読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

本日は、お日柄もよく 原田マホ 徳間文庫

2013-12-31 15:44:48 | 読んだ
題名だけで選び、ネットで購入した小説。
自分の感性を試してみたかった。

若いころは、本屋の文庫の棚を眺めて「題名」だけで本を選んでいた。
いつごろからなのだろうか?
本の題名ではなくて作者の名前で本を選ぶようになってしまったのは。
つまりは、本を選ぶのに保守的になってきたんだろう。
今は、文庫本の棚の前で題名が光って見えるようなことがなくなってしまった。

というようなことから、今回はただ題名だけで選んだ。
そうしたら、大当たり、とは言わないまでも、当たり、だった。

物語は、主人公のOL二ノ宮こと葉が、思いを寄せていた幼なじみの厚志の結婚披露宴でつまらない祝辞を聞いて眠ってしまい、スープに頭を突っ込んでしまうところから始まる。

そんな失敗の後に、ものすごく感動するスピーチに出会う。
そのスピーチをした人物は、伝説のスピーチライターである、久遠久美であった。

スピーチライターという職業があることを知ったこと葉は、親友の結婚式にスピーチを頼まれたこととあまりにも感動的なスピーチに出会ったことから、久遠久美に弟子入りする。

結婚式感動的なスピーチをしたこと葉は、その後総務課から広報戦略室に異動となる。
そして、広報戦略室で一緒に仕事をすることになったのは、超大手広告代理店の番通の社員「和田日間足(かまたり)」であった。
和田とはこと葉が結婚式でスピーチをしたときに、相手側のスピーチの指導をした人物であり、厚志が勤める広告代理店白鳳堂のライバル会社の社員であった。

このあたりから、物語はものすごい方向に進んでいく。
つまり、現在政権与党の進展党が国会を解散して総選挙を行うに当たって、番通が支援することとなり、野党で政権奪取を狙う民衆党を白鳳堂が支援することとなり、さらにその手伝いを久遠久美が行い、さらにさらに厚志が民衆党から立候補することとなりそのスピーチライターをこと葉が勤めることとなるのだ。

いくつかのこんななことを乗り越え最終的にはハッピーな結末となるのだが、予定調和、というのもいいものである。
こんなに物事がトントンとうまくいくわけがない。
とは思う。

だけで物語の世界ではいいではないか。

この物語は連載小説だったということ。
そうであれば、危機→解決→危機→解決といった物語の進行もうなずける。そして、許せる。

ただし、主人公が女性だからというのもある。もしこういう筋立てで主人公が男だったら、ちょっとうまくいきすぎるのではないか、という気持ちになっただろう。
それは近頃の男の子に元気がないことにも関連するが・・・

それにしても、久々に明るい気持ちにさせられた小説である。


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内通 堂場瞬一 週刊朝日連載最終回 12月27日号

2013-12-23 20:45:11 | 読んだ
週刊朝日の定期購読をやめようと思ったことがある。
昨年の11月20日日のブログでその理由を書いているのだが・・・

依然として購読している。
その一つの理由が、やめようと思った時から始まった連載小説3本である。

そして12月27日号でその3本のうち最後に残っていた「内通」が最終回を迎えた。

週刊誌連載の小説は、その時は面白いのだが、最後になるとなんだか「尻すぼみ」になるものが多い。

「えっ!」というか「あっ!」というか「これで終わり?」という突然終了するもの

「ナニ?これだけ盛り上げておいて、こんなオチなの?」という、肩すかしを食らったようなもの

こんなんであまり期待しないで読み始めるのだが、やっぱり読んでいると「愛着」のようなものを感じて読み通してしまう。
つまり、あんまり優秀でないセールスマンが毎週訪れて一生懸命営業するのを見ていると、いや訪れるだけで親しみを感じてしまうのと同じようなのである。

ところが、今回の「内通」は『ちゃんと』(という言い方もおかしいのだが)エンディングがある。

物語は、刑事が汚職の内通を受け内通者と接触しているうちに、彼の娘がストーカーにあいさらには拉致され危うく殺される、という流れなのだが、なぜ、娘が狙われ拉致されるのか、という理由がわからない。
わからないゆえに対処の方法に苦悩する。
更に、刑事と娘の葛藤。

