読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

小説新潮7月号

2006-06-29 22:15:22 | 読んだ
今月の小説新潮は「山本周五郎賞記念特集」である。
であるが、まだそのあたりは読んでいない。
何しろ、連載ものを読むだけでタイヘンなんですから、もう(林家三平ふう)

「警官の血」佐々木譲
「ソロモンの偽証」宮部みゆき
「最愛」真保祐一
「仮想儀礼」篠田節子
「望郷の知床」西村京太郎
「孝明天皇」磯田道史
「知りすぎた男たち」藤原正彦
「風は山河より」宮城谷昌光
「盤上の人生 盤外の勝負」河口俊彦
「新しい命」乙川優三郎

以上が連載小説で読んでいるものである。

毎回楽しみにというか心待ちにしているのは「ソロモンの偽証」「風は山河より」「仮想儀礼」「盤上の人生 盤外の勝負」の4編である。

「最愛」は4回目「警官の血」「新しい命」と「望郷の知床」は2回目、藤原正彦の「知りすぎた男たち」は今号が第1回である。このあたりもナカナカなのである。

このほか、毎月ではないが連載されているものもあり小説新潮は「入り」が難しいのである。

さて、読みきりの小説として
「女難の相」垣根涼介
「巨根堂」岩井志麻子
「ショットグラス」帚木蓬生
「碧」阿川佐和子
「大過なき日々」赤川次郎
を読んだ。

お勧めは「女難の相」垣根涼介、「ショットグラス」帚木蓬生である。
いずれも「生きる」ことについて書いてある、といえる。

「女難の相」は、一流大学を出て一流の会社に勤めた男が、リストラの対象となって、やめるまでの事を描いている。この辞めることがさわやかであって、辞めたことが正解、つまりこれから自分の才を生かして生きてゆくことになるだろう、と思われるラストになっている。
一流の会社にいることが幸せな人生ではない、という冷静になって考えれば当たり前のことが、現実においては当たり前でない。そんなことを考えさせられるのである。

「ショットグラス」は<駆け出しの女医がであったのは、さまざまな女たちの人生の原石>とある。
女医が出会った女たちは、傍から見れば「不幸」な女たちである。しかし彼女たちは生きている。女医は、彼女たちの不幸をさりげなくそして一生懸命治療する。設定はありふれているようだが、主人公の女医と患者の関係がさわやかである。

また、今号には藤原正彦と佐藤優の対談があり、興味深く読んだのであった。
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源氏蛍

2006-06-28 21:00:54 | 日々雑感
車で30分くらい行ったところに「源氏蛍」の名所(?)がある。

いつでも行けるさ、と、思っているといつも時期を外れるので、今回は狙いを定めて月曜の夜に行ってきた。

そのホームページでは、今年はなんだか遅い、とあるしあまり出ていない様子であったが、もうそろそろ、と思ったのである。

毎年6月中旬が見ごろ、なのだそうだが、今年は出足が遅いらしい。

7時45分頃現地について歩いてみるが、ぜんぜん見当たらない。
車を降りたときに、上流のほうにいる、という情報があったのでさらに歩く。
蛍より見物客が多い・・・・

と1匹、スーッと飛んだ。
8時頃、やっとで始めた。
その辺で、誰か離しているのかとおもうくらいに、少しづつ出始めた。

それでも4匹一緒に見たのが最高であった。
以前に来たときは群舞していたのだけれど・・・

結局、少しづつ舞うのを見ただけであった。

源氏蛍というのは普通の蛍より大きいので、見ごたえがあるのだが、目を凝らして見なければならないのでは、ちょいと残念なのである。

今年はやっぱり寒いのが原因なのかもしれない。
といいながら今日は暑かった。
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火曜日

2006-06-27 23:35:29 | 日々雑感
火曜日は忙しい。

まず本屋に行って、週刊朝日とクラシック・インもしくは青春のうたを買い(先週まではこれに「日本の合戦」)さらに月刊誌が発売されていればそれをチェックし、新刊の文庫本或いはコミックをチェックする。

そして、それらを並べて読んだり聴いたりしているうちに22時。
NHKBSで「モンク」を見る。45分間。
で、なんだかグダグダしているうちに23時からNHK総合「サラリーマンNEO」を見る。

火曜日のアフターファイブは充実している。
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いわさき ちひろ 「わたしが選んだちひろ展in気仙沼」

