いろいろとあるのだが、おおむね「××騒動」というのは、今も昔も、当代の当主が「公平無私」でないことが原因である。
公平無私でないということは、つまり、自らを頼みすぎるということである。
自らを押し出そうとすると、先代から続いている「しきたり」「文化」「人」は邪魔になる。そして自分を助けるものは「改革者」となる。

つまりは改革派と守旧派の争いで、改革派が勝つには相当の力を要する。
あまり守旧派を甘く見ないことが必要なのだ。

さて、この物語では、いわゆる守旧派の栗山大膳こそが新の改革者であった。

徳川幕府の当時の方針は、大名を改易をして幕府の権威を高めることにある。
豊臣恩顧の福島、加藤、あるいは、秀忠の弟の松平忠輝など、大名の改易は相次いでた。

これで危機感を持った栗山大膳は黒田家を守るために「謀」をめぐらし進めていく。

大名改易とキリシタン弾圧という背景と、戦国の気風がまだ残る人たちと新しい時代の人たち。
幕府の安定化、長期政権の樹立を行うためには、幕府の創設よりも多くの犠牲が必要である。

これは中国の歴史を見ても同様であり、明治維新の際にも、その後の萩の乱、佐賀の乱、西南の役といわゆる創世記の人たちの争いというのあるものだし、それは悲惨な結果となっている、が、これがなければ政権は安定しない。
今だって、各党のなかで同じような争いがあるではないか。

ということから、栗山大膳は、大名改易やキリシタン弾圧(黒田家の先代長政、先々代如水はキリシタンだった)を他人事と考えず、更に甘いお坊ちゃまの忠之の考えなしの行動をいさめなければならないことから、何重にもめぐらした謀を実行に移す。

この物語の面白いのは、実は大膳をよく理解していたのが忠之や倉八十太夫であった、ということである。

黒田騒動にかかる物語は初めて読んだが、なかなかに面白かった。

というわけで、静養期間中はおとなしく本を読んでいようと思う。

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初詣(遅いんじゃないか?)平泉 中尊寺・毛越寺 平成27年1月24日

2015-01-26 21:54:51 | 読んだ
皆様いかがお過ごしでしょうか?

私は、風邪気味で「のど」が痛くてたまりません。

さて、1月24日(土)にやっと恒例の平泉「中尊寺」「毛越寺」に初詣に行ってきました。

さすがに、初詣の時期はすぎ、観光には寒い、ということからあまり人が出ていませんでした。

なので、中尊寺の月見坂もこのとおり


天気が良くて、柔らかな日差しが木漏れ日となっていました。



総門のあたりも人が少なく、なんと、売店も休みでありました。

さて、中尊寺の対面の束稲山の「大」の字は、雪できれいに見えました。(ちなみに午後になったらなんだかグダグダになってましたが溶けたのでしょうか?)




中尊寺の門のあたりもやわらかい日差しでありました。


人が少ないので、中尊寺の本尊「釈迦如来像」をゆっくりと拝観して、合掌



そして振り返ると本堂が


本堂で、四寺廻廊(しじかいろう)のポスターを見て(瑞巌寺でも見たのだが)、今年こそ四寺廻廊をしようと誓う。

本堂からさらに歩き、いつもの休憩地点である「かんざん亭」に到着。


かんざん亭ではいつもは「そば」とか「白玉ぜんざい」を食べていたのだが、今回は「ピザ」があったので、迷わず注文。
ピザセット(ピザ・飲み物・ティラミス)に飲み物で二人前。
美味しくいただきました。
ティラミスは特徴的なしなやかさでした。

中尊寺といえば金色堂。
今までになく人がいないため、なんだかゆっくりと写真を撮れました。


ゆっくりと山を下りてきて、次に向かったのは毛越寺。

ここもひっそりとしていました。


これで、今年もやっと初詣を終了した、という気分になりました。

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いちえふ -福島第1原子力発電所労働記- 竜田一人 週刊モーニング2015.2.5

2015-01-24 18:29:25 | 読んだ
連載再開とのことである。

この漫画は作者が実際に福島第1原子力発電所に行き労働したことで、見たり聞いたり感じたりしたことを描いているもので、「原子力発電反対!」といった信念というかイデオロギーで行動したことを書いているものではない。

