万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

テロと正当防衛の難しい問題-撲滅には平和解決の制度構築が必要

2023年11月15日 13時58分37秒 | 国際政治
 イスラエルによるガザ地区への攻撃が激化するにつれ、ハマスから奇襲テロ攻撃を受けたイスラエルに対する同情論は萎み、今では、同国に対する批判の声のほうが高まっています。世論の変調に焦りを感じたのか、イスラエルのコーヘン外相は、イスラエルとハマスの両者を等しく批判した国連のグテーレス事務総長の資質を問うに及んでいます。テロ、とりわけ非戦闘員や民間人の無差別殺人は当然に許されるはずもなく、糾弾されて当然なのですが、その一方で、正当防衛権の文脈からしますと、なかなか難しい問題が含まれているように思えます。

 戦争とは、人類社会における集団、特に国家間の、他方に対する一方的な要求を含めた紛争や対立に際しての、力を手段とする解決方法の一つです。力に勝る側が、相手方を自らの意思を受け入れざるを得ない状況に至らしめることで、勝利を手にするのが戦争の常です。究極的には、相手方の存在、すなわち生命をも奪い取るのですから、この残虐性が、戦争が多くの人々から忌み嫌われてきた理由でもあります。

 力による解決は、かつては国家間のみならず、国内の個人や集団間でも用いられてきました。決闘や果たし合いなどが一般的な解決方法として定着していた時代や地域もあり、この方法が犯罪や違法行為として咎められることもありませんでした。個々人の身体能力に然程の差がない場合や、刀剣や刀と言った武器にあっても歴然とした性能の差がない場合には、対等の立場で闘うことができます。このため、力による残虐性の抑制は、騎士道や武士道といった双方が遵守すべき闘いのマナーの発展という形態をとることとなったのです。今日の国際法上の戦争法も、同文脈から理解することができます。

 しかしながら、国内にあっては、各自の権利を保護する司法制度が整うにつれ、力による解決は非合法的な行為とされるようになります。その理由は、‘力は正義ではない’からです。いわば、‘強者必勝’なのですから、強者が自らの野心や強欲に駆られて他者から暴力で命を奪ったり、身体を傷つけたり、物を奪おうとも、その結果は許容されてしまうのです。そこで、国内にあっては、立法制度や司法制度等の発展と整備により、合意や法による解決へと移行し、力の行使は、正当防衛のみに限定されることとなりました。強き者も弱き者も、等しくその権利が護られるようになったのです。その一方で、国際社会にあっては、今日、国家レベルと同様に力の行使は正当防衛に限定されつつも、国際法並びに司法制度が未整備である故に、いざ、戦争ともなれば、‘強者必勝’の理に従わざるを得なくなるのです

 今日の国際社会にあっても‘強者必勝’が原則であれば、軍事力の差は勝敗を予め決定することになります。近代以前の時代とは違って、規模のみならずテクノロジーのレベルが優位性の決定的要因となる今日では、国家間の軍事差は開くばかりです。しかも、現時点にあって最大の破壊力を有する核兵器も、NPT体制の下で軍事大国及び同体制に加わらない諸国によって独占されています。中小国が軍事大国に対して勝利を望むのは不可能に近く、極論を言えば、戦争の勝敗は、核兵器保有国による開戦と同時に発射された一発の核爆弾の投下で一瞬にして終了しかねないのです。

 現代の国際社会における軍事力格差の拡大を考慮すれば、イスラエルとパレスチナ国との紛争は、前者が軍事大国、かつ、核兵器のみならず最先端のIT兵器をも保有する国である点を考慮しますと、真っ当な国家同士の戦争ともなれば、勝敗は誰の目に見えています。つまり、パレスチナ側は、イスラエルによって違法に国土を占領され、‘侵略’されようとも、手も足も出ない状況下に置かれているのです。戦争とは強者必勝なのですから。国連も動かず、今日のパレスチナ国の法的な国境線は、イスラエルに侵食されたままに放置せざるを得ないのが現状なのです。

 弱小国による正当防衛権の行使が始まる前から敗北を運命付けられているとすれば、国際社会とは、弱肉強食の世界と言うことになりましょう。そして、イスラエルのテロ批判は、双方が対等な関係においてこそ成り立った中世の騎士道や武士道、即ち、戦争法を持ち出して、マナー違反を咎めているに等しいとも言えましょう(ガザ地区に対する攻撃に際しては自らも戦争法に違反しているので、なおさら悪質・・・)。軍事力に歴然とした差がある場合、国連憲章第51条で認められている個別的自衛権、さらには集団的自衛権さえも無意味となりましょう。テロ以外に他に自らの正当な権利を護る手段がない状況こそが、テロリストや過激派組織が横行してしまう根本的な原因なのです。

 このことは、イスラエルを始め国際社会は、テロに替わる解決の手段やチャンスをパレスチナ国に対して提供すべきことを意味します。国内にあっては、弱者であってもその権利は様々な法や制度によって保障されていますし、救済手段も用意されています。しかしながら、国際社会は同状態には至っておらず、弱小国の権利が護られる体制の構築こそ、あらゆる国際的な紛争の究極的な解決手段ともなりましょう(この点、NPT体制は、軍事力の格差を固定化してしまう・・・)。ハマスについては、偽旗組織である可能性が高いのですが、テロについては、あらゆるケースを一緒くたにして批判するよりも、軍事力に劣る国が正当防衛権を行使できない現状こそ直視すべきではないかと思うのです。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イスラエルに見るNPT体制のパ... | トップ | ハマスの奇襲攻撃は陰謀なの... »
最新の画像もっと見る

国際政治」カテゴリの最新記事