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万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

若年層は皇室について議論を

2025年04月07日 11時32分07秒 | 日本政治
 今般、筑波大学に入学した秋篠宮家の悠仁氏については、昨年、大学入学をめぐり、一大騒動が起きることとなりました。何故ならば、 ‘東大入学を希望した秋篠宮家が、皇族の特権を濫用して裏工作を画策したのではないか’とする憶測が流れたからです。真偽のほどは判然とはしないものの、同情報の内容と実際の行動や出来事との間に一致がみられたことから、SNSやウェブを中心にかなりの信憑性をもって語られることになったのです。この結果、国民の間から反対の大合唱が起きると共に、悠仁氏の東大入学に反対する署名活動も始まる事態に至りました。しかも、同署名活動が停止状態に追い込まれたため、日本社会に対して介入パワーを持つ‘特権身分’として、皇族の存在に対して、より一層警戒感がもたれることにもなったのです。

 皇族の大学進学がかくも国民の反対に遭った理由は、皇族を特別扱いすることに対する不公平感にあったことは言うまでもありません。公平であるべき国立の大学の入試制度を自らの私的目的のためにねじ曲げようとしたのですから、それが皇族であれ、誰であれ、国民からの反発は、至極、当然のことでもあります(不正な裏口入学となる・・・)。そして、ここで考えるべきは、現在の若者層は、皇室の存続を心から望んでいるのか、という基本的な問題です。

 悠仁氏の東大入学に関する疑惑を前にしてしばしば指摘されていたのは、‘入学試験が競争を伴う限り、皇族に対して特別に入学を認めることは、本来、合格すべき他の同年代の受験生から定員枠を一つ奪うことになる’という批判です。合格を目指し、寝る間も惜しんで受験勉強に励んできた受験生達に対して、卑怯な手を使うのはいかがなものか、という批判です。こうした意見は発信手段を比較的自由に使いこなせる‘大人’によるものなのですが、同世代の若者の多くも同様に感じたことでしょう。入試問題に限らず、‘皇族は特別の存在だから特別待遇を受けるのは当然であり、国民は黙って従うべき’と考える若者は、今日では、ほとんどいないのではないでしょうか(この側面は愛子氏や佳子氏も同じであり、将来的には、悠仁氏の次世代にも繰り返される・・・)。生まれながらにして特権を有し、他者は無条件で礼を尽くして敬意を示さなければならない存在は、心から受容や納得していない限り、決して心地よいものではありません。

 しかも、今日の皇室の活動については必ずしも法律に根拠があるわけではなく、皇統の継続性についても歴史的な疑義もあります(例えば、明治維新に際しての断絶と交替・・・)。また、科学的にも‘血’の希薄化は避けられません。即ち、血統において国民との差もなくなり、否が応でも正当性が揺らぐ中にあって、自らを特別の存在として振る舞っている皇族の姿は、現代という時代にあって違和感があります。そして、この時代錯誤に付き合わされている国民も、不幸言えば不幸なのです。実写版『白雪姫』が現代を過去に持ち込んだことで、逆に過去を現代に引きずり出し、現代の問題を炙り出す‘クロス現象’をもたらしたように、今日の王室も皇室は、現代人が過ぎ去った過去、あるいは、‘おとぎの国(人々が理想とする空想の世界)’の役割を演じるという、一種の劇場にならざるを得ないのでしょう(それは、時には国民をうんざりさせ、時には大真面目な演技が滑稽にもなってしまう・・・)。

 こうした皇室に関する疑問は、戦前にあって現人神と信じられ、戦後にもカリスマ性を保ち続けた昭和天皇に対する崇敬心から代が替わっても無条件に皇室に崇敬心を抱き続けてきた人々、あるいは、今や‘皇室の藩屏’と化している新興宗教団体の人々からは、強い感情的な反発を受けることでしょう。しかしながら、時間の経過と共に国民の意識は変化するものです。北朝鮮風味のメディアの皇室報道が‘超自然的な存在’としての皇族を国民の意識にすり込み(もっとも、国民の側はなかなか洗脳されないのでは・・・)、同存在に基づく不平等感や不公平感が社会の停滞を招き、健全な知性の働きや発展を阻害する要因となるならば、皇室の存在は、今日の若者層にとりまして財政負担に加え、心理的な側面を含めて‘重し’ともなりましょう。

果たして、現在の若者層は、皇室の存在をどのように捉えているのでしょうか。憲法第1条を含む皇室については、‘大人達’こそ、‘菊のカーテン’という名のタブーをなくし、将来を見据えた自由闊達な議論に努めるべきなのではないでしょうか。この問題についても、政治家の人々は、若者の声を聞こうとはしません。そして、将来の日本国を背負う若者こそ、かつての若者達が‘天下国家’について論じたように、自らの国の将来について積極的に語るべきではないかと思うのです。

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