2006-06-26 22:57:47 | 観た、聴いた
気仙沼市のリアス・アーク美術館で行われている「わたしが選んだちひろ展in気仙沼」を昨日観にいってきた。

原画ではなく「ピエゾグラフ」(セイコーエプソン㈱によって開発された極めて高度なプリント創作技法)による展覧会であるが、違和感がなく普通に見ることができた。

その昔、いわさきちひろはあまり好きでなかった。
いかにも女性(女の子)が好みそうな絵で、サンリオとあまり変わらないのではないか(ファンの方失礼をお許しを)と思っていたのである。

それが、数年前信州を旅したとき「安曇野ちひろ館」を(やむを得ず)訪れ、その作品にじかに接し、彼女の生涯について知ったときから「いいんじゃないか」という気持ちに変わった。

ポワーっとしたというか、ぼんやりしたというか、そういう印象であるが、実はよく見るとそうでもないシャープなところがある。そして「空白」というか白の部分がいいバランスである。と思うのである。
とはいえ、この絵のついたアクセサリーなんかを持ち歩くのにはまだ若干抵抗があるのだが・・・

さて、今回、いわさきちひろは「戦争のない平和な世界」を望んでいたことを改めて知ったのである。
母が子をかばう絵を見て強いショックを受けた。われわれがいつも見ている絵とはちがうのだ。

世界的にはまだ紛争や戦争が局地的にあるが、我が日本は「戦争」について心配をすることもなく平和で自由な社会になった。少なくても明治末の日清、日露戦争から昭和の大戦までのような、社会全体を覆う危機感と焦燥感、不自由な社会ではない。

しかし、平和と自由な社会を得てわれわれは本当に幸せになっただろうか?

家族や隣人たちとのコミュニケーションは少なくなり、地域で助け合うことも少なくなった。
親が子を殺し、子が親を襲う。
平和な社会の中でも強いものが弱いものから命を含めて何かを奪おうとしている。
日本人すべてが目指す社会の形さえもない。

それが戦争のなくなった世界なのだろうか?

いわさきちひろの絵をみて、本当の平和とは真の自由とはなんなのだろうか?
なんて思ってしまったのである。

追伸
 いわさきちひろの絵の中で好きなのは「ぶどうを持つ少女」なのである。
 さらに、この展覧会は6月30日までである。(月・火は休館)
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あなたがパラダイス 平安寿子 週刊朝日連載(完)

2006-06-25 21:12:50 | 読んだ
週刊朝日6月30日号で、第24回、そして最終回でありました。

最初のうちは「うっとおしい」物語だなあ、と思っていたが、そのうち毎週楽しみに待つようになった。

「更年期障害」の女性3人<まどか(53歳)><敦子(50歳)><千里(43歳)>がオムニバス形式で主人公である。
彼女たちは、突如として訪れた或いは何らかの予兆を経て訪れた「更年期障害」に苦しむというか悩んでいる。
しかし、更年期障害はいわゆる「病気」とは認知されていないことから、彼女たちは人知れず悩むのである。

この3人の女性たちに共通する更年期障害の治療法は「ジュリー」(沢田研二)である。
ジュリーは現役で歌っている。そして今では彼女たちの年齢の女性すなわち昔からのファンを対象にした歌を歌っている。(これはこの小説ではじめて知った)
だから今でも共感できるらしい。

主人公の3人は、ジュリーによって癒されるのである。

最終話は、この3人がジュリーのコンサート(ライブ)に行くのである。
もちろん、この3人はかかわりがないので、始めてこの場面でそろうのである。

更年期障害というのは女性だけでなく男性にもあるらしいが、まだよくわからない現象である。
しかし、それをうまく乗り越えることができないと大変らしいことがよくわかった。

昔は「忙しさ」とか「生活をする」ということがそれを大きな問題にすることもなかったのだろうが、現代は「余裕」とか「生きがい」とかが人生の課題であり、更年期障害が起こる時期は、「余裕」や「生きがい」がそれまでと大きく変わる時期になっていることから、心と体のバランスが崩れていくんだろうと思う。
そういう部分について書かれていて、なおかつ暗くないところがこの物語のいいところである。

そして「ジュリー」である。
あの憧れの沢田研二が現役で、しかも同年代の人たちを応援するような歌を歌っている、ということに驚いている。
もしかすると、それは「TOKIO」や「勝手にしやがれ」を歌っていたときからの彼のスタンスだったのではないか、と考えるとあらためてスゴイと思うのである。

この物語に出てくる女性たちのジュリーに対する思い入れの深さと、更年期ということをうまくミックスし、明るくあらわしているところが、更年期に対する「構え」の硬さを穏やかにしてくれる。

平安寿子、今後注目の作家である。
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青春のうた11 1960年代・後期②

