読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

青春のうた 第72巻 1970年代中期22

2008-11-28 22:57:20 | 読んだ
1.アビーロードの街/かぐや姫 1973年7月

かぐや姫のアルバム「かぐや姫さあど」に収録されていた歌で、シンプルなつくりで、気に入っている。

この歌のようなシチューエーションがあったような気がする、情景が目に浮かぶ歌である。

恋人に会えない水曜日、一人で街の中をあてもなくふらつく、そして、どうしようもなくなって、ポケットをさぐってやっとみつけた10円玉で公衆電話から彼女に電話する。

♪公衆電話だから
 大きな声で 
 言えないけれど
 好きなんだ♪


って、なんだかモノクロ的でいいですねえ。


2.いつか街で会ったなら/中村雅俊 1975年5月

神田川の喜多條忠が作詞、吉田拓郎が作曲した曲である。

喜多條さんらしからぬ「乾いた」詩である。
それに、盛り上がりにかける、かんじのする拓郎の曲がマッチしていて、中村雅俊がぶっきらぼうに歌う。

何かの拍子に
♪それでもいつか どこかの街で会ったなら
 肩を叩いて微笑みあおう♪

と、口ずさむことがある。


3.夢が少しづつ/吉川忠英 1974年10月

吉川忠英といえば、ギターリスト。
誰かのバックで弾いている。

昔は歌っていたんだろうなあ、と思っていたが、今回初めて聞いた。

まあ、なんとなく、それなりに、いいんじゃないでしょうか。


4.大阪へ出て来てから/上田正樹と有山淳司 1975年5月

これも初めて聞いた。

どちらかというと「大阪」がらみの歌は苦手である。
どうも「大阪弁」があわないみたいなのである。

この歌にもあるよう「どきつい大阪弁」がどうも『いまひとつ』しっくりこないのである。

多分、人と人とのつきあい方がベタベタしているという印象があるからかもしれない。
ベタベタしているように見えて実はカラッとしているのだとは思うのだけれど・・・・・あきまへん、なのである。

この歌は詞が大阪風であるが、曲は軽めのノリがよく、許容範囲ではある。


5.弟よ/内藤やす子 1975年11月

この歌は詞がなんだか暗く救いようがないかんじで、何でこんな歌があるわけ?なんて思ってしまうのであるが、内藤やす子にはピッタリはまって、説得力があるのだ。

内藤やす子の弟なら「暗い目をしてすねている」ように思えるのである。

この歌は、田山雅充の「春うらら」を歌うとなぜか歌ってしまう。

♪みぞれ混じりの春の宵
 二人こたつにくるまって
 ふと思い出す故郷の
 一つ違いの弟を
 アウーアウー春うらら♪


なんてね。


6.グッド・バイ・マイ・ラブ/アン・ルイス 1974年4月

アイドル時代(?)のアン・ルイスの名曲である。

ひとことひとこと、或いはワンフレーズごとに心にしみてくる。
こういう女の子を振るのはどういうやつなんだろう、と怒りさえ覚えるのである。

それから台詞が英語というのがまた新鮮であった。

アン・ルイスは、もうこの歌のイメージではないが、やっぱり「グッド・バイ・マイ・ラブ」はアン・ルイスに限るのである。

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なみだ研究所へようこそ!<サイコセラピスト探偵 波田煌子> 鯨統一郎 祥伝社文庫

2008-11-26 21:11:51 | 読んだ
またしても鯨統一郎である。
なんだか読みたいなあ、なにか読みたいなあ、というときにはなぜか鯨統一郎に縋ってしまう。

深刻でない、長くない、飽きない、裏切られない、笑って許せる。
というのが、選ぶ理由のように思える。

作者:鯨統一郎は覆面作家である。
で、公式的記録はないのであるが、私と同年代であると思う。使われているギャグ、歌、背景がよくわかるのである。

さて、なみだ研究所へようこそ!である。

物語は、メンタル・クリニック「なみだ研究所」を舞台としている。
主人公は、このクリニックの所長「波田煌子」。
伝説のセラピスト、であるが、高卒であるから臨床心理士の資格もなく、専門的な勉強もしたことがないのに、なぜか患者の心の病を治してしまう。

