読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

寝ぼけ署長 山本周五郎 新潮文庫

2007-03-31 18:36:59 | 読んだ
なんとなく「ほわっと」したものを読みたいと思って探していたとき、そういえば「山本周五郎」があるではないか、と思ったのである。

高校の図書館で出会ってから、なんとなく、読んではいたのだが「樅の木は残った」を読んだあたりから、特別な存在、のようになっていた山本周五郎。

特別な存在というのは、気持ちを入れ替えたいとき、ということなのか、ともかくも山本周五郎の本を手に取るときは気持ちがちょっと違う。
といいながら、そんなに読んでいないのであるが。

そういえば「藤沢周平」を読んだとき、山本周五郎の雰囲気に似ているなあ、と思ったのだ。

今回の「寝ぼけ署長」は昭和21年(1946年)12月から探偵雑誌「新青年」に連載されたものだそうで、当初は覆面作家として山本周五郎の名前は出なかったそうである。

寝ぼけ署長とあだ名される「五道三省」(ごどうさんしょう)が主人公の、推理小説といえば推理小説であるが、人情、ということが主になっているもので、謎解きは二の次のような気がする。

全部で10話である。
最初3話くらい読んだのであるが、なんだか一気に読むのがもったいなくて一夜一話で読んだのである。

この小説を読むと、敗戦後で貧しい暮らしを強いられていた日本には、美しい人情と倫理観があったことがわかる。
豊かになることと引き換えに、日本が失ったものは相当大きいものであることがわかるのである。

寝ぼけ署長が在任した期間は、管内における犯罪事件が少なくて起訴件数は他の署長時代より4割も減っている。
のだそうである。

五道署長は
「年は40か41、大変肥えた人肩などは岩のように盛り上がって、顎の2重にくくれた、下腹のせり出した、かなり格好の悪い軀つき」

「細い小さな眼はいつもしょぼしょぼして、動作はなんとなくかったるそうで、言葉つきはたどたどしくてはっきりせず」
「全体として疲れた牡牛」
のようなのだそうだ。

それが、事件を解決するのだが、その解決の方法は権力で押さえつけるのでもなく、悪事をことさら大きく暴き立てるのでもなく、人の将来を考えた、そして悪事をはたらいた人が自ら反省するような、そんな解決の方法をとるのである。

「不正や悪は、それを為すことがすでにその人間にとって劫罰であるか、善からざることをしながら法の裁きをまぬかれ、富み栄えているように見える者も、仔細に見ていると必ずどこかで罰を受けるものだ、だから罪を犯した者に対しては、できるだけ同情と憐れみをもって扱ってやら無ければならない」
と寝ぼけ署長は言うのである。

「・・・犯罪は懶惰(らんだ)な環境から生まれる、安逸から、狡猾から、無為徒食から、贅沢、虚栄から生まれるんだ、決し貧乏から生まれるもんじゃないんだ。決して」

もっと引用をしたいが、興味のある人はゼヒ読んでください。

当初の目的である「ほわっと」したいということは充分達成され、それ以上に得るものが多かった、今の自分にあった物語であった。

こういう出会いがあるから読書をやめられないんだよなあ。

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小説十八史略(4) 陳舜臣 講談社文庫

2007-03-27 21:12:35 | 読んだ
第4巻は、三国志<魏、呉、蜀>の時代から、司馬氏が晋を建国し、そして五胡十六国の時代、更に隋の建国までである。

三国志の時代は、やはり魅力に富んだ時代である。
登場人物が明快な性格であることがいいんだろうなあ。そしてなにより「悪役」である曹操がすばらしいんだと思う。

真の悪役であれば早々に退陣するのだろうが、実際には魅力あふれる人だったに違いない。でなければ、あれだけ優秀な人材が集まるわけが無い。

蜀の劉備はものすごい魅力あふれる人のように伝えられているが、慕って使えた人で一流クラスは諸葛孔明と関羽、張飛、あとは趙雲子竜くらいである。
しかも、関羽、張飛の晩年から最期はパッとしない。

