ズボンのポケットで携帯電話がモゾモゾしていた、わたしは失礼と会釈して
椅子を立ち上がり携帯電話を取り出しながら、ドアを開けて外に出た。
「モシ、モシー、壊れた和尚さんー、菜菜子です、」
「菜菜子さんか、壊れた和尚?、、、ナヌーわたしのことかいな、なんの用事かな」
「あのな、そこにそんなに綺麗な母娘がほんとに居るの?
また、悪い癖が出たんじゃないの、和尚の妄想でしょう」
「居るよ、いま話しているところやな」
「うっそうー!、まあどっちでもいいわ、さっき、エッセイ書いといたからね
また観て頂戴、それじゃあ、バイバイ」
相変わらずの菜菜子さんであった。
喫茶室に入り、腰掛けながら
「失礼しました、気の置けない悪友からの電話でしてね、出ておかないと
あとが煩いものですから。
ところで、どんな話しでしたか、、、、ああ、そうでしたあの家の感想でしたね
まず、あの場所の風景が素晴らしくて、何か特別な雰囲気がありますね。
そのような所に家を構えられた家族の方に敬意を持ちます、そしてあの風景を
居られた間存分に楽しまれて、幸せに生活されたことに羨ましく、また嫉妬
さえ、覚えてしまいますね。
大自然と一体化した生活、それは不便で苦しいことのほうが多かったとは
思いますが、実際、わたし達が思っているような生易しい暮らしではなかった
ことでしょう。が、そこで得られたものはそれ以上の価値のある幸せであった
ろうと、わたしには想われます。
そういった想いが伝わっているのでしょうか、残されたあの家の風格がそれを
表しているように感じます。
あの家は生まれてきた時に、住まわれるであろう家族に祝福されて、幸せを
貰ったことでしょう、これからこの家族に精一杯尽くそうと思ったはずです。
自然界のなかで生まれては死んでゆく諸々の事柄に何一つ無駄なものは無い
と思います、ひとつひとつの事柄が祝福されて生まれて、何らかの役に立ち
その役目を終えて死んでゆくのでしょう。
いま鹿が大量に人に殺されていますが、本来なら何かの役に立ち終えてから
死んでゆくのが王道でしょうが、人間が勝手に途中で命を奪う権利が
どこにあるのでしょうか。
人間も例外では有り得ないととわたしは思っています、大概のひとは
生まれたとき、両親、親類や周囲の人に祝福されますね。
大人になってから、自分は何一つ人の役に立たない、世の中から要らない
人間だと思っているひとがいますが、そんなことは無いはずですよね
おぎゃあーと生まれたとき、鳴き声や笑顔や穢れない仕草ですでに
両親に幸せを齎して親孝行しているじゃあないですか。
それだけでも充分じゃあないですか、これ以上の幸せなことがどこにありましょう
人間も自然の一部分を担っているなら、自然に遵って淡々と役目をこなして
生涯を終えるのが一番いい事じゃあないですか。
ありゃあ、話しが逸れましたが、あの廃家はいまの状況を良く理解している
ように思います、住んでおられた家族のお役に立て喜んでいるようでした。
そして役目を終えたいまはこの素晴らしい自然と一体化していける喜びを
幸せと感じて、しずかにそのときを待ち望んでいるように、すくなくとも
わたしには感じられて、よかったと思っています。」
「まあ、そのように思ってくださいましたか、いいお話を、嬉しいですわ
ここまで来た甲斐がありましたわ、
実は、わたし達があの家に住んでいましたの、ねえ、お母様。」
わたしは絶句してしまった、目の前にいる母娘が住んでいたとは想像だに
しなかったからである。
「ほうー!、ほんとに、、、ですか、またどうして?、、、、、、」
それまで、目を閉じてじっと話しを聞いていた母親が徐に口をひらいた
「今日はほんとに良いお話を聞かせていただいて、娘が云いましたが
遥々ここまで来た甲斐がありました、ありがとうございます。
そうなんですよ、わたし達家族、年老いた両親とわたし等夫婦に子供
三人の仲の良い家族でした。
申し遅れましたが、わたしは沢木志保、娘は美奈と云います、
私どもは元々東京の中野に住んでいましたの、いまもそこに住んでいますが
この奥祖谷には何の所縁もなかったのですが、年老いた両親の病気が重くて
口癖のように終の住家を山深いところで終わりたいと云いますので、此処に
たどり着いたわけです。
慣れない田舎暮らしでしたから、それは大変な苦労をしましたが
色々話せば長くなりますが、あなたがおっしゃましたように苦労以上の
幸せをいただきまして、ほんとに楽しゅうございました。
