安部元首相の国葬問題に揺れる中、イギリスにおけるエリザベス女王の逝去により、国葬という国家主催の葬儀が改めて人々の関心を呼んでいます。前者に対しては、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との癒着の表面化により国民世論の多数が反対に傾く一方で、後者については、エリザベス二世が国家の元首であった故に当然のこととする受け止め方が大半を占めているようです。しかしながら、その一方で、葬儀とは人々が共に弔意を示す行為ですので、否が応でも国民の内面の自由の問題と直結してしまいます。
国葬と弔意強制との関係は、日本国内にあっては安部元首相の国葬の差し止め訴訟において論点の一つとなりました。裁判所は、国葬は弔意の強制に当たらないとする判断を示し、原告の訴えを退けたのですが、この議論に際して、国葬を支持する人から反対する人々に対する一つの問いかけがありました。それは、天皇崩御に際しての‘大喪の礼であっても、同様の訴訟を起こすのか’というものです。
大喪の礼は、一先ずは法律に根拠がありますので(皇室典範第25条)、違憲や不法行為を訴因として裁判を起こすことはできないのですが、内面の自由の侵害についてはいささか慎重に考えてみる必要があるように思えます。もちろん、先の問いかけは、‘大喪の礼であれば、全国民が弔意を表すのは同然である’、あるいは、‘反対する国民などいるはずがない’という絶対的な確信や固定観念があってのことなのでしょう。しかしながら、この他者が人の内面を決定してもよいとする態度、あるいは、それに何らの疑問を感じない態度こそ、君主制が現代という時代と齟齬をきたしてしまう核心部分であり、根本問題なのではないかと思うのです。たとえ君主その人も、憲法尊重擁護義務を負う立憲君主制の形態ではあったとしても・・・。
現代の自由主義国にあっては、その多くが憲法において国民の内面の自由を保障しています。今日、内面の自由のみならず、その外部的な表出である言論の自由や表現の自由が憲法において厚く保障される理由は、過去にあって国民の自由が侵害され、自由が抑圧されてきた忌まわしき歴史があるからに他なりません。今日、多様性の尊重という言葉は、どちらかと言えば反差別の文脈で使われていますが、自由な社会とは、心の自由を相互に認める社会であり、一つの出来事、一人の人物、一つの国などに対する評価や感情が個々に異なってもそれを自然なこととして受け止める社会なのでしょう。
この点からしますと、国葬のみならず、儀式や式典にあっても、国民や参列者に対して同一の感情を持つように強要する君主制には、それが権力を持たない権威型君主制であったとしても、国民の基本的な自由と相入れない要素があります。否、程度の差こそあれ、国民の行動を統制する、あるいは、抑圧しないことには、君主制そのものが成り立たないかもしれないのです。皇族や王族が臨席するセレモニーにあっては、出席した誰もが、えてして貴賓席に対して頭を下げる、もしくは、低い立場に位置づけられざるを得ません。
そして、君主制と国民の自由との間の相克は、血統の高貴さや伝統に依拠した正当性が希薄化し、皇族や王族のパーソナルな側面が強調される現代という時代にあればこそ深刻さを増します。北朝鮮を思わせる個人崇拝が観察される今日、国民は、カルトへと誘導されている、あるいは、その国の国民であるというだけで自動的に信者にさせられているに等しくなるからです。因みに、凶弾に斃れた安部元首相については未だに森友学園や加計学園の問題が燻っていますが、同事件で驚かされたのは、上皇・上皇后夫妻の写真が御影として恭しく飾ってある森友学園の校内の様子でした。新興宗教団体に共通する、一種、異様な空気が感じ取れたからです。
一方、イギリスでは、エリザベス女王の棺が安置されているウェストミンスター宮殿に、一般国民が長蛇の列をなして弔問に訪れていると報じられております。エリザベス女王に対して示された国民からの哀悼の意は、日本国で喩えれば、戦争という激動の時代を共に生きた昭和天皇に対する国民感情に近いのかもしれません。時間軸からすれば、既に昭和天皇から二代を数えた日本国の方が、イギリスより先に権威型君主制の問題に直面していると言えましょう。
何れにしましても、‘現代化’した皇族や王族に対する国民感情の多様化は(神でさえ悪魔からは嫌われるのですから、全ての国民から好意を寄せられる人は存在しない・・・)、他者に対する尊敬心、忠誠心、奉仕の心、弔意といった感情が国民の内面の自由の問題であるだけに、人的権威に依拠して成立している君主制を揺さぶらずにはいられません。メディアや論壇では、自由と言えば、王族や皇族の自由に議論が集中していますが、国民の自由については等閑視されているのです。果たして、国民は、自らの心に嘘をつくことなく、君主を頂点とする権威主義体制をよしとするのでしょうか。同調圧力をかける集団や熱烈な皇室支者も存在する中、国葬をめぐる議論は、図らずも、将来における国家体制のあり方に関する問題をも提起しているように思えるのです。