読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

 「真田三代風雲録」(上・下)② 中村彰彦 実業之日本社文庫

2015-11-29 21:45:40 | 読んだ
できる限り更新をしていく、と宣言をしてから一週間を経過してしまった。
例によって「言い訳」を申し上げれば、毎晩いろいろなことがあり帰宅が遅くなってしまったのです。

さて「真田三代風雲録」である。
前回の終わりにも書いたのであるが、まず最初の主人公は真田幸隆である。

次代の真田昌幸やその次の世代の信之、幸村に比較して物語の少ない人、というか物語に取り上げられなかった人である。

しかし、この人が真田が全国区になる基礎を創った人である。
幸隆は、信濃の小県郡の海野氏の一族の人である。
そして、この海野一族は、武田・諏訪・村上連合軍に敗れ、幸隆は上州・箕輪の長野業政(ながのなりまさ)のもとに身を寄せたのである。

真田幸村といえば、猿飛佐助や霧隠才蔵をはじめ「忍者」を家来として徳川を苦しめた、ということになっている。

まあ、猿飛や霧隠など真田十勇士については、おおむね架空の人物であろうとされているが、そのような者たちが家来にいたことは確かなことなのだろう。
一騎当千の真田十勇士がいて、それを真田幸村が率い、更には息子の大助がいるのに、大坂方が敗けるのはおかしい。徳川方にそれ以上の者がいたということになるのだろうが、真田十勇士が出てくる物語にはそういう者はいない。

というわけで、真田には忍者ということはあったのだろう。
忍者を誰が使い始めたのか?ということになると、この小説では真田幸隆が多いに使い始めた人物として描かれている。

多分、海野一族の支配するところでは、内部そして隣接する他の一族との小さな争いが多かったのであろう。そういうところで勝ち続けるには、情報を早くつかみ分析し対応することが求められる。

その情報の収集者としていわゆる忍者が発達したのではないだろうか。

幸隆は、長野のもとに身を寄せていて、今後のこと、特に真田を奪い返すことを考え、そのための方策を固めるため、諸方に忍者を放ち、更には自らも情報の収集をしている。(この物語では)

その情報を分析し、どのようにすべきかを検討して実行する。

そして、武田信玄を認め村上義清と戦う。

情報を収集し分析し検討することだけでなく、自らも強い武将に鍛える。
これが、勝ち抜いていく武将の心構えなのであろう。

この小説で初めて幸隆の業績というものを知ることができた。

幸隆には男子が5人いたが、嫡男・信綱、次男・昌輝は長篠の戦いで討死してしまったことから、武藤家へ養子に行っていた昌幸が跡を継ぐことになる。

これ以降の物語は、真田太平記(池波正太郎)ほかで良く知られている。

今回、この小説を読んで幸隆を知ることができたのは、非常に良かったことである。

昌幸以降の物語は、真田太平記とその思想が大きく違っている-信之と幸村のどちらかを主人公とするか-ことから、私のような信之派からすると、なんだかなあ、の気分であり、感想を述べるまでもない、と思うのである。

真田の話は、また今後もすることになるだろうと思うので、今回はこれで、ということにします。

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再・再開嘉壽家堂 「真田三代風雲録」(上・下)① 中村彰彦 実業之日本社文庫

2015-11-23 21:01:00 | 読んだ
もの凄く間を空けてしまった。
嘉壽家堂を再・再開致します。

その第一作は「真田三代風雲録」 中村明彦著でありまする。

来年のNHK大河ドラマが「真田丸」ということで、今、巷には真田に関する本が溢れているが、私には「真田」といったら、池波正太郎の「真田太平記」が一番であって他にはない、のである。

ということは、真田氏の中で、私が最も好きなのは「真田信之」なのである。

真田といえば「真田幸村」というのが世間一般の評価であり、来年の大河ドラマも真田幸村が主人公である。
でも、そうではないと思うのである。
また、幸村、信之の父である「昌幸」の評判も高いが、私が思うには「高すぎる」

源義経が「判官贔屓」ということで、いわゆる敗者なのに人気があるように、真田昌幸、幸村父子も実際よりは相当高く評価されているように思えるのである。

で、その評判を高くしたのは、真田信之から明治まで続いた信之系の真田家ではなかったか?

つまり、徳川幕府の中にあって真田家は自分を守る一つの方策として、徳川家が2度も勝てなかった「真田昌幸」と、一介の浪人でありながら大阪冬の陣、夏の陣で、豊臣家に殉じた「真田幸村」の評判を高めることにより、もし、無理難題を押しつけてつぶそうとしたら、昌之や幸村のように苦しめてるぞ、真田というのはそういうものだ、と思わせようとしたのではないか、と思うのである。

というようなことから、あまり真田幸村を持ちあげるようなものは読みたくなかった。

中村彰彦は冷静な眼でもって小説を書いている、と思っているので、今回、この真田三代風雲録を読んでみようと思ったのである。

実は、この物語を読む前に、柴田錬三郎の「猿飛佐助」と「真田幸村」を読んでいる。
どうせ、真田幸村に関したものを読むのであれば、講談調の荒唐無稽に近い物語のほうが面白いと思ったのである。
それに、いわゆる真田十勇士を確認したかった。

小さい頃、我が家には真田十勇士を描いた講談調の物語の本があり読んだものであった。
それは、幼いながら「うそだぁー」と思うような内容であったが、血沸き肉おどる面白い読み物であった。

さて、本書では、真田昌幸の父(つまりは信之、幸村の祖父)の真田幸隆から物語が始まる。

この続きは②で・・・


追伸
できる限り更新をしていきますので、今後ともよろしくお願いします。
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