読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

仙台フォークジャンボリー(その1、開演まで)

2005-10-30 23:37:24 | 観た、聴いた
ということで、スクーリングの最中であるというのに、29日、仙台フォークジャンボリーを観に(聴きに)行ったのである。

今回の出演は、南こうせつ、イルカ、まるで六文銭のように(小室等、及川恒平、四角佳子)、山田パンダ、そして、なぎら健壱である。

これすごく迷ったのでありました。
行きたい、というか、このコンサートを知ったのが、すでにチケット発売から幾日もすぎていたころ、今買ったって、いい席、ではないだろうし、その日はスクーリングだし・・・

しかし、決然として購入。結果2階席だった。
まあ、それもよかんべえ、と。どうせスクーリングで遅れて行くことになるんだから。
なあんて、迎えた昨日、であったのでした。

17時30分開演には、間に合わないだろう。なにしろスクーリングは表向き17時30分終了なのである。
とまあ、その間の事情は省いて、タクシーに乗れば、この運転手さんノリのいい人で(運転手さんだからノリがいいのは当たり前、なんていわないこと)
「サンプラザまでお願いします」
「なに?コンサート?」
「ええ」
「間に合うの?」
「五時半開演だから・・・でもいいんです、その覚悟でいたので」
「急げば、間に合う」
ということで、ホントに急ぎましたですよ。

「いいですよ。無理しなくて」
って言いましたもの、こわくて。
でも、一生懸命急いでいただきました。

ずっと、お話をしながら。
まず、どんなコンサートに行くのか?ということから始まって
「六文銭ってなに歌ってた人だ?」
「出発の歌を上条恒彦と一緒に歌ってたグループ」
「おお、おお、わがる、わがる」
「で、その中にいた女の人、四角佳子って言うんですけど、この人が、吉田拓郎の最初の奥さん」
「ああ、そんで二番目が浅田美代子か?」
「そうそう。で、わたしはこの四角佳子のファンなの。結婚したときは悔しかったねえ」
「おお、おお。俺たちは、天地真理とか南沙織が好きだったなあ。んでも、天地真理はいまテレビにでて駄目だ。せっかくの夢壊すものなあ」
とか。

それから、今日と明日はサザンオールスターズが利府でコンサートを行うが、グランディ21って屋内か、屋外か?
とか。
「あんた何年生まれ?」
「31年」
「じゃあ一つオレが上だ」
とか
「桜田淳子、山口百恵、あたりはあまり興味がなかった、もう仕事してたから」
と言っていたから、年は一つ上でも学年は二つ上かな?とも思ったりして。

なんていっているうちに到着
「31分だ。間に合うんでねえが?」
というコトバに
「ありがとうございました」
と御礼を申し述べて、わたしは、仙台サンプラザの階段を、雨で滑るから気をつけながら、急いで昇ったのでありました。

続きは、明日のココロだあ!
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スクーリング

2005-10-30 23:08:01 | 産能大
28日(金)から今日まで、スクーリングであった。
すでに、卒業要件を満たしているので、その意味からいえば、通うことのないスクーリングであるが、学んでみたいものであったので、行くことにしたのである。

それに学費を払っているので、せっかくの機会、学ばにゃソン、ということもある。
最もこの説には異論があって、当初の目的を達した今、それよりしなければならないことがある。学費を払っていることに劣らない、時間、の確保が必要である。
まあ、それはそれなりにイロイロあるわけで、各自の考え方である。
わたしだって、受けられるものすべてを受けているわけではないのだから・・・

ということで、3日間。
最初の1.5日は座学。そして残り1.5日はグループワーク。
このグループワークが楽しい。
といっても、わたしはこれまでメンバーに恵まれ続けてきたので、楽しい、といえるが、恵まれなかった人は、それなりに苦労をしているらしい。

恵まれない、というのは、グループワークに非協力的、もしくは、自分の意見だけを押し付ける、という現象が起きることらしい。

まあ、そんなわけで、苦しいこともあったりするのだが、スクーリングは面白く充実したモノになると、3日間というのもあっという間だったりするのである。
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千葉ロッテマリーンズ四連勝 日本一