この漫画を見ると、原子力発電がどうのこうのというより、今回の事故の後始末にあたっている労働者たちの現実の目の前の出来事なので、労働者たちを派遣する会社が「安全」より「金」が優先していることや、労働者たちも使命感というよりは「生きる=金」が優先していることがわかり、人間ってやっぱり「強い」ことが感じられる。

今回の再開の最初に描かれているのが、近頃1Fに女性が増えたということ。

さらに、常磐自動車道が開通したこと、国道6号線が通行可能になったことで、作者は復興の速度は早いと感じている。
これも、一般マスコミが遅い復興といっていることとは違った感想である。

ちなみに、私も海岸のほうに行く機会があるが、時々見ることもあるだろうが、復興の速度は早いと感じている。
被災直後の状況から見れば、ものすごく時間がかかるだろう、と思っていた。

いわき側に住む作者は、国道6号線の開通にともなって南相馬へドライブし、南相馬の「凍天(しみてん)」を食べる。

その帰途に見聞きしたことを表現しているのだが、これはやはり悲惨な光景であった。
その描き方が、ちょっと離れたというか覚めた視点であるため、なおさら胸に染みる。
このあたり、異様ともいえる思い入れで描かれている「美味しんぼ」とは違う。

車で走っていて「高線量区間」に入ると、車からは降りてはならないとか窓を開けてはならない、ということから作者はこんなことを言っている。

作業現場は、この区間より3桁以上高い線量である。
あるいは、2年前は窓を開けて走っていたが、その時に乗っていた人たちは、一度も内部被曝検査に引っかからなかったし、車からも汚染が出たこともなかった。

だから

『2年までこうだったのだから、さらに汚染や道路補修の進んだ今、汚染拡大の心配は杞憂だと、俺は思いますよ。あくまでも個人の感想ですが』

んー、そんなに気楽でいいのか?
と思うのだが・・・

だったら、自分でその場所に行って自分で働い見ればいい、という反論がありそうだ。
やっぱり現場でみて聞いて実感している人の感想は強いと思う。

辺りから見てアレコレいうのは勝手だが、そこに住んでいる人や働いている人の事情も、考えるべきではないだろうか?

作者は、楢葉町で「分譲中」というのぼり旗を見て「不屈の闘志」を感じ、休耕田一面に咲くコスモスを見て、この水田に満面の稲穂が揺れる口径を願う。

そして、あの山口百恵のコスモスの歌

♪苦労はしても 笑い話に時が変えるよ 心配いらない・・・と♪

そうなってくれよと、こちらも願いを込めて読み終わり、胸が熱くなったのである。


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新しい旅立ち -新・御宿かわせみ- 平岩弓枝 オール読物2014年6月号

2015-01-22 12:34:08 | 読んだ
オール読物2014年3・4・5月号で「殿様は色好み」前・中・後編が掲載された。
なんだかよく訳のわからない物語だったなあ、と思っていたら、6月号の「新しい旅立ち」で完結した。

「殿様は色好み」では、なんだか不思議な男・高市新之助が『かわせみ』に宿泊。
この男が、お吉をはじめ女中たちになんとなくせまる。
女中たちだけでなく、るいにも身重の花世にも色目を使う。
ので、なんだかいかがわしい奴、とレッテルをはられ、気持ち悪がれている。

その花世だが、畝源太郎との間に長男「源次郎」生む。
という挿話がある。

とうとう、最初の「御宿かわせみ」の登場人物たちから3代になってしまった、という感慨を持ってしまった。

さて、謎のそしていかがわしい高市新之助、かわせみの帳場に大金を預けており、昼間はあちこちを見て回っているらしく、「殿様」「公卿」などという想像から「泥棒」ではないかという見立てまで出てくる始末である。

そうこうしてうちに、主人公・神林麻太郎が勤めるバーンズ診療所に「黒貂」が担ぎ込まれる。
どこかで飼われていたらしいので、チラシを貼ってまつうちに、飼い主が現れる。

その飼い主は一條結子というお姫様。
そして彼女から「お兄様」と呼ばれていたのだ高市新之助。
というと、高市新之助はやっぱり公卿?