両親の想いも叶いまして、思い残すことなく幸せな最後をこの地で終わらせる
ことが出来ましたが、子供達の将来もありましたし、
中野の家もそのままでしたから、ここを離れたわけです。
子供達も夫々家庭をもち、何とか暮らしていますし、先年連れ合いが亡くなり
まして、遺品を整理していますと此処で暮らしたときの写真などがたくさん
出てきました、懐かしさで矢も立ても居られず、美奈を連れて来たのですが
住んだ家や風景が当時のままに残っていました、良かったです。
わたし達もあなたがおっしゃったような印象をあの家から受けまして
ほっとしますし、いままでの肩の荷が下りたように嬉しく思います
ほんとに今日は良いお方にお会いして、いい話を伺い、幸せな日で
ございます」
「いえ、こちらこそありがとうございました、あのお家にどのような
お方が住まわれたのかと想っていましたが、図らずも、お会いできて
お話しをさせていただくとは幸せでございました。
日暮れも近いですのでわたしはここで帰りますが、お泊りですか?」
「はい、明日早くに、住んでいました頃、主人とよく登りました三嶺に
娘と登ってみようと予定していますが、今年は雪はどうなのですか」
「雪解けが早いようですから、もう少ないでしょう、というか無い所
が多いと思います、ほんと、三嶺はいいですね、好きです、いい山ですね
そうそう、わたしが三嶺と天狗塚を詩にしまして、yoriyanが作曲した
「奥祖谷恋歌」があります。
もし、よろしければ登る途中にでも歌ってくだされば幸いですが
以前2007年のジャズフェスタIN祖谷のときでしたか、来ていた
九州美女美女隊のI嬢が綺麗な小声でそっと歌ってくれまして感激
したことがあります。」
わたしは持っていた詩と楽譜のコピーをそっと出してみた
娘の美奈さんが受け取って見ていたが、小さな綺麗な声で歌ったのには
吃驚した。
「まあ、これいい歌ですこと、詩もいいし、曲も歌いやすいわ
歩きながら歌うにはいいかもね。
明日は歌いながら歩きますわよ、楽しみが増えました」
「お天気が快晴でありますように、お気をつけて登ってください」
別れの挨拶を交わしてわたしは車を走らした、ちょっぴり一緒に
三嶺に登りたい誘惑に抗うように祖谷街道を突っ走った。
椅子を立ち上がり携帯電話を取り出しながら、ドアを開けて外に出た。
「モシ、モシー、壊れた和尚さんー、菜菜子です、」
「菜菜子さんか、壊れた和尚?、、、ナヌーわたしのことかいな、なんの用事かな」
「あのな、そこにそんなに綺麗な母娘がほんとに居るの?
また、悪い癖が出たんじゃないの、和尚の妄想でしょう」
「居るよ、いま話しているところやな」
「うっそうー!、まあどっちでもいいわ、さっき、エッセイ書いといたからね
また観て頂戴、それじゃあ、バイバイ」
相変わらずの菜菜子さんであった。
喫茶室に入り、腰掛けながら
「失礼しました、気の置けない悪友からの電話でしてね、出ておかないと
あとが煩いものですから。
ところで、どんな話しでしたか、、、、ああ、そうでしたあの家の感想でしたね
まず、あの場所の風景が素晴らしくて、何か特別な雰囲気がありますね。
そのような所に家を構えられた家族の方に敬意を持ちます、そしてあの風景を
居られた間存分に楽しまれて、幸せに生活されたことに羨ましく、また嫉妬
さえ、覚えてしまいますね。
大自然と一体化した生活、それは不便で苦しいことのほうが多かったとは
思いますが、実際、わたし達が思っているような生易しい暮らしではなかった
ことでしょう。が、そこで得られたものはそれ以上の価値のある幸せであった
ろうと、わたしには想われます。
そういった想いが伝わっているのでしょうか、残されたあの家の風格がそれを
表しているように感じます。
あの家は生まれてきた時に、住まわれるであろう家族に祝福されて、幸せを
貰ったことでしょう、これからこの家族に精一杯尽くそうと思ったはずです。
自然界のなかで生まれては死んでゆく諸々の事柄に何一つ無駄なものは無い
と思います、ひとつひとつの事柄が祝福されて生まれて、何らかの役に立ち
その役目を終えて死んでゆくのでしょう。
いま鹿が大量に人に殺されていますが、本来なら何かの役に立ち終えてから
死んでゆくのが王道でしょうが、人間が勝手に途中で命を奪う権利が
どこにあるのでしょうか。
人間も例外では有り得ないととわたしは思っています、大概のひとは
生まれたとき、両親、親類や周囲の人に祝福されますね。
