万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘宗教戦士’の問題-イエズス会とイスラム教

2019年03月06日 14時02分43秒 | 国際政治
イスラム教とは、実に不可解な宗教のように思えます。世界三大宗教の一つに数えられる普遍宗教ではありながら、その誕生は7世紀に過ぎません(イスラム元年は622年)。イメージとしては、時系列に従えば、ユダヤ教、キリスト教、最後にイスラム教となりますので、この三つの宗教は一直線上に描かれるのですが、キリスト教とイスラム教の間には、天と地ほどの開きがあり、同系列の宗教と見なすことは困難です。

 例えば、共に教祖の立場にあるイエス・キリストとマホメットを比較しましても、両者の人物像は凡そ対照的です。例えば、前者は神の子として誕生し、生涯に亘って妻帯せず、奇蹟や神秘に包まれた人でしたが、後者の一生を見ますと、孤児として恵まれない境遇にありながら、裕福な女性の配偶者となることで商人として成功した俗人です。しかも、後には一夫多妻制の下で幼な妻を娶っており、この事が、マホメットの死後にイスラム教団が分裂する要因ともなりましたし、『コーラン』が定める宗教的戒律にも影響を与えています。

 さらに、両者の教義や‘神の言葉’の信者への伝達の仕方を比べましても、両者の間には大きな違いが見られます。イエス・キリストは、人々の道徳心に働きかけて自然に‘重要な何かに気が付く’ように語りかけており、この点は、仏教の祖とされるゴーダマ・シッタルダとも共通しています。その一方で、『コーラン』の語り口、‘お前たちは…をせよ’といった具合に命令調なのです。そして、前者は、信者に解き難い悩みを提起しつつ、‘汝の敵を愛せ’と説いて人類愛や隣人愛を示すのですが、後者は、他の経典の民や多神教徒を敵視し、棄教であれ、抹殺であれ、その根絶さえ奨励しているのです。同教義に従えば、イスラム教を拡げるための軍隊組織も許されるのであり、かくして宗教戦士たちは片手に『コーラン』をもう片手に剣を以って周辺地域を制圧し、広大なるイスラム帝国を築いたのです。

 宗教組織における戦士達は、封建制度を基礎とする騎士や武士とは全く違った役割と性質を帯びることとなります。騎士や武士の基本的な役割は、自らの領地や領民を護ることにあり、これらが危機に晒される時には、自らの命を賭して外敵と戦う義務がありました。封建契約に基づく主君への忠誠心も、あくまでも領地や領民保護のための集団的な安全の保障にあり、領民もまた、自らの保護者として領主に特別の地位を認めていたのです。一方、イスラムの宗教戦士の役割とは、‘神’、否、教団の命に従って異教徒と戦い、支配地域を拡大することにあります。このため、一般の人々との関係は希薄であり、領民保護義務を負っているわけではありません。領地や領民を介した具体的な権利・義務関係がないのですから、誰もが‘イスラム戦士’となり得たのです(一夫多妻制は、若年男子の戦士化には好都合でもあった…)。

 以上に簡単にキリスト教とイスラム教を比較してきましたが、両者の相違を考えますと、キリスト教を発展的に継承する形でイスラム教が誕生したのではなく、両者は、全くの別系統として理解することができます。『コーラン』においてマホメットが‘一夜昇天’によってイエルサレム神殿の神の御前に赴いたと記すように、イスラム教とは、ユダヤ教との関係の方がより強く、両者間の共通点も多いのです。神からの命令という語り口も、『コーラン』の方が遥かに饒舌でありながらも、『旧約聖書』の「モーゼの十戒」を髣髴させますし、自らの信奉する神を絶対視し、それへの無条件の奉仕を求める点も共通するのです。もっとも、ユダヤ教の場合には、ユダヤ12部族としてのその設立当初はともかくとして、イスラム教に匹敵するような宗教戦士は存在しておらず、ユダヤ教が、支配のために詐術的な手法を採る傾向にあるのは、ユダヤ人の人口規模からして圧倒的な武力を持つことがなかったためかもしれません。

 かくして、ユダヤ教から派生し、かつ、軍事力とも結びついた極めて強力な宗教勢力としてのイスラム教の姿が浮かび上がってくるのですが、ここに、キリスト教がこうした宗教戦士の考え方と無縁であったのか、というもう別の問題も提起されてきます。キリスト教が絶対的な平和主義勢力ではなかったことは、11世紀に始まる十字軍の遠征を見れば明らかなのですが、同遠征には、ヴェネチアやジェノバといったイタリアの商業都市の利益が関連していたことはよく知られています。これらの諸都市とユダヤ商人やイスラム商人との関係については今後の研究が俟たれるところですが、歴史において、キリスト教徒が戦士化するもう一つの切っ掛けがあります。それは、16世紀の宗教改革・戦争を背景にしたイエズス会の誕生です。

 イエズス会の結成の経緯を見ますと、そこには、ユダヤ教やイスラム教からの強い影響を窺うことができます。創始者であるイグナチウス・ロヨラはユダヤ系バスク人とされ、レコンキスタ以前にあってイスラムの支配下にあったイベリア半島の出身です。この地では、後に激しいユダヤ教排斥運動が起こり、その多くは棄教したりオランダ等の西方に移住しつつも、イスラム教徒のみならずユダヤ教徒が多く居住していた地域でもありました。キリスト教国の支配下に入った後も、その影響は長く人々の生活習慣や宗教心のあり方に残されたと考えられ、軍隊組織に擬えられるイエズス会の戦闘的な性格も、イスラム教由来であるとすれば理解に難くはありません。そして、幾度となく各国から追放され、あるいは、法王から破門されながらもイエズス会がカトリックにおいてしぶとく生き残り、その勢力を伸ばし、終に中心的な組織になった時、カトリックは換骨奪胎され、‘別物’になってしまったのかもしれないのです。
 
 そして、このユダヤ・イスラム連合による詐術的な換骨奪胎の手法は、今日にあってもキリスト教のみならずあらゆる領域において試みられており、鎧を脱いだ‘宗教戦士’達があちらこちらでこの目的のために活動しているようにも思えます(今日では、宗教的な布教や支配地域の拡大のみならず、大航海時代以降の世界大での貿易拡大により、経済的利益の独占も目的なのかもしれない…)。日本国もまた例外ではなく、危機を免れるためには、教科書が教える世界史、並びに、イスラエル建国を機としたユダヤ対イスラムの対立構図からも一旦離れ、その水面下で繰り広げられてきた特定の組織による‘世界支配’の問題にも踏み込むような、斬新なる視点が必要なのではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。

にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする