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京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

ひんやりいい気持ち・・・みたらし祭

2007年07月31日 05時49分01秒 | 行事


28日に下鴨神社のみたらし祭に行ってきました。
といってもみたらし団子の踊り食い大会とかではないですよ。



別名「足つけ神事」といい、御手洗池に足を浸すと万病を水に流すといわれているんです。
灯明が消えないようにそっと供えます。

動画はこちらへ

途中で火が消えるともう一度やりなおし、中にはライターで火をつけたはった人がいましたがそえは反則。







池に足を浸すとびっくりするぐらい冷たい。
でも浸かっているととても清々しい気持ちになるのが不思議。
最近こういう風に素足で川とかに入ったことがありますか?
いいですよ。小さい頃に戻ったような素直な気持ちになれる。





池からでると神水が飲めます。
冷たくて癖のない味のお水でした。思わず「もう一杯」と言ってしまいました。





御手洗社のお札を納めるところにお札を納めました。



この後、狸谷山不動院へ「火渡り祭」に行く予定なので気持ちは狸谷山の方へ行ってたかな。
その模様は近日公開!鋭意編集中。乞ご期待!
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平安神宮と新熊野神社の茅の輪

2007年07月02日 04時50分50秒 | 行事


6月30日、平安神宮の応天門に茅の輪がとりつけられて、夏越祓の茅の輪くぐりをしていました。



土曜日ということもあってたくさんの観光の方々が穢れを祓っておられますね。
おそらく、意味はご存知ない人が多いだろうな・・・。



朱色の応天門や鳥居と茅の輪のコントラストがいいかも。



ここは、新熊野神社。
29日にオープンカーで前を通ったら氏子の方々が茅の輪をつくっていました。
なんで名前に「新」がつくんだろう?
しかも新熊野神社と書いて、「いまくまのじんじゃ」と読むんです。
地名的には「今熊野」と書くんです。読めないからだと思うけど。
平安時代、後白河上皇は平清盛に命じて紀州の熊野から土砂や材木をこの地に運び込み、
新たな熊野との意味を込め、新熊野神社を創建したと伝わっています。
そういえば、近くにも新日吉神宮(いまひえじんぐう)というのもあります。
平安時代の京都では、熊野信仰や日吉信仰が篤かったようです。





茅の輪くぐりのお作法は基本的には同じ。和歌はなしみたい。鈴を降ったり拝礼したり、左足から輪をくぐるというのもありますね。



手水舎(てみずや)も茅でお飾りしてあります。



新熊野神社の茅の輪お守り。
ちょっと頭を串刺しみたいで怖いかも。



茅をもらって自分で茅の輪をつくることもできるんです。
新熊野神社地図
「エライ淡泊な説明やね」と言われそう。
実は今日のお写真、S画伯さんからいただきました。
いつもありがとうございます。



これは、昨日7月1日女房のお母さんにもらった上賀茂神社の茅の輪のお札。
お母さんは、上賀茂神社に行ったんだ。おかあはん、おおきに。
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葵祭の馬

2007年05月18日 06時07分47秒 | 行事


二日間記事では、馬が登場しませんでした。
で、今日は補足で馬をクローズアップ。
葵祭の行列には馬も36頭参加したんだそうです。
そんなに多かったのか。



最初に行列の露払いを勤める婦警さん。
カッコいいですね。



馬もみんないい毛並みでした。
目がやさしい。



でもフラッシュは厳禁なんだそうです。
突然牛さんや馬さんが暴走するという事故もあったかもね。







こういう女性が馬に乗るのははじめて見たような気がします。
ひょっとして珍しいのかも。

※おまけ/牛車の発進!
動画はこちらへ
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葵祭は雅の世界(後編)

2007年05月17日 05時04分33秒 | 行事


昨日の続き。
でも、斉王代行列は葵祭のメインではありません実は本来、葵祭の目的は行列ではなく、神前で祭文を読み上げ、供物や舞を奉納する「社頭の儀」だとされています。
つまり、斉王代行列は「社頭の儀」をとりおこなうまでの道中の儀というわけなのです。