もう1回全編を通して読んでみたい物語であった。

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イエスタデイ -女のいない男たち2- 村上春樹  文芸春秋1月号

2013-12-17 23:08:31 | 読んだ
村上春樹の短編小説が先月号(2013年12月号)から文芸春秋に掲載されている。

前月号の「ドライブ・マイ・カー」はあまり面白くなかった。
題名からして、ビートルズの歌にちなんで連載されて行くものだと思うが・・・

ドライブ・マイ・カーの主人公は、熟年であった。
ゆえにちょいと落ち着きすぎた物語になってしまった。

今回の「イエスタデイ」は青春の物語である。

登場人物が、その後に出会うのが16年後であるから、その後が現代であるとしたら16年前になるのだが・・・
16年前の若者がこんなに思慮深いとは考えられない。

どちらかといえば私たち世代から上の人たちの考え方ではないかと思うのだが・・・

物語は、主人公が芦屋から早稲田大学に入り2年生の時、バイト先で出会った木樽という同い年の浪人生と出会ったことから始まる。

木樽は田園調布に住み、東京生まれ東京育ちなのに、阪神タイガースのファンというだけで、後天的に正当な関西弁を話す。

彼の考え方は、我々の青春時代にはよくあった考え方で、シニカルなことを十分自覚しているくせに自分の考え方こそ正当である、と突っ張るものである。

で、われわれはその考え方をどこかであっさりと捨ててしまって、今日に至っているのだが、木樽は多分今でも「俺の考えかたは世の中で唯一正しい」と思っているに違いない。

そういう奴は面倒くさいけれど、一度はじっくりとつきあってしまうのだ。

主人公も、青春の一時期、深くつきあってしまう。
そして、能動的ではなかったものの、木樽とその彼女の生き方も変えてしまう。

こういう物語好きなのだ。
村上春樹の物語に登場する主人公は基本的に「受動的」である。
しかし、受動的なことは能動的なのである。
このあたりは、いわば「色即是空、空即是色」なものなのだろう。

久々の村上春樹であった。
「1Q84」を読もうと思っているのだが、村上春樹を読むのにはたっぷりの時間と体力が必要なので、なかなか挑めないでいる。


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おしん NHKドラマ NHKBS 

2013-12-15 18:33:58 | 観た、聴いた
本日で、NHKBSで再放送されていた「おしん」が最終回を迎えた。

この1年、日曜日に放映され、涙なしに見られなかったドラマである。
時々、見られなかったときは、NHKオンデマンドで補ってとうとう最終回である。

おしんといえば、子供時代の奉公での苦労や大根飯などの貧乏生活がいつもクローズアップされるが、全編を見直して思ったのは、子供時代のことは大いなる『序章』であったということだ。

そして、田中裕子が演じた時代の出来事も、ただただ最終回のためにあった、と。

おしんの苦労は並大抵のことではなかったが、その苦労に耐えた。それも真っ直ぐに耐えた。
そのことが、涙させるのである。

真っ直ぐということ、耐えるということが、今はなかなか難しい生き方である。

真っ直ぐを測る「軸」が、今は見当たらない。
耐えていることを察する「人情」が薄れてきた。

よく「ニーズの多様化」ということが言われるが(昨夜のNHKBSの『AKB48SHOW』で大島優子が発言していてちょっと驚いた)、ニーズの多様化というのは、考えかが広がったということで、それはつまり、基本となる軸がなくなってしまったということではないかと思うのである。