2005-10-26 22:08:31 | 日々雑感
ロッテが今日も勝った。
今日は接戦、というか、どちらのチームも「あと一つ」がなく、イライラする展開であった。

4連勝、得点は32点、失点は4点。
すごい!としか言いようのないシリーズであった。
拮抗した力であっても「勢い」がこんな差にしたんだろうなあ。
ちょっとした「かけちがい」みたいなものがあったんだろうと思う。

ロッテファンの皆さんは大喜び、阪神ファンの皆さんはすごくガッカリだと思いますが、あまり世間を騒がすような暴走はしないで欲しい。
アレだけ負け続けた楽天ファンはまだガマンしているのだから。
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ローマ人の物語19 悪名高き皇帝たち3 塩野七生 新潮文庫

2005-10-24 22:26:58 | 読んだ
カリグラが死に(というか殺され)、次の皇帝は「クラウディウス」である。
この系図が複雑である。
初代皇帝のアウグストゥスの妻の連れ子の子供。
第2代皇帝ティベリウスの兄の子供。(ということはティベリウスもアウグストゥスの妻の連れ子だったわけ)。
第3代皇帝カリグラの叔父である。
しかも、クラウディウスの母は、ユリウス・カエサルの姉の孫であり、クレオパトラと結ばれたアントニウスの妻である。
ということは、こちらから見ると「名門」である。

しかし、彼は第3代皇帝カリグラよりは「おちる」らしい。
というのは、彼は「ユリウス」家ではなく、「クラウディウス」家だからそうなので、なぜクラウディウス家がユリウス家より「おちる」というその辺の事情は理屈ではよく分らないものである。

で、この王朝は「ユリウス・クラウディウス朝の時代」というらしい。
そしてこの、両家はローマ建国の初期からつづく名門貴族であった。
このことがローマ帝政の「統治の正当性を形成していた」と著者は言う。
つまりこの両家出身者が皇帝であれば「統治されてもいい」と民は思うのだそうだ。
なんとなく、気持、としてわかるような気もするが。

クラウディウスは、右足を引きずるという肉体的欠陥があった。
しかし彼は兄のゲルマニクス(カリグラの父)に可愛がられ、アウグストゥスやティベリウスにもそれなりに評価されていた。
そして、公職につけず「歴史の研究と著作」に専念させてくれた。

カリグラを暗殺した近衛軍団の大隊長ケレアが、拉致同然につれてきたクラウディウスを皇帝につけた。
拉致同然につれてこられたのにクラウディウスが皇帝に就くことを承諾したのは、ローマのエリートだからだという。
エリートは「公益への奉仕が責務」である、のだそうだ。
この辺は、江戸時代の「武士」に似ている。

さて、クラウディウスはあまり期待されて皇帝になったのではないが、徐々に皇帝らしくなっていくのである。
といったって、何度もいうけれど、ローマの皇帝はわれわれが思っているような皇帝でなく、主権者である「元老院並びにローマ市民」から統治を委託された存在であるのだ。

この善人の皇帝は元老院で心の底から自分の作った法の理解を求めた。
あまりにも素晴らしいコトバであるので引用する。

「わたしの考えたこの改革案は、あなた方の同意を得てはじめて法になる。だから、自由に真剣に討議したうえで採決してほしい。もしこの案に不賛成であるならば、この場で今、代案を提出してほしい。もしも代替案をつくるのに時間が必要なら、それは充分にとってもらってけっこうだ。
 なぜなら、議員諸君、議長である執政官一人がわたしの提案に意見を述べ、たの議員のやることといえば『賛成!』と叫ぶだけ、それなのに議場の外に出て言うことといえば、『わたしの意見は示した』であっては、元老院のもつ権威にふさわしい振舞いとはいえないからである」


