ザ・コミュニスト

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近代革命の社会力学(連載第2回)

2019-07-30 | 〆近代革命の社会力学

一 北陸一向宗革命

(1)概観  
 世界最初の「近代革命」が何かという問いの答えは難しいが、中世の封建的な社会経済構造に対する蜂起という視点から見れば、日本の近世における一向一揆、中でもおよそ一世紀近くにわたり、一向宗門徒が自治的な政権を担った越中と加賀の一向一揆が先駆けではなかったかと思われる。  
 いずれも単なる一過性の一揆に終始せず、持続して政権―「百姓の持ちたる国」―まで担った点、また両一揆は連続した地域で連動して勃発した点―時系列的な順序としては、越中が先行する―では、「越中‐加賀における北陸一向宗革命」(以下、単に「一向宗革命」と表記する)と呼ぶにふさわしいであろう。
 もっとも、「一向宗革命」は通説的な時代区分によれば「近代」に先行しているが、本連載における「近代革命」には、近代黎明期とも言える近世の諸革命も含めるという趣旨からすれば、「一向宗革命」は対象範囲内である。  
 「一向宗革命」を生み出した中世末期・近世初期にかけての一向一揆自体は、日本版封建制度とも言える守護領国制が室町時代末期に拡大し、とりわけ西日本はこうした守護領国制の「先進地」となっていたという状況下で、これに対抗する民衆の運動として発生したものであった。  
 とはいえ、一向一揆がある種の抗議運動―今日的な民衆デモに近い―であった農民一揆とは異なり、革命的な性格を持ったのは、そこに一向宗という信仰共同体が形成されていたことが大きい。そのため、そこには農民のみならず、名主や地侍、国人といった当時の中間階級も参画する形で、階級横断的な結束が形成されていた。  
 こうした性格のため、一向一揆は単なる領主への抗議運動を越えて、領主権力の排除と自治政権の確立、守護領国制の社会経済構造の変革にまで及ばんとする革命的な動因を持つこととなったのだろう。信仰を精神的な基盤とする革命という点では、17世紀英国に勃発する清教徒革命にも通ずるところがある。  
 とはいえ、一向一揆は全土的な規模の革命とはならず、西日本各地で散発したにとどまり、しかも多くが守護領主らによって武力鎮圧され、失敗に終わる中、越中‐加賀のそれだけは一世紀近くも持続し、地方的な革命政権を維持できた社会力学的な要因は何であったのだろうか━。

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近代革命の社会力学(連載第1回)

