亡命チベット人有力者、ダライ・ラマに異例の苦言(読売新聞) - goo ニュース
チベットは、敬虔なる仏教国であって、輪廻転生の思想の下で、長らく政教一致の体制を受け継いできました。ダライ・ラマ14世の非暴力主義も、このチベット仏教に深く根ざしています。しかしながら、その一方で、自治権拡大に留まらず、中国からの完全独立を目指すならば、固有の伝統を守りつつも、少なくとも政治の分野においては、現代国家化の準備を始めるべきではないか、と思うのです。
第一に、国境を接する中国から独立するわけですから、単独、あるいは、他国との同盟によって、自国の安全を守る必要があります。このためには、独自で軍事力を備える必要があり、非暴力主義では限界があります。
第二に、チベットの資源を国造りに有効に生かすために、健全で公平・公正な財政を実現させることが肝要です。このためには、民主的な議会制度の導入、権力分立の確立、さらには、不正を監視する会計検査院といった機関の設立を準備しなくてはなりません。
第三に、国民に政府批判や批評を許しませんと、国民の要求を政治に反映させることもできませんので、言論や出版の自由等を保障することも大切です。
第四に、政治とは、現実に直面する問題に的確に対応する仕事ですので、政教一致体制は、見直しを迫られるかもしれません。宗教的な指導者よりも、政治家としての能力と資質を備えた人物を選出できる民主的方法の方が、この目的に適っています(亡命政府では既に民主制度が導入さている、とのことですが・・・)。
もちろん、チベット人の心の拠りどころとして、政治的な実権を持たない象徴としてダライ・ラマ制やパンチェン・ラマ制を残すことも可能です(日本国の天皇のように・・・)。以上に挙げた点は、考慮すべき論点の一部に過ぎませんが、独立チベットが、チベットの人々にとって心の底から喜べる国家となり、かつ、国際社会もそれを歓迎できるよう、憲法の草案作成を含めて、今から、準備に取り掛かるべきではないか、と思うのです。
よろしければ、クリックをお願い致します。
チベットは、敬虔なる仏教国であって、輪廻転生の思想の下で、長らく政教一致の体制を受け継いできました。ダライ・ラマ14世の非暴力主義も、このチベット仏教に深く根ざしています。しかしながら、その一方で、自治権拡大に留まらず、中国からの完全独立を目指すならば、固有の伝統を守りつつも、少なくとも政治の分野においては、現代国家化の準備を始めるべきではないか、と思うのです。
第一に、国境を接する中国から独立するわけですから、単独、あるいは、他国との同盟によって、自国の安全を守る必要があります。このためには、独自で軍事力を備える必要があり、非暴力主義では限界があります。
第二に、チベットの資源を国造りに有効に生かすために、健全で公平・公正な財政を実現させることが肝要です。このためには、民主的な議会制度の導入、権力分立の確立、さらには、不正を監視する会計検査院といった機関の設立を準備しなくてはなりません。
第三に、国民に政府批判や批評を許しませんと、国民の要求を政治に反映させることもできませんので、言論や出版の自由等を保障することも大切です。
第四に、政治とは、現実に直面する問題に的確に対応する仕事ですので、政教一致体制は、見直しを迫られるかもしれません。宗教的な指導者よりも、政治家としての能力と資質を備えた人物を選出できる民主的方法の方が、この目的に適っています(亡命政府では既に民主制度が導入さている、とのことですが・・・)。
もちろん、チベット人の心の拠りどころとして、政治的な実権を持たない象徴としてダライ・ラマ制やパンチェン・ラマ制を残すことも可能です(日本国の天皇のように・・・)。以上に挙げた点は、考慮すべき論点の一部に過ぎませんが、独立チベットが、チベットの人々にとって心の底から喜べる国家となり、かつ、国際社会もそれを歓迎できるよう、憲法の草案作成を含めて、今から、準備に取り掛かるべきではないか、と思うのです。
よろしければ、クリックをお願い致します。
次にネットで見つけた沖縄の方の文を引用します。バランスのとれた、よい見方だと思います。
>>在日琉球人の日記
琉球人として「チベット独立」を応援したい
中国とインド、2つの帝国に挟まれたチベット。
中国と日本、2つの帝国に挟まれた琉球。
とても他人事ではない。ホントは他人事だが(笑)。
「琉球は日本から独立しよう!」なんて言うと、「独立琉球の経済はどうする?琉球人だけで食って
いけるのか?」という反論が来る。私も確かにその通りだと思う。
しかし「チベットは中国から独立すべきだ!」と主張する日本人は、「独立チベットの経済はどうする?チベット人だけで食っていけるのか?」という想定はしないのだろうか? チベット独立後の生存計画はあるのだろうか?