クラウディウスは誠心誠意、皇帝を努めたが、だからといって人気が出るわけでないところが、世の中、なのである。
そして彼は妻に恵まれない。50歳で皇帝に即位するまでに3度結婚し二度離婚している。皇帝になったときの妻は16歳のメッサリーナ。彼女は皇妃になって舞い上がり、皇帝の評判を落とし、遂にはあまりのご乱行ゆえに殺される。
そして、次の妻が兄ゲルマニクスの娘であり、3代皇帝カリグラの妹「小アグリッピーナ」。彼女の連れ子が5代皇帝ネロ。

クラウディウスはこの妻に「殺された」らしい。63歳。

2代皇帝ティベリウス、4代皇帝クラウディウスは、人気がなかった。
それは
「公共事業のような派手なことではなくてもそれをしないと帝国の運営が成り立たない、地味で通常の政治に専念していたからである」
と著者は言う。

地味で通常の政治、というところが、非常に心の底、頭の奥深くにしみこむのであった。
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渡辺俊介 堪能

2005-10-23 22:59:46 | 日々雑感
圧勝でしたねえ、日本シリーズ第2戦、ロッテ、すごかった。

そして渡辺俊介。
安定感があって安心してみてられました。点が取られる気がしなかったです。
しかし、あんなに低いところから良く投げられます。
ストレートなのか、変化球なのか、テレビでは良くわからなかったですが、手元でイロイロと変化するんでしょう。

ストレートもカーブも浮き上がるヤツもありましたので、それだけで4種類となり、訳がわからないでしょう。

私も、ストレートでグイグイ押すタイプではなかったのでよくわかるのですが、打者がアレコレと考えてくれると、もうこっちのものです。
今日の阪神の打者の顔を見ていると、考えていましたものねえ。

私は、何も考えないで「ただ打つ」人が大嫌いでした。
その辺が、渡辺俊介後略のポイントでしょう。
でも、その前に投げる清水が「気持」を込めたボールで勝負するので、切替が大変でしょうねえ。

2連勝で、ロッテ、有利です。

追伸
 本日は「科目修得試験」でした。すでに卒業要件の単位取得済みですが受けました。楽な気持で受けられました。
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日本シリーズ第一戦

2005-10-22 21:43:58 | 日々雑感
ロッテ10-1阪神で、濃霧のためコールドで終了でした。

今回わたしはロッテを応援している。
31年前ロッテが優勝したときは高校3年生だった。
なぜか、こんな時期に「遠足」みたいのがあって、栗駒山へ行った。
そのとき、ラジオでロッテ-中日戦を聞かせてもらった。クラスで私ともう一人(誰だったか忘れた)の2人だけが中日を応援した。そしてロッテが優勝した。
当時ロッテは仙台を準フランチャイズにしていた。

そんな思い出がロッテにはある。

で、私、勿論イーグルスのファンなのですが・・・仕事場のパソコンの壁紙はロッテの渡辺俊介投手なのである。

なぜ渡辺俊介のファンなのか?
私、変則的な投手がすきなのです。それは私も変則的投手だったから。(サイドスローからチョット下くらいかな)
で、変則投手というのは、最初から変則ではない。(ドカベンの里中くらいである)投手は最初オーソドックスなオーバーハンドである。ところがどっかでつまづいて、ほとんどは仕方なしに変則になる。

だから、変則投手はどっかで一回挫折しているわけで・・・そこから、這い上がってきた、というところに魅かれるわけです。

明日は、その渡辺が先発。カモシュウが終了して、ゆっくりとした気分で観戦したいと思っています。
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ローマ人の物語18 塩野七生 新潮文庫

2005-10-20 20:08:16 | 読んだ
第2代皇帝ティベリウスの「悪名」とは?
いわゆる通説というのがわからないので、どんな悪名なのかわからないが、この物語を読むと、国家反逆罪ということで元老院議員を処刑したことによるらしい。また性的なゴシップもあるらしい。

しかし、著者はティベリウスを擁護する。
世論に阿らず、私に偏らず、ローマ帝国を磐石にした。それは「ストイック」なティベリウスだからできた。それなのに性的なゴシップがあるはずがない。現に、信用にたる書物には記録されていない。
というのだ。

