読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

風邪かな?

2005-07-31 21:44:37 | 日々雑感
花粉症なのか、風邪なのか?
近頃は、鼻水がでたりくしゃみがでたりすると、花粉症だとおもっている。

が、どうも今回は風邪を引いたらしい。
多分、急激な温度差が原因だと思う。

今日は、曇っていて暑かった。
こういう天気が一番キライだ。

というわけで、宿直明けの本日は、ごろごろ・ぐだぐだ、していたので、これといったもの読まなかった。
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ばるぼら 手塚治虫 KADOKAWA絶品コミック

2005-07-30 23:16:50 | 読んだ
今夜は宿直である。
昼間家にいても暑いし、どこかへ行こうにも宿直であることから時間に制約がある、それなら涼しい山の上(宿直の場所)へ行って風に吹かれながら本でも読もう。
と思って、早くに宿直の用意をしてでかけた。
途中、コンビニで飲み物を買おうとしたら、この「ばるばら」を見つけてしまったのである。

と前置きが長いなあ。

手塚治虫って天才だったんだなあ、つくづく思う。
この「ばるばら」って大人の漫画である。

都会が何千万という人間を のみ込んで消化し・・・
たれ流した 排泄物の ような 女
-それが バルバラ


というところからはじまる。
ばるばらと出会った、耽美派の作家「美倉洋介」がたどる運命、が描かれている。
一気にぐいぐいと読んでしまったが、よくわからない部分もある。
が、非常に面白くよんだ。

少年少女のよき漫画、を描く人、手塚治虫、というイメージがあるが、よく知られていない作品では、大人のというか、難解な物語もある。奇子(あやこ)なんてそうだったし・・・

そういう作品を読むと、幅広く底深く、ということを感じてしまう。

今後もこの「絶品コミック」期待大である。
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ナンバー 633号 天才少女伝説

2005-07-29 22:10:27 | 読んだ
「天才少女伝説」
この文字だけで買ってしまった。

ナンバーは時々こんな特集をする。
以前、定期購読をしていたときは、こういう特集が好きだった。

イロイロなスポーツのイロイロな人を知ることができる。
それが「天才少女」なのだ。
以前はたしか「美少女」だったような気がする。

今は美少女が当たり前。
スポーツの世界にも「美」が当たり前になってきた。というか、近頃は「ブス」なんていないカンジだ。

そんな天才少女が紹介されている。
天才少女のほとんどは私の娘と同じかそれ以下の年齢。
だから、おじさんは「少女」なんてことにはときめかない。
彼女達のインタビューを見て読んで思うことは「ああ親は大変だったろうなあ」ということ。
選手たちに思い入れが入るのではなく、親たちの心を忖度するようになってしまった。ンーーー。
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永倉新八と「新選組顛末記」の謎 歴史読本9月号

2005-07-28 22:40:03 | 読んだ
このての雑誌に「永倉新八」が特集されたのを初めてみた。
新選組と言えば「近藤勇」「土方歳三」「沖田総司」がメインであったが、近頃は永倉新八、斉藤一、山南敬助、原田左之助など、草創期のメンバーから、吉村貫一郎といったあまり知られていなかった人までもが大きく取り上げられるようになった。もう「新選組」というくくりだけではなくなったような感じがする。
新選組の多様化、ともいうべき現象だろうか。

さて、私は司馬遼太郎の「燃えよ剣」から新選組を知ったため、なんといったって「土方歳三」である。あの頃のテレビで土方歳三を演じた栗塚旭のイメージも強い。

とはいうものの、永倉新八も気になる。
新選組の話、というのは「結果」だけが残っていて、何故とかどのように、というのはあまりわかっていない、ようだ。
今回の特集でも、これまでの新選組の特集でも、明確にはわかってない報告が多い。

だから、新選組の話は「面白い」のだ。
我々の想像力をたくましくさせる。

今回の特集も、大発見とか確実なことが新たに見つかった、というようなことはない。それぞれの人がそれぞれの意見を述べている。
これが楽しい。
いろいろな考え方があるものだ。
欲を言えば、新選組大嫌い、という人が何か書いてくれないかなあ。