三国の混戦時代を勝ち残った曹操について、著者は「屯田兵」制度を確立し、戦だけでなく多くの兵士の「食」を安定させたことにあるとしている。
強いだけではなく、部下の生活を安定させることが、天下統一の道なのである。

諸葛孔明は、劉備あるいはその子の劉禅に対し数々の策を提言するが、それらをすべて受け入れられるほど、彼らは強くなかった。どうしても「情」に流される。
著者は「戦争、そして政治というものは、きびしい現実であり、感傷をいれる余地はない」とし、蜀の皇帝の甘さを指摘している。

後漢末の力と力の争い、そこには儒教の教えを守れば守るほど、はかない人生、悲惨な運命が待っている。
ならば、現実的にモラルを捨てるか、社会で生きることを捨てるか、なのである。

-天道、是か非か?
と著者は問う。
天はほんとうに正しい選択をしているのだろうか。

儒教の教えや権威が低下した「むなしさ」を何で埋めるべきなのか。
そこに仏教がやってきた、中国の「老荘の思想」にちかい釈迦の教えがこの時期から広まる。

そして五胡十六国時代には、激しい争いの中で「寛容」を打ち出した者がいたが、最後には寛容があだとなり滅ぼされている。

生きていくことは、他を取り除くこと、という時代。
このことが歴史の中で学習されただろうか、人はやっぱり争う「種」なのだろうか。

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小説新潮4月号(連載の行方)

2007-03-26 20:40:01 | 読んだ
小説新潮の連載小説のなかで楽しみにしているのは3作ある。
「ソロモンの偽証」宮部みゆき
「仮想儀礼」篠田節子
「警官の血」佐々木譲
である。
さて、今月は・・・

☆ソロモンの偽証:宮部みゆき

中学校を舞台にした物語である。
一人の生徒が自殺と思われる死に方をしたのが発端で、その死をめぐり、それぞれの思惑で人々が動き出し、その動きにつれてまた人々が動いていく。

そんななかで生徒たちは自主的に「裁判」をして事件の真相を探ることになる。
裁判というのは「殺した」といわれている生徒がいて、その生徒を容疑者として行うものである。
今月は、その裁判へ向けての「証言」を集めているところである。

登場人物たちにはあきらかに「いやな奴」がいる。そのいやな奴が事件を複雑にしていくのであるが、主人公:涼子のさわやかさがこの事件をどう解決するのか楽しみである。

☆仮想儀礼:篠田節子

生きるため、というか、金儲けのため、宗教法人を作り出した主人公:正彦と相棒の矢口は、一端は宗教で儲けることができたが、集まってきた信者たちのそれぞれの行動により破綻してしまう。

現在は、破綻し社会からも抹殺されかかっている状況で、正彦本人はすでにこの宗教ゲームをやめたいと願っているにもかかわらず、狂信的女性信者によって逃避行に参加させられている。
そして、今月号ではついに女性信者たちは殺人を犯してしまう。

いよいよ終結に向かうと思われるが、どのような結末になるのか予測がつかない。

☆警官の血 佐々木譲

安城家では2代続けて「警察官」である。しかも、派出所勤務である。
そして、今月号では、とうとう2代目の民雄も殉死してしまう。

父が追っていた「殺人事件の謎」を民雄も追っていたのだが、解決もしないうちに殉死してしまう。

そして3代目・和也も警察官を目指す。

謎解きだけではなく、警察官の生き様がテンポよく語られている。
3代目は、どういう警察官になるのか、そして祖父が追い、父が追った事件の謎は解けるのだろうか。
いよいよ面白くなってきた。

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タイムスリップ森鴎外 鯨統一郎 講談社文庫

2007-03-24 22:51:02 | 読んだ
近頃は、肩がこらないもの、難しくないものを読みたい気分なのである。
歴史小説、純愛小説、推理小説などではなく、読むだけで何も考えたくないものがいいのである。

