【仏大統領選】オバマ氏がマクロン候補にエール「フランス万歳」
明日、5月7日に第二回目の大統領選挙の投票日を控え、フランスでは、両陣営による白熱する舌戦が続いています。こうした中、前米大統領のオバマ氏がマクロン陣営に”参戦”し、他国の内政への関与として批判の声も上がっているようです。
しかしながら、国境を越えたオバマ前大統領のマクロン陣営支持ほど、今日の世界を取り巻く政治状況を象徴しているものはありません。何故ならば、今日のリベラルとは、国境を越えた広がりを持ち、グローバリズムの名の下で世界経済の掌握を目指す新自由主義勢力を意味しているからです。マスメディア等は、マクロン氏については”中道”と表現し、一方のルペン氏については”極右”とのレッテルを張っています。これらの表現は政治的対立の実像を誤魔化しており、マクロン氏の政策を見れば狂信的とも言えるほどの新自由主義者であるのは一目瞭然です。にも拘らず、マスメディアは、氏のイメージを和らげるために敢えて”中道政治家”というマスクを被せ、冷淡な新自由主義者としての顔を隠そうとしているのです。
その一方で、ルペン氏については、”極右”というマイナスイメージを植え付け、ルペン氏、並びに、同氏への支持者を危険な人々と見なす社会的風潮を演出しようとしています。フランスにおける極右に対するマイナス・イメージは、第二次世界大戦におけるドイツ占領下にあってナチスに協力した者、即ち、”売国奴”のイメージと結びついている面があります。ところが、今日、ルペン氏の支持が伸びた背景には、こうしたフランスにおける極右の歴史的位置づけとは異なる、別の要因があるように思えます。その要因とは、第二次世界大戦における”対ドイツ協力者”が再び出現したのではなく、ナチス台頭期のドイツの国内状況が現在のフランスの状況と類似しているということです。
第一次世界大戦の敗北に莫大な賠償金を課されたことにより、ドイツ人の経済的苦境は甚だしく、国民は、八方塞の状況に置かれました。その一方で、先祖代々受け継がれてきたドイツ人の資産の多くは、戦時にあって財を成した富裕なユダヤ人等の手に渡ったそうです。こうした格差拡大と貧困化に対する当事のドイツ人一般の不満は、現在のフランスの一般国民と共通しております。しかしながら、フランスのナチス協力者ともドイツのナチスとも違う点は、今日のフランス人の経済的苦境は、”ユダヤ人”という特定の民族集団による経済的支配と言うよりも、弱肉強食を容認するリベラルな新自由主義の世界大での跋扈に起因している点です。もちろん、新自由主義勢力にはユダヤ人も多く含まれていることでしょうから、一見すれば、ルペン氏の移民反対はナチスの反ユダヤ主義と重なって見えますが、フランス国民一般からすれば、移民問題は、フランス文化の喪失、フランス人のマイノリティー化、テロの脅威、失業問題等に鑑みて切実な問題であるのです。
そして、今日の新自由主義者と第一次世界大戦後のドイツの富裕なユダヤ人とは、一般国民を置き去りにして財を成しているという点において共通していると言えるかもしれません。もっとも、相違点としては、今日の新自由主義者は、’世界市民的な観点’や’人道的な観点’という仮面を被りながら、移民を積極的に擁護してる点が挙げられます。究極まで合理性を追求し、移民労働力を利用することで自らの利益を最大化し、併せて諸国民の破壊による世界支配を目指して…。
今日のマス・メディアは、新自由主義に反対する勢力に対しては有無も言わさず”極右”のレッテルを張り、ナチスと同一視させようとしています。ルペン氏の移民反対も、ナチスのユダヤ人迫害との連想を以って反対者に”極右”のレッテル張るには格好の口実です。しかしながら、反対者の主張とは、容赦なく弱者に牙を剥く新自由主義者から国民を保護し、国民一般の利益を図ろうとするところにあるのですから、むしろ、国家や国民を大事にするという点において、”保守”と表現した方が適切かもしれません(もっとも、ルペン氏陣営が何らかの勢力の傀儡でないとすれば…)。保守対新自由主義の対立は、ナショナリスト対グローバリスト、国民対世界市民、あるいは、国家対市場など、様々な表現があり得るのでしょうが、何れであれ、両者の相克は、今日、あらゆる国家を舞台に政治的対立軸として浮上してきているように思えるのでです。
