読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

元アイドル 吉田豪 新潮文庫

2008-06-29 18:24:17 | 読んだ
雑誌に連載していた、元アイドルへのインタビュー、である。

本書にはその中から16人の元アイドルへのインタビューが掲載している。

で、この元アイドル、私知らない人もいる。
20年位前のアイドルである。
インタビューアーの吉田豪が私より一回り強年下なので、そのような現象になるんだと思う。

さて、このアイドルたちの話すことがすごい。
赤裸々、真正直、隠し事なし、といえばそうなのだが『なんだかなあ』という思いも強いのである。

こんなことまで話してどうなるのさ、とも感じるのである。

近頃「品格」というコトバが数多く出回っているが、日本人が変わってきたという一つの証になっているようなインタビューである。

年若き或いは幼いアイドルを一人前に育てようとはせず、最初から「商品」としていかに売るか、ということに腐心する業界人たち。
そのなかでしたたかに生き、時には人間不信になるアイドルたち。

楽しければいい、儲かればいい、ということが人生において最大の目的になってしまった日本が、このインタビューから見えてくる。

そのようなことを意図としてインタビューをしたわけではないだろうが、結果としてそのようになってしまった。
現代日本の多くの問題の底にあるものが描かれているのではないだろうか。

楽しく読めるんだろうなあ、と思って読んだら、不機嫌になってしまった。
ゆえに、一読を薦めたい。

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ヒミコの夏 鯨統一郎 PHP文庫

2008-06-24 21:59:10 | 読んだ
いつもの鯨統一郎だと思って買ったのである。
そして読み始めたのである。

「いつもの」というのは、いわゆる「バカミス」ということである。
この本の解説ではじめて知ったのであるが推理小説の分類に「バカミス」というのがあるとのこと。

「バカミス」というのは『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、

『バカミスとは、日本国内における推理小説の分類の一つで、「バカなミステリー」、もしくは「バカバカしいミステリー」の略語である。ただし、この「バカな」は(この言葉の定義については諸説あるが、一般的に)小説作品を誹謗中傷するような意味合いの、「馬鹿な」ではなく、「そんなバカな!!」のような、感嘆、賛嘆などの意味を込めたものなどと解釈される。』
だそうである。

で、この小説は「バカミス」ではなかった。

至極まっとうな、そして新しい主題の小説である。

何しろこの小説は2002年「日本農業新聞」に連載されたものなのである。
従って、農業と環境が主題(テーマ)である。

いろいろと紹介するといわゆる「ネタバレ」になりそうなのだが、まあカバー裏にある程度ならいいだろう。

雑誌記者・永田裕介(主人公)は取材で訪れた農村で少女・穂波と出会う。
少女は記憶喪失のようであり、植物のコトバを聞き取ることができるという。
穂波の両親は警察に殺されたという。

裕介は穂波を引き取り、彼女の両親について調べ始める。
そして高樹みどりは植物に意思があるのではないかという仮説に基づき大学で研究をしている。

裕介、穂波、みどりは穂波の両親の殺人事件について調べるのだが、日本中に広まっている「ヒミコ」という稲・米と、少子化とが事件と関係があることをしる。
そして、真相を知られたくない者が彼らを狙い始める・・・

ところどころに「お約束」みたいな出来事があり、ラストも読んでいるこちらが恥ずかしくなるようであるが、それが多分狙ってやっていそうで、このあたりは「バカミス」系のにおいを感じるのだが・・・

兎も角、おもしろかった。
鯨統一郎の新しい面を見せてもらった。

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父子鷹(下) 子母沢寛 新潮文庫

2008-06-22 22:06:39 | 読んだ
勝海舟の父、勝小吉が主人公の小説。

小吉は、社会全体或いは国の行方などに関わりを持たず(若しくは関わることができず)、市井に暮らす人々の義理と人情の間で、自分の正義を押し通す。

自分の正義を押し通すのは、それはそれで大変であり、武士として御家人として縛られていることで逃れられぬものもあるわけで。
よく言えば自由闊達、別な見方をすれば放埓・放蕩・乱行である。

