万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

世界権力による家族破壊計画の動機

2024年08月02日 11時55分56秒 | 国際政治
 今日では、婚姻を基礎として家庭を持つことは全くの個人の自由であり、何らの制約もないものと思われています。しかしながら、人類史を振り返りますと、奴隷には婚姻の自由も権利も殆どなく、奴隷ではなくとも、一定の要件を満たさなければ法的な婚姻は許可されない時代もあったのです。かのオーストリアの作曲家、フランツ・シューベルトも、当時法律で定められていた経済力の要件を欠いたため、結婚を諦めざるを得ませんでした。言い換えますと、現代にあって当然と見なされている自由や権利であっても、それらは、時代状況が変われば失われる可能性があることを示しています。とくに時代が逆戻りすれば。世界権力が声高に叫ぶ‘進歩’の先に‘野蛮’があることは、そのメビウス輪作戦から容易に推測できるのですが、家族の破壊は、様々な意味において人類支配には好都合なのでしょう。

 第一に、家族が消滅すれば、政府は、個々人を直接に自らの支配下に置くことができます。北朝鮮といった全体主義国家では、まさにこれを実践しています。また、自由主義国にあっても、IoTを用いた家電製品が人々から警戒されるのも、これらを介して家庭内の情報が外部に流出するリスクがあるからです(デジタル全体主義によるプライバシーの侵害・・・)。この点、スマホの普及も、一世帯一台を原則とする固定電話に基づく家族単位から、一人一台の個人単位への移行を示しているとも言えましょう。

 第一と関連して第二に、家族の消滅と共に、外界から個々人を保護し、プライベートな空間を確保し得る保護機能も失われます。個々人は、政治、経済、社会等の分野で起きるあらゆる問題に対して個人として対峙・対処せねばならず、仮に支援を必要とする場合には、公的制度や機関に頼らざるを得なくなるのです。子供達も、学校で虐めに遭うようなことがあっても、逃げ場がなくなります。この側面についても、社会・共産主義国家では既に実験済みです。依存と支配は表裏の関係にありますので、世界権力による人類支配とは、人類による全面的な世界権力への依存をも意味するのです。言い換えますと、世界権力のさじ加減や恣意的な感情によって、貧困や死に追いやられる人々も出現してしまうことでもあるのです。この点、デジタル技術が国民管理・統制手段として公共システムに全面的に導入にも注意が必要です。一人としてその支配から逃れることができなくなるのですから(因みに、国連主導のSDGsは、‘誰一人も取り残さない’を標語とし、日本国政府も誰一人取り残さない社会‘’の実現を目指している・・・)。
 
 そして、第三点としてあげられるのは、家庭の幸せというものが失われることです。家庭の幸せの根源には家族愛、しかも見返りを求めない無償の愛があります。家庭とは、愛情に関してはかけがえのない存在なのです。考えてもみますと、無条件で無償の愛を注いでくれる存在は、神様を除いて家族の他には簡単には見つかりません。もちろん、家庭内暴力や児童虐待、ネグレクトと言った痛ましい事件は起きますし、毒親と呼ばれるような自己中心的な親なども見受けられますが、一般的傾向としては、時には自らを犠牲にしてまで他者を守ろうとする行動は、家族愛から発せられるケースが圧倒的に多いのです。しばしば、神は愛であって、悪魔は憎しみであるとされますが、世界権力がサタニックな存在として見なされるのも、人類相互の家族愛を憎んでいるからなのでしょう。

 世界権力の心理を分析しますと、その攻撃的で破壊的な行動を引き起こす主たる要因は、自らの愛情不足にあるのかもしれません。世界権力を構成する富裕層の多くが信じるユダヤ教の神は、キリスト教や仏教における博愛的で慈しみに満ちた人類を愛する神や仏ではなく、ユダヤ人に試練を課すような厳しい存在です。家族の関係も、イスラム教徒同様に多産志向は強くても、そこに家族愛が宿っているかは疑わしいところです。つまり、愛の対象は他者ではなく自己愛が強く、欲望はあってもそもそも愛という感情さえ持ち合わせていないのかも知れないのです(自己愛とも言える金銭欲や支配欲のみが暴走・・・)。しかも、これらの人々が十戒を護るような敬虔なユダヤ教とであるとも言いがたく、むしろ無神論者あるいは唯物主義者と表現した方が実像に近いかも知れません(拝金主義にして、神は否定してもモロクの神等は崇拝するとも・・・)。

 また、その生い立ちを見ても、愛情深い家庭にあって育ったわけでもないようです。富裕層の子弟の養育は、幼少より乳母や養育係に任せられる場合が多く、学齢期に至ると、名門校の寄宿舎に送り出されてしまいます。一般家庭のささやかな日常を経験することもなく成人し、親の資金力と自己愛によってブランド力のある学歴や肩書きは揃えてもらっても、家庭の温かさを知らないのです。この側面は、世界権力の一角を成すイエズス会等の組織についても言えることです。これらの宗教組織には孤児や婚外子等の受け皿ともなってきた歴史があり、ここにも愛情不足の人々の問題が潜んでいるのです(孤児院の経営も、表向きには慈善事業であっても、世界支配の謀略に利用されている疑いがある・・・)。

 パリオリンピック開会式でアピールされたLGBTQ運動に隠された目的が家族の破壊であるとしますと、人類は、同運動には十分に警戒すべきこととなりましょう。そして、人類は、異常なまでの支配欲に取り憑かれ、他者の幸せが許せない世界権力のメンタリティーを客観的に分析する必要もありましょう。更生手段を検討しつつもそれが困難であるならば、その悪意の届かぬ距離まで離れるべきではないかと思うのです。

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