という想像をしておわり。
そして、最後の部分で、麻太郎は義父の神林通之進から手紙をもらい訪れると、なんと縁談の話が出される。

というところで「殿様は色好み」が終了。

で、「新しい旅立ち」となるわけであるが、それがなんだかわからないうちに、話は麻太郎の留学の話となる。
そして、なんだかんだとなっているうちに、とうとう麻太郎がイギリスとアメリカに医学留学をすることとなった。

その旅立ちのときに、一緒に医学留学をするのが「一條結子」であった。

さて、これからこの物語はどのようになっていくのであろうか?
旅だって、全編終了、なのだろうか。

私としては、一條結子がこの「新・御宿かわせみ」が始まったころの花世に似ていて、いい活躍をするのではないか、と期待している。

乞うご期待。というところだろうか?

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魔法使いと妻に捧げる犯罪 -魔法使いマリィシリーズ- 東川篤哉 オール読物

2015-01-19 22:36:19 | 読んだ
これまた本の整理中に、なんだかおもしろそうだと読み始めた物語である。

で、先ず、作者の東川篤哉についてウィキペディアで調べたら、あの「謎解きはディナーのあとで」の作者ではないか。
テレビで何度か観させてもらったが、おふざけが軽すぎるのではないか、と思ったものだった。

まあそれにしても、息抜きに読んでみようと思い。まずは2014年1月号の「魔法使いと妻に捧げる犯罪」を読み始めた。

そうしたらなんと、面白い。
というか、実は私はこう見えても「軽め」のものが好きです。

なんというか鯨統一郎にも似た作風で、バカバカしさの中にもしかしたら重大な真理が含まれているのではないか、と思ったりして。
その重大な真理は私だけが発見できないのでいるのではないのかという不安も出てくる。
でも多分、ただ軽いだけなんだと思う・・・思いたい・・・思わなければならない・・・思うのだ。

このシリーズは、八王子署の刑事・小山田聡介が、小山田家の家政婦で魔法使いのマリィの力を借りて、事件の謎を解く物語である。
といっても、マリィはそれほど事件の解決に役立ってはいないのだが・・・

この二人のほかに、聡介の上司として椿綾乃警部(39歳独身)という美貌の女性(最も彼女はあまり推理的には活躍しないのだが)と、若杉刑事が常連で登場する。

物語の形式は、といっても私は他に2014年5月号の「魔法使いと傘の問題」の2編しか読んでいないのだが、いずれも、先ず犯人が事件を犯すところから始まる。
すなわち読者は犯人が誰で、動機とか方法とかを知っているのである。
それを、聡介はじめレギュラーメンバーが追いかけ謎を解くというパターンである。

聡介の謎解きは、割と地味な作業によって成り立っているので、どちらかといえば謎解きというよりは、登場人物たちの会話の面白さで前に進んでいく傾向にある。

このシリーズ、私は知らなかったが(ウィキペディアが教えてくれた)、すでに単行本が2冊出ている。
マリィがどうして小山田家の家政婦になったのかは、最初から読まないとわからないのだろうが、文庫本になった時に読みたくなったら、そのあたりを探ってみようと思う。

まあとりあえず「オール読物に掲載されたなら読んでみる」に分類しておこう。

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<私家版>椿説弓張月 平岩弓枝 小説新潮連載2012.12~2014.04

2015-01-18 18:02:58 | 読んだ
例によって、本を整理中に「あっ!これ読んでいない」と思ったものである。

「連載」というのは、前回までのことをよく覚えていないことが多くなったこの頃は『苦手』な分野である。で、できるだけ完結してから一気に読もうという姿勢でいるのだが、完結するのがいつなのかわからないところが、この方法の『弱点』である。
できるなら、「××話くらいで完結」みたいなものを表示してくれるといいのだけれど・・・

というわけで、この物語は15ケ月にわたって連載され(途中1回休載)たもので、なんとか読むことができたものである。(というわけで本の整理は進んでいない)

前置きが長くなってしまった。

「椿説弓張月」は滝沢馬琴の作で、それを今回平岩弓枝が「私家版」としてよみがえらせたものである。

『よみがえらせた』というのは、昔はこの題名を聞いただけでこれは「鎮西八郎為朝」の物語だな、とわかる人が大勢いたように思えるし、そもそも「鎮西八郎為朝」というのも有名だったような気がするが、現代では、多くの人が知らないことになっているのだと思う。

私は小さい時にこの物語を読んでいて(もちろん少年少女向きになっているもの)、八郎為朝が多くの困難と仲間たちを次々と失う中で、前に進んでいく姿に感動し、血わき肉おどる物語にワクワクしたものであった。