そして、19世紀の歴史家モムゼンの言葉を借りてティベリウスの項をしめている。つまり
「(ティベリウス)はローマがもった最良の皇帝の一人である」

そして、ティベリウスの後は「カリグラ」が皇帝となる。
カリグラは、ティベリウスの義父である初代皇帝アウグストゥスのひ孫であり、ティベリウスの兄の孫である。
このカリグラは24歳で皇位につき、それはローマの住民に「長く沈鬱な冬の後の春の訪れのような喜びで迎えられた」のであった。

ローマの皇帝は、元老院と市民の承認が必要、であるが、これらを難なくパスして、カリグラは皇帝となった。
そして

カリグラがティベリウスから受け継いだのは、外敵の怖れもなければ内敵も芽のうちに摘み取られていた帝国と、税の値上げもせず新税の設置もせずに成しとげた健全な国家財政と、必要な出費はしながらも貯蓄できた2億7千万セステルティウスもの黒字であった。

そして、カリグラは「好き勝手なこと」を「正気の沙汰でない」ようにするのである。
で、熱狂から冷却に変わるのに3年半であり、彼は殺される。

彼が、映画などで描かれるセックスとヴァイオレンスのモンスターではなかったと著者は言う。カリグラといえばその印象があるが、そうではない、というのだ。

彼にとっての不幸は、いや帝国全体にとっての不幸は、政治とは何かがわかっていない若者が、政治をせざるを得ない立場についてしまったことにある。
というのだ。

それもあるだろうが、いわゆる帝国となったことが、これらの不幸を生んだとわたしは思う。
つまり、元老院で合議制、民主主義によって、運営をしてきた国家が、大きく広がるにつれ、直接民主主義が成り立たなくなって、それならば「能力」のある者に大きく任せよう、ということになり、ついには能力のある者が後継者を選ぶことにも追随する。

これは、民主主義の堕落である。誰かリーダーを選んでそいつに皆任せてしまえ。もし、そのリーダーに不都合があればやめさせればいい。
という考え方は、一見妥当性があるように見えて、実は、民主主義を放棄しているのではないか、と思うのだ。

それは、国が大きくなればなるほど、採用をしなければならない方法かもしれないが、危うさがある。
しかし、それにとってかわる画期的な方法もない。
ということが、現代においてもおおきなジレンマなんだけどね。

さて、第19巻ではいかがなるでしょうか?

追伸
 本日「健康診断」がありまして、その「問診」のところでお医者さんに『身体が曲がっている・歪んでいる』といわれまして、『エエそうですヨ、身体も根性もへそも鼻も曲がってますヨ、フン!』と思ったのでした。
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今、何を読んでいるの?

2005-10-18 23:22:20 | 日々雑感
近頃は、読書日記と名付けながらも読書のことを書いていない。
というのは、なんというか、まとまったもの、を読んでいないからなのである。
というか、試験もまじかなのでテキストを読んでいる。

だから、ローマ人の物語も新しい文庫が出ているが買っていないし、そのほかもっと読みたいものがあるが、ガマン、しているのである。

それでも読みたい欲求はあるので、本棚から以前読んだ「マンガ」などを引っ張り出したり、月刊誌、週刊誌を読んでいる。

そんなわけで、読書日記、ちょっと休んでいるのであります。
実は、まだ書いていないものもあるんですけでね。
それもまあ、乞うご期待、というところで。

ところで、皆さんは、今は何を読んでいらっしゃるのでしょうか?
この秋、お薦めの本は、作者は、ありますか?
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吉田拓郎コンサートin仙台

2005-10-17 19:31:17 | 観た、聴いた
正確には
TAKUROU & his BIG GROUP with SEO 2005 ~to be continude~
というコンサートです。

