今般の米価暴騰は、国民にとりましては青天の霹靂であったかも知れません。ここ数年、あまりの価格の低さに農家の方々からの嘆きの声が聞かれるほど、米価は下落傾向にあったからです。国民からの対策要求を受けて、日本国政府も備蓄米の放出に踏み切ったのですが、ここで俄に注目を集めることとなったのが、この備蓄米の存在です。備蓄米については、国民の多くは、有事や地震等の自然災害時に備えた‘非常食’として理解していたのではないでしょうか。
こうした国民の備蓄米に対するイメージは、‘備蓄’という名称からして当然のことなのですが、政府がお米を備蓄する目的は、有事や災害時限定ではないことが、今般の一連のお米騒動で明らかとなりました。現行の食糧法(「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」)に従えば、政府には、価格の安定を目的としたお米の供給量を調整する権限、否、法的義務があることが、広く知られることとなったからです。政府の主たる調整手段としては、主要食糧(米穀と麦など)の(1)買い入れ、(2)輸入、(3)売り渡しの三者が挙げられています。
同法によれば、政府は、米価暴落の局面にあっては農家?から(1)買い入れを行ない、米価暴騰に際しては海外からの(2)輸入、あるいは、備蓄米の(3)売り渡しを行なうこととなります。今般の政府による備蓄米の放出は、価格上昇を抑制するための(3)の売り渡しに当たります。一先ずは、米価の安定に寄与する仕組みなのですが、農業政策の制度としては、あまりにもアバウトで杜撰なように思えます。その理由は、政府の介入基準等の詳細が全く示されていないからです。
この点、現在では農家に対する直接補償制度に大きくシフトしたものの、EUは、共通農業政策(CAP)として同様の価格調整制度を運営してきています。EUの場合、輸出政策と一体化されてはいるものの(農業大国の過剰農産物を輸出に振り向けることで、中小国の農業を護る意味合いもある・・・)、基本的には、欧州委員会が穀物市場に介入することで、価格の安定を実現してきたのです。日本国の制度と比較して特徴となる点は、政府の介入義務が生じる‘介入価格’を定めていることです。
真に米価の安定を図るならば、日本国政府も、備蓄米制度を設けた以上、EUの制度のように介入価格を定めるべきであったと言えましょう。農家の経営と生活が保障され、かつ、国民の家計を圧迫しない範囲に米価の変動幅を設定し、下限を下回る場合には‘買い入れ’、上限を越えて上昇する場合は、‘売り渡す’、あるいは、‘輸入’するとする仕組みです(食糧自給率の低い日本国では、前者並びに他の手段を尽くしても米価が下がらない場合のみ、後者を臨時的な措置として実施すべきでは・・・)。こうした介入時の基準価格を設定せずに備蓄米制度を運用した結果が、備蓄米放出の時期が政治家の恣意的な判断に任されると共に、同制度が殆ど米価抑制に役立たなかった主要なる原因の一つのように思えます。そしてこのフリーハンド状態は、政府もしくは政治家に、価格誘導による悪しき‘利益誘導’の機会を与えることにもなりかねないのです。
今後とも、備蓄米制度を米価安定システムとして位置づけていくのであるならば、詳細かつ綿密な制度設計は欠かせないように思えます。しかも、政府による市場介入制度は、投機筋から狙われ易いなど、何らかの弱点を抱えている場合もあり、セキュリティー面でのリスク管理を設計に組み込む必要もありましょう。また、EUにあって農家への直接補償制度への移行を見せたように、日本国も米作農家に対しては米価下落局面にあって直接に減少所得の補填を行なう制度を導入するという方向性もあります。もっとも、EUにおける直接補償制度のシフトが農産物市場の自由化に伴う安価な輸入穀物の増加を想定したものであった点を考慮しますと、食糧安全保障の観点からは、輸入拡大とセットした形での同制度の導入には、慎重であるべきかも知れません。何れにしましても、アメリカが関税政策を転換する中、日本国も、通商や農政を含めた経済政策の基本方針に関する重大な岐路に立たされているように思えるのです。