今回、その当時を思い出しながら読んだのであった。

さて、この物語の主人公の源八郎為朝は、八幡太郎義家の孫の為義の八男である。(ちなみに、為義の嫡男が義朝で、義朝の子供が頼朝、義経)

為朝は13歳の時に父から勘当される。この勘当は藤原信西入道から嫌われたことが原因である。(と物語ではなっている)
ちなみにこの時代は、天皇と上皇(院)が並立し、それぞれに摂関家や武士がついていて、陰謀渦巻く京の都だった。

八郎は、九州の豪族を頼って落ちのびていく。
そして最後には肥後の平家の婿になり(この時の妻が『白縫』)九州を平定することとなる。

その後、保元の乱で父・為義とともに崇徳上皇方について戦うが敗れ、伊豆大島に流される。伊豆においては伊豆七島を平定する。
で、歴史では、この平定が叛乱とされ殺されてしまったことになる。

しかし、物語では生き延びていて、ついには琉球にわたり琉球を平定し、子の舜天丸(すてまる)が琉球王朝の王となる。

という物語で、勧善懲悪であるから、必ず為朝が勝つこになっている。
しかもその勝ち方といえば、神や霊の力も借りてなので、後編はファンタジー的な要素もある。

この物語は、滝沢馬琴が中国の水滸伝も下敷きにしたというものであり、八犬伝の前に書かれたものであるから、非常に面白いものになっている。
単行本も出ているようであるから、興味のある人にはぜひ読んでいただきたい。

礫(つべて)の紀平治や、山尾・野風のオオカミなど、登場人物たちについて語り合える人が欲しいと思うのである。

さて、この椿説弓張月の題名であるが、椿説は珍説でありすなわち「異聞」とか「小説」という意味を持つと同時に、椿説はちんぜいとも読めることから、主人公の鎮西八郎為朝にもかかっているとのこと。
昔の人はよくよく考えていますねえ。

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金沢が歴史を創った日 西村京太郎 小説新潮連載

2015-01-17 22:52:20 | 読んだ
十津川警部シリーズです。
ですが、十津川警部は後半3分の2くらいから登場。

物語は、太平洋戦争末期から始まる。

米国は、多額の投資をして作った「原爆」を日本で試したかった。
原爆の威力を世界に見せつけ、終戦後の世界をリードするためである。
しかし、そのためには日本には早く降伏して欲しくなかった。

そこで「ポツダム宣言」は絶対に日本が飲み込めないものにした。それは「天皇制」に関する記述を含めなかったことである。つまり「国体護持」について認めるのか認めないのか記述しないことにより、宣言をすぐに受け入れる(=無条件降伏)ことができないようにしたのである。

また一方、ソビエトではスターリンが、日本に宣戦布告して勝利の分け前をいくらかでももぎ取ろうと画策していた。ヨーロッパから満洲へ兵員や武器等を急いで移送していた。
従って準備が整うまでは日本に降伏してもらっては困るのであった。

という状況のもと、アメリカもソビエトも情報をつかんだ。
それは、日本の戦争指導者会議6名はこれまで戦争終結3名、継続3名で拮抗していたが、継続派から1名終結派に移ったということである。
ということは、無条件降伏を受け入れる可能性が高くなったということである。

自分たちの計画が水の泡となることに焦った米ソはともかく計画の実施を急ぐこととした。

ところで、戦争継続から戦争終結に意見を変えたのは誰か?それは何故なのか?その謎を解くには「カネダ」という単語がキーになっているのだが、誰もその謎が解けない。

そうこうしているうちに昭和20年8月6日を迎えた。
米国は広島に原爆を投下させるためB29を出撃させた。
ソビエトは満州に進撃を開始した。
しかし、日本はポツダム宣言を受け入れる放送を行っていた。
従って、米国とソビエトは無条件降伏をした日本を襲ったこととなり、全世界から大きな批判を受けることとなった。

という新たな歴史が創られた。

この新たな歴史を巡っての研究会に十津川警部が参加しているのである。
そして、この研究会からまた新たな事件が発生する。

ということで、なんだかよく解らないお話なのである。
前半の新たな歴史については非常に面白かった。
そしてそれに続く事件も全世界的に拡大していく。

が、終末はなんだかもやもやしていて「ここまで引っ張ってきてなんだよう」と文句を言いたくなる。
というか、十津川警部シリーズの結末の感想はおおむねそういうようなもので、読んでいる私は「話を大きくして結末はどうするのか?」というところに興味を持っているのである。

