万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

知的怠慢を招く憲法第9条戦争抑止説

2015年08月23日 15時28分26秒 | 国際政治
空自も参加 世界最大級の演習「レッドフラッグ・アラスカ」実施 その意味は
 日本国憲法第9条の改正に反対する人々は、その根拠として、戦後70年間にわたって維持された日本国の平和を挙げています。言い換えますと、”日本国が戦争をしていない”という事実を以って、憲法第9条の戦争抑止効果を主張しているのです。しかしながら、この平和に関する分析、正しいのでしょうか。

 仮に、憲法第9条が戦争を抑止しているとしますと、論理的には、”全ての戦争は、戦争当事国の憲法に同様の条文が存在していなかったから”という結論に達します。つまり、全ての戦争の原因は、第9条の如き条文の有無に帰せられるのです。現実に起きてしまった戦争について原因や要因を問われた時、”第9条がなかったから”と返答したとしますと、この回答は、おそらく質問者を唖然とさせることでしょう。そして、さらに戦争終結の方法を尋ねられた時、”憲法を改正して第9条を設ければよい”と答えたとしますと、質問者は、今度は言葉を失うかもしれません。憲法による拘束に焦点を絞った戦争観からは、国際社会を構成する諸国間の利害の衝突、あるいは、国際法を無視し、他国の権利を侵害してまで国益を追求する国の存在は見えてこないのです。戦争の真の原因が分析できないのでは、当然に、有効な解決策や予防策を見出すことも困難です。こうした態度は、国際情勢に対する客観的で精緻な分析の放棄を意味しますので、現状分析に基づく対応の策定という知的な作業を怠ることにもなりかねません。しかも、今日、中国の領土的野心が顕わな状況にあって、憲法第9条が今後とも平和を維持する保障はどこにもありません。否、憲法とは国内法ですので、国際法さえも遵守しない中国が、日本国の国内法によって拘束されるはずもないのです。仮に、中国が日本国に対して侵略戦争を仕掛けた場合、憲法第9条を擁護する人々は、”中国には憲法第9条がなかったから”と説明するのでしょうか。自らの主張に基づいて日本国と国際社会の安全を真剣に守ろうとするならば、憲法擁護論者の人々は、中国に対して憲法改正による”第9条”の加憲を訴えるはずなのですが、一向にその気配も感じられません。また、法の拘束力に期待するならば、国内法である日本国憲法に期待しても然して意味はなく、国際レベルにおける国際法や平和的な解決手段の整備にこそ力を入れるべきです。


 通常、ある現象に対してその原因を分析する場合、常に一つの要因に絞られるわけではありません。また、戦争とは、武力の行使を伴うのですから、物理的な見地からしても、当然に、軍事的な抑止力の効果を無視することもできないはずです。現実に存在する対立の原因を的確に分析した上で、力、合意、法といった人、並びに、国の行動に対して拘束力を有する全ての論理から多面的にアプローチしない限り、人類は、戦争という行為に終止符を打つ、あるいは、侵略戦争を制止することはできないのではないかと思うのです。