葵祭は、今から約1400年前の欽明天皇(540~571年)の時代に、大凶作に見舞われ疫病がはやりました。天皇が占わせたところ、この災いは賀茂の神々の祟りであるというので、天皇が勅使を遣わし、祭礼を行ったのが葵祭の起源なんだそうです。



葵祭の名の由来は、祭りの当日に御所内裏の御簾をはじめ、牛車、勅使、行列の人々の冠や装束、牛馬など全てを葵の葉で飾ったことによっています。葵の葉を飾るのは一説では、上賀茂神社の祭神「別雷神(わけいかずち)」が生まれた御形山(みあれやま)に、双葉の葵が生じた話からきているといわれています。





もうひとつ「斎王代」ってなんやねんという疑問がわきませんか?
斎王とは、かつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王、女王のことなんです。
その斎王さんが直々に来る訳にもいかんので、その斎王さんの代行ということなんです。
※内親王(ないしんのう、うちのみこ)/は親王宣下をうけた女子の皇族。天皇の姉妹や皇太子の姉妹。



※今日のお菓子



鶴屋吉信「王朝花傘」
葵祭に因んだお菓子。上の写真の傘を表現してあるのか。納得。



こなしで、中身は、白こし餡。
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葵祭は雅の世界(前編)

2007年05月16日 06時03分33秒 | 行事






昨日5月15日、京都では「葵祭」がありました。
「葵祭」は、京の三大祭のひとつです。
知ったはりますか?
「葵祭(5月15日)」「祇園祭(7月17日)」「時代祭(10月22日)」です。
「京男祭」をいれると四大祭ということになりますね。





京都の街では、年間300を越す祭りがあるんやそうです。300を越す祭りがあっても、京の都の祭りといえば、かつては「葵祭」のことだったそうです。





「葵祭」というと5月15日の斎王代行列が有名ですよね。
葵祭は上賀茂神社と下鴨神社の祭礼で、「宮中の儀」「社頭の儀」と「路頭の儀」の三つで構成されています。(現在「宮中の儀」は省かれおり、残りの二つだけになっています)。
中でも「路頭の儀」、いわゆる斉王代行列にあたります。
テレビのニュースで放映されるのは斉王代行列なんです。
明日へ続く。

↓牛さんがかわいい。
動画はこちらへ
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菖蒲湯にはいりました?

2007年05月06日 04時58分41秒 | 行事


二、三日前に近所(といっても坂の下ですが)の花屋さんの店頭で
こんな紙がぶらさがっていました。



菖蒲湯(しょうぶゆ)か・・・いまでも銭湯などに行くと菖蒲湯になっている。
といっても最近は銭湯にいきませんが。
厄除けになるというのはわかりすが具体的になにか効能があるんだろうか。
そんな疑問がわいてきたので調べました。
菖蒲は多くの精油成分を含んでいるそうです。
精油成分というのは植物に含まれる芳香成分で、、おもに皮膚を刺激し、血行を促進させるんだそうです。
つまり菖蒲湯につかると血行促進の働きがある。他に鎮痛作用もある。
きっと腰痛や神経痛をやわらげてくれる。
漢方的にいうと菖蒲は健胃薬や打ち身の治療薬に使われるそうです。
この芳香成分も心の痛みも和らげてくれるんだろうな。
ちなみに双子の一人はこの香りはきらいと言った。



閑話休題。とりあえず両実家の分も含めて買ってみました。
もう服装が七分丈のパンツで上がTシャツ一枚。
真夏にどういう服装をしたらいいんやろね。



夜、こんな風にしてみました。
かすかに菖蒲の香りがします。
効果は、身体がとてもホカホカ。
しかも寝るまで温かかった。
菖蒲湯おそるべし。
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犬筥(いぬはこ)って知っていますか?