多分、離れたところから見ればそれなりなるのだが、近くにいれば大層迷惑な人なのではないだろうか。

下巻の大きな物語は、勝小吉の住むところの大家ともう言うべき、千五百石の旗本岡野家のために関西へ下り大芝居を打つ。
結果は成功したものの、世話焼き損となる。

小吉を囲む市井の人々の義理人情のなかで、小吉は思うがままに生きるが、その思うままが小吉のファンを増やし、増えることによって小吉の生き様に制約がかかる。

義理と人情に生きるとはそういうことなのである。

だからその子の勝海舟は、義理と人情を一面に押し出すのではなく、どこか斜に構えていたのではないだろうか。
子分をもつものは子分に殺される、という西郷隆盛を評した言葉は、父・小吉を意識した言葉ではないだろうか。

さて、物語はその海舟(麟太郎)が次第に成長し、従兄弟で剣豪の男谷精一郎のもとで、剣・禅・学問に励む。
そしてその後、学問を剣と禅とそして父・小吉から受け継いだ人情を底辺として活かしていく。
つまり「野郎の本箱」にはならなかったのである。

さて、この物語というか、子母沢寛の描く勝小吉を読むと、父が子を思う気持ちが熱いのに非常に感銘するというか驚くのである。
母が子を思うようである。

この「熱さ」が子母沢寛の描く小吉なんだろうなあ、と思うのである。

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青春のうた 第61巻 1970年代後期11

2008-06-17 22:20:24 | 読んだ
1.道標(しるべ)ない旅/永井龍雲 1979年8月

いい歌だなあ、と思う。
この歌はCMソングだったというが、あまり記憶がない。
しかし、この歌を初めて聴いた、と思ったとき、なんだか聴いたことがあるなあ、とも思ったので、多分なんとなく聴いていたんだろうと思う。

つまり、その当時はあまり気にもとめていなかったんだろうと思う。

ところが、テレビのフォークソングの番組(いわゆるなつかしのフォークソング)でこの歌を聴いたとき、何故、若いころこの歌にであわなかったんだろうと思ったのである。

聞く時期によって感じ方が違うということを強く意識した歌である。

2.夢去りし街角/アリス 1979年4月

この歌はアリスが絶好調のときだろうと思う。
なんでも出せばヒットする、そんな時だったような気がする。

だけどあまり記憶がないんだなあ、この歌。

3.思い出は美しすぎて/八神純子 1978年1月

八神純子もいい歌を歌っていると思う。
この曲もいいなあと思うのであるが、なんだかうろ覚えなのである。

4.北北東の風/N.S.P 1977年9月

N.S.P(ニュー・サディスティック・ピンク)の歌も大好きなのである。
しかし、このころあたりから、追っかけられなくなった。

だからこの歌も知ってはいるけど「なんとなく」なのである。

♪今このひとときを たいせつにしよう
 今日の風 今日の風 北北東の風♪


いいんだよねえ。

5.河のほとりに/谷山浩子 1977年3月

谷山浩子がNHKのステージ101に出ていたころから知っていて注目していたのである。

のであるのに、しかも、この「河のほとりに」はいいなあと思っていたのに、出だしの

♪ 河のほとりに ♪

の部分しか歌えない!!

6.かざぐるま/松山千春 1977年6月

松山千春の歌だって嫌いなわけではない。
初期のころはちょっと女々しいところがあるが、繊細で素直でいいんじゃないか、と思っていたのである。

だけど、この「かざぐるま」 あまり覚えていないのである。

追伸
今回の61巻は、いいんだけどよく覚えていない、みたいな、つまりは嘉壽家堂的にはB級な歌になってしまった、のである。
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岩手・宮城内陸地震

2008-06-14 23:48:52 | 日々雑感
今朝、8時43分地震が発生。
これは大変なことになった、と、とるものもとりあえず出勤した。

時間がたつにつれ、隣の宮城県栗原市や岩手県一関市の被害が相当に大きいことがわかる。
それに比べて我がほうは思ったより被害が少なく、とりあえず落ちつくことができた。

地震は思いもかけないところに被害がでるので、いくら常日頃から覚悟をしていても、やっぱり慌てふためいてしまう。
また、その被害がどうでるのかは、まったく「運」というしかないところがある。

