読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

警官の血 佐々木譲 小説新潮8月号

2007-07-31 22:45:11 | 読んだ
今回で最終回。

親子三代の警官、祖父は公務中に誰かに殺されたが持ち場を離れたという理由で殉職にはならず、父は公安部勤めで潜入捜査から心を病みその父と同じ交番勤務そして殉職。
三代目は、警務部からの命令で捜査4課に上司を見張り告発する。

3人ともに順風満帆ではなく、2代目3代目はそれぞれの父や祖父の死因を明らかにすることを抱えながら警官としての人生を送る。

最終回は、三代目安城和也が、祖父が殺されたナゾを突き詰め、父が英雄的行動(いわば無茶な行動)をとった要因を知らされる。
これで、物語は完結かと思えば、あらぬ容疑を受け警務部の取調べを受ける。

その取調べから和也を救ったのは、祖父・父・そして自分へと続いた警官3代の血であった。

というのが今回のあらすじ。

正直言って、終わり方がなんとなく釈然としないのだが、今後の安城和也の活躍を期待したい。

それにしても、どの組織でもそうなのだが末端の真面目で正直に勤めている者ほど、理不尽な仕打ちを受ける。
それでも彼らは組織を裏切らない。

組織というのはそういう人たちに支えられていることを、リーダーやエリートは心に留めておくべきである。

そんな感想を持ったのである。
これは参議院選挙の影響でもあるのか、なんて、ちょいと思ったりした。
(自民党は社会的環境の変化を読み取り自浄機能を拡充すべきであるし、民主党は勝って兜の緒をしめなければならない)

それにしても久しぶりに重厚な小説を読んだ気がする。

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土曜の丑の日 鰻の骨

2007-07-30 19:02:37 | 日々雑感
本日は土用の丑の日。
とくれば「うなぎ」である。

さて、私は土曜日28日に宿直でした。その宿直の夕食に選んだのが「鰻の弁当」でありました。
近くのスーパーで「国産」を購入しました。

ところで、今でも中国産も売っていますが、国産のほぼ2分の1の価格であり、あまりこだわりさえしなければ、それはそれで「アリ」なのかと・・・但し、やっぱりそれは自分の判断で購入したのであるから、それなりに「覚悟」はしなければならないのだが・・・

ということで、私は「国産」を選択した。

そして夜8時。
それまでちょいとした事件があったので、少し遅い夕食となったのだが、とりあえず電子レンジであたため、おいしくいただいたわけであります。

しかーし、なんと最後に口に入れたところで、骨が喉に刺さってしまった。

そういうときは「ご飯を飲み込む」で、これまでは解決してきたのであるが、もうご飯はないわけで・・・

でまあ「違和感」をいただきながら宿直の夜をすごし2時に就寝。朝早くからの作業があったため6時におき、なんやかやで家に帰って、ご飯をほおばったのが9時。でもとれなかった。

そのうち取れるさと、その後過ごしたのだが、ナカナカ取れない。
食べることについては問題はなかったのだが、何かを飲むと違和感が増大する。

インターネットで検索すると「早めに病院に行くこと」というのが多い。
まあこのままであれば病院という選択肢もアリかな、なんてまだのんびりと参議院選挙の結果をみていた。
(それにしても、与党の大敗は凄まじいものがある)

今朝起きてみると、違和感が増大し「痛み」もでてきた。
それでは「恥をしのんで」近くの耳鼻咽喉科へ行くことにしよう。

ってんで、行ったら、約1時間程度待たされて診察。
口をあけて、中をのぞいて、あったあった、ではピンセットで、はい抜きました。
ものの1分もしないで<手術>終了。
約1cmの骨を除去。
「いい場所にありましたね」
とお医者さんに言われたが、そんなことで褒められたってねえ・・・

というわけで、880円の鰻弁当で骨を喉にひっかけ、医療費が2,010円。
閉めて2,890円の鰻となったわけであります。

皆さん、鰻もいいですが、骨には十分注意してください。

追伸
 骨が刺さって何もしたくない気分のとき、そして病院で診察を待つ間に「黄色い目の魚」(佐藤多佳子)を読破。面白かった。

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夏の庭 -The Friends- 湯本香樹実 新潮文庫