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明日、5月7日に第二回目の大統領選挙の投票日を控え、フランスでは、両陣営による白熱する舌戦が続いています。こうした中、前米大統領のオバマ氏がマクロン陣営に”参戦”し、他国の内政への関与として批判の声も上がっているようです。
しかしながら、国境を越えたオバマ前大統領のマクロン陣営支持ほど、今日の世界を取り巻く政治状況を象徴しているものはありません。何故ならば、今日のリベラルとは、国境を越えた広がりを持ち、グローバリズムの名の下で世界経済の掌握を目指す新自由主義勢力を意味しているからです。マスメディア等は、マクロン氏については”中道”と表現し、一方のルペン氏については”極右”とのレッテルを張っています。これらの表現は政治的対立の実像を誤魔化しており、マクロン氏の政策を見れば狂信的とも言えるほどの新自由主義者であるのは一目瞭然です。にも拘らず、マスメディアは、氏のイメージを和らげるために敢えて”中道政治家”というマスクを被せ、冷淡な新自由主義者としての顔を隠そうとしているのです。
その一方で、ルペン氏については、”極右”というマイナスイメージを植え付け、ルペン氏、並びに、同氏への支持者を危険な人々と見なす社会的風潮を演出しようとしています。フランスにおける極右に対するマイナス・イメージは、第二次世界大戦におけるドイツ占領下にあってナチスに協力した者、即ち、”売国奴”のイメージと結びついている面があります。ところが、今日、ルペン氏の支持が伸びた背景には、こうしたフランスにおける極右の歴史的位置づけとは異なる、別の要因があるように思えます。その要因とは、第二次世界大戦における”対ドイツ協力者”が再び出現したのではなく、ナチス台頭期のドイツの国内状況が現在のフランスの状況と類似しているということです。
第一次世界大戦の敗北に莫大な賠償金を課されたことにより、ドイツ人の経済的苦境は甚だしく、国民は、八方塞の状況に置かれました。その一方で、先祖代々受け継がれてきたドイツ人の資産の多くは、戦時にあって財を成した富裕なユダヤ人等の手に渡ったそうです。こうした格差拡大と貧困化に対する当事のドイツ人一般の不満は、現在のフランスの一般国民と共通しております。しかしながら、フランスのナチス協力者ともドイツのナチスとも違う点は、今日のフランス人の経済的苦境は、”ユダヤ人”という特定の民族集団による経済的支配と言うよりも、弱肉強食を容認するリベラルな新自由主義の世界大での跋扈に起因している点です。もちろん、新自由主義勢力にはユダヤ人も多く含まれていることでしょうから、一見すれば、ルペン氏の移民反対はナチスの反ユダヤ主義と重なって見えますが、フランス国民一般からすれば、移民問題は、フランス文化の喪失、フランス人のマイノリティー化、テロの脅威、失業問題等に鑑みて切実な問題であるのです。
そして、今日の新自由主義者と第一次世界大戦後のドイツの富裕なユダヤ人とは、一般国民を置き去りにして財を成しているという点において共通していると言えるかもしれません。もっとも、相違点としては、今日の新自由主義者は、’世界市民的な観点’や’人道的な観点’という仮面を被りながら、移民を積極的に擁護してる点が挙げられます。究極まで合理性を追求し、移民労働力を利用することで自らの利益を最大化し、併せて諸国民の破壊による世界支配を目指して…。
今日のマス・メディアは、新自由主義に反対する勢力に対しては有無も言わさず”極右”のレッテルを張り、ナチスと同一視させようとしています。ルペン氏の移民反対も、ナチスのユダヤ人迫害との連想を以って反対者に”極右”のレッテル張るには格好の口実です。しかしながら、反対者の主張とは、容赦なく弱者に牙を剥く新自由主義者から国民を保護し、国民一般の利益を図ろうとするところにあるのですから、むしろ、国家や国民を大事にするという点において、”保守”と表現した方が適切かもしれません(もっとも、ルペン氏陣営が何らかの勢力の傀儡でないとすれば…)。保守対新自由主義の対立は、ナショナリスト対グローバリスト、国民対世界市民、あるいは、国家対市場など、様々な表現があり得るのでしょうが、何れであれ、両者の相克は、今日、あらゆる国家を舞台に政治的対立軸として浮上してきているように思えるのでです。
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