というわけで面白かったです。


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オン・ザ・ビーチ- 君たちに明日はないPart5- 垣根涼介 小説新潮2014.2月号

2015-01-12 10:59:12 | 読んだ
久々の「君たちに明日はない」シリーズである。
と思ったら、どうやら最終回のカンジ、である。

「君たちに明日はない」シリーズは、リストラ請負人・村上真介が主人公の物語である。
真介が主人公ではあるが、物語的にはその都度登場するリストラされる人物が本来の主人公、といってもいいだろう。

村上真介は、日本ヒューマンリアクト株に勤務している。
この会社は、委託を受けてリストラ(いわゆる首切り)を宣告し、受け入れを説得することを業務としている。

真介は、リストラにあたって宣告された人物の「今後」を考える。
特に、辞めてもなんとかやっていけそうな人物やとかそれなりの人物たちよりも、やめることによってステージアップしそうな人物に思い入れを強くする。

この物語が小説新潮に掲載され始まったころは、今から10年以上前なので、リストラは我々の身近にあったものだ。
私の友人にも、こんな田舎なのにリストラの波が及んできていたので、他人事のように思えず、夢中になって読んだものである。

近頃は、あまりリストラということを聞かなくなってしまったので、この物語を読もうという気持ちも萎えてしまい遠ざかっていた。

さて、今回の物語はこれまでとは違って、日本ヒューマンリアクト株の高橋社長が社員を集めて、会社の解散宣言(のようなもの)を行うところから始まる。

高橋社長は、会社の存続意義が薄れ、今後の経営は先行き不安となる。であれば、現状の「いいところ」で会社をたたみ資産(現金)を分配してしまおう、という考え方である。

従って、社員はこれまで他人のリストラを考えていたのであるが、自分自身のリストラを考えなければならなくなったのである。

そして、真介はどういう対応をするのか?

我々が将来を考え誰かに相談しようとしたとき、ほとんどの場合の相談相手は「家族」を含んだ「知人」である。つまり、自分を知っている人に相談する。
でも「知人」っていわば利害関係にある人ともいえる。
したがって、これらの人からのアドバイスは、どこかでバイアスがかかる可能性がある。

『この人はこうあるべき』ということだけでなく『この人はこうあってほしい』という気持ちが入ってしまって、適切なつまり本人にとって厳しいものになり過ぎたり、逆に甘くなるようなものになったりするのではないだろうか。

この物語の主人公・村上真介は、そのようなバイアスがなく、その人物にとって最も良い形を探りだすのである。冷静・冷徹な上に「暖かさ」を加えているから、適切なアドバイスとなるのだ。

もしかしたら、人はこのようなものを求めているのではないだろうか。
だけど、それは非常に難しいものだから、例えば「占い」のようなものに頼ってしまうのではないだろうか。

なんてことを考えながら読み進むと、真介は自分の進む一つの道を見出すのである。
しかも、それはこれまでやってきた仕事に連なる道である。

この物語は、これからも続くのだろうか?
それだけが気がかりである。

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送検-隠蔽捜査外伝- 今野敏 オール読物2014.6月号

2015-01-11 13:42:56 | 読んだ
「隠蔽捜査」といえば、キャリア警察官僚の竜崎が自らの信念を貫き隠蔽捜査をやめさせたことと、息子の不祥事が重なり、エリートコースを外れた第1話よりも、外れたあとに大森署長となってからのほうが面白い。

警視庁の所轄署の署長が、多くのキャリア官僚に対して信念(正論)を通していく姿は、何よりも胸がスカッとするものだ。

世の中には、正論をぶち壊す権力が多すぎる。
だから、この物語は面白いのである。

さて、隠蔽捜査外伝シリーズは、当初、竜崎の幼なじみで同じキャリア官僚の警視庁の刑事部長の伊丹が主人公となっているものが多かったが、近頃は他の者たちも主人公となっている、いわゆる「スピンオフ」の物語である。

で、今回は、久々に伊丹が主人公である。

竜崎の大森署管内で殺人事件が発生する。
伊丹は、自分の信念に従って操作の指揮をすることとし、情報をつかむために竜崎に電話をする。
竜崎は相変わらず伊丹に対して冷たい態度である。
もっとも、冷たいと感じるのは伊丹のほうであって、竜崎のほうは冷たい態度をとっているわけではないのだが・・・