2007-07-29 23:14:54 | 読んだ
2007新潮文庫の100冊から選んだもの。

あらすじは、裏表紙に書いてあるとおりなので、そのまま書き写す。

町外れに暮らすひとりの老人をぼくらは「観察」し始めた。生ける屍のような老人が死ぬ主観をこの目で見るために。夏休みを迎え、僕らの好奇心は日ごと高まるけれど、不思議と老人は元気になっていくようだ---。いつしか少年たちの『観察』は、老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが・・・。喪われ逝くものと、決して失われぬものとに触れた少年たちを描く清新な物語。

ぼくはこの「清新」というところに惹かれたのであった。
そして、そのとおり「清新」な印象は受けたのではあったが、物語としてはまあ予想どうりの展開で、それほど新しさとか驚きのようなものもなく、スタンド・バイ・ミーのような感じがしたのであった。

といいながら、なにが清新だったのかというと、読み終わったあとの気持ちである。
やっぱり「少年もの」はいいなあ、という気持ちである。

「死」というものに興味を持つ少年たちが、死を考えることで「生きる」ことの意味を考える。
このパターンは多くあると思うがその考え方はさまざまである。

近頃の日本では「死」ということに対してものすごく「敏感」であり「恐れ」が大きい。
それは「死」が身近ではなくなったからではないかと思う。
しかも多くの人に看取られて死ぬのではなく、病院でいわゆる必死の治療の結果死ぬことが多く、そのうえ本当に「必死の治療」だったのかということがその死後も問題となることが多い。
つまり「死」というものは自然なものではなく「人為的」なもののように考えられている。

昔の人は「畳の上で死にたい」という願いがあったくらいに、自然な死に方に憧れ「死」を恐れていなかった。
それは、生きている間に多くの人の死に立ち会ったからではないだろうか。

この物語に登場する少年たちは「死」というものに対してあまり恐れず、それより「どう生きるか」ということに重心を置く生方をするのではないだろうか。
少年たちはすばらしい夏休みをおくったと思うのである。

少年たちの物語や青春の物語のよさは、なんといったって生活について考えることがなく、その分、人生とか今の自分とか将来の自分とか、あるいは他者に対する目、がすごく正直であるということではないかと思うのである。

生活とか自分の立場についてはほっといて、登場人物たちが自分自身はニュートラルの位置にある、と確信をしているところがすごく魅力的なんだと思う。

この物語は1992年に書かれたもので、すでに「古典」の域に入っているようであるが、描かれていることは普遍的なことであり、古い話ではない。

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青春のうた 第39巻 1970年代後期⑥

2007-07-27 22:03:05 | 読んだ
1.夢想花/円広志 1978年11月

♪とんで とんで とんで・・・♪という部分が非常に印象的、というか、その部分しかわからない。

だから、何故「飛ぶのか」よくわからないのである。
ちなみにこの「とんで」は9回連続なのだそうだ。

というわけで、この歌、あまり興味がなかったのである。

そして円広志のつくった歌では、やっぱり「越冬つばめ」がいいなあと思うのであった。

2.い・に・し・え/日暮し 1977年11月

初めて聴いたのではないかと思う。
なかなかいい歌だと思う。

で、驚いたのがこのグループのヴォーカルが「杉村尚美」であったこと。
杉村尚美はその後ソロで「サンセットメモリー」をヒットさせた。
そのカンジは出ている。

3.ベッドで煙草を吸わないで/りりィ 1978年9月

この歌はどうしても「沢たまき」を思い出してしまう。

りりィの歌はいいアレンジで、それなりにいいと思うのだが、やっぱり沢たまき、プレイガールを思い浮かべてしまうのである。

それに、いまやベッドどころか、いたるところで「煙草を吸わないで」になってしまったのである。なんというか時代の移り変わりというのを感じてしまうのである。

4.江古田スケッチ/竹内録郎と旅行かばん 1978年1月

この歌は「初めて」である。

歌詞の中に人名が出てくるのが面白い。
「広瀬夏子」「浜田信二」「佐野京子」
実在の人物らしい。

それから竹内録郎という名前もはじめて聞いた、それに『74年に秋葉ユミが歌った<酔っぱらってみたい>で作詞作曲家としてデヴュー』とあるがこれも知らない。

というわけで、初めてづくしなのである。

5.かもめはかもめ/研ナオコ 1978年3月

中島みゆきと研ナオコのコンビの歌はいい歌が多くて感心するのだが、好き嫌いという観点では、あまり好きではない。

情念のこもった歌を、情感込めて歌うものだからなんだかすごく重い感じなのである。

6.時のいたずら/松山千春 1977年11月

なんだかすごく耳に残る歌である。

♪時のいたずらだね 苦笑いだね 冷たい風が今 吹き抜けるだけ♪

ということで、実はこの歌もこの部分だけしかよくわからないのでいたのである。


*第39巻は、思い入れのある歌がなくて、流して聴いてしまった。
 この時代の歌はよく聴いていたつもりであるが、やっぱり70年代後期あたりから歌はさまざまになってきたんだと、改めて感じたのであった。