ところがナカナカ見つからない。
そうこうしているうちにフト思い出したのが「鯨統一郎」である。
で、キャピキャピの女子高校生が表紙に描かれている「タイムスリップ森鴎外」を選択したのである。
そして、これが大ヒットなのであった。

物語は、何者かに毒殺されていると感じたあの文豪・森鴎外が現代にタイムスリップしてくる、そして、誰に殺されかかったのか推理するというものである。

この犯人探しもまあまあ面白いのだが、というより本線なのだが、面白いのは森鴎外が現代にタイムスリップしてきてスゴイ適応力を発揮するところである。
あまりのバカバカしさに、もしかしたらそうなるのか、と思うほどである。

知り合った女子高校生に「モリリン」とあだ名され、
ユニクロで服を調え(後にはアルマーニまで着たりして)、
マクドナルドでハンバーガーを食べ、
ウォークマンで歌を聴き、テレビのワイドショーを見て、
書店めぐりをして、自分の本がどれだけ並べられているかを調査し、夏目漱石のほうが点数が多いとショックを受け、
近頃の小説を読み、日本史、世界史を学び、
携帯電話でメールをし、
ワープロ(しかも文豪)でブラインドタッチを練習し、
カラオケに行って、佐野元春の「ガラスのジェネレーション」郷ひろみ「お嫁サンバ」を歌い、挙句にラップコンテストに飛び入りで参加したり、
パソコンでホームページを作ったりする。

んなアホな!
と、突っ込みを入れたくなるような場面が満載である。

本線の推理も意外と説得力がある。

続いて、タイムスリップ明治維新、も読んでみようと思う。

追伸
 昨日、人間ドックと脳ドックに行ってきた。詳細な結果はまだだけれど、昨日判明した分によれば、前回より良好とのこと、まずは一安心したところである。
 それで思ったのであるが、身体的なドックだけでなく精神面というかメンタル・ドックみたいなものがあればなあ、ゼヒいってみたいと思うのである。

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拝啓、父上様<最終回>

2007-03-22 23:09:10 | 観た、聴いた
毎週木曜日の10時には必ず見ることにしていた。
本日最終回を迎えた。

大きなメッセージもなく、大きな事件も無く、淡々と板前見習いの青年の日常を描いたもので、面白いといえば面白く、つまらないと思えばつまらないかもしれない。

大上段に振りかぶって「どうだ!このヤロー」的なドラマは嫌いだし、素人探偵が謎解きをしているのも不自然であり、そういう意味では近年の倉本總のドラマは、こちらがあえて何も思わなければ、何も思わないようにはいってくる。

神楽坂、古き板前の世界、新しい社会環境、まあイロイロあるのだが、つまりは男と女、人と人が暮らしているんだねえ。

なんだかホンワカするドラマであった。
主人公役の二宮和也がいい雰囲気であったことが一番よかった。

大物俳優の競演で、もったいない、という気分もあったし、それぞれ場面を作ってやらなければならなかったのか、散漫になってしまったかな、という思いもあるが、それはそれ、というやつである。

「つづき」というやつを見てみたいという気分である。
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コミック チャージ 創刊号

2007-03-20 22:34:11 | 読んだ
角川書店から創刊された「コック チャージ」を購入。
どうも「創刊号」に弱い私です。

毎月第1と第3火曜日に発売、だそうです。
「働く男を充電する」
のだそうです。

一通り読んでみましたが、全体的に「軽い」という印象であります。
とりあえず、第2号も買ってみようと思います。
というのは「壬生義士伝」(浅田次郎原作)が「ながやす巧」画で始まることと、江口寿史の連載(タイトル鋭意考案中だそう)が始まること、が楽しみだから。

それから、創刊号では
「黒鷲死体宅配便」(漫画:山崎峰水、原作:大塚英志)
「家族八景」(漫画:清原なつの、原作:筒井康隆)
「アルカイックスマイル」(漫画:貞本義行、原作:たかはまこ)
がよかった。

