世界各国を見渡しますと、過去の時代に建設されたインフラ施設が今日なおも使用されている事例を見出すことができます。例えば、イタリアの首都ローマでは、紀元前1世紀にティベル川に架けられたファブリキウス橋が、歩行者専用ではあるものの今日でも現役として使われています。2000年以上に亘って風雪に耐えてきたのですから、古代の技術力には驚くばかりです。ローマ時代のコンクリートには、海水に含まれる成分の浸透によって強度を増してゆく性質が備わっており、現代の科学技術をもってしても再現できないそうです。
前置きがいささか長くなってしまったのですが、これらの事例は、インフラの耐久性が、時代を超えて人々に恩恵をもたらすことを示しています。人々の生活や経済活動を支えるインフラというものは、基本的には、長期に亘って変化せず、常に人々が崩壊の心配なく自由に使うことができる、安定していて安全な形態が望ましいと言えましょう。仮に、毎年のようにインフラ施設を建て替えたり、更新しなければならなくなりますと、それに費やされるコストも労力も計り知れません。
持続性と安全性、すなわち長期的耐久性の要件は、通信インフラとしてのデジタル基盤にも言えるはずです(なお、長期的な耐久性は、低コストをも意味する・・・)。この点を考慮しますと、デジタル技術については、未だに発展過程にあることにも起因して変化が激しく、同要件を満たしていないという重大な問題があります。
例えば、身近なパソコンのOSの事例だけを見ましても、その問題性が理解されてきます。同事業は、利益優先の民間ビジネスとして始まったこともあり、OSを提供するIT企業は、機能アップを理由として短期間でバージョンを変更します(今日では、むしろ機能ダウンのケースもある・・・)。ところが、バージョンが一方的に変更されますと、ユーザーは、これまで使用していたソフト等が使えなくなったり、データが呼び出せなくなったりしてしまうのです。デジタル化された行政システム全般にありましても同様の事態は十分に予測されます。ユーザー側は、それが政府や自治体等であったとしても、更新コストを支出せざるを得なくなるのです。更新への迅速な対応を怠ると、行政サービスが滞ったり、機能不全に陥ってしまうからです。同コストの支払いはいわば‘永遠’であり、企業側の更新期間が短いほど、対策費も増してゆくことでしょう。
しかも、デジタル技術は、その先進性や高い能力を根拠として、インフラ施設の全面的な刷新をも要求しています。スマートシティーがモデルとされるように、過去の全てを更地にした上で新たにプラットフォームが構築される電脳未来都市が理想なのです。スマートシティーでは、政治や行政も生成AIが担っているかもしれません。つまり、生活の場を含む空間全体が‘再開発’されてしまい、グローバリストの夢を実現するには、戦争や災害後の復興事業に匹敵するほどの莫大なコストを要するのです(国家全域のスマート化には天文学的なコストを要する・・・)。
また、安全面を取り上げましても、デジタル化には、常に外部からサイバー攻撃を受けるリスクが伴っています。特に公的機関がサイバー攻撃を受けますと、行政サービスの停止のみならず、国民の個人情報や政府の機密情報が漏洩したり、保存されていたデータが改竄されたり消去される事件も発生するかも知れません。言い換えますと、DXを導入した以上、使用者側は、サイバーセキュリティーの確保を業務化せざるを得ないのです。当然に、セキュリティー対策費は半ば強制的な支出となり、ハッカー側の技術が高まる程に支出額も上がってゆくことでしょう。コンピューターウイルスについてはIT企業のマッチポンプ説もあるぐらいですから、セキュリティー対策に関する主導権は、IT企業側に握られています。
今日、マスメディアも盛んにDXやGXの導入を宣伝し、政治家の多くもこれらの分野を‘新たな成長分野’と見なしています。しかしながら、上述したように、デジタル技術に関しては、インフラとしての要件を満たしていません。しかも莫大かつ永続的な導入予算が予測される現状にあっては、DXやGXを急ぐ必要性があるとは思えないのです。このまま政府やグローバリストに急かされるままに同路線を突き進むとすれば、官民を問わずに多くの人々が、デジタル全体主義が待ち受ける蟻地獄に嵌まってしまうようにも思えます。
ここで一端立ち止まり、国民的コンセンサスを形成するために、支配や監視ではなく、デジタル技術を公共の利益のためにどのように使ってゆくのかを議論すると共に、その導入も、技術的な安全性が確立してからでも遅くはないはずです(デジタルレベルが現状のままでも、国民は然して不便ではないのでは・・・)。そして、デジタル関連の予算がなくなれば、増税の必要もなくなり、国民生活を豊かにする分野の予算を厚くすることもできるかも知れないのです。ファブリキウス橋のように2000年にも及ぶ耐久性を求めるわけではありませんが、デジタル基盤等につきましては、国民の誰もが使用する公共インフラとしての耐久性要件からの評価や判断は不可欠ではないかと思うのです。
*父倉西茂が撮影したファブリキウス橋の写真