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2 コメント

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Unknown (ねむ太)
2015-08-23 22:05:51
こんばんは。憲法九条で平和が守れる、と主張するのは世間的に知的(大学教授・知識人・司法関係・ジャーナリズム)と認知されている職業の人間が圧倒的に多い。
我が国では知的な人間ほど知的ではないということです。
受験の搾り滓・・
我が国の受験生度の在り方、早ければ幼稚園で受験し、後はエスカレーター式に大学まで進む。
近年では夏休みの宿題は業者に任せ子供は受験の為の合宿・・あるお母さんの言葉「夏休みの宿題など受験に関係のない事は業者任せでも子供には受験の為の勉強が大事」
現在の受験生度は科挙と同じなのです。
李氏朝鮮のエリートとされる人間、敵が攻め込んでくると我先に城を逃げ出し天を仰いで大声で泣きわめく。
国家が蹂躙されようと、国民が殺されようと関係ない、ただ自分達の身分の保証がなされるかどうかだけが関心事。
我が国でも、元寇の襲来を最前線で奮闘し寄せ付けなかった武士に対して恩賞は極端に少ない。
武士が恩賞を求めると、北畠親房は神皇正統記の中で「武士は何の役にも立っていない。何の働きもしていない、役に立っていない者がなぜ恩賞を求めるのだ」と書き、続いて「我らが加持祈祷の言葉に天が感応し大風を吹かせてくれた」と書いています。
この言葉は古今集の序文にある「大和歌は和歌は天地を動かし・・・」に符合します。
我が国は言霊の幸わう国、大陸から漢字が伝えられてから六百年もの間使用をためらい、言葉の意味を壊さぬよう慎重に一文字一文字に意味を与えています。
支那では文字自体に意味はなく、文字が組み合わさっての言葉でしかないのです。
これが原因の一つ
幼い頃からの教科書による学問と、マスコミなどで得られる外国の情報に頼り人間は皆同じと考えてしまう。
大陸と海洋国家、歩んできた歴史も違えば民族性も違う事がわからないのです。
温暖で、渡り鳥の糞の中に未消化の種子が混じっていれば発芽して繁殖する環境と、夏が短く冬が長く雪や氷に閉ざされた環境で生きてきた民族には考え方や行動様式に明確な違いがあって当然なのですが。
一つの例をあげますと先祖がバイキングだったことを誇りにする民族も居ます。
現在の価値観で考えますと野蛮な略奪者でしかないのですが、
我が国ならばバイキングのような祖先が居たとしますと「侵略して略奪した政府は謝罪と賠償をしろ」と左翼は大騒ぎすることでしょう。
米国の開拓使でのインデアンを例にひいても同じことが言えるのです。
人間の本質や社会(世間)について何も学ばないままに受験だけで地位や肩書が得られる仕組み。
人間として精神が未熟なままで学問だけが先走りしすぎているのです。
学問の価値は、人間の幸福を実現する事にある。
社会を豊かにし大勢の人々の幸福に寄与してこそ学問の価値はあるのです。
其の為には社会や人間を深く理解しなければならない、それが出来ないのが現在の受験システムなのです。
此の失敗は目に見える形で証明されています。
我が国が併合するまでの朝鮮がどのような状態にあったのか、支那の賄賂文化と腐敗をみれば判るはずです。
我が国の知的怠慢に拍車をかけているのが、大学の権威の失墜・・未だにマルクス等に固執する学者が大勢居て、其のような左翼学者の授業は単位が取りやすい・・
失敗の研究としての共産主義の研究はあってもいいのですが・・
安保法制に関しまして90の大学が「安保法制は学問の自由を侵害する」という理由で反対を表明したそうです。
安保法制の中身や、風雲急を告げる南シナ海・東シナ海・半島情勢などは見えていない・・
安保法制の内容を読んで理解できない程度の大学でしかないのです。
既に知的・・以前に学問を離れ感情論だけに成り下がってしまっているのです。
此のような低レベルの人間が憲法九条を守れと叫び、チベット・東トルキスタン・南モンゴルで何が行われていても見て見ぬふり・・自分の身の安全が大事、戦前に岡田嘉子を伴い出奔した脚本家の運命がどうなったか、伊藤律が、どのような目にあわされたか、南モンゴルを売り渡した連中がどのような末路をだどったのか・・歴史の教訓にも学ぶ事が出来ないのです。
ねむ太さま (kuranishi masako)
2015-08-24 07:02:53
 コメントをいただきまして、ありがとうございました。
 鎌倉時代の元寇の頃は、現在よりも強く神仏の力が広く信じられていた時代ですので、戦争の勝因の分析に関しては差し引いて考えることができますが、今日、アジアでは、中国の軍拡により急速に軍事バランスが変化してきているのですから、こうした外部的な要因を無視して、憲法第9条があれば、平和が続くと考えるのは、知性の放棄に等しいと思うのです。現在、教育制度の見直しが進行しておりますが、論理的に物事を考え、思考力を鍛える方向を目指していただきたいものです。暗記力は、チンパンジーと言った類人猿の方が優れている場合もあるそうですので、人としての能力こそが、人間社会の基礎であると思うのです。

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