2006-06-24 22:48:02 | 読んだ
今回の11号はあまり思い入れがない歌ばっかりですが・・・

1.帰って来たヨッパライ/ザ・フォーク・クルセダース 1967年12月発表

「なんじゃこりゃ?!」というのがはじめて聴いたときの感想。67年12月発表ということは、私の耳に入ったのは翌68年小学校6年ではなかったか。

たとえばこの歌に何らかの深い意味が隠されていたとしても、それを読み取ることはできず、或いは反体制であるといわれてもよくわからなかったはずで、ただ単になんだか変な歌がでてきたなあ、と思っていただけであった。

つまりはこの歌をそのまま受け止めていただけであって、新しさとか思想とか面白さなんてぜんぜん感じていなかった・・・そんな時期も”おぢさん”にもあったのである。

2.海の底でうたう唄/モコ・ビーバー・オリーブ 1969年12月発表

よくもまあこういう歌を選んできたなあ、と感心している。

この3人「モコ」「ビーバー」「オリーブ」のラジオ番組「パンチ・パンチ・パンチ」は聴いていた。この番組は「ちょいっとエッチ」なのが売りであった。したがって、ちょいと背伸びをしていた中学生であった。
当時から父が読んでいた「小説新潮」と「小説現代」を隠れて読んでいた、少年だったのである。

で、この歌であるが知っているのだが歌えといわれれば歌えない、そんな歌なのである。

ちなみに、私は「ビーバー」のファンだったような気がする。

3.かもめ/浅川マキ 1969年7月発表

浅川マキは「アングラの女王」といわれていた、のだそうだ。
東北の田舎の片隅にいて「アングラ」を想像するのは非常に困難である。
「前衛」といえば「前のほう」で前衛芸術というのは前のほうの芸術なのか、とか、アングラといえば地下にもぐるという印象であって、つまりはあまり世の中にとって必要のないもの、不真面目、わけのわからないもの。
という風にしかとらえられなかった。

浅川マキを知ったのはしたがって高校生になってからで、フォークソングが幅広く世間に認知されてきた頃である。その頃にはアングラも前衛もマスコミで紹介されていたと思う。

「かもめ」は悲しい男のお話で、ああ自分もこんな悲しい男であったなあ、と時々思い出しては、♪かもめ かもめ♪と口ずさんでいたのであった。

高校生の私は、時に「悲しい男」でもあった・・・・んだと思う・・・

4.若者たち~空にまた陽が昇るとき/ザ・ブロードサイド・フォー 1966年7月発表

アングラや前衛にあまり興味を持たなかったが、それ以上興味を持たなかったのがこのようなカレッジフォークであった。
社会派とはいえ、なんだかいいとこの人たちからみた社会派であって、現実の世の中はこんな歌では救えないドロドロしたものだと、思っていたのである。

この歌が出た頃はまだ小学生であって、何の感慨も持たなかっただろうが、後に成長(無事に成長したか、まっすぐなのか、横に成長したかの判断はおいとく)し、「きれいな歌」になんだか反感を持ったのであった。

あてもないのに、どっかへいくなんて、金持ちしかいない、と思っていたのであった。
そして、そんな若者にはなりたくない、と思っていたのであった。

このことからも、無事とかまっすぐとか成長していないことは確かである。そして心も体も横に成長してしまったのであった。

5.海は恋している/ザ・リガニーズ 1968年7月発表

実はこの歌「コミック・ソング」だとずっと思っていた。
「ケメコの歌」なんかと同じだろうなんて思っていたのだから、ヒドイ。

それもこれも、あの台詞が悪い。最後の「だって俺泳げないんだもん」というのが原因である。

それで、この歌がコミック・ソング出ないことがわかったとき、あの台詞が非常に「おしょすい」(恥ずかしいの方言)ものに感じられたのであった。
とはいえ、よく友人たちと歌っていたが・・・

今回、このリガニーズに、後の「猫」の主要メンバーである常富喜男、内山修がいることを改めて確認したのであった。

6.さとうきび畑/森山良子 1969年9月発表

近年いろんな人というか沖縄関係の人たちがよく歌っている歌である。

で、実は私はこういう歌も苦手なのである。
戦争反対!
というメッセージの濃い歌は苦手である。

戦争は反対である、反対であるがこういう風な歌にしてしまうと「なんだかなあ」と思ってしまうのである。
まして、おばさんたちのコーラスグループが、こういう歌をうたっているのをきくと「なんだかなあ」度が上がってしまうのである。

