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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

戦争は不公平-イスラエルの過剰防衛問題

2023年11月21日 12時46分18秒 | 国際政治
 「目には目を、歯には歯を」というハンムラビ法典の条文は、同害報復を定めた古代法典の一文として知られています(ハンムラビ王の在位は紀元前1792年から1750年)。同法典は、古代バビロニア王国の奴隷制度が反影されているため、‘同等の者’同士の間という時代的な制約はあるものの、罪と罰との間の公平性、即ち、刑法の基本原則を、法文をもって定めたことにおいて歴史的な一文と言えましょう。もっとも、罪と罰との公平性については、人類の大半が有する一般的なバランス感覚に基づいており、ハンムラビ法典は、同普遍的な感覚を法文として表現したところにその画期性があったのかもしれません。

 何れにしましても、罪と罰、あるいは、加害行為とそれに対する償いは釣り合うべきとする原則に対して反対する人は、殆ど存在しないことでしょう。何故ならば、同均衡が崩れたり、被害者と加害者のどちらかに向けた偏りが生じますと、何れにしても、事件や争いが円満な解決に至らないからです。ハムラビ法典に喩えてみれば、目や歯を奪われたのに、加害者側の償いが銅貨1枚であれば、被害者はその罰の軽さに憤慨することでしょう。反対に、目や歯を奪った被害者に対して、加害者は、その罪の償いに己の命を差し出さなければならないとすれば、今度は、加害者側が納得しないことでしょう。罪と罰は均衡してこそ、社会の平和は保たれるということになります。どちらであれ、不均衡パターンでは、憎悪や復讐の連鎖が止まらなくなるかもしれないのですから。古今東西を問わず、復讐という行為は、罪と罰との間の不均衡に起因する理不尽さが認められる場合のみ、多くの人々の共感を読んできたのでしょう。

 かくして、古代にあっても罪と罰との均衡は社会の安寧を保つ原則として認識されていたのですが、古代バビロニア王国から凡そ4000年という年月を経た今日にあって、罪と罰の間の均衡原則が及んでいない、あるいは無視されている領域があります。それは、戦争です。戦場とは、対峙する兵士達が自分が死ぬか相手を殺すかの、究極の二者択一を迫られる場でもあります。おそらく、命の取り合いに関する双方の‘合意’は、解決手段を力に頼ってきた古代中世の時代においてこそ、許容されたのでしょう。双方共が同程度の力を有する場合、その原因が何であれ、剣に優れた方が相手の倒すことによる解決もあり得たのです。この場合、‘力は正義なり’とされ、道徳・倫理における正当性は看過され、罪の意識さえありません(強欲で利己的な加害者側が勝利者となることも当然にあり得る・・・)。戦争が合法的な行為であった時代には、究極的には相手の存在を抹殺することさえ許されたのです。

 ところが、戦争が違法化された今日にあっても、戦争における攻撃の無制限性だけは変わっていません。否、20世紀にいたり、戦争が国際法において犯罪と位置づけられたことにより、被害者側の無制限報復の許容という問題も持ち上がることにもなったのです。つまり、時代が力による解決を容認していた戦争の合法時代から違法時代へと転換したにも拘わらず、古来の戦争における攻撃の無制限性が、無制限報復の許容という形で残ってしまったのです。近代以降、騎士道あるいは武士道的なマナーとして戦争法や人道法が制定されてはいても、相手国を屈服させるまで戦争を継続しても良いとする原則が、司法上の同害報復の原則、あるいは、罪罰均衡の原則に反するにも拘わらず・・・。

 国際社会にあって法の支配の確立を目指すのであれば、司法に適した方向に原則の転換を図り、先ずもって戦争にも罪と罰との均衡を基本原則とすべきであったと言えましょう。第二次世界大戦に際しては、日本国によるハワイの真珠湾の一軍港に対する攻撃は、日本国の国土の焦土化を招きましたし、今日、イスラエルは、ハマスによる奇襲攻撃を口実としてパレスチナのガザ地区に対して殲滅作戦を遂行しています。因みに、ポツダム宣言は、「右以外の日本国の選択は、迅速且完全なる壊滅あるのみとす。」の一文で締めくくられています。

被害者側による無制限報復が許されている現状は、被害側となるための偽旗作戦、挑発、内部工作などへの強い誘因ともなりましょう。戦争において無制限の報復が許されている現状を変えない限り、戦争は凄惨なる虐殺と国土の徹底的な破壊ともなりかねず、攻撃による被害に対しては、少なくとも同害報復に留めるべきです。あるいは、それが正当防衛としての自衛権の発動であったとしても、実力行使としての報復ではなく、金銭等による賠償、あるいは、法的権利あるいは原状の回復という平和的な手段に切り替えるべきなのではないでしょうか。

 因みに、ハムラビ法典の第1条は、殺人罪で誣告した者の死刑を定めています。この条文は、殺人が死刑であった点を踏まえているのですが、被害の捏造や偽旗作戦は、この意味においても罪深いと言わざるを得ません。虚偽の供述によって自らを被害者の立場にできれば、加害者に仕立てた他者を死に至らしめることができるのですから。

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