吉田拓郎が仙台に来る時は必ず観に(聴きに)いくことにしている。1年に1回来ればいいほうですが・・・

このBIG GROUPは3年前から始まったもので、3年前といえば「拓郎」が肺がんになった年で、コンサートツアーも当初の予定から延期になったのでした。
今回はそのときよりも人数が増えた、ストリングスが増えたのではないかと思います。

そういうわけで、ストリングスとブラスが入って、音に厚みが加わり、ええ、本当によかったです。
昔のアレンジのまま、という曲も多く、なんだか若いころに戻ったような・・・

観客の多くは、同年代、40~50代の人たちで「同士」というカンジがします。

さて、吉田拓郎といえば、私にとっては「神様」だったわけで、若いころはその「お言葉」「ふるまい」「思想」全て受け入れようとしたものでした。
彼は、今の言葉でいえば「やんちゃ」(あまり好きな言葉ではありませんが・・・)で、ついには『拓ちゃん、もう、ついていけない』ということとなり、以降、ある程度の距離をもって接してきました。(といっても、こちらサイドからのことですが)

そんなこんながありましたが、やっぱり、今でも「吉田拓郎」といえば、私にとっては特別な人で、嬉しいにつけ悲しいにつけ、怒りに燃えているとき気持ちが落ち込んでいる時、穏やかな日嵐の日、起きているとき寝てるとき(寝ても醒めても、ともいう)、お金があるときない場合(ない場合が多い)、数々の拓郎の歌をうたっては過ごしているのです。

昨夜は、拓郎と一緒に歌いながら(これもあくまで私サイドからの一緒であります)、こう、なんといおうか「力」みたいなものが湧きあがってきたのであります。

拓郎は来年60歳。還暦だそうです。
そして、あの「つま恋」で「かぐや姫」とコンサートを(多分「朝までやるぞ!」)を行うそうであります。1975年には行きたくてもいけなかったコンサート。今度は是非行ってみたいと思うのであります。
しかし「体力的にどうなんだ!?」ということもあるので、トレーニングなんかしちゃおうかなあ、なんて・・・

吉田拓郎、前から4列目で、堪能しました。



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忙し、忙し・・・宿直-ソフトボール-そして・・・

2005-10-16 13:52:51 | 日々雑感
昨夜は宿直で、テレビを見ながらグダグダしていた。
そして、今日は、ソフトボール。
しかも第一試合。

日直への事務引継ぎを慌しく終えて、急いで駆けつけると、ナント、10分も速い試合開始時刻。

今日1日で終わる大会であるから、決勝までは4試合しなければならない。
大変だなあ・・・と思っていたら、あっさりと一回戦で負けてしまった。
投手陣(というほどのものではないが・・・)が打ち込まれ、3イニングも打者一巡を許してしまった。

そして、これから仙台で「吉田拓郎」のコンサートである。
ソフトボール決勝に進出したらどうしよう?と思っていたら、全くの杞憂でした。

吉田拓郎のコンサートは2年ぶりかと思う。
今回もいい席を確保してもらったので、楽しんでこようっと。

それから、
 Villa嘉壽家堂に「かもしか」の写真をアップしました。メニューから「登米市」をご覧ください。
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爆睡と、かもしか

2005-10-15 21:18:14 | 日々雑感
昨日から今日にかけて、ナント13時間も寝てしまった。

疲れていたんです。
木曜日と金曜日に、計画策定のための現地調査、というのをやりまして、これが、市の端から端まで、とか、やたら山の中、といったところを調査するものだから、車に乗っていても疲れる。

で、さすがに昨日は帰ってきて、頑張ろうとするのだが眠くていけない。
「うとうと」しているまもなく、ベットにたどりつけず「バターン」といってしまった。
途中でおこされて、ベットにいった・・・ような気がする。目覚めたらベットにいた。

久々にこんなに寝てしまった。

ところで、その調査の最中、山の中で「かもしか」にあった。
それも2回である。
1回目は親子連れ、2回目は老鹿(らしい)
で、この写真が撮れたので、アップしようと思ったが、このブログは1メガ以上の写真ははだめということで・・・