人を思いやる心を人情といえば、それも薄れてきた。
しかし、人は他人には人情を求める。

そういう世の中にあって「おしん」を見ると、ただただ泣けてくるのである。

「情けは人の為ならず」
というが、人の生き方は最後にわが身に帰ってくる。

おしんは、一生懸命人に尽くした。
その尽くした心が、最後の最後でわが身に帰ってきたように思える。

古いドラマではあるが、見ようによってはまさに「今」を描いているように思えたのである。


追伸
映画「おしん」がこけたそうである。それは「序章」だけを取り上げるからではないかと思う。あれだけではドラマとしていかがなものか。

来年は「男たちの旅路」が再放送されるとのこと。鶴田浩二である。これも楽しみである。年数を経て自分がどのように感じるのか、ということも含めて・・・


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風渡る 葉室麟 講談社文庫

2013-12-09 23:23:36 | 読んだ
本ブログの11月5日「風の軍師 黒田官兵衛」の前編である。

11月5日のブログにも書いたのであるが、最初に後編を買って読んでしまった、という失敗をしていた。
だから、なんというか、読んでいる最中ずっと「失敗した」感に包まれていたのである。

風の軍師は、黒田官兵衛が太閤秀吉にあやしまれて豊前中津においてくすぶっているというか休んでいるころから始まっている。

この「風渡る」は官兵衛は20歳のころから描いている。
といっても、官兵衛を中心にこの物語が描かれているわけではない。

どちらかといえば、戦国時代からのキリスト教の布教状況が主となっている。
したがって、いろいろと歴史小説を読んだ私にとっては、ものすごく新鮮な物語である。

これまで読んだ物語が「表」であったとしたら、これは「裏」から見たものである。
そういわれれば、そういう見方があるなあ。
と、いたるところで思わされるのである。

この時代のキリスト教は、ポルトガル系のイエズス会とスペイン系のフランシスコ会があったということを初めて知った。
そしてこの二つは手を取り合わず対立するのである。

そのことと、戦国時代の群雄割拠から統一に向けての実力者たちの思惑が、さらに事態を複雑にさせる。
キリストを信じる者、信じはしないが認める者、そして断固認めない者が、日本統一へ向けての争いの中、キリスト教と絡むのである。

黒田官兵衛はキリストの教えに従って「愛」を実践しようとするが、しかし大きな愛を作るには謀略や戦いが必要である。

教えと現実のはざまで、大きく揺れ動かず、現実を乗り切っていく黒田官兵衛に、これまで以上に親近感を覚えた。
まあ、大体「謀略の人」という印象が強いからね。

でも、謀略の人は正直な人なのだ、正直な人だからこそ謀略が成功する。
と思うのだけれど・・・

この物語にはもう一人架空というか、いたんだがどのような人だったのか明らかでない人物が登場する。というかもう一人の主人公である。

修道士のジョアン・デ・トルレスである。
彼はイエズス会の修道士として、布教活動の中で多くの大名や公卿などと出会う。

もちろん官兵衛とも少なからぬ因縁を持って生きていく。

このジョアンの出生についてもこの物語の大きな謎のひとつとである。

兎も角、これまで読んだ戦国ものの見方を大きく変える物語である。

かえすがえすもちゃんと順番に読んでいればなお面白かったんだろうなあ、と思うのである。

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落語家の通信簿 三遊亭円丈 祥伝社新書

2013-12-07 18:28:01 | 読んだ
遊亭円丈の「御乱心」は面白かった。
落語家だって、信念や理想があり、人と争うのだ、ということが分かった。

落語家ってもう少し世間知らずなのかと思っていたら、実は世間をよく知らないと落語は演じられない。
「人の欲」を超越する職業というのはないのだ、と思ったものである。
しかし、なんだかあまりにもナマナマしくて、なんだかがっかりしたのも事実である。

そして今回本書が雑誌だったか新聞だったかの書評欄で紹介されていたので、久々に読んでみようかと思ったのである。

実は、というほどのことでもないのだが、私は落語が好きである。
落語は、古典であろうが新作であろうが構わない。

前は東京出張に行くたびに、野球を見に行くか寄席に行くかしていたものである。
しかし、所詮地方在住、それほど頻繁に行けるわけもなく、まあ思いついたときに行っているだけなのでファンとかマニアとかではない。

さて、本書は伝説の名人から若手までの落語家53人を論評したものである。

これまで落語の論評というのは、いわゆる評論家が行っていたのであるが、この評論家は落語家出身ではない。
まあ、落語家は若くして引退ということはないので、生涯落語家である。