伊丹が捜査会議に出席すると捜査は着々と進んでおり、有力な容疑者を確保して事情聴取と証拠固めを行っているところまで進展しており、伊丹は犯人確定として『送検』を決定する。

そのことを竜崎に電話すると
「それでいいのか」
といわれる。

さて、捜査はこの後大きく転回する。そして、後戻りができないようなところまで進んでしまう。

この物語の中で、伊丹の考え方が示される。この考え方に同意した。

それは、近頃の捜査体制についてで、捜査会議を行って捜査員全員が情報を共有して自分の役割を認識すべきというのが伊丹の考え方なのだが、捜査会議は不要で、捜査員は情報を集めて管理官に運んでくるだけでいい、そのほうが効率的であるという考え方が出てきている

伊丹はさらに考える。
それでは最近の企業の論理に似ている。
社員を労働力と割り切り、雇いやすく切り捨てやすい派遣社員を使う発想では、人材が育たない。
幹部を育てられない会社、社員が理念を理解できない会社は、いずれすたれていく。

まったく、激しく同感である。

さてさて、伊丹は最後に竜崎からまた一発食らう。

『刑事部長の一言は重い。おまえが何気なく言った言葉でも、捜査幹部は重たく受け止める。だから今回のようなことが起きた。発言には注意しろ。』

所轄署の署長が刑事部長に言う言葉ではない、のに言うところが(言わせるところ)この物語の面白さである。

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影踏み鬼-新撰組篠原泰之進日録- 葉室麟 オール読物2014.2-6

2015-01-10 22:26:53 | 読んだ
篠原泰之進は新撰組の中で気になっていた人物である。

彼は、新撰組の中でいわゆる「伊東派」の重鎮である、ということはいろいろな物語で知っていた。

新撰組に関しては、最初に読んだ物語が「燃えよ剣」(司馬遼太郎)であり、その後も近藤・土方が中心となっている物語を読んでいたので、私は、近藤・土方サイドの人間であり、伊東一派はあまり好きではなかった。

特に伊東甲子太郎は『何を考えているんだろう?』と思っていた。
にもかかわらず、なんだか篠原泰之進は気になる、というか好ましい人物だと思っていたのである。

というようなことから、ワクワクしながら読んだのである。

物語は、篠原が新撰組に入隊する前から始まる。
彼は、京都で一人の武士を些細なことから切り捨てた。
そして、偶然にもその武士の妻と子と出会う。
この二人との関りと、新撰組でのそして脱退して御陵衛士での活動がこの物語で描かれている。

物語であるからして、篠原は非常に魅力的に描かれている。
多分資料の中から魅力的な部分を抜き出しているからだろうと思うのだが、やっぱり魅力的な人物であったのだろうと思う。

御陵衛士の時代には伊東を助け、藤堂平助から
「篠原さんは土方さんに似てきた」
といわれている。

組織の中の地位が、篠原をそうさせたのであろう。しかも所属している組織は拠って立つ基盤が脆弱であるから、実務を請け負うナンバー2の人物は、組織を確固たるものにするため、権謀作術の限りを尽くす、したがって、他から見れば冷徹に見える。

そして、土方も篠原も強かった。

いわゆる油小路事件で、伊東が斬殺された後、油小路に駆けつけるものの、なんとか切り抜けることができたもの、思慮深く強かったからである。
そして、彼は近藤を狙撃する。

このあたりまで、なんとか分かっていたのであるが、その後、赤報隊に加わったり、明治政府に出仕したりしたことについては知らなかった。

維新後に、新撰組の斎藤一と出会う。この物語では篠原と斎藤は親友のように描かれている。
斎藤一も創作には魅力的人物であるらしく、壬生義士伝(浅田次郎)でも主人公の吉村貫一郎の親友であった。
この物語でも、副主人公のように描かれていて面白い。

ラストシーンでは、維新の混乱時に連絡が途絶えた、母子と出会い、鬼となっていた自分の影が消えていくのを自覚する。

面白かったです。

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とりかえばや診療所 -新・御宿かわせみ- オール読物2014.1~2 平岩弓枝

2015-01-07 22:56:05 | 読んだ
雑誌整理中に、まだ読んでなかったものを見つけて、読んでいる。

2014年1月号だから、ちょうど一年前に掲載された「新・御宿かわせみ」である。

物語は、主人公の麻太郎の英国留学時代の仲間の南条忠信とその姉孝子が、かわせみに宿泊した。
この姉弟は、姉が強く弟が弱いパターン。

それで、この弟君は居留地のカジノに入りびたり。カジノの若い女性のディーラーに惚れている。
それを姉は快く思っていないので、麻太郎に女と別れ勉学に励むよう忠告をしてくれるよう依頼をしていく。

そして、忠信は殺される。

続いて、ディーラーの女が撃たれる。
そのディラーはキムという越南人の父と広州人の母を持ち、母の兄がカジノの貸元をしているので租の円でディラーをしている。
さいわい、撃たれたケガは浅かった。

キムはその後も襲われる。

さて、誰が何の目的で襲うのか?