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人斬り半次郎 く幕末編><賊将編> 池波正太郎 角川文庫

2007-07-26 23:04:36 | 読んだ
久々の池波正太郎。
「池波節」に酔いしれた。

「人斬り半次郎」とは、幕末の薩摩藩、中村半次郎のことである。
いわゆる「幕末もの」というのは好きで読んでいるのだが、どういうわけか縁がなくコテコテの「薩摩もの」は読んでいなかった。

中村半次郎などは、他のものを読んでも好感の持てる人物であるのだが、なぜ読んでいなかったんだろうと、今にして思うわけである。

この小説は週刊誌連載だったということで、それなりに「色っぽい」ところもあり、池波正太郎の人生観や人間観が随所にちりばめられて、期待どうりであった。

さて、中村半次郎は薩摩藩の下級武士、それも最下級の武士で普段は農作業をしている。しかし、剣は超一流。骨惜しみをしないで朝から晩まで農作業をして、更に剣の修行をする努力を惜しまない奴である。

ただ、直情径行、喧嘩っぱやいのが玉に瑕である。もっとも喧嘩をしても明るいので、読んでいるほうからすれば好感が持てるのである。

この半次郎が、ひょんなことから西郷吉之助(のちの隆盛)に出会い西郷に惚れ、西郷も可愛がった。
そして西郷のひきにより幕末動乱の京都へ行き、その剣の才能と明るい憎めない性格から周囲に認められていく。

このとき、半次郎は初めて学問をする。
その学問の師匠が「法秀尼」というなぞの女性という設定が非常に面白い。

半次郎は明治維新後に桐野利秋と改名し、陸軍少将となる。
しかし、その考え方は単純で新国家のあるべき姿などというものはない。ただ維新で「勝った、勝った」の勢いだけである。

その勢いだけで何もかにも乗り切ろうとすることと「征韓論」を結びつけてしまった。自分が行けばなんでも勝てるという自信が、西郷隆盛の下野と西南戦争になってしまった。

幕末は、負けた徳川が開明的であって、勝った薩長(勤皇方)は保守的であった。そして勝った保守派が開明派にならざるを得なかったことが、明治当初の混乱となり、その後の日本の歴史に大きな影響を与えたのではないかと思うのである。

それにしても中村半次郎はいい男(にせどん)であった。
久々に胸のすく小説であった。

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歴史読本9月号-大日本帝国海軍「聯合艦隊」

2007-07-24 22:50:54 | 読んだ
まだ7月なのに9月号である。
今回の特集は、大日本帝国海軍聯合艦隊、であり、表紙には次の3つの特集が書いてある。

巻頭史論 日本海軍連合艦隊編成史
特集ワイド 日本海軍海戦全史
特集事典 日本海軍「名参謀」列伝

そして付録は「連合艦隊司令長官24人の全生涯」である。

男の子にとっては、戦争というのは「いけないこと」とは思いつつも「戦いたい」という本能を刺激するものだと思うのである。

歴史、というのは一面「戦い」を綴ったものでもある。
互いの正義を貫くための戦いだったはずなのである。
負ければそれが正義でなくなるのである。

そして、負けるには必ず原因があるのである。
楽天イーグルスの野村監督も言っているではないか
「勝ちに不思議あり、負けに不思議なし」

というわけで、このような特集を読むことによって分かるのは、負けが突然やってきたわけではなく、太平洋戦争において負ける下地はもしかしたら幕末維新、あるいは徳川幕府の創成までさかのぼるのではないかなどと思ったりもするのである。

つまり普段の積み重ねが「いざ」というときに現れるわけであって、ゆえに国のあり方というのはものすごい長期的な感覚が必要であり、それによって現実の問題を解決してゆかなければならないのではないだろうか。