そして、DVD「角川映画93作品スペシャルムービー180分」が付録
そしてそして懸賞も豪華であります。
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蝶丸屋おりん-新・御宿かわせみ- 平岩弓枝 オール読物3月号

2007-03-19 23:39:07 | 読んだ
依然として、登場人物の関係があやふやである。

ともかく明治6年の暮れ、大川端の「かわせみ」では「若先生」といえば神林麻太郎であって、神林東吾ではないのだ。
千春は、東吾とるいの間の娘で「かわせみ」の若女将修行中、そしてかわせみには、老番頭の嘉助と女中頭のお吉は健在、番頭見習いに正吉がいる。

年の暮れ、麻生花世が狸穴に実家にも帰らずかわせみで年を越すとやってくる。花世は、東吾の兄嫁・香苗の妹・七重と東吾の友人で医師の宗太郎の子である。

といったふうに整理をしながら読み進めるなければならないのが、新・御宿かわせみの欠点である。(物覚えが悪くなったのをそちらの所為にしている)

今回の事件は「蝶丸屋」という商家の「おきみ」が殺された?ことである。
この蝶丸屋には娘が二人いて、一人は「おりん」もう一人が「おきみ」である。
この二人が姉妹のようでいて姉妹でないことが、事件の複雑性をうみ、なおかつどうやって殺されたのか、ということも謎なのである。

神林麻太郎、麻生花世、畝源太郎がこの謎に挑むが・・・・

「どんでん返し」とでもいうような結末ではあるが、事件解決後、麻太郎がるいに向かって<少々のためらいを捨てて>言う。
「有難うございました。わたしはおるい叔母様が、こんなにも凄い人だとは、気がつきませんでした。尊敬します。感動しました」
るいは
「今日の麻太郎様をみていて、私、或る人を思い出していました」
「或る人ですか」
「ええ、その人は、昔、この『かわせみ』で、あなたと同じように、若先生と呼ばれて居りました」


神林東吾は戻ってくるのか?
というのもひとつの楽しみである、新・御宿かわせみ、なのであった。

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赤倉温泉スキー場

2007-03-18 19:13:04 | 日々雑感
本日はスキーに行ってきました。
ここ数日、冬型の気候でスキー場にも雪がある、タイヤ交換をする間に、ということで、今期最後、であります。

場所は山形県最上町の赤倉温泉スキー場。
我が家から1時間30分。
スキー場近くまで道には雪が無く、スイスイと快適なドライブでありました。

赤倉温泉スキー場が見えてきました。


このスキー場は、どちらかといえば「体育会系」で、子どもたちだけで滑っていたりします。(私より格段の腕前であります)


赤倉温泉スキー場の名物。スキー神社と幸福の鐘


ロッジは数軒。
ラーメン、カレー、丼もの、のほか「もち」が名物、そして手作りの漬物がおいしい。


本日は快晴でしたが、気温は低く、いいコンディションでした。


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お接待 坂東眞砂子 オール読物3月号

2007-03-17 22:36:36 | 読んだ
坂東眞砂子というと「子猫殺し」のエッセイで変に有名になってしまったが、なんというか「過剰反応」というのが今の日本の状況であることを立証したカンジである。

坂東眞砂子の小説を読むと、そういうこと以上に人が犯している罪は大きいことがあるんだ、ということを感じさせられる。

この「お接待」は、著者の小説の特徴である「土佐」を舞台にしたものである。
ホラーといえばホラーな小説である。

人の愛と罪について語っている小説である。
短編でありあらすじを描くとすべてを知ってしまうことになるので省くが、最後に「どんでん返し」のようなものがあって、更に「人とは何ぞや?」と思ってしまうのである。