そして語り手は、このクリニックに臨床心理士として大学の教授から紹介されやってきた松本清。

もう一人のレギュラーは、クリニックの会計士小野寺久美子。凛とした気高さを持つ美人である。

このクリニックを尋ねてくる心に病を持った人たちから話しを聞いてその病を治していくのであるが、どう見たって松本清の診断が正当的であり確かなものであると思えるのだが、こじつけいっぱいの波田煌子の診断が正解となるのである。

つまり、シャーロック・ホームズとワトソンが謎を解いてワトソンが正解。
金田一耕助とあの磯川警部が謎解きをして、磯川警部が正解。
という印象なのである。

この物語は「逆転」の面白さがある。
容姿的に言えば、小野寺久美子のほうが優秀なセラピストっぽく、波田煌子はアルバイトの女子高校生風であること。
患者への質問や会話では、松本清が本当のセラピストっぽく、波田煌子は素人である。

しかし、常に正解はそれらしくない波田煌子。
しかもその謎解きはいわゆる「噴飯モノのこじつけ」なのである。

この逆転現象とめちゃくちゃなこじつけが、この物語の核なのである。

何か心にわだかまりがあるヒトにはぜひ読んでほしい。
人なんてそれほど理屈で動いているのではないのである。

ただしあまりわだかまりが深い人は怒り出すかもしれない。

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晩秋そして初冬

2008-11-24 21:22:50 | 日々雑感
11月20日に初雪が降った。
朝起きたら銀世界とまではいかなかったが、雪景色であった。

我が家の庭に積もった雪。まだ紅葉は終わっていない。


花の上にも雪が・・・
             

そして今日、栗駒山が雪景色でキレイだった。
この山があの「岩手・宮城内陸地震」で崩れたのである。
そして、この山の周辺(東側)で大きな被害がでて、まだ住み慣れた土地を離れて生活をしている人が多くいる。
なのに、キレイに雪景色なのである。

                        

あの地震は、我々に対する山の神様の警告だったのか怒りだったのか・・・そんなことを考えてしまう神々しさであった。
              

今日は栗駒山の裾野にある窯元へ行ってきたのであったが(留守であった)、その途中まだまだ地震の爪あとは生々しく残っていた。

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愛・・・しりそめし頃に・・・<満賀道雄の青春> 藤子不二雄A 小学館

2008-11-23 23:20:35 | 読んだ
藤子不二雄のマンガでは「まんが道」が好きである。
その「まんが道」の続編としてこの「愛・・・しりそめし頃に・・・」がある。

また「まんが道」以降書き続けられているこのシリーズは、藤子不二雄Aの自伝として、或いは昭和の漫画の歴史として、いろいろなことを考えさせてくれる。

富山県高岡市で、後の藤子不二雄となる二人(マンガでは満賀道雄と才野茂)が出会い、漫画を描き始め、手塚治虫に憧れ彼に会いに行ったりする。
そうして二人で東京に出てきてプロのマンガ家として活動をはじめ、手塚が住んでいた東京池袋の椎名町の「トキワ荘」に移った頃から、若いマンガ家たちが集まったりはじめる。
そんないわゆる「トキワ荘派」とでもいうべきマンガ家たちの群像を描いていたのが「まんが道」である。

そして「愛・・・しりそめし頃・・・」は藤子不二雄Aが中心となってきている。
「まんが道」もそうであるが、劇中に当時書いていた漫画がそのまま掲載されたりして、どういう気持ちで或いはどのような環境の中でその漫画が描かれたのかを知ることができる。