今もちょっと強い余震があった。
しばらくの間はこの余震とともに緊張の中で生活していかなければならない。

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父子鷹(上) 子母沢寛 新潮文庫

2008-06-12 21:06:35 | 読んだ
新潮文庫の新刊で「おとこ鷹」が出ていた。

読んだことがあるようなないようなカンジで調べてみたら私が持っていたのは「父子鷹」であった。

子母沢寛の「勝海舟」は高校生のときに読んで以来の愛読書である。
その中に海舟の父「勝小吉」は登場し重要な役割を果たしている。というか、前半は小吉の物語のようである。

そして、父子鷹は「勝小吉」が主人公の物語である。

新潮文庫の「父子鷹」は、初版が昭和39年、私が持っているのが平成6年版で第20刷である。
丁度、テレビドラマ化になるところで、勝小吉が松本幸四郎、勝海舟が市川染五郎であった。

さて、物語の主人公・勝小吉は、とんでもない無頼の人である。
曲がったことが大嫌いな乱暴人なのである。

だから「とんでもないこと」をしたりするのである。
それが物語りになる。

この物語に登場する人物たちの会話がいい。
つまりは「江戸弁」なのであるが、キレがあってリズムがある。

非常に気分よく読み進んでいるが、このことで気がついたことがある。
近頃読み進むことが停滞するときがある。
これは多分、無理をして読んでいるからではないだろうか?
以前は自分が読みたいと思ったものばかり読んでいたが、近頃は読まなくてはならないかな?と思ったものにも手を出しているからかもしれない。<反省>

というわけで下巻を読んだら「おとこ鷹」を買ってこなくては。

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いつもでもデブと思うなよ 岡田斗司夫 新潮新書

2008-06-07 19:59:10 | 読んだ
ずっと気になっていた本なのである。
私は、著者のようには太ってはいないが、まあ小デブくらいなのである。
あと10kg位減量すると、まあ世間の言う「理想の体重」になるのである。

これまで何回かいわゆるダイエットをしたことがあるが、概ね食べることを減らすこと運動を組み合わせてやったものである。
1回目で4kg減らしてそれを維持、2回目で2kg減らしてそれを維持しているところである。
維持というのはダイエットをしなくてもその体重を維持しているということである。

という経験からこの本を読んだのである。

論理的なダイエットの本である。
というのが概括的なまとめである。

というのは、先ず「デブ」ということのデメリットをあげ、やせる必要性を認識させていることから始まり、助走-離陸-上昇-巡航-再加速-軌道到達-月面着陸、という順を追った、ダイエット方法を示しているからである。

経験上、ダイエットを行うとすぐに体重は減る、しかしその減った体重を維持するのは非常に困難なのである。

それは確実に『意識の問題』なのである。
強固な意識を持ち続けることは非常に難しい。また逆に考えれば強固な意識を持ち続けることができる人はダイエットは必要がない、なぜならそういう人は太っていないからである。

本書は難しいダイエットではない、が、著者が言うようにすごく簡単でもない。
やっぱり『意識の問題』なのである。

但し、他の方法に比べれば長続きできる方法である。
それは、「何かを食べ続ける」とか「運動を続ける」とか生活上の制限という「他動的」な面がないということである。

本書はダイエット本というよりも「自己の確立」あるいは「自己変革」の本であると私は感じたのである。

何かをなそうとするときはやっぱり「自己変革」が必要なのである。
それは「自律」することで「自立」できるということと同じなのではないか。

現代は自己の問題でも社会(特に行政)の責任を問うことが多いが、自らが正しく生きようと思えば社会がどうあれ正しく生きられるのである。

そんなことを思った、というか、そういうことを考えさせる本である。

ダイエットに興味のない人も一読あれ、である。

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戦国名臣列伝 宮城谷昌光 文春文庫

2008-06-05 23:01:50 | 読んだ
中国の戦国時代の「名臣」の列伝である。

前作の「春秋名臣列伝」よりはポピュラーな人物が登場する。
何回もいろいろな作者が書いたものを読んでいるが、いつも新鮮に感じることができる話ばかりである。

16人の名臣が登場するが、1番最初に登場する「越の范蠡(はんれい)」が最もあこがれる姿である。

「臣」というのは君主あってのものであるから、全て思うままにはいかない。
また、他の臣との軋轢からの妬み嫉みもある。
従って、主に全幅に信頼され、同僚にも好かれ続けないと、臣として大きな仕事を果たすことができない。