こういう歌をひとりで聴くのはいいが、みんなで聴くとかみんなで歌うというのが「ダメ」なんだと思う。なんだか体と心が痒くなってしまうのである。

追伸
 普段使っているパソコンが壊れてしまい、ちょいと気落ちしているのである。
 昨夜は8時頃に眠ってしまい、また爆睡してしまった。近頃やたら眠いのである。そして今日は一日「小説新潮」を読んでいたのである。
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週刊ビジュアル 日本の合戦 講談社 全50巻完結 

2006-06-22 21:40:52 | 読んだ
とうとう毎週買い続け完結したのだ。
最後は「大海人皇子と壬申の乱」である。

この雑誌の見所はなんと行っても「合戦俯瞰図」にある。
しかし、時にはなんだか間の抜けたものもあり、なんだかなあ、と思ったりしたのであった。

それに、付図復刻版というのも6号までしかついていなかった。あれもよかったのだけれど・・・

また、信州上田城における真田対徳川の戦いはぜひ取り上げてほしかった。
とはいえ、まあまあ満足のいくシリーズだったと思う。

これでちょっと一息ついて、と思っているうちに、また新しいシリーズがでるんだよなあ。
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BAR レモン・ハート22 古谷三敏 双葉社

2006-06-21 23:18:50 | 読んだ
とうとう22巻になりました。
帯を見ると「BAR レモン・ハート」600万部突破記念フェア」なんてあります。
根強い人気なんですなあ。

その魅力は、レモン・ハートのウンチクマスターにあります。
飲まなくても、漫画を見ているだけでおいしそうなのですから、実際に飲んだら、しかもレモン・ハートで飲んだら、さぞかし・・・と思わせますよねえ。

常連の松ちゃんやメガネさんもよい。
この3人がいるところに顔を出してみたい、と真剣に思ってしまったりするのである。

マスターは酒のウンチクがすばらしいが、酒を飲めない人にも優しいバーのマスターである。
今号にもあるが、酒を飲めない人に「お茶」なんか出したりする。
そんじょそこいらの人のできることではないのである。

というわけで、今回は13話でした。
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イーグル 3連勝

2006-06-20 22:40:36 | イーグルス
とうとう3連勝しましたね。
昨夜はなぜか私、19時から爆睡してまして、朝まで何もわからなかったのですが、なんとヤクルトに勝ってました。

そして今夜、インターネットで観戦。
一場、またもか、とハラハラドキドキ。
7回の4点でスッキリ。

現時点で6月の成績はなんとパリーグ首位。
なんだか、昨日から夢を見続けているようである。
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中山ラビ

2006-06-18 22:11:36 | 観た、聴いた
本日午前中、部屋の片づけをしていたところ、古びたカセットテープが出てきた。

中山ラビ「ラビ 女です」というアルバムのテープである。
懐かしくなってカセットデッキを取り出し聴いたのである。

20歳ごろだったろうか、FMではじめて聴いて、なんだかよかったのである。
それで、「ラビ 女です」と「なかのあなた」の二つのアルバムを購入しよく聴いていたのである。

でも、その頃から「中山ラビって誰?」というのが世間のあり方であって、そう聴かれてもアルバムしか情報手段がなく、私自身もどういう「顔」をしているのかもよくわからなかったのである。

そのうち売れてくるだろう、とか、雑誌なんかにも出てくるだろう、なんて思っていたのであるが、そのままになってしまった。
アルバムもその後出たようなのであるが、田舎の町では見かけることもなくなってしまった。

それで、今日ひさびさに聴いた。よかったのである。
レコードを聴くことができないので、CDでも出ていないかとネットで探したら、なんと中山ラビの近況もあるHPにたどり着き、そこで中山ラビについてあらためて知ることができたのであった。

中山ラビ、今は国分寺で喫茶店のオーナーであるらしい。そして時々ライブをしているらしい。機会があれば一度聴きに行きたいものである。

追伸
 楽天が巨人に勝った。すごく気持ちがいい。
 ワールドカップはどうなるだろうか?
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最愛 真保裕一 小説新潮連載中

2006-06-17 21:51:36 | 読んだ
小説新潮で4月号から連載されている。

小児科医の姉が銃弾に倒れた。
何故、姉はそこにいたのか、何故、姉はうたれたのか。
という謎は、小児科医が姉と音信不通になってからの姉の暮らしにあるらしい。

小児科医は姉の歴史をたどる・・・

今のところ、結末は想像もできない。
ただ、人というものの哀しさみたいなものが、読んでいる私を揺さぶるのであった。

チョイト注目して読んでいきたい。
長編ミステリー集中連載、なのだ。
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先崎学の実況!盤外戦