帝国海軍は、艦隊派と条約派に分かれて争ったあたりから急激におかしくなる。その派閥に別れて争う原因はまたその前にまかれていたりするのだが。
ともかく「今」を大切にするものと、「将来」を望んで今を我慢しようというものでは、概ね前者が勝ってしまう傾向が日本にはある。
そして、そういう組織は遂には壊滅してしまう。

そういう歴史をだれも学ばず、今日もまた「今」を大切にしようとする者が勝ったりするのである。

「将来」を大切にして今は我慢しよう!と呼びかけて勝つのには相当なエネルギーが必要なのだなあ、としみじみと感じるのである。

別冊の連合艦隊司令長官24人の全生涯を読むと、連合艦隊司令長官が一つのステップに過ぎない時代が多かったことに驚き、この連合艦隊をもって何者にも勝照ると思った者も多くいたことにまた驚くのである。

追伸
 今月の歴史読本はわが友N氏にこそ是非読んでもらいたいものである。

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ローマ人の物語(28)すべての道はローマに通ず<下> 塩野七生 新潮文庫

2007-07-23 21:51:06 | 読んだ
やっと読み終えた。
ゆっくりジックリと読んだのである。

本書は「ハードなインフラ」の続き『水道』と「ソフトなインフラ」の『医療』と『教育』である。

水道、については非常に興味深く読んだ。
水道の持つ役割を、ローマはよく知っていた。つまり「衛生の確保」である。
従って、水道料金は基本的には無料である。(特別な場合は有料)

ローマ人は街道と橋と水道の建設と維持管理は国家の仕事だと認識していたのである。
それがすごいと思うのである。
国家の仕事というのは「税」でまかなうということである。

ところが、医療と教育は国家の仕事だとは設定していない。
していないのだが、医師と教師への特典があった。
特典はあるが競争もあるので、能力のない者は淘汰されていくのである。

インフラをローマ人は「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」と定義したと著者は言う。
そして個人ではやれないがゆえに国家や地方自治体が代わって行うことと著者は考える。

現代では、人間が人間らしい生活をおくる、ということが多種多様化してしまったがゆえに、国家や地方自治体の仕事が増え、仕事が増えれば財源が必要となり、つまりは国民の負担が増えることとなる。

国家や地方自治体が行わなければならない事業をどう規定するのか、その財源と一緒に考えなければならない時期に来ているのではないだろうか。

近頃の日本では、何でもかんでも国家つまり政治と行政の責任にして、非難することが多い。
たとえば地震でも台風でもいつの間にか「全て人災」になってしまったりする。
そのうち人が老衰で死んでも政治と行政の責任になるのではないかと心配してしまう。

国家とは、国民が存在して成立するものである。そして国民は国家に対して責任を負わなければならない。

そういうことをローマ人の物語を読むと深く強く感じてしまうのである。

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野球オールスター 写真inフルキャスト

2007-07-22 22:09:05 | イーグルス
オールスター戦の写真です。
何しろ、2回からもう雨がきびしかったので、前半部分のみであります。
イーグルス中心で掲載します。

まずはファイターズの森本稀哲(ひちょり)守備練習についたところです。
帽子を4から5個かぶっています。守備練習終了後スタンドに投げ入れました。


続いてはパリーグの若き内野手、川崎(ホークス)中嶋(ライオンズ)ツヨシ(マリーンズ)。カッコイイねえ!
              

続いては1回表の守備につくパリーグの選手たちを、ムエタイの格好で送り出す森本と、山崎、嶋

 

そして本日のメインマー君こと田中投手と私のお気に入り嶋選手のバッティング。

 
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プロ野球オールスター戦 フルキャストスタジアム

2007-07-21 22:33:28 | 観た、聴いた
本日、フルキャストスタジアムで行われた、オールスター第2戦を観にいった。
宮城では15年ぶりということで、次に宮城に来るときは見られるかどうかわからないので、頑張ってチケットをとったのであった。

さて、心配だったのは雨。
家を出るときは曇り、仙台に着いたときは小雨、そしてスタジアムに着いたときは曇り。
14時試合開始であるが、12時にスタジアムについたので、売店やイベントなどを見て、そして12時30分からの打撃練習を見る。
スタジアムの外では、12球団のマスコットたちが愛嬌をふりまいていたし、各球団の社長や幹部たちがいて、ファンと握手をしたり写真をとったりしていて、オールスター戦の雰囲気を出していた。