生きていくこと、自分が幸福になることによって、誰かが死んだり、傷ついていることを人は知るべきなのだろうか。
知らないから幸福なのか。そういう幸福でいいのか。

そういう根源的なことを追い詰めている作家だと思うのである。

今の日本は表面的なものばかりで「わいわい、がやがや」しているが、生きているということだけで罪なことや、存在自体が他人を傷つけていることもあるのだが、それをどのように折り合いをつけるのが「社会」であることをもう一度思い出すべきではないのか。

なんてことを読んだあとに考えたりしたのである。

ところで、坂東さんの小説を読むと西村望を思い出して、なんとなく印象として「似てる」と思うのだが、いかがであろうか。

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男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 NHKBS

2007-03-16 23:35:23 | 観た、聴いた
あなたが選んだ寅さんアンコール・パート2第1位に輝いた作品であり、NHKの「寅さん全部見せます」<男はつらいよ ああ失恋48連発>シリーズの最終回を飾る作品である。

このシリーズが始まったときには全作品をビデオに収めようと思ったのだが、挫折した。
寅さんシリーズは、私にとって「せつない」のである。

その原因はどこにあるのだろうか?
と思っていたが、今日「ハイビスカスの花」を見てなんとなく感じたことがあった。

「ハイビスカスの花」はマドンナに浅丘ルリ子、そして役柄は放浪の歌手リリーである。これで3度目の登場である。
そして今回は、リリーがまず寅さんにプロポーズをし、次には寅さんがリリーにプロポーズする。
どちらも、実らないまま終わる。

で、思ったのだが、寅さんはすこぶる善人である。
「すこぶる」なので常人とは違う「善」である。
そして寅さんを囲むレギュラー、妹・さくら、おいちゃん、おばちゃん、博、たこ社長、御前様も善人である。
こちらは、いたって常人の善人であるから、見ている側では一番感情移入しやすい。

つまり、見ている側は、寅さんを囲む人たちと同じ目線同じ感情なのである。
そして、マドンナが実は悪役なのではないか、と思うのである。

寅さんはマドンナに惚れ、マドンナも善人に描かれているので寅さんを受け入れるような素振りなんかする。最初からきっぱりと拒絶なんかしない。そして最後にはなんだかうやむやのうちに寅さんは振られる。

振られることで寅さんは傷つくのであるが、実はもっと傷ついているのは、寅さんの周辺の人たちと見ている側である。

そういうわけで、マドンナは悪ではないかと思うのである。

今回は寅さんもリリーも一緒に暮らしても(=結婚しても)いいかな、とおもうのであるが、ぎりぎりのところでやめるのは「人とは重いものである」という現実に気づくからなのではないだろうか、なんて思ってみていたのである。
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春だったね 吉田拓郎

2007-03-15 23:33:55 | 観た、聴いた
この季節になると、吉田拓郎の「春だったね」を口ずさんだりする。

春だったね、のイメージの風景は、ほこりというか小さな竜巻が舞う校庭であったり、強い風に吹かれている土手のタンポポだったりするのである。

これは歌詞の中の
♪風に吹き上げられたほこりのなか♪
とか
♪風に揺れるたんぽぽそえて
とか
♪「広い川原の土手の上を♪
などという断片から集められた風景だと思う。

アルバム「元気です」の冒頭のうたである「春だったね」は、なんというかそのシャリシャリ感というか乾いた音が「春」をイメージさせている。

その後のたとえば「LIVE'73」だと、ウェットな感じになっていて、それはそれで好きなんだけれど、春のシャリシャリ感、ということでは、やっぱり元気ですのほうがいいかな、と思うのである。

ところで、この歌は田口淑子という人の詩である。
で、ラジオで拓郎がいっていたと思うのだが、春だったねはボブ、デュランの曲の「盗作」である、というのだ、そしてそれはその曲にうまく田口淑子の詩がのったからなのである、というのだ。

