第十二章
回想瑠美
あれから、数日が過ぎた。江美はいつものように、仕事を終えようとしていた。担当した時間の売上をチェックしながら、ふと店の前を見ると、一台のタクシーが止まった。見覚えのある顔だった。一瞬病院の休憩所で見た、一年前のあの光景がフラッシュバックされた。瑠美だった。シルクの薄紅色のワンピースが、手動式の自動ドアの前で立ち止まる。瑠美は手の甲で軽くボタンに触れ、まっすぐに店に入って来た。
江美は一瞬戸惑いながら、瑠美を見た。瑠美は店の奥をチラッと見る。キリッと引き締まった唇が、微かに動く。
「お客じゃないの、あなたが、江美さん?」「そうですけど、どちら様ですか」江美は自分の体が少し震えるのを、止めるように、カウンターで隠れた両手を強く握り締める「あたし、健二の婚約者の高木瑠美です。驚かせてごめんなさいね。あなたと少しお話がしたくて、お暇つくれるかしら?」芦屋の生まれなのか、瑠美のイントネーションで江美はそう感じた。
「何してんねん、はようかえりなー」
店の奥から気をきかせるように、主任の声がした。「外で待ってて下さい。すぐに終わりますから」江美は、慌ててバックを手に、店の外にでた。二人は、とりあえず近くの喫茶店に入った。瑠美は、レザーの椅子の擦り減った部分を、人差し指でなぞりながら、江美を見た。
「徳島出身のマスターの店に、健二時々顔だしてるでしょ。あたしは、居酒屋嫌いだから、行ったりしないけどそこの客がうちの友達のやってる工務店に雇ってあげててねー。江美さんのこと、言ったんよー健二とアヤシイよって、健二とられるデエってね」瑠美のゴールドのマネキュアが、カップの渕をなぞる。江美は暫くして瑠美を直視し、少しタイミングをずらし答える「付き合ってません。あんな素敵な方と、こんな私が、付きあえる筈ないじゃあないですか」江美がカップを両手でつつんで一口飲む「あんたーわかってるじゃない。あたしと健二はずっと前から愛しあってるのよ。健二のこと、何も知らないでしょう。あたしはな、健二の全てを知ってるのよ」瑠美は勝ち誇った表情で、腕組みをした。「健二、どこの生まれか、知らないでしょう。健二、徳島市内の仏壇店の後継ぎなんよー。親と喧嘩して、家飛び出したんだって東京ー大阪ー神戸ってわけなん。健二のこと一番解ってるのあたししかおらんしーまあ、あなたとは、同郷のよしみってことで、相手にしたんやと思うわー。邪魔せんといてー。それだけ言いたかったの。あたしの病気は、治らないのよー健二は、ずーとあたしの処方箋ってわけなんよ」瑠美は、背筋をピンと張り、立ちあがり、先に店を出た。江美は、一度も反論できなかった。自分が、惨めで情けなかった。瑠美の香水の香りが、いつまでも、そこにとどまっていた。コーヒーは、醒めた時間に、冷えきっていた。「ワルイやつじゃない」瑠美をかばったあの日の健二の背中を、思いだした窓際に置かれたサルビアの花が、一枚落ちた。
回想瑠美
あれから、数日が過ぎた。江美はいつものように、仕事を終えようとしていた。担当した時間の売上をチェックしながら、ふと店の前を見ると、一台のタクシーが止まった。見覚えのある顔だった。一瞬病院の休憩所で見た、一年前のあの光景がフラッシュバックされた。瑠美だった。シルクの薄紅色のワンピースが、手動式の自動ドアの前で立ち止まる。瑠美は手の甲で軽くボタンに触れ、まっすぐに店に入って来た。
江美は一瞬戸惑いながら、瑠美を見た。瑠美は店の奥をチラッと見る。キリッと引き締まった唇が、微かに動く。
「お客じゃないの、あなたが、江美さん?」「そうですけど、どちら様ですか」江美は自分の体が少し震えるのを、止めるように、カウンターで隠れた両手を強く握り締める「あたし、健二の婚約者の高木瑠美です。驚かせてごめんなさいね。あなたと少しお話がしたくて、お暇つくれるかしら?」芦屋の生まれなのか、瑠美のイントネーションで江美はそう感じた。
「何してんねん、はようかえりなー」
店の奥から気をきかせるように、主任の声がした。「外で待ってて下さい。すぐに終わりますから」江美は、慌ててバックを手に、店の外にでた。二人は、とりあえず近くの喫茶店に入った。瑠美は、レザーの椅子の擦り減った部分を、人差し指でなぞりながら、江美を見た。
「徳島出身のマスターの店に、健二時々顔だしてるでしょ。あたしは、居酒屋嫌いだから、行ったりしないけどそこの客がうちの友達のやってる工務店に雇ってあげててねー。江美さんのこと、言ったんよー健二とアヤシイよって、健二とられるデエってね」瑠美のゴールドのマネキュアが、カップの渕をなぞる。江美は暫くして瑠美を直視し、少しタイミングをずらし答える「付き合ってません。あんな素敵な方と、こんな私が、付きあえる筈ないじゃあないですか」江美がカップを両手でつつんで一口飲む「あんたーわかってるじゃない。あたしと健二はずっと前から愛しあってるのよ。健二のこと、何も知らないでしょう。あたしはな、健二の全てを知ってるのよ」瑠美は勝ち誇った表情で、腕組みをした。「健二、どこの生まれか、知らないでしょう。健二、徳島市内の仏壇店の後継ぎなんよー。親と喧嘩して、家飛び出したんだって東京ー大阪ー神戸ってわけなん。健二のこと一番解ってるのあたししかおらんしーまあ、あなたとは、同郷のよしみってことで、相手にしたんやと思うわー。邪魔せんといてー。それだけ言いたかったの。あたしの病気は、治らないのよー健二は、ずーとあたしの処方箋ってわけなんよ」瑠美は、背筋をピンと張り、立ちあがり、先に店を出た。江美は、一度も反論できなかった。自分が、惨めで情けなかった。瑠美の香水の香りが、いつまでも、そこにとどまっていた。コーヒーは、醒めた時間に、冷えきっていた。「ワルイやつじゃない」瑠美をかばったあの日の健二の背中を、思いだした窓際に置かれたサルビアの花が、一枚落ちた。