打撃練習は一人の持ち時間が少なかったけれど、すごい打球が見られ、徐々に盛り上がり、シートノックでは、あの「欽ちゃん」が登場しマイクサービスで場内を更に盛り上げる。

さて、初回パリーグ先発の田中(楽天イーグルス)は芯にとらえられいい当たりをされたが3者凡退に押さえる。
その裏、ランナーを2塁においてパリーグ・ホームラン王山崎(楽天イーグルス)が2ランホームラン。
いやあ観にきてよかった!と思いました。

しかし、2回表、ちょっと雨脚がつよくなった。みんな雨対策を始めた。
そうしたら、田中がポンポンと打たれる。
ストレートでしかストライクが取れず、そしてストレートばっかり投げるので「狙い撃ち」である。
田中-嶋(楽天イーグルス)のバッテリーが打ち取ることよりストレートの通用度を測ろうとしたのか、単純にストレート勝負に魅力を感じたのか、ともかくも「失敗」に終わったわけで、新人バッテリーの悪い面が出てしまったといえる。
あっという間に6点を献上。従って次の回からバッテリーは交代となる。

その後も雨が強く降ったり弱かったりが続き、それにあわせて点の取りあいになる。

それでもワンプレー・ワンプレーがすばらしいものが続き、声援とため息のなか、点数の差とはあまり感じられないまま回が進む。

そして8回、雨脚が急に強くなり、とうとうゲームセット。
お約束どおり、ゲームセットの宣告後雨は小降りになった。

それでもすばらしい選手たちをまじかに見ることができ、大満足でありました。
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東北新幹線人身事故の影響

2007-07-20 22:15:21 | 観た、聴いた
本日は東京日帰り出張。
某省と打合せ。
この打合せは非常によい結果で笑顔で終了した。

さて、それからである。

東北新幹線の14時台に乗ろうと東京駅へ、みやげ物の定番『東京ばなな』を購入し、いざホームへ。

そうしたら、人身事故が発生し新幹線がストップ。復旧見込みは約2時間後だというではないか。

事故発生が13時55分、ホームに上ったのが14時。
まさしく直後であった。

どうしようか検討の結果、ともかくいちばん早く出発する新幹線の列に並ぶこととする。当初予定の列車はその時点で運行されるか分からなかった。

いやあ、久しぶりに並びましたです。
そしてその間は、iPodで音楽を聴きながら文庫を読んでいた。

最初は列に並ぶ人も少なかったが3時を過ぎた頃から長い行列となり、次の新幹線(最初に乗る予定だったもの)にも並び始めた。
ところが表示は先発と次発しかない。先発はすでにホームに列車がきている。
従って列に並んでいるのは次発と三発なのだ。
で、列には先発と後発とある。
これで、混乱し、どの列車に乗ろうとしているのか分からなくなり、一時は列同士で険悪な雰囲気にもなった。

まあ、その後問題はおきなかったが、駅員が一人もホームにいないのは、たとえ何度も放送で情報を提供されても不安なものである。

それにしても、新幹線で人身事故とは、どういうことなのか、知りたかった。

さて、2時間の復旧予定が15分短縮になり15時45分に復旧。
別の列車が出発しようとしたとき「ストップ」なんと乗務員が乗っていなかったらしい。
これでちょっとはなごんだ。

乗った新幹線は仙台どまり。私は仙台以北まで行かなければならない。
どうにかなるさ、と乗り続け、終着駅仙台で降りると、乗り込もうとする人がいる。
我々の乗ってきた新幹線は、そのまま盛岡行きになるらしい。
ラッキー、というわけで、まあ無事帰宅できたというしだい。

足が熱を持っているが、まあまあ、良かったとするか。
何はともあれ、新幹線では坐ることも眠ることも本を読むこともできたのだから。

というわけで「人斬り半次郎」<幕末編>(池波正太郎)をほとんど読み終えた。

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ブックカバー 新潮文庫&角川文庫

2007-07-19 22:46:58 | 日々雑感
新潮文庫の100冊から2冊買うと「Yonda?アロハブックカバー」が必ずもらえる。

角川文庫の夏の100冊から2冊買うと「選べるブックカバー8タイプ」から一つが必ずもらえる。

ということなので、ブックカバー欲しさにそれぞれ2冊買ってしまった。

今も文春文庫・講談社文庫・角川文庫などのブックカバーを持っていて、今読んでいる文庫は全部ブックカバーをかけている。
そのほうが読みやすいのである。

昨年の角川のブックカバーは「鉄腕アトム」をゲットしたので今年は「ゲゲゲの鬼太郎」を申し込んだ。

そう、これって買うだけではダメで、新潮文庫はハガキに応募シールを貼付して申し込む。角川は携帯電話で申し込む。
という手続きが必要なのである。

さて、それでは何を買ったかというと、色々迷ったのだが、ちょっと情緒的というのを読みたくなった。というのは近頃読んでいるのは科学的あるいは論理的なものなので、なんとなく、別の形のものが読みたくなったのである。

