万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

創価学会も二重思考?―平和は戦争なり

2022年11月15日 15時03分23秒 | 社会
 ジョージ・オーウェルの作品、『1984年』を以て世に知られるようになった二重思考の起源は、おそらく前近代にまで遡るのでしょう。もしかしますと、人類が、コミュニケーションの手段として言葉を使うようになったその時から、他者を欺く偽りの言葉のみならず、他者に対する言葉による思考の強制は始まっていたのかもしれません。そして、こうした利己的、あるいは、傲慢な行為が多くの人々に不利益や損害をもたらしたり、精神的な苦痛を与えたからこそ、他者を騙す嘘や思考の強要は、道徳律や法律によって禁止されるに至ったのでしょう。『1984年』がディストピアと評されるのも、人類にとりまして、その世界が実現して欲しくないものであったからに他なりません。

そして、半世紀以上も前に執筆されながら、オーウェルの作品が今日まで読み継がれてきた理由は、あるいは、『1984年』に余すところなく描かれた社会の恐怖が人々にとりまして必ずしも小説の中でのお話ではないからなのでしょう。近年、『マトリックス』という映画も注目を集めておりますが、同作品のテーマも、造られた偽りの世界を‘事実’として信じ込ませる思想統制という意味において、『1984年』の現代版バージョン、リメークとも言えます。そして今日、ネットの普及によるフェークニュースの氾濫や仮想現実を造り出せる映像技術の急速な進歩により、小説や映画の世界と現実との境界線は、いよいよ曖昧となっているのです。政治家や政府が嘘をつく時代にあって、『1984年』は絵空事ではないのです。

前置きが長くなってしまったのですが、今日、忌まわしき二重思考は、創価学会といった新興宗教団体にも顕著に観察されるように思えます。全国にネットワーク上に配置されている創価学会の会館の名称には’平和’と付くものも多く、同教団が、如何に平和をアピールしているかが窺えます。信者の多くも、自らが信じる教団は世界平和に貢献していると信じ切っているかもしれません。しかしながら、その一方で、同教団は、総体革命の存在で知られるように、国家権力を手中にしようとする‘戦闘集団’でもあります。闘う宗教組織という側面はイエズス会とも共通するのですが、平和を志向する一方で、学会の非メンバーである他者に対して戦いを挑むことを肯定しているのです。

平和志向と戦闘性との間の矛盾については、後者については物理的な力、即ち、戦争といった武力行使とは次元が違うという反論もあることでしょう。しかしながら、戦いとは、必ずしも武力を用いたものに限られるわけではありません。民主的な選挙でありましても、それを‘戦場’と見なしますと、ライバルを倒して自らが勝利すべき戦いです。しかも、創価学会の戦場は、政治的な選挙のみではありません。同教団は、皇室、官界、財界、教育界、マスメディア、スポーツ界、芸能界など様々な分野にあって、信者を要となる重要ポストに就けるべく、日々、組織的に闘っているのです。

また、防衛や安全保障分野に注目しますと、同教団の二重思考的本質がさらにはっきりとします。創価学会と中国との間の‘友情の絆’は国民の多くが知るところですが、当の中国が、今日、日本国のみならず国際の平和を脅かす脅威であることは疑いようもありません。否、中国は、二重思考の親玉のような存在ですので、両者は、価値観において固く結びついているのかもしれません。創価とは、新しい価値を創造するという意味らしいのですが、その‘新しい価値’とは、これまでの価値(倫理・道徳を含む一般常識)を否定して、巧妙に他者を騙す二重思考に‘価値’を付与することなのかもしれないのです。

『1984年』に登場する党のスローガンの一つは、「戦争は平和なり」なのですが、創価学会の場合は、「平和は戦争なり」となるかもしれません。前者は、‘党’が戦時体制を平和と見なすように国民に強要するスローガンですが、後者は、平時にあって、平和を唱えつつその実態は戦いの肯定であり、他国の好戦的な政策に協力しているのですから。

二重思考の罠にかかってしまった信者の人々は、平和の実現のために活動しているつもりが、いつの間にか、国内にあっては不公平で不条理な社会をもたらし(学会員でなければポストを得られない?)、対外的には、自国の安全を脅かしています。そして、活動に熱心になればなるほど、一般の国民から警戒されると共に(誰がメンバーであるのか外部の人々には分からないという意味において一種の秘密結社であり、正真正銘の陰謀組織でもある・・・)、溝が深まってゆくことでしょう。この側面は、世界平和統一家庭連合(元統一教会)にも言えるのですが、信者の方々は、この自己矛盾、即ち、教団によって誘導されている二重思考にそろそろ気付くべきではないでしょうか。

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