大人になってから、自分は何一つ人の役に立たない、世の中から要らない
人間だと思っているひとがいますが、そんなことは無いはずですよね
おぎゃあーと生まれたとき、鳴き声や笑顔や穢れない仕草ですでに
両親に幸せを齎して親孝行しているじゃあないですか。
それだけでも充分じゃあないですか、これ以上の幸せなことがどこにありましょう
人間も自然の一部分を担っているなら、自然に遵って淡々と役目をこなして
生涯を終えるのが一番いい事じゃあないですか。
ありゃあ、話しが逸れましたが、あの廃家はいまの状況を良く理解している
ように思います、住んでおられた家族のお役に立て喜んでいるようでした。
そして役目を終えたいまはこの素晴らしい自然と一体化していける喜びを
幸せと感じて、しずかにそのときを待ち望んでいるように、すくなくとも
わたしには感じられて、よかったと思っています。」
「まあ、そのように思ってくださいましたか、いいお話を、嬉しいですわ
ここまで来た甲斐がありましたわ、
実は、わたし達があの家に住んでいましたの、ねえ、お母様。」
わたしは絶句してしまった、目の前にいる母娘が住んでいたとは想像だに
しなかったからである。
「ほうー!、ほんとに、、、ですか、またどうして?、、、、、、」
それまで、目を閉じてじっと話しを聞いていた母親が徐に口をひらいた
「今日はほんとに良いお話を聞かせていただいて、娘が云いましたが
遥々ここまで来た甲斐がありました、ありがとうございます。
そうなんですよ、わたし達家族、年老いた両親とわたし等夫婦に子供
三人の仲の良い家族でした。
申し遅れましたが、わたしは沢木志保、娘は美奈と云います、
私どもは元々東京の中野に住んでいましたの、いまもそこに住んでいますが
この奥祖谷には何の所縁もなかったのですが、年老いた両親の病気が重くて
口癖のように終の住家を山深いところで終わりたいと云いますので、此処に
たどり着いたわけです。
慣れない田舎暮らしでしたから、それは大変な苦労をしましたが
色々話せば長くなりますが、あなたがおっしゃましたように苦労以上の
幸せをいただきまして、ほんとに楽しゅうございました。
両親の想いも叶いまして、思い残すことなく幸せな最後をこの地で終わらせる
ことが出来ましたが、子供達の将来もありましたし、
中野の家もそのままでしたから、ここを離れたわけです。
子供達も夫々家庭をもち、何とか暮らしていますし、先年連れ合いが亡くなり
まして、遺品を整理していますと此処で暮らしたときの写真などがたくさん
出てきました、懐かしさで矢も立ても居られず、美奈を連れて来たのですが
住んだ家や風景が当時のままに残っていました、良かったです。
わたし達もあなたがおっしゃったような印象をあの家から受けまして
ほっとしますし、いままでの肩の荷が下りたように嬉しく思います
ほんとに今日は良いお方にお会いして、いい話を伺い、幸せな日で
ございます」
「いえ、こちらこそありがとうございました、あのお家にどのような
お方が住まわれたのかと想っていましたが、図らずも、お会いできて
お話しをさせていただくとは幸せでございました。
日暮れも近いですのでわたしはここで帰りますが、お泊りですか?」
「はい、明日早くに、住んでいました頃、主人とよく登りました三嶺に
娘と登ってみようと予定していますが、今年は雪はどうなのですか」
「雪解けが早いようですから、もう少ないでしょう、というか無い所
が多いと思います、ほんと、三嶺はいいですね、好きです、いい山ですね
そうそう、わたしが三嶺と天狗塚を詩にしまして、yoriyanが作曲した
「奥祖谷恋歌」があります。
もし、よろしければ登る途中にでも歌ってくだされば幸いですが
以前2007年のジャズフェスタIN祖谷のときでしたか、来ていた
九州美女美女隊のI嬢が綺麗な小声でそっと歌ってくれまして感激
したことがあります。」
わたしは持っていた詩と楽譜のコピーをそっと出してみた
娘の美奈さんが受け取って見ていたが、小さな綺麗な声で歌ったのには
吃驚した。
「まあ、これいい歌ですこと、詩もいいし、曲も歌いやすいわ
歩きながら歌うにはいいかもね。
明日は歌いながら歩きますわよ、楽しみが増えました」
「お天気が快晴でありますように、お気をつけて登ってください」
別れの挨拶を交わしてわたしは車を走らした、ちょっぴり一緒に
三嶺に登りたい誘惑に抗うように祖谷街道を突っ走った。