年頭の談話において、中国の習近平国家主席が台湾を併呑すべく武力行使をも辞さぬ意欲を示したことで、目下、台湾海峡は、波静かながら軍事的な緊張状態にあります。台湾について、中国は‘昔から中国大陸の不可分の領土’と主張し、争う余地のない‘固有の領土’と見なしています。台湾は、海峡を隔てて中国の隣に位置していますので、この主張を鵜呑みにする人も多いのですが、歴史を辿りますと、台湾が中国の固有の領土ではないことは明白です。
国際社会では、一国のみの主観的な主張のみに基づいて領有権が認められることはありません。領有の正当性が法的に認められるには客観的な証拠が必要なのですが、台湾の歴史は、逆に、同島が中国の領土に含まれていなかったことを示しています。そして、この領土外である証拠を握っているのは、日本国、並びに、オランダなのではないかと思うのです。
最近、永積昭氏の『オランダ東インド会社』(講談社、2000年)を読み返して気が付いたのですが、同書には、16世紀から17世紀にかけての台湾をめぐる日本国とオランダの興味深い動きが記されています。‘タイワン’は先住民がつけた呼称であることに加えて(中国由来ではない…)、特に注目すべきは、オランダが台湾を拠点として領有するに至る経緯です。
まず、「…一六二二年に司令官コルネリス・レイエルセンの率いる艦隊がマカオを攻撃したが、成功しなかった。そこでかねてから目をつけていた台湾島西方の澎湖島に行き、ここで要塞を築いたが、中国の福州の当局はこれを中国の領土として譲らなかったため…(一一八頁)」とあります。この一文から、中国が自国領として認識していたのは、澎湖諸島までであったことが分かります(その澎湖島も元の時代に巡検司が置かれたが、明時代の1388年には廃止されている…)。次いで、1624年に同要塞を引き上げて台湾西岸の安平地方に移ったとする記述が続き、「なるほど、澎湖島とは事情が違うので、中国もゼーランディアの要塞構築には文句は言わなかったが…(一一九頁)」とあり、台湾本島については、中国が領有権を主張していなかった事実を記しているのです。
上記の記述はオランダで保存・管理されている東インド会社関連の史料(植民地文書)に基づくのでしょうが、明の時代における中国の領土意識を窺うことができます。また、当時、日本人商人が活発に朱印貿易を行っていた日本国と、中国船から生糸等を買い付ける出会い貿易の場であった台湾との間には、独自の関係を見出すことができます。1593年には、豊臣秀吉が台湾の高砂族の国である「高山国」の朝貢を求めていますし、幻に終わったものの、1627年にはゼーランティアにおいてオランダ側の非協力的な態度に憤慨した日本商人が、あまり誉められた計画ではないものの、日本国に連れ帰った高砂族の16人に将軍の御前で「台湾全島を日本に差し上げる」と言わせる計画もあったそうです(一二〇~一二一頁)。なお、高砂族や「高山国」の実態については詳細な調査・研究を要しましょうが、少なくとも、台湾の先住民はマレー・ポリネシア系であり漢民族ではないのです。
何れにいたしましても、日蘭両国は、証拠を以って歴史的に台湾が‘中国大陸の不可分の領土’ではなかったことを証明することができます。中国は、‘一国二制度’と言う甘言を以って平和裏に台湾を併合するシナリオをも温めているようですが、同制度の行方は民主主義が消滅の危機に瀕する香港の現状を見れば明らかです。中国には、台湾領有の正当な根拠に欠けているのですから、如何なる手段であれ中国が台湾併合を実行に移そうとする際には、日蘭を含む国際社会は、正当性の欠如を根拠としてその企てを阻止すべきではないかと思うのです。
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国際社会では、一国のみの主観的な主張のみに基づいて領有権が認められることはありません。領有の正当性が法的に認められるには客観的な証拠が必要なのですが、台湾の歴史は、逆に、同島が中国の領土に含まれていなかったことを示しています。そして、この領土外である証拠を握っているのは、日本国、並びに、オランダなのではないかと思うのです。
最近、永積昭氏の『オランダ東インド会社』(講談社、2000年)を読み返して気が付いたのですが、同書には、16世紀から17世紀にかけての台湾をめぐる日本国とオランダの興味深い動きが記されています。‘タイワン’は先住民がつけた呼称であることに加えて(中国由来ではない…)、特に注目すべきは、オランダが台湾を拠点として領有するに至る経緯です。
まず、「…一六二二年に司令官コルネリス・レイエルセンの率いる艦隊がマカオを攻撃したが、成功しなかった。そこでかねてから目をつけていた台湾島西方の澎湖島に行き、ここで要塞を築いたが、中国の福州の当局はこれを中国の領土として譲らなかったため…(一一八頁)」とあります。この一文から、中国が自国領として認識していたのは、澎湖諸島までであったことが分かります(その澎湖島も元の時代に巡検司が置かれたが、明時代の1388年には廃止されている…)。次いで、1624年に同要塞を引き上げて台湾西岸の安平地方に移ったとする記述が続き、「なるほど、澎湖島とは事情が違うので、中国もゼーランディアの要塞構築には文句は言わなかったが…(一一九頁)」とあり、台湾本島については、中国が領有権を主張していなかった事実を記しているのです。
上記の記述はオランダで保存・管理されている東インド会社関連の史料(植民地文書)に基づくのでしょうが、明の時代における中国の領土意識を窺うことができます。また、当時、日本人商人が活発に朱印貿易を行っていた日本国と、中国船から生糸等を買い付ける出会い貿易の場であった台湾との間には、独自の関係を見出すことができます。1593年には、豊臣秀吉が台湾の高砂族の国である「高山国」の朝貢を求めていますし、幻に終わったものの、1627年にはゼーランティアにおいてオランダ側の非協力的な態度に憤慨した日本商人が、あまり誉められた計画ではないものの、日本国に連れ帰った高砂族の16人に将軍の御前で「台湾全島を日本に差し上げる」と言わせる計画もあったそうです(一二〇~一二一頁)。なお、高砂族や「高山国」の実態については詳細な調査・研究を要しましょうが、少なくとも、台湾の先住民はマレー・ポリネシア系であり漢民族ではないのです。
何れにいたしましても、日蘭両国は、証拠を以って歴史的に台湾が‘中国大陸の不可分の領土’ではなかったことを証明することができます。中国は、‘一国二制度’と言う甘言を以って平和裏に台湾を併合するシナリオをも温めているようですが、同制度の行方は民主主義が消滅の危機に瀕する香港の現状を見れば明らかです。中国には、台湾領有の正当な根拠に欠けているのですから、如何なる手段であれ中国が台湾併合を実行に移そうとする際には、日蘭を含む国際社会は、正当性の欠如を根拠としてその企てを阻止すべきではないかと思うのです。
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