もし、そんな未来の現実よりも目の前の理想が大事だ!というのなら、琉球人だって独立を空想する
権利がある事になる。
私は《帝国》を一概には否定しない。
ラッキョの皮むきのようなユーゴスラビアの民族独立内戦よりは、オーストリア・ハプスブルグ《帝国》の多民族調整型帝国の存在意義はあったと思う。
アメリカ《帝国》だって、無茶苦茶はするが、その肯定的側面は評価する。
実は、大日本《帝国》だって、それほど悪くなかったという面はある。昭和初期にあんなマヌケな戦争さえしなければ(というか普通の近代国家ならありえない展開である)、今でも、琉球だけでなく、朝鮮も台湾も南樺太も領有していた可能性がある。で、それがアジア民族抑圧の地獄になるか?といえば、そうでもなかったと思っている。
もし、大日本帝国が「大正デモクラシー」のまま推移していったなら、朝鮮にも台湾にも選挙権が公布されただろうし(政党が権力拡大の為その方向に動くだろう)、帝国議会に朝鮮人議員や台湾人議員がたくさん生まれた可能性がある。まあ、軍事コストは現在とは比較にならないくらい重いが(笑)、そういうデモクラシー帝国・日本を想定する事も、また面白い。
じゃあ民族独立が悪いか?といえば、そうではない。
アイルランド、ポーランド、バルト三国、キューバ、などなど独立の意義があった国もまた数多い。
しかしアフリカのように、独立後に内戦地獄・飢餓地獄が待っていた地域もまた少なくないのだ。
チベットもまた、独立したいなら独立しておかしくない、独立の権利がある地域だろう。しかしチベッが、アイルランドになるのか?アフリカみたいになるのか?一応は考えておくべき問題である。
さて、ニュースを見て感じたのが、ラサ中心部の近代化である。なんだか、日本の駅前再開発(笑)みたいな、プラスティックな小奇麗さがあった。少なくとも多大な資本投下はされているようだ。
大日本帝国が、植民地である朝鮮半島に資本投下して近代化した事を評価するのなら、中国共産党が、植民地であるチベットに資本投下して近代化した事も評価するべきだろう。中国共産党のチベット近代化がチベット文化の抹殺なら、大日本帝国の朝鮮近代化も朝鮮文化の抹殺という事になってしまう。
結局、中国共産党にとってチベットとは何なんだろう?コスト・ベネフィットの帳尻は合っているのだろうか?別に、石油が出るわけでもない、穀倉地帯でもない。おそらく相当の「赤字経営」ではないのか?
それでも中央アジアの地政学上、国防上のメリットがあるとは思うが。
逆にいえば、大して儲からない地域であるチベットが独立した後、その経済はどうするのか?チベット人はちゃんと食っていけるのか?
もろもろの問題はあるとしても、とりあえず、同じ少数民族として、チベット独立を応援したい。<<
私が考えますに、もちろん、分離独立したくない民族を無理やりに独立させる必要はないと思いますが、本人達が、心底独立を望む場合には、基本的には、独立を承認すべきではないでしょうか。独立を望む気持ちが本物であれば、経済問題は二の次でしょうし、国民に国家再建の意欲があれば、何とかなるものです。少なくとも、独立を望む民族に対して、虐殺や弾圧が繰り返されるという現状は、何とか打破しなければならないと思うのです。