万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

皇族の存在と国民のメンタリティー

2024年03月20日 10時29分06秒 | 日本政治
 日本国の歴史において天皇が担ってきた国家祭祀の継承については別に議論するとしましても、少なくとも象徴天皇並びに皇族という存在については、その必要性が著しく低下していることは、否めない事実のように思えます。政界では、皇位の安定的な継承や皇族の人数の減少を‘国家的危機’であるかのようにアピールしておりますが、多くの国民は、既に皇族に冷めてしまっているのではないでしょうか。

マスメディアの多くが‘皇室推し’をする背景には、トップの権威を利用したい世界権力の思惑が蠢いていることは、容易に推測されます。三角錐型の国家体制であれば、その頂点さえ手中にしていれば、簡単にその国民ごとコントロールできるからです。古来、政治的実権は、天皇以外の万機摂政、関白、上皇、将軍等によって担われ、御所が荒れ果てようとも、天皇は日本国の最高権威であり続けてきました。しかも、明治維新後は、国家を挙げて天皇への崇敬心を高めるべく、直接に御影を見ることも許されない神聖なる現人神としたのです。第二次世界大戦にあっては、天皇が御座します神国日本は決して負けない、とする不敗神話の下、多くの国民が戦地に赴き、そして命を落とすことともなりました。

もっとも、昭和天皇による人間宣言がありながら、戦前の天皇への国民の崇敬心が戦後も変わることなく引き継がれたのは、占領統治を円滑に進めたいGHQの思惑もあったとされます。そして、今日、国民の前に明らかとされつつある明治維新の実態からしますと、おそらく世界権力は、戦前から天皇を政治的に利用してきたのでしょう(真珠湾攻撃誘導説も・・・)。この視点からしますと、戦後にあって、むしろ天皇を失いたくなかったのは、世界権力のほうであったのかも知れません。今日にあってもマスメディアが、熱心に皇室を‘よいしょ’し、歯の浮くような言葉で礼賛する理由も理解されてくるのです。トップの権威は、利用価値があるからです。

一方、この体制は、日本国民にとりましては望ましいのか、甚だ疑問があります。権力欲や金銭欲にまみれ、かつ、背後に世界権力とも繋がる非日本系の新興宗教団体の陰さえ見えてくるにつれ、国民の意識も大きく変化してきています。そもそも神の座を降りた時点で、天皇の超越性をもって求心力の頂点としてきた三角錐型の構図も崩れてしまうのは当然のことなのです。現実において同構図が成り立たないにも拘わらず、マスメディアが懸命に持ち上げたとしても(北朝鮮のような虚偽報道も混じっている・・・)、それは、既に失われた世界を演技や演出によって再現しているようにしか見えなくなります。皇族を出迎える分別も立場もあるはずの人々が、緊張した面持ちで恭しく頭を下げている姿も、どこか時代劇の演出のような時代錯誤に映るのです。

 そして、皇族に対する特別待遇は、日本国民のメンタルにも悪影響を及ぼしているように思えます。先ずもって、現代に封建時代のような序列を持ち込みますので、卑屈な精神が植え付けられるリスクがあります。封建時代における序列は、上位の主君が下位の家臣の領地を安堵する責任も義務も負いましたので、それなりの理由があるのですが、現代の皇族への忠誠心や崇敬心の国民に対する要求は、それが、メディアによる演出であれ、理由のない不条理なものです。否、国民が納税によって皇族の生活を支えているという意味では、依存・被依存関係は逆でもあります。しかも、現代の皇族は、世界権力による‘メビウスの輪作戦’によって高貴な血筋とも言えず、皇族を前にして一斉に頭を下げるなどの封建的な儀礼の要求は、国民に屈辱を与えてしまいかねないのです。

また、皇族は世襲制ですので、生まれながらにして特権を持つ人々の存在は、若い世代の人々の士気を削ぎ、希望を挫いてしまうかも知れません。生まれだけで特権を享受し、国家予算も好き勝手に使う皇族の姿は、‘親ガチャ’の実例を見せつけるようなものですので、皇族の存在は、日本国民に停滞感をもたらしこそすれ、伸びやかな心を育てるとは思えないのです。

天皇に心酔し、皇族を熱狂的に支持する人々は、しばしば世界最古の王家である天皇家が存在するからこそ、全世界の人々から日本国が尊敬されていると主張しています(しかしながら、明治維新を考慮しますと、世界最古の王家と言えるのかは怪しい。また、そもそも、現代にあって王室や皇室が存在すること自体が誇るべきことなのかも怪しい・・・)。しかしながら、この言葉は、日本国は、天皇が存在しなければ、取るに足りない価値のない国であると言っているに等しく、国民に対して失礼ですらあります。否、現代を生きる日本国民は、天皇に依存するのではなく、一人一人の行動によって尊敬を得るべきなのであり、一強主義的な天皇依存の薦めは、国民弱体化の薦めともなりましょう(一強主義はあらゆる分野に見られ、世界権力の好むところ・・・)。

 天皇制廃止論と表現しますと共産革命が思い起こされ、何か暴力的な響きがありますが、現代という時代に照らした多面的な考察の結果としての皇族不要論であれば、一つの意見として議論するだけの価値も意義もあるように思います。天皇並びに皇族につきましては、“菊のカーテン”を開けて事実を正確に把握し、如何なるタブーも廃して国民的な議論に付すべきなのではないかと思うのです。

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