2007年03月11日 05時42分04秒 | 行事


これは市比賣神社 (いちひめじんじゃ)のお雛さまの時に、展示されていたものです。
犬筥(いぬはこ)というもの。
生まれてくる子どもの、安産とすこやかな成長を願い、産室に張子(はりこ)の犬をおく習慣が昔からあったそうです。
それでこの犬張子は、別名「御伽犬(おとぎいぬ)、宿直犬(とのいいぬ)」とも呼ばれ、もともと箱になっていて、その中に魔除けやお守りや化粧道具を入れたことから「犬筥」というんだそうです。
なんか「守るで~っ!」という感じがしますね。



市比賣神社は、女性の守護の神社。
由来によると次の通りです。引用させていただきます。
延暦14年(795)、藤原冬嗣が垣武天皇の命により、官営市場東市・西市の守護神として創建。中世には空也上人が神託により市屋道場を開創。一遍上人が境内で踊り念仏を遊行。天正19年(1591)に現在地へ移転。現在も京都中央市場の守護神。境内天之真名井の水は歴代天皇の産湯に用いられ、現在も名水として茶会等に用いられる。また、皇族・公家が生後50日目には五十日餅を授かり、今も旧家では当社より餅を頂きお食べ初め発祥の神社、母神が童神を抱いた御神像は、慈愛に満ちた大変珍しい姿で、平安時代、花山天皇の作 御所守護の為、本殿は北向き(御所向かい)歴代皇后の崇敬篤く、女人守護の神社で特に女性厄除けに御利益がある。
女性は、京都に来た時は行くといいかも。



これも不思議な人形でしょ。ちょっと怖い感じがする。ほんとは怖くないんです。
天児(あまがつ)は、幼児の枕辺におかれ、上巳の節句(じょうしのせっく)に使用され、幼子の病気や災厄をはらい、無事な成長を祈るものでした。
天児(あまがつ)は幼児の身近なところで、病気やけがれを移しかえる役目をしていました。
これが本来の上巳の節句の姿なんかも。



流し雛もそうですね。流し雛は、紙の人形(かたしろ)で身体をなでてその人の穢れを移して川に流す。いわゆる水に流すというやつですね。
とても呪術的な意味あいがあったんですね。



市比賣神社では、このようにお雛さまを展示されていました。
京都の飾り方は、段飾りをあまりしなかったようです。
床の間に軸をかけ、その前に男雛と女雛を飾るというものでした。
「右近の橘」「左近の桜」は、飾ります。
いたってシンプル。



シンプルだから有職(ゆうそく)人形をとなる。
有職人形は、分業でつくられる高級な人形。伝統的にその手や足、頭(顔)、髪結い、衣裳の仕立てなどそれぞれを専門に製作を受け持つ人形工芸師が分業している。
製作において人形は順番に人形工芸師の手によって組み立てられる。
そして、最終的に衣裳の着物を着付ける人形着付け師のもとで、完成まで仕上げられる。
一般によくいわれる、有職人形はこのような製作手順がとられている。
※今回の写真は、S画伯さんからのものです。いつもありがとう。
市比賣神社地図
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流し雛は雅

2007年03月09日 05時21分57秒 | 行事


これは、3月3日に下鴨神社で行われた「流し雛」。
さんだわらに乗せたひな人形を御手洗(みたらし)川に流し、子供たちの無病息災を祈る神事。
※さんだわら/お腹の贅肉が三段になっている様子。それは三段腹か。
失礼しました。カンニンエ~。
さんだわらとは稲わらで編んだ、米俵の両端の円いフタのこと。



本来の雛まつりは、穢れ(ケガレ)を雛に託して祓う大事な神事なんです。
いまは、雛段に飾って女の子のお祝いという感じになってしまった。
でも本来は子どもたち全部のおまつり。
本当は、紙の人形(かたしろ)で体を撫でて、それを川に流すことで穢れを祓った。



流し雛は、源氏物語の「須磨」にも出てくるほど歴史がある行事なんです。
その行事が宮中のひいな遊びへと発展し、雛祭りへと変化した。



この御手洗川って水が冷たいんです。
御手洗祭は、夏の土用の丑に行われる行事なんです。
川に入って歩くのが結構好き。
もちろん、後の団子もね。
今回の写真は、S画伯さんからの写真なんです。いつもありがとう!
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今年は豊作なんやろか?