范蠡は、臣というよりも「師」に近い存在であったが、最期には主を見限り自分の思うままに生きることとする、そのあたりが憧れる大きな要因でもある。

さて、戦国時代は生きるか死ぬかの油断ならない殺伐とした時代でもある。そういうなかで「臣」も「主」も目標と目的を明らかにし、最適な手段を用いてその目標と目的をかなえようとする。
そういう意味では、この時代の人たちは、現代に生きる我々よりも明確な意識を持って生きており、幸福であったのではないだろうか。

平和な社会を求めて戦う、というなんだか矛盾することではあるが、ゆえに生き方を「単純明快」「清冽明朗」にする必要があったのではないか。

この名臣たちの生き方をそのまま現代において再現するには、あまりにも現代は複雑怪奇である。
それは「個」というものをあまりにも重要視しているからではないか、なんて思ったりしたのである。

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安産祈願 お鳥見女房 諸田玲子 小説新潮6月号

2008-06-03 23:12:14 | 読んだ
お鳥見女房シリーズの最新版第6話である。

物語は大きな事件も起きず淡々と進むが、人のつながりは濃いということを認識させられる。

お鳥見女房こと矢島珠世は、石塚源太夫の妻・多津のお産あつかいに、清土村の農家・庄兵衛宅の離れにきている。

さてそのころ、源太夫の末娘・雪(多津にとっては義理の娘)は、家族一同で安産祈願を願って書いた絵馬を納めようとしていたが、生まれてくる子供について考え込んでいた。

これまでのように自分を多津は愛してくれるのだろうか?
ということで、もやもやしているのである。

そうして愚図愚図しているうちに、盗人として追いかけられていたみすぼらしいなりをした男の子とぶつかり、絵馬を川に落としてしまう。

絵馬を落としたことで、多津は自分を生んだ母と同じに死んでしまうのではないか?
という自責の念にとらわれた雪は・・・

というあらすじである。

冒頭にも述べたとおり、この物語の大きな事件といえば、絵馬を川に流したことであり、多津が出産をすることである。

しかし、たとえば源太夫の長女・里に縁談があったり、生まれる子供の名付け親となった矢島久右衛門が名前を考えたりすることなど、さりげなく描かれていることが、物語全体の厚みとコクを生んでいると思うのである。

あるいは、雪とぶつかった男の子との会話、雪と源太夫の会話などは、なんだかしらないうちに「人っていいなあ」と思わされるのである。

このお鳥見女房を読んだ後にいつも思うのは
「明日はきっといいことがある」
とか
「明日はもっといいことがある」
といった
「明日は明るいだろう」
という、前向きでほのぼのとしたものなのである。

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ラブホテル進化論 金益見(きむ いっきょん) 文春新書

2008-06-01 18:32:45 | 読んだ
週刊朝日に紹介されていたので知ったのである。

女子大生が「ラブホテル」を研究する、というのを聞けば、それは多くの人が偏見の目で興味津々だろうが、それは誤解である。まあ、その誤解を私もしていたのではあるが。

ラブホテルを主眼とした、日本文化論、とも言うべき内容である。

ラブホテルを正面から研究するというのは、大変だったらしく、しかもうら若き女子大生なのである。
最初は卒業論文で、ある人から資料を借りて作成したのだが、それが以外にも好評で大学院に進んでさらに研究することになったそうである。

学問的にはいわゆる未知の分野だろうから、先駆者的な苦労とそれにあわせた充実感もある、それが本書では素直に著されている。

ラブホテルの歴史・経緯がわかりやすく解説されており、取材が綿密に多く行われたことを証明している。

これを読むとラブホテルに行きたくなるのだが、それは「かなわない夢」であるのが哀しい。

人は今でも自分だけの空間を求めているのだろう。
それをどのような形で提供をするのか、というのがラブホテルから見えてくる。そして将来はどのような形となるのかも示されており、「サービス業」の普遍的な課題がラブホテルにもある、あるいはラブホテルから普遍的なサービスとは何かということも読み取れる、経営学的な面もあるという、いささか驚いた、というか購入動機からは大きく外れた(正の方向に)ことに満足である。

題名からはちょっと買うのが恥ずかしいところもあるが、なかなかどうして、正当な日本文化論・経営学的側面付きというものである。

しかし、私も読んでいるところをみられるのがいらざる誤解を招くのではないかと、ブックカバーをして読んでました。

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