一言でいえば「健気」なのである。
主人公の澪を見ていると応援したくなる。
一生懸命に生きている。だから、誰かの何気ない言葉、ちょっとした季節の変化を料理に生かすことができる。
それなのに、彼女の周りで起こるのは「不幸」な出来事ばかり。
その不幸を乗り越えていくところがこの物語の核である。
第2巻には
俎橋(まないたばし)から-ほろにが蕗ご飯
花散らしの雨-こぼれ梅
一粒符(いちりゅうふ)-なめらか葛饅頭
銀菊-忍び瓜
の4編が収められている。
つる家の料理が登龍楼に次々と真似をされる。「ふき」という娘がつる家に来てからである。
この問題をどう解決するか。
「ふき」の幸せと、つる家の料理の独自性、澪は周りの人たちと真正面からぶつかる。
幼馴染の「野江」今は吉原の「あさひ大夫」が客に刀傷をおわされて心配する澪。
そして、差し入れに懐かしい味の『こぼれ梅』を作り、野江と遠い再会を果たす。
太一とその母「おりょう」が相次ぎ麻疹(はしか)に罹る。
そんな時に限って、周りでは大切な出来事が起こり、そっちもこっちも、という状態になる。
つる家の人手が足りなくなり、口入れ屋が「ふき」のことの罪滅ぼしだといって、実の母「りう」を手伝いによこす。
この「りう」が75歳ながら、なかなかの働き、そして、災い事に取り囲まれているような、つる家の人々を励ます。
そして澪にも多くのことを教える。
そう、昔の年寄りは経験を伝える、若い人を救うことで、世の中の役にたっていたのだ。
「食べる、というのは本来は快いものなんですよ。快いから楽しい、だからこそ、食べて美味しいと思うし、身にも付くんです。それを『たべなきゃだめだ』と言われて、ましてや口に食べ物を押し付けられて、それで快いと、楽しいと思えますか?」
「まずはあんたが美味しそうに食べてみせる。釣られてつい、相手の箸がのびるような、そんな快い食事の場を拵えてあげなさい。」
いいこと言うよねえ。
そして、料理のことだけでなく
恋は厄介なものなのか、という澪の問いに対して「りう」は
「厄介ですとも。楽しい恋は女をうつけ者にし、重い恋は女に辛抱を教える。淡い恋は感性を育て、拙い恋は自分も周囲も傷つける。恋ほど厄介なものはありゃしませんよ」
「けれどね、澪さん。恋はしておきなさい。どんな恋でも良いんです。さっきは心配だなんて言いましたがね、あんたならどんな恋でもきっと、己の糧に出来ますよ」
ああ、こんなこと言ってみたい!
ご寮さん、つるやの種市、伊佐三・おりょう・太一一家、小松原(小野寺)、源斎先生、又次、清右衛門、伊勢屋の美緒、澪の周りにいる人たちは、みんな澪の味方である。
できることなら、私もこの物語の中に入って澪を見守りたい。
そんな気持ちにさせられます。
さあ、第3巻へ。