すでに8巻が単行本として出されているが、非常にゆったりとしたときの流れである。多分藤子不二雄Aのライフワークなんだと思う。
そう思うとゆっくりゆっくり読んでしまうのである。

単行本がいつ発売になっているのか時々確認をしなければならないが、今回ちょっと怠っていて7巻と8巻を手にいれたのである。

追伸
本日は、このブログに時々コメントをいれてくれる☆ユウ★の結婚式に出席をしてきた。新郎新婦の新たな門出を祝う人たちだけの披露宴であったので、感動の出来事が多かった。

「愛…しりそめし頃に…」というわけではないが、若いときの恋の物語はそれぞれにドラマがあって、それは二人だけのことでありながら周囲の人たちも何かしらの役割を演じていたりして、もう周囲の人物しか演じられないヒトになっていることに気づき、ああ若いっていいなあ、としみじみ思ったりしたのであった。
今更、恋の物語の主人公を演じるほどの力はないのは十分承知しているのではあるが・・・

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村治佳織ギター・リサイタル

2008-11-21 22:43:20 | 観た、聴いた
今夜は、村治佳織ギター・リサイタルに行ってきた。

いつだったか忘れたが偶然彼女の演奏を聞き、クラシック・ギターって素晴らしい、と早速CDを買ってきたのであった。

それ以来、折に触れて彼女の音楽を聴いていたのであった。

時々行けないこともない場所で行われるコンサート情報を見つけては、どうしようかと迷い、結局あきらめていたのであった。

それが今回地元でコンサートということで、前売り券発売日にきっちりと席を確保し、今日のコンサートを待っていたのであった。

いやあよかったなあ。
第1部はバッハの曲を4曲。
『重厚・荘厳』というバッハを見事にギターで表現していた。

ギター1本でなんということだ!
と思った。
細くしなやかな指がきれいに動き音が響く。

第2部はピアソラ、そしてピアソラへのオマージュ「あるタンゴ弾きへの哀歌」、ブラジルの作曲家・ヴィラ=ロボスと続き、ラストの3曲は「スペイン」を舞台にした曲で、会場は一気に村治佳織の世界となった。

「アルハンブラの想い出」を目の前でナマで聞けるなんて非常に興奮してしまった。

アンコールでは「禁じられた遊び」を披露してくれた。

それからギターも素晴らしかったが、綺麗だったしカッコよかった。
又機会を見つけて聞いてみたいものである。

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ハープ(早川りさこ)&チェロ(植草ひろみ) 親しみクラシック 

2008-11-20 23:42:53 | 観た、聴いた
今夜は地元で開催された「ハープ&チェロ」のコンサートに行ってきた。

これはサブタイトルに「親しみクラシック」とあるが、さらに「けんみん1000円コンサート」ともある。

チケット1000円である。
これで、ハープの早川りさこさんとチェロの植草ひろみさんという一流の演奏家(ハーピスト&チェリスト)の演奏を聞くことができるのである。

日本も文化国家になったと実感するのである。
一昔前なら、こんな片田舎にこのような人たちがきてコンサートが行われるなんて考えることもできなかった。
そういう意味では、日本は恵まれた、といえるのであるが、多くの人たちはマダマダ恵まれてなんかいないと思っている。
「恵まれる」とか「幸福」という基準はないのであるから、それは仕方のないことなのだが・・・それにしても次から次へと人の欲望というのは果てしのないことであります。

そんなことはどうでもいいのでありますが・・・

今夜はじっくりとチェロとハープを堪能しました。
特に、ハープという楽器がどのような構造でどのようにして演奏しているかという解説もあり、「なるほど」と思ったのでありました。

さて、肝心の演奏でありますが、早川さん植草さんは親同士が知り合いで、二人は幼馴染で同級生、ということから息のあった、そして二人の個性が尊重され生かされていた演奏で、外は初雪のあとの木枯らしでありましたが、なんだかポカポカとあったかい雰囲気に包まれました。

