読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

食い意地クン<2>ラーメン 久住昌之 新潮文庫

2014-03-11 22:45:07 | 読んだ
第2話は「ラーメン」である。

今回ラーメンに関する「久住語録」とその感想(≪≫内にあります)は以下のとおりでやんす。

「ラ」という時の舌の動きが、もうラーメンの縮れた黄色っぽい麺を思い出させる。

≪すごい!私はそこまでラーメンを愛してはいない≫

よく最初に「ラーメンと餃子とビール」と同時に頼む客がいる。横でヒヤヒヤする。
案の定、ビールを飲んでいる最中にラーメンが来て、かなり食べた頃、餃子が出てくる。いいのかそれで。ビールと餃子を頼んで、餃子を半分ぐらい食べたところで、ラーメン注文でしょう。

≪まったく同感である。特に餃子を半分ぐらい食べたところでラーメン注文、というところ。これが、ビール飲んで餃子食べて、ラーメンでてくるまで間があくのも問題だ。だから途中でこの3品が重なる程度がいい。といっても私はラーメン食べながらビール飲むもの可能!≫

ラーメンは静かな部屋で、音を立てずに、行儀よく食べたらおいしくないだろう。

≪そのとおり。だから店で一人でラーメンをすすっているのは、しかもテレビもラジオもない場合は、なんだかまずいのだ。≫

ひと口めに、「スゴイ!」と思うラーメンは、食べきるころには、長い演説を聞かされたようにウンザリしている。
あまり個性を押しつけてこないような、一見地味なラーメンが俺は好きだ。

≪そうなんだよね。どうだ!というようなラーメンはなんだか緊張してしまう≫

クラスであんまり目立たないけど、たまたま秋の遠足でバスの席が隣になって話してみたら、実はすごく面白いヤツ、という友達がいる。そういう、少し長く付き合ってみて、だんだん面白さがわかってくるようなラーメンが理想だ。

≪とっても面白くて、わかりやすい表現、この人のこういう感性が好き≫

ことラーメンに関しては、あまり高い店はどうも信用できない。

≪高いラーメンはキライだ。でも、ちかごろは高いラーメンが多くなってきたような気がする。≫

もう新規開拓はマニアにまかせる。俺は今手持ちのラーメン屋でもう十分。

≪私も、知っている店をローテーションしていくだけでいい≫

でもそういう普通のラーメン屋って、減ってきた。やっぱり安いと儲からないから、後継者がいないのか。

≪そうなのか!?≫

おっと、過疎地帯みたいな話になってきた。そうか俺の好みは「過疎地ラーメン」か。

≪過疎地ラーメンって・・・≫

ふと気付くと、丼の底が透けるほどスープが少なくなっていて、かわりに心が満たされている。

≪ちかごろ、スープを飲み干すほどの店に出会っていないなあ≫

お勘定。ひと汗かいた。ひと鼻かみたい。ああ、うまかった。よかった。つづく。

≪そう、食べ終わったときの感想ってこうだよね。私は最後に水を飲んですぐ立ち上がりたい。≫

≪ということで、私は、ラーメンって、「たかが」と「されど」の割合が、6.5対3.5くらいがいい。初めての客が一口食べて『オオッ!意外!』って顔をするのを陰で見ていて『どうだこの野郎!』と小さくこぶしを握る店主の作るラーメンがいいのではないか?≫

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邪馬台 北森鴻・浅野里沙子 新潮文庫

2014-03-09 23:09:34 | 読んだ
北森鴻の「蓮杖那智シリーズ」である。
小説新潮に「鏡連殺」として連載されていたが、連載途中の2010年に亡くなってしまった。

あの時は本当に残念だった。
これからという時だった。

本書は、その途中の部分から北森の公私にわたるパートナーだった浅野里沙子書き継いで完成させたものである。
ほぼ三分の一が浅野の受け持った部分である。

ということから、私としても心残りがあった作品で、それが完成されたということで、大いに期待をして読んだのであった。

北森鴻の作品群における私の好きな主人公は、本作の「蓮杖那智」、旗師・冬狐堂シリーズの「宇佐見陶子」、香菜里屋シリーズのマスター、それから佐月恭壱、雅蘭堂・越名集治といるが、今回の『邪馬台』では、蓮杖那智、宇佐美陶子、越名集治が登場する。
そして、物語は冬狐堂シリーズの「狐闇」の続きでもあるようだし「暁の密使」も参考になっていて、邪馬台国の謎に迫っている。
更に「阿久仁村遺聞」という本当にあるかのような古文書が、いわゆる「狂言回し」のようになっている。

邪馬台国の謎といえば、これまでは「魏志倭人伝」をどう読み解くか?というところで論じられていてたが、本書は蓮杖那智シリーズであるからして「民俗学」の見地から考える。
そうすると今まででは考えられない結論が登場する。
これは「スゴイ」と思った。

物語は邪馬台国の謎ばかりではなく、阿久仁村遺聞を巡っての明治期からの大きな陰謀、そして現代のおける殺人事件の謎が絡む。
したがって、よく整理しないと、何がどうかかわっているのか、だからどうなのか、ということが分からなくなる。

私も読みながら時々いらいらしていた。
というくらい壮大な構想に基づくものである。

著者が生涯のテーマとしていたような「暁の密使」にかかわることと「邪馬台国」を組み合わせて、さらに自分の著作の主人公たちを集めて作った物語、ということを感じると、なんだか著者自身が「遺作」ということを念頭に書いていたのではないか、思わされる。