野球とかサッカーとか運動関係の評論は現役を引退した人が、つまりその運動を実際にしたことがある人が行っている、ということから落語家が落語家を評するということにした、というのが著者の弁である。

今まで読んだことのある落語家の評論は、一言でいうと「難しい」というものであった。
落語というのが芸術であるというのは認めるが、もうひとつ「娯楽」でもあるわけで、それを何もそんなに難しい考え方と言葉で表さなくてもいいのではないか、というのが感想であった。

しかし、落語が発展するというか、落語家の芸が向上するには「評論」というのは必要である。

落語家が落語家を評論するといっても、本書はそれほど難しいわけではない。

これを読んで聞いたみたい、見てみたいと思った落語家がいたし、ちょっと俺はこの落語家は「?}だなあと思った人もいた。
まあ、好き嫌いとか相性みたいなのがあるので、それは仕方ない。

で、どうしたらこの本で紹介されている落語家の噺を聞くことができるのだろう。
本来は寄席に通うのがいいのだろうけれど、それは無理なので、DVDとかCDしかないが・・・
わざわざ買うほどでもないので、TUTAYAあたりにないかなあと・・・

本書は、落語の評論ということであるが、落語の紹介という面のほうが大きいように思える。
したがって落語に少しでも興味を持っている人の入門書でもある。
興味のある人にはお勧めである。


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浮かれ上手のはなし下手 吉行和子 文春文庫

2013-12-05 23:26:37 | 読んだ
あれよあれよという間に12月になってしまった。
年齢を重ねると12月だからと言って「焦る」ことはなくなった。
ただ「茫然」としているだけである。

それに今年はずっと楽天イーグルスの試合が気になっていて、一喜一憂、いや三喜一憂で過ごしていたので、日本シリーズが終わったらなんだか気が抜けてしまった。
「あまちゃん」が終了してアマロスというのが発生したが、私の場合は楽ロスである。

ということで、いっぱい本を買ってしまった。
それは順調に読んでいるのであるが、その感想をブログにのせることが億劫になっている。
で、今夜はホントに意を決して書いているのである。(だからなんだっていうの?と聞かれると、まあそれはヨシナに、ということで)

この本は、題名を知った時から「読みたい」と思
著者の吉行和子さんのファンということではないが、なんだか気になる女優さんであった。
しかし、あまりよく知らない。
お母さんが吉行あぐりさんで、お兄さんが吉行淳之介で、妹が吉行理恵、ということは知っている。
で、お母さんがスゴイ人だというのも、NHKの朝ドラ「あぐり」で知っている。
が、吉行和子さんはあまり知らない。

この本を読むと、やっぱり吉行一族なんだなあ、と思われる。
感受性が強く、才能がある、しかし、どこか抜けている、というカンジである。

2007年から2009年まで連載されたものを2010年に単行本にまとめ、そして今年文庫になったので、なんというかライブ感は少ない。
しかも、今のことを語っているかと思えば、一気に昔にもどり、そしてつい先日のことに話が飛ぶので、追っかけていくのが大変なのだが、実は、そんなことを追っかけなくてもいいのだと思う。

高校3年生の時に劇団「民藝」の研究生募集に応募し、本人の語りを一気にまとめれば「あれよあれよ」という間に1次、2次そして3次と試験を通り、高校在籍中から女優になった。
その後の女優人生も、紆余曲折、大波小波があるのだが、なんとなく乗り切る。

というようなことが書いてあるが、実は、周りの人たちが大きな評価をしているんだと思う。
つまり近年流行している言い方をすれば「持っている人」なんだと思う。

まあ、芸能界ってそういう「持っている人」たちの集まりなんだろうけれど、ずっと長くやってこれているのは、持っているものを自分でさらに磨き、そして周囲の人たちがさらに磨いてくれているんだと思う。

それに高校卒業してすぐに女優となり、民藝で相当鍛えられたので、女優としての基礎ちゃんとできていることもプラスしていると思う。

本人は何故だろう?みたいな書き方をしているが、この本を読むとそう感じる。

ひさびさに「ああ、おもしろかった」としみじみ思える本であった。

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