万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

日独伊三国同盟の不思議-第二次世界大戦とは何であったのか

2018年09月01日 15時42分59秒 | 国際政治
 第二次世界大戦の終結から70余年が過ぎ、今日、少しばかり離れた視点から同大戦を客観的に見直す機運が生まれてきております。真珠湾攻撃を機とした日本国の参戦につきましても、ステレオタイプの見方に対する疑問も提起されております。

 中国を筆頭とした共産主義国やその思想的影響下にある左派知識人からは、‘修正主義’との批判も受けるのですが、事実に即して歴史を見直すことは、人の自然な知的活動として間違っているとは思えません。否、‘修正主義’の反対語が、事実を無視し、如何なる修正をも絶対に許さない傲慢な‘無誤謬主義’であるならば、‘無誤謬主義’の方が、余程、反知性的であり、硬直した精神の檻に囚われております。

 お話を本筋に戻しますと、第二次世界大戦における日本国の参戦に関して、近年、極めて蓋然性が高い説として浮上しているのが、イギリスによる救国を目的とした工作説です。当時、ナチス・ドイツ軍の攻勢を受けて絶体絶命の危機にあったイギリスは、アメリカの参戦を誰よりも望んでおりました。ところが、アメリカ国内の世論は参戦反対一色であったため、この世論を逆方向に強引に変えるために、自国の国際ネットワークを介してイギリスが、日本国の真珠湾攻撃を誘導したと云うものです。イギリス誘導説には、状況証拠からすれば説得力があるのですが、日本国の参戦に際して、もう一つ、注目しておくべき点があるとすれば、それは、日独伊三国同盟の締結です。何故ならば、軍事戦略的な観点からすれば、その必然性は乏しいからです。

 時系列に簡単に整理すれば、…

1936年11月6日 日独防共協定の締結
1937年11月6日 日独伊三国防共協定の成立
1939年8月23日 独ソ不可侵条約締結
1939年9月1日 独ソのポーランド侵攻による第二次世界大戦の開戦
1940年9月27日 日独伊三国同盟の成立
1941年4月25日 日ソ中立条約の発効
1941年6月22日 ドイツによる対ソ攻撃開始

となります。軍事戦略の基本からすれば、日独伊の三国で軍事同盟を結ぶに際し、最も高い効果の発揮が期待できるのは、三国による包囲戦が可能となる場合です。乃ち、上に列挙した軍事同盟では、共産主義国であったソ連邦を東西の両面から挟み撃ちにできる日独防共協定、並びに、日独伊防共協定の成立がこのパターンに当たります。となりますと、1939年における独ソ不可侵条約の締結は、ナチス・ドイツが、他の同盟国に対して何らの相談も同意もなく、一方的に‘仮想敵国’を変更したことを意味します。同条約の締結の報に接し、平沼内閣が‘欧州の天地は複雑怪奇’という言葉を残して総辞職をしておりますので、日本国にとりましては青天の霹靂であったのです。

 その後、ソ連邦と手を結んだナチス・ドイツは、即、ポーランド侵攻を開始し、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされるのですが、その後のヒトラーの判断と行動は不可解です。独ソ不可侵条約の締結に際して、ヒトラーは、ソ連邦との協力関係は仮初に過ぎず、時が来れば東方へと支配圏を拡大すべく、ソ連邦との開戦を構想していたとされます。実際にヒトラーはその通りに動いたのですが、この説が正しければ、同時期、共同してアメリカに対抗するために日独伊三国同盟を結成し、さらに、日独伊にソ連邦を加えた四国軍事同盟の結成に向け、日ソ中立条約を締結した日本国は、全く以って同盟国であるドイツの意向を知らなかった、あるいは、知らされていなかったことになります。かくして、ソ連邦挟撃作戦を展開することもなく、また、日独伊が軍事力を融通し合うこともなく(ただし、独伊間にはヨーロッパ戦線で軍事協力があった…)、日独伊三国同盟は、日米開戦がドイツの対米宣戦布告の口実とされたのみで、終戦の日を迎えます。しかも、ドイツが独ソ不可侵条約を破棄したにも拘わらず、日本国は、誠実に日ソ中立条約を最後まで遵守し続けたのです(ナチス・ドイツ側からの日本国に対する破棄要請もない…)。

 日独伊三国防共協定から日独伊三国同盟条約への移行は、最も重要となる共通の仮想敵国が、ソ連邦からアメリカに変更されていますので、直線上にあるように見えながら同一線上に位置づけることは困難です。日独伊三国同盟の成立において最も利益を受けた国がソ連邦であったことを考慮しますと、真珠湾攻撃においてはイギリスによる裏工作があったにせよ、コミンテルンを始めとした国際ネットワークを擁していたソ連邦、あるいは、その背後に控えていた国際勢力が、ソ連邦を連合国の一員に加える共に、枢軸国諸国を敵陣営へと巧妙に導いたとする説もあり得るシナリオです。

歴史の表舞台に現れていないこの間の、様々な国家や国際組織が入り乱れた陣営形成の経緯にこそ、第二次世界大戦の闇を払い、その実像を明らかにする鍵が隠されているのかもしれません。そして、今日なおも、情報収集の不足と水面下をも含む国際情勢の分析の不正確さが国家、並びに、国民の命運を左右することを、第二次世界大戦は、歴史の教訓として残しているように思えるのです。

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4 コメント

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説得力抜群でぜひ拡散をお願い申し上げます。 (ベッラ)
2018-09-01 17:50:54
拝読してすべて納得しました。
私のツイッターやフェイスブックにこのままリンクで転載させていただきました。
あの頃のことは声楽家である私は音楽の背景として考えなければならないことで、勉強になります。
ありがとうございます。
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ベッラさま (kuranishi masako)
2018-09-01 19:12:19
 コメント、並びに、本記事をご転載くださいまして、ありがとうございました。第二次世界大戦につきましては、第三次世界大戦を防ぐために、思考停止に陥らずに、事実を探求し、その経緯を検証してゆく必要がるのではないかと考えております。
返信する
在日カルト創価学会統一教会撲滅祈願 (宮内庁皇室浄化大作戦)
2018-09-01 20:25:49
高橋五郎さんの天皇の金塊という本に書いてあったのですが、日本はドイツ軍に追われたヨーロッパの国々の財宝がアジアの植民地に移されたのを、日本軍が集めてフィリピンの各地に隠した財宝を、戦後アメリカとイギリスが多くを分けあって、日本も戦後復興にその資金が使われたそうですが、もし戦争に勝っていたらその金銀財宝は日独伊の三国で分けあっていたのかもしれないと思うと、何から何まで世界は腹黒いと思います。

そして多くをアメリカとイギリスが分けあったと言うことは、この戦争にはロックとロスチャの黒幕説を感じます。
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宮内庁皇室浄化大作戦さま (kuranishi masako)
2018-09-01 21:43:38
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 私たちが教科書で習ってまいりました歴史とは、表面に現れて部分、あるいは、表向きの’シナリオ’のみであり、事実としての歴史は、別のところにあるように思えます。国民の多くは、これまで、殆ど考えもみなかったことなのでしょうが、今後、これまで隠されてきた情報が明るみに出ることで、通説が覆されることもありましょう。今日、日本国民のみならず、全世界の人々が、真の歴史を直視する勇気と覚悟が求められているような気がいたします。
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