なんとなく犯人は分かってしまうのだが、租の謎解きの最中に語った麻太郎の言葉がカッコイイ。

「・・・人が人を好きになっても相手も租の人を好きにならなければ恋が結ばれることはない。片思いは泣き泣きでも諦めるしかないんだ。それが恋の御定法、つまり法律だろう。」

恋は実らないものが多いとか、実らないから恋なんだ、みたいなことを若い頃は思っていたのであるが、近頃は、恋が実らないのは相手が悪い、と思うやつがいる。そんな奴らに教えてあげたい麻太郎のコトバである。

今回の物語は、イマイチだったかな。


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三国志 第1巻 宮城谷昌光 文春文庫

2015-01-06 22:12:57 | 読んだ
この物語が文芸春秋に連載が開始されたとき、大いに迷ったのである。

で、三国志といえば気が遠くなるような物語であることと、月刊連載を読み続けるためには相当のエネルギーが必要、更に登場人物たちを頭の中にいれるのも大変、と思ったので読むのをやめた、という経緯がある。

でも、宮城谷昌光の書いたものだしなあ・・・と未練があった。

私が夢中になって読んだ三国志は、柴田錬三郎のいわゆる「シバレン三国志」の『英雄ここにあり』と『英雄生きるべきか死すべきか』である。週刊小説に連載されていた。
『講談調』というか非常にリズムのある文体でワクワクドキドキの物語であった。

また小さい時にも三国志を読んだことがあった。

で、いずれも冒頭の場面は「桃園の誓い」、劉備、関羽、張飛が義兄弟の誓いを立てるところである。

しかし、本書は違う。

「四知」

ということから始まる。
この言葉を残した、楊震という人物が物語の序盤の主人公である。

と思いきや、三国志の主人公の一人である曹操の祖父にあたる曹騰が登場する。

本書のあとがきで著者がいうように、三国志はこの時代から知らねばならないのかもしれない。

後漢創設から、この王朝の危うさがあり、幼い皇帝が擁立されてもなんだかんだと続いたのは、儒教を学んだ官吏と、皇太后、外戚、そして宦官が、割と優秀だったからと思う。

物語は編年調ではなく、時代が行きつ戻りつするので、戸惑うところが多いのだが、学ぶところも多い。
さすが、宮城谷昌光!である


さて「四知」である。
楊震が、出世をした時に旧来の知人に出会った。知人は楊震にいわゆる賄賂を贈った。
楊震は「明経博覧」「関西の孔子」と呼ばれた人物である。
賄賂など受け取るはずがない。
そこで相手は「二人きりで、暮夜ゆえに大丈夫だ」と言った。

楊震は
「天知る。地知る。我知る。子(なんじ)知る。たれも知らないとどうして謂えるのか」
と言った。

時代がどうあれ、高潔に生きるということは難しい。それはいわゆる「やせ我慢」にも見える生き方である。
三国志、これからやせ我慢をする人が英雄と呼ばれるのかもしれない。

というわけで、これから長い三国志の時代につきあうことになった。禁断の書に足を踏み入れてしまったのだ。

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美は乱調にあり 原作:瀬戸内寂聴 漫画:柴門ふみ オール読物2013.4~2014.1

2015-01-05 23:09:33 | 読んだ
年末に雑誌の整理をしていたら、オール読物にこの漫画が連載されているのを見つけた。

実は、ここ2年くらい月刊誌を購入はするものの中をよく見ていないことが多い、で、今回初めて気づいたのである。

原作を読んでいないので、漫画でサラッと予習してみるのもいいか、と思って、前に整理したのを引っ張り出して読んだのであった。
(こういうことだから、本読みに本の整理をさせるのはよくないと思うのだが・・・)