チェロの特に低音部が好きでなのでありますが、生でしかも近くで聞きますと身体全体に響いてくるようですし、ハープは非常に心地よい響きで心休まるカンジでありました。

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狐罠 北森鴻 講談社文庫

2008-11-18 20:49:17 | 読んだ
近頃は「北森鴻」にはまっている。

蓮杖那智シリーズに続いて、今度は「宇佐見陶子」シリーズである。
この「狐罠」には登場しないが次の「狐闇」には蓮杖那智が登場するという情報(蓮杖那智シリーズの文庫本解説)を得たので、それでは、ということで読み始めたのである。

文庫本501ページに及ぶ長編である。

主人公の宇佐見陶子は「旗師」と呼ばれる古美術商である。
旗師とは店舗を持たない古美術商である。

物語は古美術の世界で起こった殺人事件と古美術をめぐる騙しあいがメインである。
したがって謎は、誰が殺人犯なのかということと古美術をめぐるものと二つある。

古美術を文章で表現されても創造する力がないのでイメージがわきにくいというのが、私にとっては難であったが、なかなかに面白い物語である。

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酒の細道<酒と肴の歳時記>-冬の酒スペシャル- ラズヴェル細木 日本文芸社

2008-11-16 18:30:18 | 読んだ
1話4ページの短篇である。

毎回毎回よくもまあ話題が続くなあ、と思う。
題名にあるとおり酒を飲む話である。

この物語の主人公岩間宗達は、酒を飲む、ということだけに生きているようなヤツである。
そしてそんな主人公であるがゆえに、その周りにいる人々も酒が好きである。

「日本全国酒飲み音頭」という歌があって、そのなかで
♪11月は何もないけど酒が飲めるぞ♪
という歌詞があったのだが、主人公・宗達は、何かと理由をつけて酒を飲むのである。

例えば「落ち葉たき」をして一杯、コタツを出したといっては一杯、なのである。
又、一人で酒を飲み一人でウンチクを傾けてすごすこともいとわない。
或いは、肴も酒も一級品にはこだわらない。コンビニで買ったものに一工夫してのむのである。

感心してしまうのである。その情熱と執念に。
うらやましいのである。その健康と能天気さに。

そしてこのマンガを読むと酒を飲みたくなるのであるが、宗達ほどこまめに準備できるわけがないので、なんとなく挫折してしまうのである。

でも、マンガを読んだだけで酒を飲んだような気になるのであるから、まあいいだろうと思っている。

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触身仏-蓮杖那智フィールドファイルⅡ- 北森鴻 新潮文庫

2008-11-13 22:29:22 | 読んだ
蓮杖那智シリーズ第2弾である。

「秘供養(ひくよう)」「大黒闇(だいこくやみ)」「死満瓊(しみつるたま)」「触身仏(しょくしんぶつ)」「御蔭講(おかげこう)」

の5編が収められている。

主人公は「美貌で異端の民俗学者」である蓮杖那智とその助手である内藤三國。
蓮杖那智は「端正ではあるが、時には彫像の冷たさを想像させるほど無機質な美貌」である。
男のような言葉使い、冷たいともいえる感情を表さない性格。
どこにもつけいるようなところは見当たらない「女」なのである。

こういう人は、避けて通るに限る、と思うのである。
なのにしかし、小説の主人公としては非常に魅力的である。
これくらいハッキリした性格というのは小説向きである。

さて、今回も「民俗学」と事件が絡んで一つの物語となっている。

ところで「民俗学」というのはなんだろう?と思う。
ウィキペディアによれば
『民俗学は、風俗や習慣、伝説、民話、歌謡、生活用具、家屋など古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料をもとに、人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにし、それを通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問である。』
となっている。

つまりまことにもって広い分野などである。
人の営み全てを取り扱っているのである。

だから、民俗学と事件の推理は似たようなものなのである。
蓮杖那智は民俗学者であるが、シャーロック・ホームズのような探偵でもあることは不思議でもない、と思うようになったのである。