詩の意味がよくわからない、というところもこの曲が好きな理由で、その時々によって解釈ができる。
♪風に揺れるたんぽぽそえて 君の涙をふいてあげたい♪
という部分が、なんだか、胸がキュンとするのである。(ちょっと恥ずかしい)

というわけで「春だったね」を好きなのである。
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WJBL プレイオフ・ファイナル JOMO逆転優勝

2007-03-14 21:08:26 | 観た、聴いた
WJBL(バスケットボール女子日本リーグ機構)の優勝を決めるプレイオフ、富士通(リーグ1位)対JOMO(リーグ2位)が先週の木曜日から始まり、その間テレビに釘付けであった。

シャンソンとJOMO(共同石油、ジャパンエナジー)の2強時代にはJOMOを応援してきたが、近年は日本航空のファンとして過ごしてきた。
今年のリーグ戦で日本航空は5位におわり、プレイオフの上位4チームにはいれなかったので、今年はわりと冷静にいたのであった。

しかし、いざ試合が始まると「お姉さんちーむ」の富士通を応援していたのである。
近頃の女子チームは移籍が盛んで、更に一度引退した選手が別のチームで復帰するなど、人事の往来が激しくなってきている。
ゆえに、近頃は戦力がバラケテきており、面白くなっている。

富士通は船引姉妹、矢野姉妹と2つの姉妹がいて面白い。
加えて、他チームから移ってきた選手も多く、優勝させてやりたい、と思ったのである。
1戦、2戦は富士通が楽勝。このまま富士通が優勝かと思われたが、若いJOMOが踏ん張り、日曜、火曜、そして今日と三連勝した、

遮二無二突進する若さ、というのが優勝を目前としたお姉さんたちをあわてさせたような印象である。

富士通は今年の日本選手権で優勝し、リーグ戦も1位ということで、しかも落ち着いたプレーから優勝すると思っていたのであるが・・・
1戦、2戦と好調だった矢野良子選手が3戦からガタっと調子が落ちた、何かあったのではないだろうか、と思っているのである。

JOMOは平均年齢が24歳と若いので、このチームの黄金期がやってくるのか、今後も注目である。

それにしてもリーグ戦はシャンソンかJOMO以外の優勝チームが出ない。これが伝統というのだろうか。
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人類経済秩序の確立をめざして 天明茂宮城大学教授 最終講義

2007-03-13 21:25:52 | 観た、聴いた
本日は午後から、宮城大学事業構想学部・天明茂教授の退官にあたっての最終講義

「人類経済秩序の確立をめざして~’いのち’の視点で地球・社会・企業・家庭を考える」
を受講してきました。

天明先生の講演をはじめて聴いたのが平成13年10月。宮城総研主催の「土曜セミナー」でした。

そのとき、貸借対照表について
「貸し方は<幽>なる世界・つまり目に見えないもの、借り方は<顕>なる世界・つまり目に見えるもの」という説明を受け、ハッとし、そして「そうだったのか」と今までなんだか漠然としていたものが明確な形として現れたのでした。

この<幽>と<顕>の理論は、恩師「薄衣佐吉」先生から天明先生が教えられたことなのだそうだが、ともかく、私はそのとき「覚醒」したのでした。

更に
会計とは「地球=環境会計」「国・自治体=公会計」「企業=企業会計」「家庭=生活者会計」と4つある。
とか
「循環と共生」
の話を聴いて、もっと聴きたい、と思ったのでした。

以後、無理を言って私の勤め先の「経営審議会」の会長になっていただいたり、あるいは先生が主催している「天明サロン」に参加させていただいたりしていたのでした。

本日の最終講義は、会計を基点として「我々はどう生きるべき」か、ということをお話された。これまでおっしゃられていたことの集大成のようであったが、環境会計にかかるお話には、大きな感銘を受け、これが今後の会計の仕組みとなるべきもの、という感触を持ったのでした。