2007年01月15日 05時00分56秒 | 行事

↑指を包むユガケ

先週の12日に伏見稲荷大社の奉射祭に行きました。
奉射祭は、いわゆる御弓始神事。年頭にあたり邪気が陰気を祓い陽気を迎える神事。
弓矢を放つと大きな音が鳴り響く。この音に理由があるようです。
弓の弦の音響と、飛んでいく矢の発する音ともに邪気や陰気を追い払う。的にささらないようになっているのも的に当たる音が目的なんですね。
禊(みそぎ)をして、本殿に向かい祭典をします。



それからお火焚をした神苑斎場に移動。
矢を射る神事が行われます。



的のまわりの綱は、大蛇に見立ててあるんだそうです。
的までの距離は13メートルぐらいかな。
足下は、土俵のように砂が固めてあります。



まず権宮司が神矢をもって天地四方を射ます。
この弓は梓弓(あずさゆみ、あづさゆみ)、神事で使うアズサの木でつくられた弓。
これで東西南北の四方と天と地に射ます。
地の時は失敗に見えたけど、あれでいいのです。
天と地の時は失敗に見えますが違う。あれでよかったのです。



さて神職2名が約13メートル離れた大的を射て、今年の五穀の豊凶を占う。
緊張の瞬間。


矢を射る



真ん中には当たりませんでした。4射して1射は外れ。
今年はどうなんやろ?
やらして欲しかったな・・・真ん中に当てたのに。
京男はこういうのが得意なんです。

終わりました。



京男の手形と



足型を奉納。
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鏡開き

2007年01月04日 05時25分41秒 | 行事


そういえば最近は、羽根つきもせんようになりましたな。
あれも立派な縁起ものなんですよ。
知ったはった?
あの羽根をつく音で邪気や邪鬼を追い払う大事なものなんです。
弓の弦を鳴らすとか、でんでん太鼓を鳴らすというと同じ。
密教系の坊さんが指を鳴らすというのも同じやね。
笑い声も邪気や邪鬼を追い払うそうです。
みなさん、お正月は大いに笑いましょう!



今日(4日)は、京都では鏡開きなんです。
他では、普通11日にやらはるそうです。
お酒の樽を開ける行事じゃないですよ。
お正月に歳神さんに供えた鏡餅を木づちで割って、おぜんざいやお雑煮にして食べます。
それでその家の一年の円満を願う行事なんです。
包丁で切るのは縁起が悪いので木づちで悪そうです。
実際は切っていましたが。京都は切ってもいいのかな。
武家社会じゃないし、刃物で切っても「切腹」は連想しいひんしね。
鏡餅って丸いお月さんや太陽をあらわしています。
だから大きいお餅と小さいお餅を重ねます。これで陰陽をあらわしています。
しかも丸い。これは「円満」ということ。
それを割るんじゃなくて「開く」んです。
「開く」のは縁起のよい言葉。
私の実家では4日からはすましのお雑煮だったな。
小さい時、白みそのお雑煮が苦手だったからホッとしたもんです。
いまは、両方楽しみますが。


↑真ん中の上が小さいお鏡さんは「星付きさん」といいます。
親亀の背に子亀がのったような格好、これは井戸、はばかり(お便所)、お風呂、走り(流し)用のお鏡さん。お灯明とともにお供えします。
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お節料理の三種って何かわかりますか?

