京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

首なし地蔵?

2013年02月25日 05時18分48秒 | 風景


そういえば三条大橋の写真を記事で出していませんね。
三条大橋といえば、東海道五十三次の終点。
昔は浮世絵のようにのどかな風景の場所だったのでしょうね。



これは、弥次喜多(やじきた)像です。
弥次喜多といっても甘党のお店のことじゃないですよ。
言っても京都のごく一部の人しかわからないか・・・。



この像を見て、昔の人は小さかったんだ・・・なんて思った。
ホビットみたいなサイズだし。(笑)
予算がなかったのかな・・・。
まあ、等身大にしてもあまり意味はない像だけど。

このあたりに、晒し首のオブジェなんてのもいいかもね。
近藤さんとかの有名人の首のリアルなオブジェ。
まあ、リアルといっても実物を見た人は恐らくもういないだろうし、当時の写真を撮ってブログにしているというのも聞かないしね。
五右衛門さんが釜で唐揚げになっているオブジェも人気になるかも。
このあたりで記念撮影をしたら必ず心霊写真が写り込むサービスも人気になるでしょうね。



これは、同じ並びにあるお地蔵さん。
どうも雰囲気が違うので、よく見たら首がない。



どうですか?
ないでしょ。
さっき言うてた晒し首の替わりかな・・・。
おそらく明治初期の廃仏毀釈運動で首を切られたお地蔵さんだろうな。
明治初期の政府による神道を国の宗教とすると発表したことに発した事件。
日本中で仏教寺院の打ち壊しみたいなことをやった。よほど仏教寺院が嫌われていたのかも。特権意識で大きな顔をしていたのでしょう。しかも本来の僧侶の役割をしてなかったのかも。かといっても神社も似たようなものだと思うけどな。
現代の日本は、維新前の日本に似ている。
いつ「いいじゃないか」や「廃仏毀釈騒動」が起こるかわからない。
ちょっと間違うととてもヒステリックになるのが日本人ですからね。

地方に行くとお寺のない地域があったりする。
京都市内もよく残ったと思いますよ。
でもお地蔵さんは、かなりの被害をうけたそうです。
市電の敷石になったお地蔵さんも多かったらしい。
狂信的になるということは恐ろしいことです。

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中村 肇
河出書房新社

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Twitter→@kyo_otoko
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4 コメント

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おはようございます。 (路渡カッパ)
2013-02-25 09:43:34
間違った政策に狂信的になる、特に集団心理を煽るような政策は恐いですね。
お地藏さんはその被害者かな、首無しのまま立っておられるのは
こんなことをするなと教えてくれているみたいですね。
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こんにちは (すー)
2013-02-25 11:39:55
江戸時代の平均身長は150cm無かったそうですので、もしかしたら等身大?かも?
返信する
>路渡カッパさん、こんばんは (京男)
2013-02-25 20:59:15
日本人は、狂信的になるまで時間がかかる。でもいったん狂信的になると噴火するような状態になる。
お寺、よほど既得権益で太っていて反感をもたれていたのでしょう。それがお地蔵さんにまで波及。こわいですね。いまにどこかの国でその状態になりますよ。
返信する
>すーさん、こんばんは (京男)
2013-02-25 21:01:03
それにしても小さすぎです。
最近の日本人、顔の骨格まで変わってきましたね。
昭和顔って少なくなってきたもの。
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