それにしても「新選組」人気ですなあ。
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にんげん住所録 高峰秀子 文春文庫

2005-07-27 18:17:37 | 読んだ
高峰秀子の文章は大好きだ。
胸がスッとする。

この文庫本の帯には

とっておきの
すごいお話が
さりげなくいっぱい

ページをめくってみて下さい。
笑いながら感動します。
「往年の大女優ひっそりと」、
名エッセイを書いています。


とある。
このとおりである。

登場する人物たちがすごい。それを書く人もすごい。
しかも、ちょっと「べらんめえ」調で、それなのにすごく上品で。
多くの経験をしてきた人、その経験がちゃんと実になっている人でしか書けないエッセイである。
若い時分から、一流の人やモノと接してきたことから、人やモノを見る眼がすごく、本物のようなもの(ニセモノやまがい物)を見破り、「真」のモノや人しか認めない。
それは、イロイロ考えて判断しているのではなく、これまでの経験からスパッと判断している。

こういう人になりたいなあ、と思うが、なにしろ一流には程遠いところで暮らしているから、ナカナカ、なのである。

だから、こういうエッセイを読むと、なんだか感動してしまい、大きく息を吐いてしまう。
「いいなあ」って。
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台風

2005-07-26 23:34:05 | 日々雑感
この地方では、今夜から明朝にかけてが「ヤマ」らしい。
この時期に台風が来るなんて珍しい。

地震はところかまわず、あちこちで起きている。
そして「テロ」も無差別に起きている。

やっぱり地球とそこに住む人間はどこかおかしくなってきているのではないか。
そんなことを感じてしまう。

というわけで、心を厳重警戒にして台風に備え、身体は眠ることとしよう。

追伸
 「にんげん住所録」(高峰秀子)完読。
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きよしこ 重松清 新潮文庫

2005-07-24 22:48:15 | 読んだ
とうとう読んでしまった。
今日買ってきて、一気に読んでしまった。

浅田次郎、重松清は、気になっている作家であるが、なかなか読もうという気持の整理がつかない。
ひとつは、この二人の作品を全部読もうという気持になりはしないか、という恐れである。
何故、全部読んでみようという気持になってはいけないか?
心の負担にしたくないのだ。

それと、この二人。
主役に特殊性があるように思える。主役に感情移入しやすいというか・・・
物語の作り方、主役の作り方が「うまい」のだと思う。

私にとってはそれが「うますぎる」と感じられ、時には「あざとい」のではないかとも思われるのだ。しかも「うまさ」「あざとさ」が目に付くのに、感動している自分がいたりして・・・という複雑な感情が、彼らの本を読むことに「拒否感」がある。

さて「きよしこ」である。
いい物語だし、すっと入り込んでくる素直さがある。
主人公は「吃音」の少年。少年が小学校から高校までの「心の成長」が描かれている。
多分、自伝的小説、なのであろう。

少年期は、劣等感と優越感が入り混じった時期で、なおかつ劣等感のほうが強い時期だと思う。
その心の複雑な動きが、微妙な揺れが、ほんとうにうまく表されている。
そしてその物語に感動している自分がいる。
多くの人たちに勧めたい、何度か読み返したい物語である。

追伸
 本日は「小説新潮」「オール読物」「歴史読本」そして「きよしこ」(重松清)「西の魔女が死んだ」(梨木果歩)「人間住所録」(高峰秀子)を購入した。
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スターウォーズ エピソード3 シスの復讐

2005-07-23 21:21:30 | 観た、聴いた
ようやく、観てきた。
こちらの期待度が高いため、製作サイドも大変だったろうと思うが、期待に応えた出来だと思う。

