万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

米大統領選挙に見るリベラルの排他主義ー保守主義者との共存の拒否

2016年11月29日 15時16分40秒 | 国際政治
トランプ氏、ミシガンでも勝利=最後の州の結果判明―米大統領選
 アメリカ大統領選挙は、その長期にわたる選挙期間を通して、現代社会が抱える様々な問題や矛盾を露呈することとなりました。その一つに、トランプ氏当選が確定した後に起きた、クリントン支持者による反トランプ抗議デモやカリフォルニア独立運動があります。

 それでは、これらの運動から、どのような問題や矛盾が垣間見えるのでしょうか。リベラル派の人々は、常々、異なるルーツやバックグランドを持つ多様な人々が共生し、仲良く暮らしてゆくことが理想社会と見なしています。あらゆる差別に反対し、マイノリティーの権利保護にも熱心です。確かに、”皆が仲良く”という性善説を前提とする一般的な道徳規範には誰も反対しないでしょうし、寛容は美徳の一つです。しかしながら、国家や社会というものが、移民国家であるアメリカにおいてさえ、歴史や特定のルーツを持つ集団の固有性を伝統として引き継いでいる現実を考慮しますと、リベラルの主張する寛容は、際限のない多様化、即ち、移民の受け入れを意味し、既存の国家や社会を融解させてしまう働きを必然的に伴うのです。

 それでは、リベラルの反対に位置する保守的な態度、即ち、既存の国家や社会の維持を望むことは、反道徳的なのでしょうか。今日の国際社会では、数万年を経て生じた人類の多様化に対応する形で民族自決の原則が成立しています。仮に、無制限な移民受け入れによる多様化を推し進めれば、その社会は、何らかの共通点もない”烏合の衆”となるか、民族、宗教、思想等の多様性に起因する内乱状態となるか、あるいは、無味乾燥としたモノトーンの世界に至らざるを得ないのです。民族自決が集団的な権利である以上、その権利を護ることは、決して批判されるべきことでもないのです。

 ここに、国家や社会の維持を望む保守的な人々と個人の自由、特に、マイノリティーの人々の自由を優先するリベラルな人々との間において、抜き差しならない対立を見出すことができます。そして、この抜き差しならぬ関係は、リベラルをして保守主義者の排除という行動に駆り立てるのです。反トランプ抗議デモは、トランプ氏を大統領と認めないことにおいて不寛容と排除の姿勢を露わにし、カリフォルニア独立運動も、アメリカ合衆国から脱退を訴えて保守主義との共存を拒否しています。自らが理想とする共存を実現するには、保守主義を排除しなければならないのですから、これ程の自己矛盾もありません。リベラルの理想郷とは、既存の国家や社会を消滅させなければ実現しないことを、自らの行動で示してしまったのです。自由であれ、権利であれ、他者からの侵害に対する防御という意味で本質的に排他的ですので、保守主義もリベラルも、この点においては同列なのです。

 アメリカ大統領選挙に見られる両者の対立は、結局、寛容を主張しながら排他主義の”本音”を晒してしまった点において、リベラルにとって痛手となったのではないでしょうか。トランプ氏は、選挙遊説中にその”本音”によって支持者を集めたとされていますが、リベラルの人々は、意図せずして露わにしてしまった”本音”、即ち、’他者の排除’があまりに攻撃的な思想であった故に、人々を遠のかせてしまったと思うのです。

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4 コメント

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Unknown (北極熊)
2016-11-30 10:54:05
マジョリティーに迷惑をかけるマイノリティの存在は、日本国憲法で言うところの公共の福祉に反するのだから、そういう輩の人権が制限される事は当然なのであって、今まではマジョリティーの寛容な許容力によって制限の必要性を見てみない振りし、ポリティカルコレクトネスと言う根拠の無い美辞麗句の名の下に我慢して来ただけだったのでしょう。そして、もう我慢が出来ないというところまで来てしまっていた事が、トランプ大統領の当選によって証明されたのでしょうね。
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北極熊さま (kuranishi masako)
2016-11-30 11:25:56
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。
 国民の多くが、リベラルな人々がマスコミ等を通して主張する”寛容な包摂”が、その実、”非寛容な排除”を意味することに、気が付いてしまったのではないでしょうか。そして、マジョリティーこそ、この排除の対象とされていることを…。つまり、ポリティカルコレクトネスは、真に”コレクト(正しい)”なのか、改めて問われているのではないでしょうか。
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軍艦行進曲21世紀合衆国版 (Bystrouska.Vixen)
2019-07-13 07:40:55
攻めるも護るも許すなく
憎みの弾丸をば撃ち合って
口つく罵り雷を
かき消す如くにどよむ也
諸びと互いにいがみ合い
浅ましきこと限りなし



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Bystrouska.Vixenさま (kuranishi masako)
2019-07-13 10:15:26
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。

 フランスの国歌もそうなのですが、軍隊行進曲の歌詞は、いずれも穏やかならぬものが多いようです。
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