何とか方策をと思っているのだが、本日は宿直で・・・
そのうち「かもしか」の写真を公開します。

しかし、我が市で「かもしか」が見られるとは驚きであった。
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北上川ガイドブック

2005-10-13 22:13:15 | 読んだ
10月7日の地元紙に「北上川の魅力 一冊に」という見出しで、おおきくとり上げられた。
早速、監修先の「NPO法人北上川流域連携交流会」にどんな本屋さんで取り扱っているか電話した。

そうしたら、今のところ流通経路が難しくて石巻の本屋さんにしかない、とのこと。でも、交流会のある、一関市の「北上川学習交流館あいぽーと」には置いてあるという。

というわけで、その日15時から休みを頂き一関に向かうこととした。
しかし、出かける(休む)先に某所から仕事の件で電話がありウダウダ・グダグダしているうちに15時30分。
まあそれでも余裕があるだろうと向いました。

道中、なぜか車が多い、しかも、のろい・・・
結局ついたのは16時45分。灯りもついているし大丈夫・・・しかし、16時30分閉館・・・念のため電話をするが応答しない・・・というわけで無駄足となったのでありました。
あの電話さえなければ・・・あのウダウダ・グダグダさえなければ

そこで、今度の土曜日15日に行こう!
と決めたのであります。

ところが、今日、何気に本屋さんへ行ってみると、なんと、あるではないですか。
早速購入したしだいでありまする。
この本を参考に、これからも北上川の橋を中心に写真を撮ろう、と思ったのでありました。


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羽柴秀吉と高松城包囲戦 <週間 日本の合戦>

2005-10-12 22:46:13 | 読んだ
高松城の包囲戦といえば「水攻め」である。
非常に有名な戦い、つまり、通常の戦(人と人がぶつかりあう)とはちがう、いわば「工兵」が主となったものである。

今回の本で、初めて、考えた。
今までは、多分、秀吉か黒田官兵衛が考え、その実行にあたっては「金」で近隣の住民を釣った。この人の欲望を操るところが秀吉のすごさでありいやらしいところだと思っていた。

しかし、今回この本を見て思った。
秀吉が、この作戦を実施するに当っては、裏づけとして「確かな技術力」がなければ、欲望で人をあやつることができない、ということだ。

この本では「技術者集団と深い関わりのあった秀吉」として紹介されている。

こういう新しい視点というのを知ることができるから、歴史、って面白い。
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年齢計算に関する法律

2005-10-11 22:41:50 | 日々雑感
正確には「年齢計算ニ関スル法律」といい、ナント明治35年12月2日法律第50号であり、施行は明治35年12月22日である。

で、この法律は何を言っているのかといえば・・・
法律は以下の3行です。

(1) 年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算ス
(2) 民法第百四十三条ノ規定ハ年齢ノ計算ニ之ヲ準用ス
(3) 明治六年第三十六号布告ハ之ヲ廃止ス

問題なのは(って、誰が問題にしているのか?)
この(1)です。
つまり、年齢は生まれた日を起算日とするのであります。

したがって、4月1日に生まれた人は、3月31日に年齢が加算されるのであります。だから、4月1日生れの人が同じ学年にいるのです。

ということは、本日11日は、10月12日に生まれた人が・・・
ガーン(なんか、すごく久しぶりにこのことば使ってしまった)
私、本日で49歳なのでありました。
あーあ。ってか!

もうこの年になると、こんなときの「抱負」なんてないわけで・・・
まあ、明日もそれなりにがんばろうっと。
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新潮文庫 ブック・チャーム

2005-10-10 23:30:41 | 日々雑感
2005年新潮文庫の100冊から、二冊を読んで(別に読まなくてもいいのか・・・)応募をすると「金のBook Charm」がもらえる。

というので、応募した。
そして、届いた。

金のBook Charm である。
正確には「金色の・・・」だろうなあ。全部「金」だったらすごい。

追伸
 本日のスクーリング最後のテスト、そりゃあないぜ、というくらい厳しかった。
 ちょっと、ヤバイ・・・
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