フィールドファイルⅠでは「完全無欠」のようであった蓮杖那智は、このファイルⅡでは、雪山で崖から転落し『右大腿部複雑骨折、全治2ヶ月』で入院したり、行方不明になって発見されたときは死体と一緒だったり、脅しを受けて襲われたりする。
ちょいと「隙」を見せたりするのである。

このファイルⅡから「事務室の狐目の男」と「佐江由美子」が蓮杖ファミリーのような形でさまざまな事件に関わりあうことになる。

このファイルⅡは著者から「この物語はマダマダ続く」「そして話の種は広く深くなる」ことを宣言されているようである。

よってファイルⅢの「写楽・考」も読んだのである。

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本屋にて・・・

2008-11-12 21:56:12 | 日々雑感
文庫本を3冊購入した。

森村誠一「人間の証明 21st Century」
鯨統一郎「なみだ研究所へようこそ!」
北森鴻「狐罠」

である。

近頃推理小説を好んで読んでいる。
推理小説は若いころから好きだったのであまり違和感はないのであるが、歴史小説や時代小説或いはユーモア小説と交互に読んでいたのが、推理小説の割合が増えてきたのである。

それから、以前はこのように小説や物語の本を購入した場合、エッセイのような軽い読物も併せて買っていた。
合間合間に読んで頭をほぐしていたのである。

で、今回本屋に行って探してみたのであるがなかなか見つからない。

なんというか、置いている本全てが「著者が渾身の力をこめて欠いたものだぞ!」とか「これを読めばあなたは何かを得る!」というオーラなのである。

つまり、軽いというか『へらへら』した読物が見当たらないのである。

この現象について、本屋をさまよいながら考えたのである。

まず第1に推理小説や勧善懲悪的な時代小説は、その途中がどうあれ結末は完璧に予想できるという「安心感」がある。

推理小説は解決しないことはない。
時代小説は主人公が勝つ。

あとはパターンと主人公のパーソナリティが魅力的であるかどうかである。

だから、そういうものに飽きたあるいはもう少し深いものを求める、ということから古典の復刻版がたいそう出ている。
でもどうもそれは「ファッション」のような気がする。つまり買われてはいるけれど読まれてはいないような気がする。

また、本を買って読むという、ことに「お得感」を求めているのではないか。
ただなんとなく読むのではなく、本を読むことによってなにかをすぐに手に入れたい、という気持ちがあるのではないか。

1冊の本を1回読んで何かを得ようなんていうことは「思い上がり」である。
なのに、本のカバーには「これ1冊でわかる」みたいなことが書いてある。

というような(つまり安心感とお得感をもとめる)社会の環境にあって、へらへらしたような読物は出てこないんだろうなあ、と思うのである。

ということで、なにか「へらへら」したようなもの、読んでもなんの役に立ちそうもないようなもの、そんなものを求めて本屋をさまよったのであった。

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日本シリーズ 埼玉西武ライオンズ優勝

2008-11-09 22:28:17 | 観た、聴いた
日本シリーズ第7戦を3対2で制し、埼玉西武ライオンズが優勝した。

私は、アンチ巨人であり、なおかつ楽天ができるまでは西武ライオンズのふぁんであったことから、西武ライオンズを応援していた。

昨年のパリーグで第5位ということ、若い力の爆発が頼みのこと(つまり甘い細かい野球はできないこと)、巨人を優勝させてWBCの監督としての原の価値を高めたいこと、などから、今年はなかなか難しいのではないかと思っていた。