で、新潮文庫は
「黄色い目の魚」佐藤多佳子
「夏の庭」湯本香樹実
を選び、

角川は
「人斬り半次郎」(幕末編)と(賊将編)池波正太郎
を選んだのである。

この夏、読みきることができるだろうか?

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青春のうた 第38巻 1970年代中期⑫

2007-07-18 07:53:16 | 読んだ
1.フィーリング/ハイ・ファイ・セット 1976年12月

ハイ・ファイ・セットは好きなグループで、近くにコンサートがあると必ずといっていいほど行っていた。

にもかかわらず、この曲はあまり好きではない。
どうも、ハイ・ファイ・セットには似合わないのではないかと思っていたのである。

そうしたら、今回のインタビューで山本潤子さんもメンバーも当時は、異質な感じを抱いて歌っていた、というではないですか。
ドロドロしたカンジ、というのがその原因ではないかと思うのですが。

というわけで、いい曲ではあるが好みではない、というおなじみのパターンでありました。

2.逃避行/麻生よう子 1974年2月

この歌も、いい曲ではあるが好みではない、というものであります。
何がいいんだろう?と当時は思ってました。
ましてやレコード大賞の新人賞をとるなんて!

なんていいましょうか、たぶん、この頃はちょいと暗めのそれから深い心情の歌にはあまり興味を持っていなかったんでしょう。

3.赤い花、白い花/赤い鳥 1973年5月

この歌は、一生懸命聞いたわけでもないのに、なんだか知らないうちに歌っていた、そんな歌の一つである。

それほどいいとも思えない、つまりフィーリングや逃避行なんかに比べると、劇的な何かがあるわけではない。
なのに、心に残るのは、アマチュアが作った邪心のない心の吐露、だからではないかと思うのである。

したがって、この作詞・作曲をした中林三恵さんはこの一曲だけが「万人から支持された」のではないかと思うのである。
それだけ、人の心を打つ何かがあるのだと思う。

4.12時過ぎのシンデレラ/とみたいちろう 1973年3月

今回はじめて聞きました。
出会わない曲、縁がない曲、というのがある。
この歌、そして「とみたいちろう」はこれまで縁がなかった。

この歌がきっかけで、どこかで出会えば思い出すことができるだろう。

もっとも、この曲も、いい曲ではあるが好みでない、部類に入るのであるが。

5.バイバイグッドバイ サラバイ/斉藤哲夫 1973年9月

縁がないといえば、斉藤哲夫もそうである。
吉田拓郎の歌う「されど私の人生」からのイメージでは、痩身の哲学的ムードを持つ人、であった。

しかし、その後あのミノルタのカメラCM「いまのキミはピカピカに光って」で、そのイメージは変わったのである。

斉藤哲夫を聞いてみよう、と積極的に思わなかったから、何かのきっかけで耳に入る歌を聴いて、なんだかいいんじゃないか、と思ったりしていた。

この曲もいいのだが、さんま焼けたか、なんか聞くと、斉藤哲夫やるじゃないか、なんて強く思うのである。

強く思うのであるが、それでは積極的にアルバムなんかを買って聞く、ということをしない。
たぶん、そういう縁(えにし)なんだと思う、斉藤哲夫と僕は。

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文藝春秋8月号

2007-07-17 23:40:06 | 読んだ
今月の文藝春秋のメインは<総力特集>「昭和の海軍」〔エリート集団の栄光と失墜〕である。

半藤一利、秦郁彦、戸一成、福田和也、平間洋一の座談会である。

海軍の主だった人たちを時系列に挙げて検証をしている。
いわゆるマニアを超えた人たちの座談なのでナカナカ面白い。
出席者の中には、提督たちにじかに会った人もいるが、そういう人たちももう数少なく、そして提督たちは戦後寡黙だったこともあって、なかなか真相というものはつかめない状況にあるみたいだ。

もっとも歴史というのは、その時代に生きた人よりも知らない人のほうが、醒めて的確な判断をするものだと思う。
そういう意味では、福田和也がこの出席者の中では、情にとらわれないでいる。

ということは、まだまだ情が入る歴史になっているのではないかと思う。

海軍は、何故戦争に走ったのか?
負けないまでもいいところでやめる算段はなかったのか?
もっといい作戦(たとえば航空戦力の強化)はなかったのか?