2006-06-15 22:19:34 | 読んだ
先崎学はプロ棋士、将棋指しである。
8段であるから強い。
強いが、大きいタイトルは取れない。

という男がエッセイを書くとおもしろい。
今をときめく、羽生4冠や森内名人、佐藤棋聖などの先輩であり、彼らとの交流も深いので、そのへんもおもしろい。

今回は、第1部「毎日がガチンコだ!」第2部「盤外戦7番勝負」第3部「先崎学×森博嗣」という構成である。
で、第1部がおもしろい。第2部はあまりおもしろくない。

やっぱり将棋にかかわることはおもしろい。
彼らプロ棋士はやっぱり常人と違うのである。その常人と違うところがおもしろいのである。

「将棋世界」という雑誌の今月号で、渡辺竜王(22歳)は「僕にはライバルがいない」とか「同じ年代とやっても負けないからおもしろくない」などと語っている。平気でそんなことを言うやつらなのである。

先崎は将棋界のなかで普通人に近い感覚を持っているので、棋士の変なところをヘンと思うから、そういうところを描いているとおもしろいのである。
とはいえ、先崎も棋士であるからヘンなのはヘンである。

将棋を知らなくても充分楽しめる、この前の文庫「フフフの歩」もお奨めである。
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イーグルス またも 3連勝をのがす

2006-06-14 23:01:41 | イーグルス
ワールドカップで世間が浮かれているすきに、わが楽天イーグルスは6月は6勝5敗と、対横浜、対広島と勝ち越しをし昨日は阪神にサヨナラ勝ちということを、ひっそりとしていたのであった。

宮城フルキャストスタジアムでの試合はインターネットにより視聴することが可能であり、よく見ているのであるが、イライラするのである。
途中までいい試合、というパターンが多いことから「もしや」とか「あわや」とか「まさか」なんてことを期待して観てしまうのである。

それでもって、本を読むことができず、なんだか「無為」な時間を過ごしているような、すごく疲れる時間をすごしているような、そんな気がする。

今夜も一場が1点に押さえいい試合を作ったが、最後に投手不足が露呈し負けてしまった。
これで3連勝をまた逃してしまった。

しかし2勝1敗ペースでいけば、そのうち、必ず、きっと、絶対、多分、おおよそ、もしかして3連勝があり、その次には4連勝、5連勝、6連勝があるハズなのである。

今が辛抱のとき我慢のしどころ。頑張れイーグルス!
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追悼 米原万里さん 世界・わが心の旅「プラハ 4つの国の同級生」 NHKBS

2006-06-13 22:19:33 | 観た、聴いた
私の願いがかなったのである。

米原万里さんの「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」のもととなったテレビ番組が本日今(21:30-22:15)再放送中なのである。

映像でみる「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」である。

映像でみると、思い出の地を歩いたり、思い出の人と出会う「ドキドキ」感がよく伝わってくる。

米原万里さんの3人の友人たちは、社会主義体制の崩壊の中でそれぞれが多くの何かを抱えて一生懸命生きてきたことが、説明なしで顔や形を見ただけでわかる。

NHK再放送ありがとう。ちゃんと受信料は払うからね。
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<家老列伝>東に名臣あり-田中三郎兵衛玄宰- 中村彰彦 オール読物6月号

2006-06-12 21:50:40 | 読んだ
中村彰彦の「家老列伝」は面白い。
今回は、会津藩の田中三郎兵衛玄宰(さぶろべえ はるなが)である。

会津藩の建て直しをした男。
その原点は藩祖「保科正之」である。

彼が藩の建て直しに成功したもっとも大きな要因は、藩主「容頌(かたのぶ」の絶対の信用を得ていたことであろう。
もちろん、彼が藩(武士も町人農民も)をよくするためにはどうしたらいいか、ということを考え検討し、強い心で実践したこともその要因である。

それにしても、昔であり現代であれ、改革には大きな理念、絶対の信念、あきらめない心がが必要である。

そしてこの改革の遺徳が幕末の会津藩を支えたのである。

ということは、もし改革が成功していなければ、もしかして会津藩はぼやーっと幕末を過ごしたかもしれない。
そうすると改革の成功が、幕末から明治にかけての会津藩の過酷な状況を生んだということになり、めぐり合わせ、というものの不思議さを感じるのである。

追伸
 世の中、ワールドカップで大騒ぎである。騒ぐのはかまわないが騒ぎすぎはいけないのではないか。私は日本が勝とうが負けまいが別にかまわないのだ。
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