さて、物語は、関東大震災のとき、甘粕正彦に殺された、伊藤野枝が主人公である、らしい。
というのは、原作は伊藤野枝が主人公らしいのだが、この漫画を読んでいると、伊藤野枝と、神近市子、平塚らいてうの3人が主人公に見えてくる。

この3人に共通しているのは、女の自立、女の権利獲得、女の自由、男女平等、といったことである。
そして、その主義を貫くためにいろいろな活動をしていくのであるが、どうも「やりすぎ」の面が多いように思える。

そのなかで「自由な恋愛」ということを実践しようとして、当時では不道徳、今だって不倫という言葉を浴びせられるような行動をする。

伊藤野枝と神近市子は、大杉栄を巡って奪い合いをする。
大杉栄は「自由な恋愛」の実践者である。

原作を読んでいないのでわからないが、この漫画を読む限り、作者はこれらの人々を「婦人運動の先駆者たち」として描くよりも、「女の性(さが)」に惑わされた、振り回された人たちとして描いているように思えた。

たとえば普通の考え方を持つ人から見れば、大杉栄の「自由恋愛」の理論は自分だけのもので浮気性を難しい言葉で行っているだけで、「女たらし」の典型とすぐに断じることができるだろう。

しかし、彼女たちはそれが純粋な人間の生き方と考えてしまう。

大杉栄と伊藤野枝は、関東大震災の際に、当時憲兵大尉であった甘粕正彦によって殺されてしまうのだが、甘粕あるいは陸軍の考え方は、ある種もしくは当時のいわゆる良識ある人と呼ばれる人たちには指示されるものであったように思う。
ただ、だからといって子供まで殺すというのはいかがと思うのだが・・・

新しい考え方というのは既存のものすべてを否定するところから始まるとは思うのであるが、なんというかいわゆる「倫理的なもの」までを否定するのは、新しい考え方を広める勢いにはならないのではないか、という風に思える。

どんな音楽にも音符があるように、どんな文学にも文字があるように、人間の考え方の原点には犯してはならないものがあるんだなあ、とこの物語を読んで思ったのである。

そして、原作は出会いがあったら読んでみようと思ったのである。

それにしても、柴門ふみの描く女性たちは「苦手」である。

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初詣2015 松島瑞巌寺・円通院 

2015-01-03 20:04:26 | 観た、聴いた
今年の正月は「雪」なので、いつもの平泉中尊寺・毛越寺ではなく、雪が少ないだろう松島に行ってきた。
なにしろ、中尊寺の月見坂は雪あるいは凍っていると大変なので、少し雪がとけたあたりに行くこととした、

ということで、出かけたら海側にいくと積雪量が増え、更に空からも・・・

この時期、通常は内陸部のほうが積雪量がおおいのであるが、今季は海側が多い。これは大体3月以降の現象なのであるが、どうもおかしい天候である。

てなことを考えているうちに松島到着。
時間的に早かったのか、道路も混んでいなくて駐車場も空いていた。

で、瑞巌寺の入り口。


ここから参道を歩いて、拝観料を支払って、入る。
のだが、瑞巌寺は平成30年まで平成の大修理中である。したがって本堂は工事用のシートで覆われている。
来年の春には拝観できるらしい。更にはあとで教えてもらったのだが、もう瓦は拭いたのでもう少しでシートが外されるとのこと。

ということなのだが、実は今だけ仮本堂で、伊達政宗をはじめとした歴代藩主の位牌に詣でることができる。

で、庫裡から仮本堂へ入っていく。


中に入って「登竜門」や「大書院」を見学して、仮本堂で「位牌」と対面。
これは、本堂が完成すると対面できないらしい。政宗の位牌はあとで聞いたら158cmの高さがあるらしい。

で、庫裡をでてもう一枚。


宝物館を見学して、続いて隣の「円通院」へ。

円通院は何と言っても秋の紅葉ライトアップが有名で、私も何度か訪れているところである。
冬の円通院は初めてである。
ということで、本堂(大悲亭)をパチリ。



今回は係の人に案内をしていただき、これまで漠然として見ていた円通院の歴史を紹介してもらった。

特に奥にある「三慧殿」を詳しく説明していただいたので、親近感が増したように思える。

紅葉が美しく池に潜りこむ、心字の池には氷が張っていた。



そして、松島に行けばやっぱり五大堂。



円通院を出てきたころには晴れ間が出て、更に人でもおおくなってきた。



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