万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

オバマ大統領の広島演説におけるアメリカの救い

2016年05月30日 15時32分12秒 | アメリカ
「大統領は真珠湾に触れたか」=トランプ氏、広島訪問で批判投稿―米
 今月27日のオバマ大統領の広島への歴史的訪問は、未明の時刻にも拘わらず、アメリカでもライブで放映されたそうです。日本国内では、98%が当訪問を評価しているとの世論調査の結果が発表されていますが、アメリカ世論の反応は半々とも伝わります。

 こうした中、トランプ氏は、当初は、謝罪抜きの訪問に容認姿勢を見せながら、真珠湾攻撃に言及することで態度を一変させた、と報じられています。トランプ氏の批判的な発言は、5月30日が戦没者追悼記念日に当たるからとの指摘もあります。退役軍人の方々からしますと、原爆投下に対する否定的な評価は、第二次世界大戦に対する批判にも聞こえ、自らの人生を否定されたかのように感じても不思議ではありません。第二次世界大戦において、アメリカの兵士たちは、正義の戦争であると固く信じて戦っております。トランプ氏は、こうしたアメリカのために死を賭して戦った国民の心情に配慮しているのでしょう。

 その一方で、オバマ大統領は、全く別の角度から、原爆投下に関してアメリカの人々の心情に配慮しているように思えます。その配慮とは、原爆投下を”道徳の目覚め”の時となるよう願った点です。広島と長崎の上空で炸裂した原子爆弾は、人類史上はじめて実戦において使われた核兵器です。そして、この時、初めて人類は、核兵器の恐るべき破壊力を目の当たりにし、核兵器が、一瞬にして大量虐殺を可能とする非人道的な兵器であることを思い知らされました。戦時にあっては、憎しみと敵愾心に駆られ、残酷な行為に及ぶのはしばしば見られる人間の行動であり、それは、お互い様なところがあります。今般の広島演説では、広島と長崎への原爆投下を、核兵器の使用が道徳に反すると人類に自覚させた最初の瞬間とすることで、アメリカの原爆投下を責めるのではなく、将来における核兵器の攻撃的な使用に対して厳しく釘を刺しているのです(残酷性を知った上での投下と、知らない状態での投下では重みが違う…)。言い換えますと、広島と長崎を、最初で最後の核兵器の犠牲となるよう最大限の努力を払うことで、投下国であるアメリカもまた救われることとなるのです。

 戦時期にあっては、日本国もまた核兵器の開発競争に加わっておりましたし、戦後もこの競争は続き、今日でも、NPTが存在しながら北朝鮮さえ核兵器保有に邁進しております。現実には、核の抑止力の効果も侮れず、また、小型の戦術核兵器が使用される可能性も否定はできません。現実を直視しますと、核なき世界は理想論ではありますが、オバマ大統領の広島での演説は、決してアメリカの過去を批判するものではなく、人類の道徳的目覚めを以って非人道的兵器の使用を抑制するという、未来に向けた新たなる抑止構造の提示だったのではないでしょうか。

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コメント (2)
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