第5戦で2勝3敗になったときは「あきらめ」ようかと思ったのである。
なにしろあまり試合内容がよくない。

涌井の第1戦と、岸の第4戦くらいがまあまあの内容であったが、この2試合は彼らの力で勝ったもので、チームとして巨人を崩していたとは思えない。

第6戦も第7戦も投手陣の「気力」で勝ったようなもの。
打撃陣には「工夫」が少なかった。

とはいえ、ライオンズの優勝はめでたい。
今年の日本シリーズでは「力」のある投手は素晴らしい、ということをしみじみ感じた。

「力」とは威力のあるボールとコントロール、そして気力である。

ハラハラ・ドキドキというより愚痴とぼやきの観戦であった。

はやく東北楽天ゴールデンイーグルスが日本シリーズで優勝する姿を見たいものである。

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エコノミック恋愛論 山崎元 ちくま新書

2008-11-07 21:55:37 | 読んだ
週刊朝日の書評欄で見かけて面白いと思い購入した。
そうしたら面白いではないか。

著者は「まえがき」で

電車の中やトイレの中で、細切れに読んで、時々くすくす笑ってくれるような読者がいると、著者としては、いちばん嬉しい。

と書いていたので、ポケットに入れちょっとしたあき時間に読んでいた。

この本は「恋愛のコツ」と「経済学のコツ」を同時に読者にお伝えしようという、ものらしいのであるが、小難しい経済学を恋愛にたとえて解説している、というように私は読んだ。

わずか30ページにも満たないうちに次のようなフレーズがでてくる。
「囚人のジレンマ」「劣等財」「競争的エスカレーション」「勝者の呪い」「プラシーボ効果」「窮乏化法則」「パレートの法則」「実証的経済学の方法と展開」etc

これって恋愛論の本ではないですよね。
明らかに経済学の本です。

したがって、この本を熟読して「恋愛のコツ」をつかみ、これから連戦連勝するんだなんて思っている人には「向き」ではないような気がする。

もっとも、世に多くの恋愛本があり、また多種多様のハウツー本があるが、ダイエットを含めて多くの人がそれで成功したというのを聞いたことがないのと同じで、『フムフム、そうね、大体ねー』
と読み流せばいいのである。

著者はあとがきで

もともとは経済学的な発想を解説する真面目なコラムのはずだった。

と書いているが、そちらのほうが本書の説明として正しいような気がする。
ただし「恋愛」をたとえとして持ってきて、それが成功しているがゆえに、そちらにどうしても比重が傾いているのである。

いずれにしろ、経済学や恋愛について理屈っぽく考えたい人には「超お勧め」であり、本書を元に実践しようとする人には「いまいち」のように思えるのである。

情報源としてや経済学の初歩としては大変素晴らしいので、再読しようと思っているのである。

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凶笑面 -蓮杖那智フィールドファイル1- 北森鴻 新潮文庫

2008-11-05 20:07:15 | 読んだ
小説新潮10月号から「鏡連殺-蓮杖那智フィールドファイルⅣ-」の連載が始まった。
「邪馬台国」を扱うらしい。民俗学から考える邪馬台国ということであろう。

蓮杖那智については以前から気になってはいたのである。
で、多分小説新潮に掲載されたのは「なんとなく」読んでいたと思うのだが、明確に覚えていないのである。

ということ(以前から気になっていた)と「邪馬台国」ということから、今回はじっくりと読んでみようかと思ったのである。

そして、それではこれまでの蓮杖那智が関わった物語を読んでおかなければ、という切羽詰ったような気持ちに動かされて、本書を購入したのである。

蓮杖那智は、東敬大学助教授。
「フィールドワーク・民俗学各論2」を講義する。
「年齢不詳、端正な容姿、異端」の人である。

この蓮杖と助手の内藤三國が民俗学的或いは歴史学的な謎と、それにあわせて起こる殺人事件の謎を解くのである。

ゆえに「謎」は二つある。

民俗学に興味がなくてもなかなかに面白い。
<私好み>の物語である。

本書「凶笑面」には5編収められている。
蓮杖那智の特異な性格と助手・内藤の従順さ(情けなくなるほどである)という性格づけが、うまく機能していると思える。

解説(法月綸太郎)はシャーロック・ホームズとワトソン博士のようなコンビに似ており、なによりシャーロック・ホームズ短編集の様式である、といっている。
この解説がよくできており、ストーリーの構造分析はさすがである。(ただしこの解説を最初に読むのはやめたほうが良い)

