梅雨の季節となりますと、長引く雨による地盤の緩みが災害を招くことは多々あります。しかしながら、昨日、熱海市で発生した土石流は、過去に類を見ないほどに凄まじいものでした。山肌から怒涛の如く流れ下る濁流に次々と住宅がのみ込まれる様子に言葉を失った方も少なくなかったことでしょう。
過去に事例を見ないような破壊的な土石流は、激しい風雨や記録的な豪雨がもたらしたものではなく、当時、同地方の天候は長期的に降雨が続く状況にあったそうです。このため、住民の方々も、早急な避難が必要なほどの危機感はなかったと言います。それにも拘わらず、大規模な土石流が発生した要因として挙げられているのが、起点にあった盛土の存在です。静岡県は、因果関係は現時点では不明としながらも、盛土との関連性を調査する意向を示しております。
それでは、この盛土、何故、熱海市の森林に存在していたのかと申しますと、メディアの報じるところによれば’開発目的’なそうです。そして、この開発とは、メガソーラの建設であった可能性が極めて高いのです。全国有数の観光地でもある熱海市周辺や伊豆半島では、以前より、観光業に従事する人々や住民の反対を押し切る形でメガソーラの建設が推進されてきました。豊かな自然は重要な観光資源でもありますので、同地では、既に、環境政策が環境破壊をもたらすという矛盾が政治問題として表面化していたのです。
こうした経緯があればこそ、土石流の発生直後から、ネット上ではメガソーラ原因説が拡散されたのですが、大手メディアは、何故かこの点については積極的に触れようとはしていません。その理由として推測されるのが、菅首相が掲げた2050年を目標とする脱炭素政策です。僅か30年足らずで日本国のエネルギー源を化石燃料から自然由来に全面的に転換しようというのですから、この政策は無謀とも言えるのです。そして、この目的を実現するためには、早いペースで再生エネを普及させる必要があり、その成否の鍵の一つとなるのが、伊豆地方のみならず全国で推進されているメガソーラの建設なのです。政府としては、日本全国の山林を切り開く、あるいは、休耕田を利用して太陽光パネルを敷き詰め、可能な限り再生エネの発電量を増やしたいのでしょう。
仮に、メガソーラの設置が今般の土石流の原因ともなれば、太陽光発電の拡大計画は大幅に見直さねばならなくなりますので、同目標を国際公約として掲げている菅政権が、これを’不都合な事実’と見なしたとしてもおかしくはありません。マイナス情報は極力排除するのが菅政権の基本方針ですので、土石流メガソーラ原因説もできることならば国民には伏せておきたいのでしょう。
しかしながら、今般の熱海市での土石流の被害はあまりにも酷く、たとえ政府が情報を隠蔽しようとしても隠し通せるとは思えません。今後の展開を予測しますと、今後、全国のメガソーラ設置予定地にあって、住民等による反対運動が起きることでしょう。自らの住む土地の環境や景観が著しく損なわれる上に、森林の保水能力の低下によって土砂災害の危険が増すともなれば(深層崩壊が発生しやすくなる…)、誰もが反対することでしょう。しかも、森林は、二酸化炭素を吸収する役割を果たしていますので、幾重にも矛盾が重なっているのです(加えて、熱海市の事業者は韓国系とする情報もある上に、ソーラパネルの最大生産国は中国…)。。
近年、菅政権をはじめ世界各国の政府とも、’計画原理主義’という側面において社会・共産主義の方向に歩んでいるように見えます。国民が払う犠牲や現実を顧みることもなく、強引に自らの’計画’を進めようとするのです。環境政策、あるいは、脱炭素が環境を破壊するといった本質的な矛盾など、お構いなしなのでしょう。新自由主義者がしばしば用いる’工程表’という表現にもこの傾向はよく表れているのですが、その先には、一体、何が待ち受けているのでしょうか。今般の土石流は、無謀な計画の実行による悲劇を象徴しているようにも思えるのです。