感想は
「んー、そうだったのか」
というもの。

まあイロイロな謎が解けた、というか、ナルホドそういうことだったのね、というか。
と書くと軽い感じだが、なかなかどうしてヘビーな物語である。

いつも言うことだが、設定はありえない状態で語られるものは普遍的世界。
これは絶対うける。
愛、友情、憎しみ、嫉妬、裏切り満載である。

そしてアナキン、かわいそう、である。

ダース・ベイダーのテーマ。
今までは「悪」を表す、「強さ」を表すテーマとして聴いていたが、今回エピソード3を観ると、それは「悲しみ」と「深く沈んだ愛」を表しているのではないか、と思った。

すぐエピソード4(第一話)を見たくなってしまう。

ただひとつだけ納得行かないのは、あれだけの美男美女の子供であるルークとレイアがあまりどちらにも似ていない、ということだ。(笑)
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オールスターなのに・・・夏祭りなのに

2005-07-22 23:19:59 | 日々雑感
オールスター野球、やっぱいいですねえ、一級品の勝負。
試合の勝ち負け、より、個々の対決。という野球も面白い。
そんな試合がずっと続くのはなんですが、たまにはいい。
熱い試合、熱い戦い。

なのに寒い。
我が家では、オールスターを、サッシを閉めて観戦である。
半そでではなんだか寒いカンジがする。
暑くて、団扇を片手に、スイカをかじりながら、或いはビールを飲みながら見るのがオールスターではないか。

それからわが町では明日、明後日と夏祭りなのに、寒い。
もしかしたら冷夏かもしれない。
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日本型「成果主義」の可能性 城繁幸 東洋経済新報社

2005-07-21 22:13:44 | 読んだ
「成果主義」には興味がある。
こう見えても「人事」関係はすごく考えている。
「経営」は人事である、ともいえる。なにしろ経営資源はヒト、モノ、カネ、情報といわれる中でヒトだけはそう簡単に扱えない、ヒトがモノやカネや情報を扱うのである、だから人事というのは大切なのである。

さて、これまでの日本では「年功序列主義」の人事であった。
著者は、年功序列制度は「日本の発展を支えてきた」「落伍者を生まない」「組織拡大がすべてだった」「評価制度は必要なかった」だという。

つまり年功序列制度は常に右肩上がりの業績に対応する制度だと、私も思う。
ところが、右肩下がりになってきた経営状況では、業績が上がらないのに経験を積んだだけで給料が上がりポストも上がることができなくなってきた。
で、アメリカで成功している「成果主義」を持ち込んだ。

これ、それまでの「天皇制」がある日突然「民主主義」に変わったのと似ている。
最初は歓迎だった、しかし、そのうちになんだかあわなくなってくる。そして、日本型民主主義、日本型成果主義となり「本来」がどこかへいってしまう。

何故なのか?
著者は4つの問題点を挙げている。
しかし、私は著者がいう「殿様さながらの管理職」という部分が最も大きな要因だと思う。

それは成果主義だけではない。
なにか新しいことをしようとしたとき、管理職は「自分だけは特別だ」とおもうらしい。しかも「特別」とは「免除」されることと思っているらしい。

著者もだが私も、そのことでは苦い思いが一杯ある。
つまりは日本では、リーダーになる、出世するというのは「殿様」になるということなのだ。
そして、皆で殿様になろう、としてきたのが経済の発展にも生活環境の整備にもつながりうまくいってきた。
それは年功序列制度はある意味「公平・平等」だったからだ。

若いときに我慢していればいずれ報われる。
という公平・平等な制度なのだ。

しかし、今は明日のことさえも定かではない。我慢が将来報われることも定かではない。
ということだから、今の業績に報いるために今の業績をはからなければならない、それ成果主義だ!しかも成果主義はどうも人件費を削減できるらしい。

結果は、業績も上がらず社員のモチベーションはさがる、経営状況は好転しない。

著者はどうしたらいいといっているのか?
それは読んでのお楽しみ。

私は、成果主義を諸手を上げて賛成はできない。それはこの本を読んだからではなく、これまでいろいろの事例を研究(?)してきたことと、周りの人たちを見ていてそう思うのだ。
全ての人間は自分を高める努力をする、と言う前提であれば、成果主義は機能するだろう。
従って、成果主義に馴染まない人をどうするか?が問題だと思う。