2007年01月03日 05時36分37秒 | 行事
京都でもお節料理を手作りせんとデパ地下とか仕出屋さんで買うことが多なった。
しかもやっていることの意味をほとんど理解していない。
それが証拠に初詣でにみなさん行かれる。
変やね。本来は、歳神さんが家に来てくれはるのに。
その歳神さんを留守番しといてもろて、家の人はそよの神さんのところにお詣りにいかはる。
お節料理もそう。豪華なものをそろえる必要はないんですよ。



「数の子」「ごまめ(田作り)」「たたきごんぼ(たたき牛蒡)」の三種があればいいんです。
「数の子」は、子孫繁栄。
「ごまめ」は、まめに暮らせるよう。
「たたきごんぼ」は、地中にしっかり根をおろし、家庭の基礎を固める。
という意味を込めていただきます。
関東では、「たたきぼんぼ」のかわりに「黒豆」になりますね。
確かに黒豆の方が美味しいけど。


↑これは私が焼きました。結局はこういうのが受けるんです。

もし来年手作りでお節料理という時は、この三種を作らはったらよろしい。
「数の子」も自分で漬けた方が、色は悪いけど美味しいですよ。
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除夜の鐘

2007年01月01日 00時16分52秒 | 行事
↓私の住んでいるマンションのお向かいのお寺から除夜の鐘が聴こえてきます。
クリックすると画面は真っ暗ですが、音が聴こえてきます。
動画はこちらへ
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大祓とおけら詣り

2006年12月31日 17時34分25秒 | 行事


今日31日の午後3時から八坂神社で大祓(おおはらえ)が行われました。
これは神道の行事なんです。6月30日の夏越の祓(なごしのはらえ)と年末の年越の祓(としこしのはらえ)と年に二回あります。
知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢(けがれ)を祓い清めるための神事なんです。



これをしておかないと「お正月さん」という神さまがきてくれません。
昨年も書きましたが繰りかえして書いておきましょう。
年末のあいさつに「よいお年をお迎えください」と言いますね。
この「よい年」の「年」は、実は神さんなのを知ったはりますか?
大掃除をしたり、お餅を搗いたりするのは、神さまをお迎えするための掃除であり、お供えとしてのお餅なのです。



そして年越しの晩に「お正月さん」という神さまを迎えるのです。
「正月さん」はまたの名を「歳徳神」「歳神」「年徳」とも呼ばれる。
歳徳神の在する方位を恵方(えほう)、または明の方(あきのかた)という。
旧暦のお正月である節分にのり巻きをまるのまま食べる方角が「恵方」なのです。
(のり巻き云々は、きっとすし屋さんの宣伝で、昔はなかったと思います)


↑おけら詣りの灯籠

歳徳神は、女性の神さまだそうです。
牛頭天王の后で、八将神の母の頗梨采女(はりさいじょ)であるとか、
素戔嗚尊の妃・櫛稲田姫であるとも言われてます。
ちなみに八坂神社は素戔嗚尊と櫛稲田姫さんがお祀りしてあるのです。



閑話休題。
その恵方から年越しの晩に「歳徳神」がくるのです。本来、これは、旧暦の正月なのです。
これで節分の意味がなんとなくわかりますね。
この歳徳神の福徳を授かることによって年をちゃんと越し、
新年の一年のその家の繁栄を保証してもらうというのです。
つまり歳徳神、屋敷神や竃神(かまどがみ)、水神(すいじん)さんたちは、一年契約なのですよ!
契約の更新料はいらへんと思いますけど。
京都の大晦日の夜、祇園さん(八坂神社)で、午後7時からおけら火が授与されます。
このおけら火の火種にしてお雑煮をたくんです。
夜に供えて準備が整っていました。
「夜に行かへんのか?」と言われそうですね。
夜に外出するのは不良のすることやし、それに人混みアレルギーという重い病気があるのんですわ。


↑これは京都の祇園や西陣でみかける「根引松(ねびきのまつ)」。最近は少なくなりました。
竹を添えず、根をつけたままの若松を和紙(半紙や杉原紙)で必ず向かって右が上にくるようにして巻き包み、金赤の水引で真結びし、玄関の柱などに一対でつけます。
これは、神さまの依代(よりしろ)なんです。
「依代って何?」と聞かれそうね。
まあテレビのアンテナみたいなものかな。
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お正月の準備

