万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

原爆投下人類救済論を主張するならば全ての諸国に核保有を認めるべき

2024年04月15日 18時03分02秒 | 国際政治
 日本国に対する非人道的な大量虐殺である原爆の投下は、国際法上の違法行為でありながらも、米ソ超大国が角を突き合わせた冷戦期にあって、核戦争の恐怖が人類を救ったとする‘見せしめ論’によって、違法性の阻却が主張されてきました。結果論としては、同主張にも一理があるようにも聞えるのですが、今日の世界情勢を考慮しますと、今一度、同論について考えてみる必要ありましょう。ここ数日の間、原爆投下の違法阻却事由について記事を書いてきたのも、この問題が極めて今日的であるからです。

 ‘見せしめ’による人類救済論とは、端的に申しますと、刑法の分野で言えば、犯罪抑止効果による正当化、ということになりましょう。リベラル派の人々は、刑罰については常々抑止効果に対して否定的なのですが、何故か、原爆投下となりますと、それが如何に非道であったとしても‘見せしめ論’に傾斜しがちです。これを認めるとしますと、それには、最低限、目的、手段、結果の何れにあっても、正当性が確保される必要あります。すなわち、(1)違法行為や不正行為に対する懲罰であること、(2)できる限り人道的な手段であること、つまり、他に代替手段がないこと、(3)結果として国際社会に平和が訪れたこと、といった要件の充足です。

(1)の要件については、アメリカは、日本国を中国を侵略し(もっとも、開戦当時は米中間に軍事同盟関係があったわけではない・・・)、真珠湾に対して奇襲攻撃を仕掛けた侵略国家と見なし、自らに正義あると主張していました。もっとも、この正義は、主観的な自己主張であって、歴史を詳細に検証してみれば、日米、否、連合国側も枢軸国側も共に背後から戦争へと誘導されていた節があります。欧米各国によるアジア・アフリカ諸国に対する植民地支配もあり、第二次世界大戦をもって善悪の対立軸でみるのは難しく、二度の世界大戦に関する封印されてきた情報が明らかとなった今日にあっては、(1)の要件を満たしているとは言いがたい状況にあります。

 また、(2)についても、‘見せしめ’の手段が過激な場合には、倫理的な問題が生じます。例えば、かつてはどの国も残虐刑が存在していましたが、近代以降は、できる限り人道的な刑罰の方法へと変わってきています。ところが、戦争に際しては、できる限り残虐な兵器を開発しようと試みているのです。この点からしますと、例えば、当時にあって新型兵器であった核兵器の威力を示すのが目的であれば、他に手段がないわけでもありませんでした。デモンストレーションを行なうならば、民間人が居住している都市部ではなく、山林地帯や海上に投下したとしても、十分にその爆発力は示せたはずです。日本国も開発を急いでいたわけですから、核兵器の開発成功をアピールするだけでも、少なくとも日本国に対して降伏を迫る効果はあったことでしょう。もっとも、核分裂による爆発力のみならず、核兵器の使用による放射能による人体への甚大な被害をも‘見せしめ’とするために、敢えて都市部を狙ったとすれば、原爆という兵器の悪魔性がより鮮明となってきます。

 そして、最後の要件となるのが、結果としての平和の実現です。仮に、同要件を満たさない場合には、 ‘見せしめ’としての原爆投下は、人類を救ったとは言えなくなりましょう。敗戦国となった日本国の場合には、戦後教育にあって、連合国=正義という見方が染みついています。しかしながら、戦時中にあって、既にソ連邦は同戦争を共産圏の拡大に利用し(1939年9月のポーランド侵攻もソ連による侵略公有為・・・)、周辺諸国を侵略しており、連合国にあってもアメリカの潜在的が‘敵国’が出現していました。もちろん、アメリカでも日本国でもなく、ソ連邦が先に原子爆弾を手にする展開もあったはずなのです。となりますと、アメリカが開発に先んじたのは一種の幸運であって、暴力主義にして覇権主義国家が原爆を先に手に入れる可能性もあったわけであり(この場合、自国が核兵器を独占するために対米核攻撃をしかけたかもしれない・・・)、実際に、後手となったとはいえ、抑止力として、ソ連邦は、1949年には核兵器を保有するのです。

 このことは、百歩譲ってアメリカの主観的正義を認めたとしても、人類を救うためと純粋に言えるのは、わずか4年の間に過ぎないこととを意味します。冷戦期にあっては、恐怖による核の均衡が米ソ両超大国間に保たれたのであり、しかも、ソ連並びに同陣営に組み込まれた諸国の共産主義体制は、核によって温存されてしまうのです。言い換えますと、‘見せしめ’は、犯罪や違法行為に対する刑罰的な意味ではなく、むしろ、暴力主義国家による核兵器を保有していない他国に対する服従要求や威嚇のための‘見せしめ’ともなり、この状態は、今日まで続いているのです。それは、‘自らの体制を認めない者、抵抗する者、刃向かう者には目にものをみせてやる!’という態度です。

 暴力主義国家による核保有の現実は、結局、核保有国のみが抑止力を独占すると共に相互抑止の効果が働く一方で、核を保有しない国は、抑止力を持てない状況をもたらしています。しかも、この体制は、NPTによって固定化されてしまうのです。アメリカは、自らは核保有国ですので、‘見せしめ効果’の恩恵を受けているのですが、他の核を保有していない諸国は、むしろ、核保有国に対する無防備という致命的な運命を背負わされているのです。この非対称性を考慮しますと、三つの要件の充足を欠くため、原爆投下は正当化できないまでも、せめて抑止力による平和を実現するためには、全諸国に核の抑止力を備える権利を回復させるべきと言えましょう。日本国も巻き添えになるリスクが極めて高い台湾有事を未然に防ぐためにも。

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