その辺は私も考えているが、ちゃんと著者も「日本型成果主義」を示している。
成果主義は企業だけの問題ではない。行政においても、収入の減少と費用の削減のなかで人件費をどうするかは大きな問題だ。それは給与だけでなく、いかに働く人材を確保するか、ということもある。

働いても働かなくても待遇に差がなければ、多くの人は働かないだろう。
また、働いた成果が正当に認められなければ、心から働かないだろう。

人事は杓子定規やマニュアルではできないものだ。暖かい心と冷徹な眼が必要なのだ。

この本は「成果主義」と言うものを通して「人」とはなんなのか?ということも問いかけていると思う。

追伸
 これで当面の課題の本を読み終えた。新潮文庫の100冊からとりあえず2冊の物語を読もうと思っている。
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迷惑メール

2005-07-20 22:43:15 | 日々雑感
迷惑メールというヤツが1日に数本届くようになった。そろそろアドレスの変更が必要ではないかと思う。

職場のいわゆる「課」のメールアドレスはホームページで紹介されていて、市民の声を受付けよう!ということになっているが、迷惑メールが入る。

本日は「ホストのアルバイト」みたいなのが入っていた。

以前は迷惑メールであろうがなかろうが、ほとんど目を通していた。
それは、もしかしたら、すごくお得な情報が入っているのではないか、という期待からである。

しかし、今は、わけのわからないものはすぐに「ポイ」している。
世の中、そんなにうまい話があるわけがないのだ。

そんなことは、少し考えればわかりそうなものだが、やはり、実践して傷ついて心の底から納得するものなのだ。理屈でわかっているのは本当はわかっていないんだろうなあ。

ということで、先ほども迷惑メール削除しました。
「××子です。覚えていますか?」だって・・・全く・・・ゼンゼン心当たりありません・・・って応答しているではないの、危ない、危ない。

追伸
「日本型『成果主義』の可能性」(城繁幸)完読。そうなんだよなあと納得。
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暑い

2005-07-19 22:54:39 | 日々雑感
昨夜からなんだか暑い。
時々涼しい風が吹く、気持いい、だからなおさら暑いのが際立ってしまう。

あたしゃ、暑いのには耐性があるとばかり思っていたが、ここ何年かの冷房の夏に慣れてしまったのか、なんだかあっさりと暑さに音(ね)をあげてしまった。

クールビズ。
自然との共生かもしれない。

しかし、28℃って微妙な気温だぜ。
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時代の証言者 阿久悠 読売新聞

2005-07-18 21:27:26 | 読んだ
読売新聞の連載記事である。
「阿久悠」編は先週の火曜日から連載が始まった。
平日というか月曜から金曜日まで掲載されるらしい。

阿久悠、といえば、我々(ってどの我々だ?)にとっては、ある意味スーパースターだった。
歌謡曲の詞の概念を全く変えた人だった。
こんなこと歌にしていいの?
と思うようなことが歌になりヒットした。

それは当時フォークソングが既成概念を打ち破るような詩で挑戦していたのに対して、既成概念なんてそんな肩肘張らなくても変わるんだよ、とでも言っているようだった。
それは、体制側が反体制側よりスピード上げて変わっていくようでもあった。

それが、アイドルの可愛い歌手、カッコイイ歌手、歌のうまい歌手、何でもありだったのだ。
自分で作って自分で歌う、というフォークソングがなんだかかすんで見えたときもあった。

その阿久悠が「歌謡曲」主に自分の作った歌をもとに時代を語っている。
これ、見逃すわけには行きません我々は(ってどの我々だっつうの)
まだ続くようです。

昭和50年前後を青春した我々にとっては、阿久悠は歌を通して大きな影響を与えた人なのである。
その後、ピンクレディーでイロイロな冒険をして、それなりに成功をしたとおもうが、ちょっとなあ、という感じもしていた。そして歌謡曲というジャンル全体の落ち込みによって、詞、を見ることができなくなってきた。