2006年12月20日 05時29分47秒 | 行事




なんて大層なことを書いています。この間、北野天満宮に「大福梅」を授与してもらいに行った時、手に入れてものです。
これは「守護縄」。



車の前につけたり(最近すくのうなった)、玄関に飾ったり、額につけたり(それはないか)します。かわいい(失礼)ので手に入れました。



次にお屠蘇(とそ)。
お正月に飲むものとして、お屠蘇があります。お屠蘇はもともと屠蘇散という薬を浸したお酒のこと。この時のお酒は本来、味醂(みりん)で作ったものなんだそうです。
いわゆる「直」(なおし)、「柳蔭」(やなぎかげ)というやつです。
ただ、いま売っているのは調味料としての合成のものが多いですね。
本みりんやったら飲め
一年のはじめにこれを飲めば、一年の邪気を祓って、寿命を伸ばすんだそうです。
中身はティーパックになっているのが今風やね。



ただ京都のお正月では、お屠蘇より大福茶を飲む家庭が多い。
お屠蘇より「大福茶」の方が縁起のいい感じがするしね。
本来の「大福茶」は、三センチ角ほどの昆布と小さな梅干しが入ったものなんです。
結び昆布や干し梅ではないそうです。
そそぐのもお白湯ではなく、煎茶が京風。
京都は古くから煎茶が手に入ったからなんですって。
ならこの間もらった北野天満宮の「大福梅」ってあかんやんか・・・。
まあ、そんな固いこといわんときよし。
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なんやこれは?

2006年12月14日 07時11分27秒 | 行事


まあ読んでみてください。
口の中が酸っぱくなるかも。
なんか実感のないまま、師走も半分きてしもた。
体内リズムは旧暦状態ね。みなさんもそうじゃないですか。
13日は、祇園で「事始め」の行事が行われていました。お正月の準備をし始めるということなんですって。京都では、あまりクリスマスの感じはせえへんな。
やっぱり京都の街にはクリスマスは似合わないかも。
昔からの行事が多いし。



さて、先日13日に北野天満宮に大福梅をもらいに行きました。
雨が降りそうだったので朝にオープンカーで速攻でした。
家に帰ると雨が降り出し、ギリギリセーフ。



この大福梅は、由来書によると、
“正月元旦の朝早く祝儀として家毎に茶の中に梅干のを入れて飲む習慣によるものとして、この起源は、村上天皇の天暦5年(951)疫病流行し、天皇御脳にかかり給いしがこの茶を服し給えば御脳立所に平癒す(都名所図絵・雑談抄)。
これより王服と称して毎年元旦にこの茶を服し給い萬民これを倣い、年中の疫病邪気を除き長寿幸福を得るなりと云う。大福と書くのは吉字をあてたるなり。
俳句の季題に
「大服や一歳越の泊り釜」魚赤
とある。”
いつの時代もセレブのマネを庶民がするようになったんやね。



この梅は天満宮の梅園で咲いていた梅の実なんです。



それを夏の土用の炎天下(でもなかったけど)に干して、漬け込んだ梅なんです。



大福梅は、北野天満宮で採れた梅を梅干に加工したものなんです。



入っている葉っぱは「裏白」です。裏白は、山に普通に生えているシダ類です。
葉の裏が白いことから「裏白」と呼ばれています。
お正月の縁起物で、しめ飾りに付けたり、鏡餅の下敷きなどに使われます。

一般的に売っている大福茶には、裏白のかわりに結び昆布で代用しています。
これを正月の元旦の朝早く祝儀としてお茶の中に入れて飲むと
その年の疫病や邪気を祓い、長寿幸福を得るといういうものです。
京都では、昔から行われているのです。
来年は、元旦の朝早くにお試しになってはいかが?
小梅と小さな昆布があればできますよ。
不思議と気が引き締まります。
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