天明先生は宮城大学を退官後も宮城大で講義を持ち、NPO活動を行われるとのこと、また天明サロンも継続されるとのこと。

宮城大創設以来、宮城県の貸借対照表を作られ(全国初)、会計と環境を基本とし活躍された10年間の活動に感謝し、今後のご活躍を祈るものです。
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永遠につづく手紙の最初の一文 三浦しをん 小説新潮3月号

2007-03-12 22:50:03 | 読んだ
岡田勘太郎と寺島良介の二人が体育倉庫に閉じ込められたところからはじまる。
文化祭の後夜祭が始まろうというときにである。

寺島はピンクのネコの着ぐるみ姿である。クラス劇の扮装のママなのである。
そして、閉じ込められたというのに、寺島は「5時に佐代子と待ち合わせをしている」とかマットで寝床を作ったりするのである。
そういう寺島を見ていると岡田は「バカだなあ」と思ったりするのである。

岡田と寺島は小学校3年からの遊び仲間である。
寺島は
「いるだけで、なんでもない教室や放課後の空き地が、輝く王国に変わる」
というヤツである。

岡田は、一度だけ寺島が声を上げて泣く姿につきあっている。

さて、閉じ込められたものの、実は岡田携帯を持っている。
なぜ、携帯で助けを呼ばないのか?

倉庫の中から佐代子の浮気をみつけたりする。

「明確なのはただ、岡田のなかで寺島の幸と不幸は渾然一体となって、いつまでも物狂おしいまでに胸に渦巻いているということだけだった」

という岡田の心は・・・

なんだかわかるような、そしてなんだか気持ち悪いような、男の気持ちを女流作家が描いている。

三浦しをんの短編小説いいかも。

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<家老列伝>最後の武辺者-後藤又兵衛基次- 中村彰彦 オール読物3月号

2007-03-11 21:49:45 | 読んだ
中村彰彦の家老列伝は面白い。
今回は、後藤又兵衛である。

「家老?」というカンジがある。
そこのところを著者は
「(黒田家が福岡五十万石に封じられたとき又兵衛は大隈城1万6千石を受けた、として)又兵衛は黒田家の内政にも関与したことから、一朝ことある時は侍大将として先陣をつとめる身とはいえ、実質的には家老である。」
としている。

その又兵衛は、黒田如水とは<よかった>のだが、息子の長政とは<あわなかった>のである。
著者は「男の嫉妬」が原因であるとしている。

男の嫉妬というのは、本当にイヤなものでものすごく陰湿になる。
で、当時は別に主君に対して「ガマン」することもないわけで、「見限る」のである。
当時の感覚としては<まっとう>なことである。
今の感覚、で歴史上の人物の批判をしてはならないのである。

さて、又兵衛は主君を見限ったが、陰湿な男の嫉妬によって、仕官できないのである。戦争がない平和な時期ではそんなこともある。武将は平和な時代には不要なのである。

浪人を続けていた又兵衛に「戦」からお呼びがかかった。
大阪冬の陣、夏の陣である。

この大阪の陣は豊臣家の滅亡となる戦であるが、後藤又兵衛、真田雪村、長宗我部盛親などを集めたが所詮は勝てない戦、徳川方と比べれば勝負にならないものである。
不満分子というか新しい世の中からあぶれた者が集まっただけ、ともいえる。
そして、いわゆる「ベンチがアホ」なのである。

そういう意味では大阪方はよく戦った。

そのことをこの物語では、次のエピソードにより紹介している。

後藤又兵衛は、豊臣方に属していたが、最後の最後に徳川からも誘われた。
又兵衛はそれを意気に感じて、死んでいったのである。
あくまでも生き残って勝とうという気持ちがなかった。

「主君に対する忠義」というのが少ない後藤又兵衛が、家老列伝、に登場というが面白かった。
個人主義がマダマダ残っていた時代の話。
「いざ」というときにはわが身を守ることが優先してしまうので平和になると「倫理」とかが声高になるんだろうなとも思い、では、現代は平和ではないのか、なんて思ったりしたのであった。

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