というわけで、早速この短編集を読んだ私は、第2、第3を購入し、更には「宇佐美陶子シリーズ」にまで手を伸ばそうかと考えている。

なおこの「凶笑面」はテレビドラマ化されており、蓮杖那智を木村多江、内藤三國を岡田義徳演じている。(私は見ていない)
原作を読んでみると、ちょっと?マークの配役とも思える。

ともあれ、ちょっと私のなかでは「北森鴻」をまとめて読んでみようか、という雰囲気である。

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容疑者Xの献身 東野圭吾 文春文庫&映画

2008-11-03 18:12:36 | 読んだ
観てから読むか、読んでから見るか、という選択であったが、ひょんなことから映画を観ることになった。

というわけで、映画を先に見てそれでは原作はどうなっている?ということで本を読んだのである。

このガリレオシリーズは「犯人探し」というよりも「方法の解明」ということが主になっているので、映画でも本でもいわゆる「犯人」というのはわかっているのである。

ただし、この「わかっている」ということがどこまで真相を把握しているのか、ということに関して言えばやっぱりそこには「謎」があるわけで・・・

映画ではふたつほど、映像で「伏線」というか「あれ?」と思う部分が先に出てくる。
見ている途中で隣人に確かめたくなったほどである。(確かめはしなかったが)
この部分は原作では明確に現されていないので、映画におけるサービスなんだと思う。

この物語はガリレオこと湯川学と彼が天才と認める数学教師・石神の対決である。
対決といっても身体的だったり謀略的であったりするものではなく、論理的対決である。

論理的というところがちょっと「くどい」感じがしないでもないが「深い」とおもえば、フムフムと感じ取れる。

映画と原作では設定に若干の違いはあるが(内海薫<柴咲コウが演じている>は原作にはいないというとこととか)話の幹は同じであるので、おおきな違和感はない
が、やっぱり原作のほうがいい。

映画は観る人に想像させることが少なくわかりやすくしてるという印象である。
ただ、湯川学の福山雅治はいかにもはまっている。
そして石神の役であった堤真一もかっこよかった。
原作では石神はかっこ悪い冴えない感じに描かれていて、天才的数学者とのギャップをカンジさせるのだが・・・

映画の二人で山に登るところは、ちょっと出来すぎもしくはやりすぎ或いは飛躍しすぎというかんじではあった。

というわけで、この「容疑者Xの献身」は映画でも本でも十分堪能できると思う。
今回は「観てから読む」で正解だったかもしれない。

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青春のうた 第71巻 1970年代後期14

2008-11-01 22:14:17 | 読んだ
1.宿無し/世良公則とツイスト 1978年4月

世良公則、ツイストは好きだった。
どちらかといえばサザンオールスターズの曲よりツイストのほうが性に合っていた。

そしてその中でもこの「宿無し」は<大のお気に入り>という曲である。

何がいいのか、ということを考えると難しいのだが・・・

サザンの曲の歌詞のほうが私の心情的にあっているし想像が可能な世界である。
しかし、ツイストのほうの歌詞は全然私の世界とは違う、ということが魅かれるものなのかもしれない。

この曲に出てくる女の子
『乾いた唇に流行の口紅を塗る』
『新しい恋をひろう』
『あいつの好みにあわせて髪の毛の色をかえる』
こんな女の子を間近で見たことがない。というか多分そういう女の子には近づかないと思う。

世良公則(ツイスト)の歌には私にとって異次元・別世界のようなカンジである。
ところがサウンド的にはハードでありながら素直なのでそのアンバイが心地よいのではないかと思うのである。

