万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”SEALDsは利己的”の批判は論理的には正しいのでは?

2015年08月04日 14時58分20秒 | 国際政治
安保反対の学生「利己的」=ツイッターで自民・武藤氏
 ”戦争反対”を叫んで、学生を中心に安保法案反対のデモを組織しているSEALDs。数は然程に多くはないものの、そのスローガンに惹かれて迷い込んでしまった一般の若者もいるそうです。こうした中、自民党の武藤貴也議員による”自分中心で利己的個人主義者”とするSEALDs批判が、ネット上で”大炎上”していると報じられています。

 SEALDsは、表向きには共産主義的な要素は見せず、純粋な平和主義者に徹しています。一般の若者が参加しているとすれば、それは、”戦争に行きたくない””今の平和な生活を守りたい”といった素朴な訴えに同感したからと推測されます。しかしながら、政治思想の観点から見ますと、実のところ、この訴えは、国家の存在意義に関わるパラドクスに行き着きます。このパラドクスとは、”個々人が自らの命(基本権)だけを守ろうと行動すると、全ての個人が命(基本権)を失う”というパラドクスです。利己的な行動は、結局は自らをも滅ぼすというジンクスでもありますが、歴史を振り返りますと、防衛や安全保障の分野では、特にこのパラドクスは顕著に観察されます。敵国に攻められた際に、戦を嫌って全員が我先に逃げ出しますと、敵国は何らの抵抗を受けることなく征服できるからです。この結果、征服地の住民の生殺与奪の権は征服者の手に握られ、多くの国民が無残にも虐殺されることも少なくないのです。政治思想上の社会契約説は、非現実的な仮定として批判はされつつも、国家の存在意義を、外敵に対する組織的な防御に求めたことにおいて、このパラドクスを解く一つの回答であったと言えます。この側面に注目しますと、SEALDsの主張するように、組織的な防衛を担う自衛隊がいらないとなりますと、征服者によって征服されることになります。にもかかわらず、自らの安逸な生活は維持できると考えているのでしたならば、相当に、論理的予測、あるいは、因果関係が理解できない人々であることとなり、パラドクスが示すように、その行き着く先は自滅に他なりません(もっとも、SEALDsが”征服者側”の一員であれば別なのでしょうが…)。

 このパラドクスは、集団的自衛権行使の問題を考える上でも重要な示唆を与えています。軍事大国を前にして、一国では十分に防衛できない場合には、複数の国が協力して防衛に当たった方が、独立の喪失や国家滅亡を回避できる可能性が高まるからです。利己主義者の主張には、その将来にこそ危険が潜んでいることを見抜かなければならないと思うのです。

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コメント (2)
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