↑大将軍八神社
↑本日の写真は、この特別公開に行った時のもの。
京都で「大将軍」といえば、焼肉屋さん?
「ニュー大将軍」というのもある。それはサウナ。
京都市在住以外の人には、わからないかもね。
「大将軍」というアメリカ映画であったな。チャールトン・ヘストンが主演で・・・確か観た憶えがある。
「大将軍」というバス亭がありますね。北野白梅町の近くだったと思う。これは、本日紹介する大将軍八神社と関係あるのだろうか?
方位を守るのが大将軍神社の役割。
だから4方向で4社の大将軍がある。
西 大将軍八神社
北 西賀茂大将軍神社→過去に記事有、2012年07月31日
東 東山の大将軍神社→過去に記事有、2016年08月28日
左京区の岡崎神社にもある
南 藤森神社の摂社
↑大将軍神のお前立ち?やっぱり本物の方が良かったです。大魔神のレプリカでもよかったかも。
さて、本日の大将軍八神社について書きます。
平安京造営の際、陰陽道に依り大内裏(御所)の北西角の天門に星神 「大将軍堂」を建て方位の厄災を解除する社として創建されたという。
創建当初は陰陽道のお堂として建てられた為「大将軍堂」と称し江戸時代に入り 大将軍村の鎮守社として祀られる様になった。
また、その頃からそれまでの北斗妙見信仰※1から太白精※2の信仰に移り暦神と習合して 「大将軍八神宮」とも称した。
※1 北斗妙見信仰/陰陽道では、星で一番以来のは、動かない北極星、北斗七星が一番偉いとされていた。
※2 太白精(神)/方角神の名。金星の精で、大将の姿をし、兵事や凶事をつかさどる。
北斗妙見信仰や太白精は、仏教とも習合している。妙見信仰というのがそうです。
妙見菩薩がそうである。
日本における宗教は、外国からみると複雑に見えるでしょうね。
なんでもありに見えますからね。
でも他国と違い宗教同士が戦争したりはしない。すべてが融けて渾然一体となっているかも。
↑閉
↑開
もともとの出発がそうだった。でも生き残るために仏教における習合のようなことがおこった。明治時代に「神仏分離令」というの出て「素盞鳴尊」となった。
1340年から約100年の間祇園社 (現 八坂神社)の管理下にあったからそうなったのかも。
そうしないと明治政府から神社として認められなかったのでしょうね。
それから大正、昭和となりさらに変化したのかも。
↑パンフレットから引用。こんな状態で神像が並んでいました。
この神社の方徳殿(宝物庫)には、神像が残されている。神社系で神像というのは珍しいかも。
ひょっとして最近の日本では、方位ってあまりいわなくなったかも。
だんだん、神仏の力というか弱まってきている。特に戦後(応仁の乱ではないです)は特に酷い傾向にある。子供が学校で宗教をあまり教わらないのが気になる。大人でも古事記なんてあまりしらない。そのくせパワースポットなどと言っている。信じるならキチンと信じた方がいいかも。家庭でも子供に教えないです。京都市内の町内会では、昔は地蔵盆をやっていた。いまは宗教行事はやらないといいますからね。
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↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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