そして、これでもう蓮杖那智や宇佐美陶子にもう会えなくなるのかと思うと、ものすごく残念で悲しいのである。

ちなみに、今まで読んだ邪馬台国の謎を巡る物語の中では、一番納得のいくものであった。

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食い意地クン<1>焼肉 久住昌之 新潮文庫

2014-03-06 23:30:50 | 読んだ
筆者は「孤独のグルメ」原作者で、テレビドラマのあと登場してその店を訪問する人である。

この人が「食い意地クン」という本を書いている。
お品書き(目次)には20種類の食べ物が掲げられている。
この中からいくつか紹介し、さらに私の思いを付け加えようという、新たな趣向である。

さて、第1回は「焼肉」である。
著者は、焼肉についてこんなことを言っている。

飲み物は「瓶ビール」ジョッキは重く動きが鈍るから焼肉に立ち向かえない。≪なるほど≫
それに、大ジョッキは焼肉が佳境に入るとテーブルに立っている姿が「愚鈍」≪さらになるほど≫
ご飯は白い飯≪そうですネ≫

(ちなみに≪≫内は私の相槌です)

注文は、キムチ(白菜の)、レバ刺し(タレはごま油と塩のほう)、タン塩二人前、上ロース一人前、カルビ二人前、あと野菜焼。
だそうです。≪ちょっと俺と違う。俺、ホルモンも食べたい≫

で、著者はここで思う。「上」というのは煩わしい。
「上」ばかり頼んでいるとイヤラシイ感じがしたり、「上」でないのを頼んでいるとケチと思わるのではないのか。
そのあたりは、適当に頼んであとは追加注文のとき他の人に任せる、という手を使うのだそうだ。

「キムチ」がまずいと精神的に復活するまで20分かかるらしい。

焼肉は「タン塩」から。鉄板がきれいなうちに塩もの。≪なるほど、そのあたりは気づかなかった≫
タン塩を焼いていると周りからちょっと巻き上がってくるところがカワイイらしい。
『いやん、熱いし』みたいな感じらしい。≪何だろうね、この感じ、よくわからない≫

ロース、カルビ、タマネギ、ニンジン、ナスと著者は勢いよく盛り上がっていく。このあたりぜひ読んでほしい。
絶対、焼肉を食べたくなる。
そして、白い飯。テンションは最高潮!

更に、追加注文。
上ミノ、上でないロース・・・

で、気づくと「腹いっぱい」
見せ出ると、食いすぎたって、やっとわかるところがいいらしい。
≪それは非常にうなずける。そうなんだ店を出て、焼肉の空気から新鮮な空気の外に出たとたんに、正気に戻るのかもしれない≫

今、私は焼肉を食べられない、というか、途中でダウンしてしまう。
特にお酒を飲んでいる食べる量が異常に少なくなる。

それでも、なんだか時々焼肉屋に行きたい、という時がある。

この文章を読むと、勢いよく焼肉を食べてみたくなる。


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福家警部補の挨拶 大倉崇裕 創元推理文庫

2014-03-03 23:34:58 | 読んだ
何気なく見たテレビが「福家警部補の挨拶」で(多分第2回ではなかったかと思うのだが)、以来毎週見ている。
一つには、主演の檀れいのファンだった、ということがある。

ちなみに「だった」というのは、檀れいの主演するテレビドラマ(NHK)の「八日目の蝉」を見て「おおこりゃいいなあ」と思い、彼女が広告するビール「金麦」を飲み始め、これからは彼女の出演するドラマなどを追っかけよう!と思っていたら、なんと及川光博と結婚した。
というわけで、金麦を飲むのをやめ、追っかけることもやめたのである。
(というようなクセが私にはある)

さて、福家警部補のドラマを見たとき、なんとなくデジャブだった。
で、「ああ、コロンボ警部だ」と思った。

しかし、コロンボ警部にしては、主人公がちょっとキレイすぎる。
キレイというのは、容姿だけでなく仕草や服装、そして聞き取るときの態度などを含めてである。
もっとイヤミな対応でなければならない、もっと図々しくなくてはならない。

と、思いながらも、ドラマはなかなかに面白い。

そして、本屋で出会ったのである「福家警部補の挨拶」と「福家警部補の再訪」に・・・
即、購入して読み始めた。

本の裏表紙には
「倒叙形式の本格ミステリ。刑事コロンボ、古畑任三郎の手法で畳みかける」
とある。
『んー、やっぱり』
と思いながら、表紙をめくると
「刑事コロンボをこよなく愛する著者が渾身の力を注ぐ第一集」
とある。
『やっぱり、やっぱり』

さて、この第1集には
・最後の一冊
・オッカムの剃刀
・愛情のシナリオ
・月の雫

の4編が収められている。

で、テレビドラマと比べると、原作はやっぱり難しい。
テレビは、多くの情報が一目でわかるが、小説では説明を読み想像するのだが、そしてこの想像がいつもなら楽しいのであるが、何しろテレビを見ているのでなんだか億劫になる。
それに、どうもテレビとは違う。
主人公の福家警部補のイメージからして違う。

通常、原作とドラマは違うもの、と思っているのだが、なんだか今回はそう思うことが難しい。
これは多分テレビを見て読むからであると思う。

ちなみに、作者の大倉崇裕は、刑事コロンボの大ファンで、テレビドラマから刑事コロンボの小説を作り出している。
多分、この物語はテレビ化を頭に描いていたのではないかと思うのだが、そういう意味では、テレビ化されたものは別の福家警部補だったのではないだろうか。

まあしかし、テレビと原作は違うものだということを確認したうえで原作を読むと、やっぱり面白いでので、このシリーズもっと読んでみようと思う。

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