対してサザンオールスターズは、歌詞的には親近感があるのだがサウンド的に会わないんだと思う。


2.ストップモーション/尾崎亜美 1978年2月

つまり、どちらかといえば都会的なサウンドというのは苦手なんだと思う。
「洗練」とか「ポップな」とかは、なんというか恥ずかしいのである。

このストップモーション或いは尾崎亜美のサウンドはそれなりにいいと思うのである。しかし夢中になって聞くようなことはない。

それはもしかしたら「7」のせいなのかもしれない。
7というのは、コードで例えばAmではなくAm7というようなもの。
このストップモーションでは、マイナーのコードにはすべて7がついている。
このようになセブンスコードといわれるものを使用すると、乾いたカンジになる。
(と私には聞こえる)
そしてそれがどうも洗練とか都会的というふうになるみたいである。

と、長々しくのべてきたが、つまりこのストップモーション或いは尾崎亜美の曲は「いいなあ」と瞬間的に感じるが続けようとはあまり思わないのである。

都会的というのは粘着性がないというか長続きしないというか、私にとってはそんなものなのかもしれない。


3.闘牛士/Char 1978年3月

Charというのはスゴイ奴なんだということはなんとなく知っていた。
そのスゴイ奴が満を持してレコードを出した。

というのが当時の情報であった。
で「気絶するほど悩ましい」でいかにもそれらしい曲であった。

ところが私は「エーッ?!」というカンジであったのだ。
なんだか「アイドル路線」らしいのである。
作詞が阿久悠というのがどうもいやらしい感じでもあった。

阿久悠の詞が悪いというのではなく、そうではなくてもっともっと新しく、何かを壊すというようなカンジにはならなかったのか、と思ったのである。

ベテラン投手と野村捕手による計算され尽くした配球で勝負する形より、投げてみなければどこに行くのかわからないがものすごいストレートを投げる、そんなことをしてほしかったのである。

ところでCharのスゴイところって、どうも専門的すぎてよくわからないのである。
『ロック界に衝撃を与えた』というのはどういうところなのだろうか?
いわゆる『玄人筋には認められていた』ということと同じなんだろうと思うのであるが・・・


4.吸殻の風景/さだまさし 1977年7月

この曲が収められているアルバム「風見鶏」は私が唯一もっているさだまさしのレコードである。

「意欲的」というアルバム。つまりそれまでの叙情的な(タモリ的に言えば『暗い』)ものから脱皮をはかったものだから買ったと思うのである。
そして「風見鶏」はお気に入りのアルバムである。

それは「脱皮」できていると思ったからである。
特にこの「吸殻の風景」はリズム感があってロック調でもあってなかなかいいのではないかと思ったのである。

ところが世間はあまり認めなかったのではないだろうか。
つまり「意欲的」であることはまあヨシとはするが、やっぱり<さだまさし風>というのは別にあるのではないかと・・・

というわけで、この「吸殻の風景」は好きな曲である。


5.舞姫/吉田拓郎 1978年6月

この歌を聴いたとき、今何故この歌なんだろうか、と思った。
何かの主題歌なのかとも思った。

拓郎から感じ取っていた「時代への叫び」というか「反逆性」というのがなかった、というのがその根本なんだと思う。

いまこのようなノスタルジックな詩と曲でかれは社会に何を訴えようとしているのだろうか。
ということを考えていたのである。

拓郎の歌から何かを感じ取ろうとしていたのである。

で、イロイロ考えてみたのであるが「拓郎はうたいたい歌をうたっているんだ」と結論づけたのである。

そしてこの歌以降はそう考えることにしたのである。

「うたいたいから歌う」
というのがメッセージなのではないか。
それは私の考え方にも大きな影響を与えたのである。


6.ホームにて/中島みゆき 1977年9月

中島みゆきの歌は、心に響くときと、まったく聞きたくないときがある。

「やめて」というときがあるというのが特徴である。(勿論わたし的にである)
そして無性に聞きたくなるときもある。

この「ホームにて」は初めて聞いた。
「わかれうた」のカップリング曲だという。


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