などと検証をしているが、負けるべくして負けた戦争である、というのが私の考えであり、負けて新しい日本となった、という歴史の考え方もあっていいのではないかと思うのである。

先の防衛庁長官が「しょうがない」と発言し辞任をしたが、いまだに日本では戦争の評価が定まっていない、というか醒めたあるいは科学的な眼による歴史というのはまだまだなんだなあと、この座談会を読んで思ったのであった。

6月号の昭和の陸軍と併せて読むと、歴史、ということだけではなく「組織」がどのように陳腐化していくかがよくわかる。

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ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女

2007-07-16 22:39:20 | 観た、聴いた
なんと言ったらいいのか、ともかく、昨日はじめてこのような面白い物語があるということを知ったのである。
いくつになったって、知らないことは多いものである。

昨日、何か面白いテレビでもないのかと、チャンネルを回していたら、丁度をWOWOWでこれをやっていたのであった。
なんだかちょっと眺めていたら、なんとなく面白いではないか。
始まってから1時間弱過ぎていたが引き込まれてしまった。
しかし、途中でお呼び出しがあり中断。

それで、ビデオ屋さんにいきDVDを借りてきて初めからみたのである。
いやあ、面白かった。

ロード・オブ・ザ・リングにもハリー・ポッターにも似て、それでいて独自性がある。
なんといっても画像が美しいではないか。

このような撮影技術があってこその映画である。

調べてみれば、この物語の原作は1950年の発表だそうで・・・・
いやはやなんとも・・・

聞けば第7編まであるそうだ。
読んでみようかとも思ったが、それは本屋さんで出会うことができたらにしようと思う。

そして、なんとこの第2編のDVDが7月26日にでるそうではないか、第2編が楽しみである。

このようなファンタジーは「愛」がかならず主題である。
愛のために人は何をなすべきなのか?
深遠でいつまでたっても正解のない命題である、だからこそいろいろな物語が誕生し、我々を感動させるのである。

物語の兄妹たちのなかで、末子のルーシーが非常に可愛くて健気でそしてユーモアを解するいい女の子であった。こういう孫がほしいものである。(いまさら子どもはキツイかなと思っている)

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吉村作治の早大エジプト発掘40年展 仙台市博物館

2007-07-14 22:49:34 | 観た、聴いた
本日は仙台に行き、仙台市博物館で行われている「吉村作治の早大エジプト発掘40年展」を見てきた。

あまり、エジプトにも発掘にも興味はないのだが、妻と娘が買い物をする間を利用して、という「ついで感覚」と、レストランでもこの特別展を記念した「オアシス」というメニューがあって、それも食べよう、という魂胆であった。

妻と子もレストランは一緒で、昼食会場としてもナカナカと思われたので行ったのである。

そうしたら、すごい混みようである。
まず、駐車場に入るまでかかった。そのあとレストランも待ちの状態であった。
まあそれだけ『人気』なのである。

メインはこの「入場券」にもある「セヌウのミイラマスク」である。
青いマスク、なんとなくいいではないか。
                      

まずは昼食。
「オアシス」おいしかったです。

それから、まずは常設展をみて、そして特別展を。
音声ガイドを500円で借りて、入ったのだが、人がいっぱいである。
音声ガイドのある部分をメインに、肩越しに見て歩き、最後に「セヌウのミイラマスク」である。

最初にもお断りしたように、私あまり興味がありません。
それなので、感動、はしなかったです。
とはいうものの「ふーん」としばらく眺めていました。
彼もまさか死後5千年たって、その存在も知らなかった日本にやってくるとは思っていなかったでしょうねえ。
そういう感慨はありました。

7月22日まで開催だそうです。
詳しくは、仙台市博物館のホームページをご覧ください。

http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/tenrankai/index.html

それから、レストランの特別メニュー「オアシス」はお勧めです。

追伸
 近くのテーブルで若い女性二人組みがビールを飲みながら食事をしていたのが、本日いちばんの驚きでした。

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