このピンクレディーでの冒険は、その後秋元康のおニャンこくらぶ、つんくのモーニング娘の源になっているのではないか、と思っているのだ。

追伸
 本日は暑くて暑くて本を読むという気力がわかない一日であったが、山のレストランに行って、注文をした料理がでてくるまでの約1時間、もって行った「決定版 失敗学の法則」(畑村洋太郎)を読んでいた。
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アイスココア 

2005-07-17 21:46:33 | 日々雑感
本日、何故か、アイスココア、を飲んだ。
コンビニで、間違って買ったみたい。

で、それを一口飲んだら、大昔のことを思い出した。
むかしむかし、まだ昭和と呼ばれる時代の51年だった。
私は、東京は江戸川橋にある、とある大企業でアルバイトをしていた。
肉体労働?のようなものだった。
そのアルバイトが残業もなく終了すると、アルバイト仲間で時々喫茶店へいった。

喫茶店に行って、難しい話をすることもなく、他愛のない話をしていたんだと思う。
その喫茶店でのお気に入りメニューが「アイスココア」だった。

なにしろ、初めて飲むものだった。とてもおいしく感じたのであった。
ココアがアイス?
というだけで「都会にいる」という実感があり、言いようもない充実感で幸せだった。

しかし、その幸せは所詮「うわべ」だけのものであって、現実の生活或いは将来の生活についてなんら基盤のないものは、いつか消え去るものである。

その後、アイスココア、を飲む機会などなく、今日、アイスココアを口にした途端、20歳ころのことを突然思い出したのであった。

追伸
 本日は結婚式に出席、そしてソフトボールの地区大会があり、いろいろと忙しく何も読んでいない。蛇足ながら、ソフトボールは優勝し市の大会に出場することとなった。私がいなくても優勝するなんてなんだか複雑な気分なのであった。
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志企業のすすめ 天明茂 到知出版社

2005-07-16 17:51:40 | 読んだ
本書の副題は「21世紀に発展する 経営の条件」となっている。
勿論、企業の経営に役にたつ本であるが、実は行政にとっても・・・
いやいや「生きる」ことについて考えさせられるのである。

先ず現代が抱えているさまざまな問題が提起される。
それは「社会の歪み」であるという。物質的豊かさは精神的貧困を招いた。これが社会の迷走となってしまった。
そして幸せを見失わせた「三つの誤解」
1 自然は無限であるという誤解
2 モノの豊かさが幸せをつくるという誤解
3 人間はいちばん偉いという誤解

これらを是正するには「パラダイムの転換」が必要だと著者は言う。
第2章では「いのち」を育む生命体としての企業と題して、パラダイムシフトのについて述べられている。ここに書かれたことは、いちいちうなずいてしまうものだ。

そして第3章から著者自ら取材(?)というか尋ねた企業が紹介されている。
それは本当に素晴らしい企業である。
第3章 人と地球が調和する経営
第4章 感動を共有する経営
第5章 幸せ文化を育む経営
第6章 志を貫く経営
と続く。

これらはぜひ読んで欲しい。
経営とは何か、というより、人間がなすべきこととは何か、ということが読みとれる。
生きる、ということはどういうことなのか、ということを考えさせられる。

経営、というのは実は人間の生き方が反映されるものだ、とすると、実は経営者だけでなく、我々一人一人が従来の考え方を変えないといけない。

硬くるしく、難しい本ではない。読み終わると明日って明るいかもしれない、という暖かな気持になる本である。

追伸
 著者の天明先生には大変お世話になっている。先生のお話を初めて聴いたときからファンになってしまった。その後、直接お話を伺う機会もあり、この本に書かれていることを直接聴いたこともある。
 しかし、だから褒めているのではなく、だけど勧めているのである。つまりそんな個人的なお付き合いを抜きにしても素晴らしいものだと思うのだ。
 そのへんのところ、よろしく。
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