2019-07-29 | 〆近代革命の社会力学

序説

 近代は世界各地で様々な革命が継起し、社会が変革される中で作り出されていった時代であり、そうした近代における革命を「近代革命」と総称することができる。現代まで包括された広い意味での近代とは、大小様々な近代革命の継起を通じて形成されてきたと言うこともできる。  
 それら個々の近代革命の事の起こりやそれぞれが帯びていたイデオロギー、その後の方向性は様々であるが、そうした相違はさておき、個々の近代革命が成功し、あるいは失敗した要因を社会力学的に探求することが、本連載の目的である。  
 ところで、本連載が対象とする革命の範囲には、拡張と限定がある。拡張としては、通説的な時代区分では「近代」に属しない「近世」の革命―例えば、英国清教徒革命―も、対象に含めることである。元来、「近世」は英語でearly modernと呼ばれるように、近代の始まりでもあるからである。
 他方、同時代に近い過去十数年以内の「現代」に発生した革命も拡張された考察対象に含める。その点、例えば、英語のmodernは、日本語にいう「近代」と「現代」双方を包括した概念(近現代)であるように、「近代」と「現代」とは抱合的関係にあって、厳密に区別する意味はさしてないからである。
 次に限定としては、世上「革命」と通称されていても、その革新性に対する比喩的名辞にすぎない事象―例えば、「産業革命」―は本連載の対象ではない。  
 同様に、「革命」と公称されていても、単に権力の所在が強制的に移動するだけのクーデターも対象外である。言葉の真の意味での革命とは、単なる権力の移動ではなく、支配的な社会経済構造そのものの下克上的な変革を伴うものだからである。  
 他方、革命的ではあるも、その実態が民族的独立運動であるものも除外する。ただし、独立運動であると同時に、近代革命としての歴史的意義を持つような事象―例えば、アメリカ(合衆国)独立革命―は、社会力学的な探求対象に含めるに値する。  
 ここに社会力学とは、アカデミズムの領域で「集団力学」と呼ばれるものに近いかもしれない。集団力学とは、簡単に言えば、人間の集団行動のダイナミズムを研究する行動科学のことであるが、集団行動といっても、個々人の行動の集積には還元できないような凝集的な集団行動のダイナミズムに焦点を当てるものである。  
 その点、革命という事象は多数の人が社会経済的な既成構造を変革するために決起する一つの集団行動ではあるが、それが成功するに当たっては個々人の総力を超えたより大きな集団的力が凝集されなければならない。そうでなければ、少数グループの単なる反乱行動に終わってしまうだろう。  
 そうした意味で、革命という事象は、集団力学的な探求に適した事象であると言える。ただ、本連載では学術的な意味での集団力学を越えて、革命を惹起させた社会経済的な構造にも視野を広げて探求する。
 というのも、革命という事象は人間が社会経済的な既成構造を変革するために決起する集団行動であるからには、変革を待つ社会経済構造が所与されていなければならないからである。そのように、集団のダイナミズムと社会経済的なダイナミズムを総合するゆえに、「社会力学」なのである。   

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共通世界語エスペランテート(連載第18回)

2019-07-25 | 〆共通世界語エスペランテート

(3)基本品詞②

Ⅳ 人称代名詞

 人称代名詞の一人称はmo(単数)/moy(複数)、二人称はbo(単数)/boy(複数)、三人称はjo(単数)/joy(複数)である。

 最大の特徴として、エスペランテートでは三人称単数がジェンダー中立的にjo一語に包括されることがある。つまり、英語やエスペラント語にもみられるという男性・女性・中性のジェンダー分岐が存在しない。したがって、人称代名詞のみでは、主語の性別は判明しない。
 たとえば、Jo barori ESPERANTETO.(joは、エスぺランテートをはなす。)では、主語joが男性か女性か、あるいは性別をもたないロボットなのか、これだけでは不明であるが、たいていは前後の文脈上判別できるだろう。
 しかし、当該の文脈上性別の明示が必要なばあいは、それとわかるよう実質的に表現する。たとえば、Jo esti matro.(彼女は、ははおやである。)のようにである。このばあい、述語の「ははおや」は女性にきまっているから、主語joも女性と判別されるのである。

 人称代名詞の複数形は、単数形に複数形語尾‐yを付加してえられる。

 エスペラント語の二人称は英語と同様、単複同形であるが、二人称においても「あなた」と「あなたたち」の区別は語彙上明瞭であるほうがわかりやすいので、エスペランテートでは語彙上区別されるのである。

 人称代名詞の所有格は、上記人称代名詞の末尾に品詞語尾‐aを付加するが、人称代名詞を後置する用法もみとめられる。

 所有性を強調したいときは前置することがのぞましいだろう。たとえば「わたしのいえ」というとき、「わたしの」という所有を明示したければmoa domoと前置するが、とくに強調しないならばdomo moaと後置してもよい。

 所有代名詞は人称代名詞の末尾に名詞語尾-oを付加してえられる。なお、発音は「モー」と長音化せず、「モ・オ」のように、明瞭にくぎって発音する。

 例;Boa domo esti simira arn moo.(あなたのいえは、わたしのものとにている。)

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共通世界語エスペランテート(連載第17回)

2019-07-25 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(3)基本品詞①

Ⅰ 普通名詞

 エスペランテートでは、名詞・動詞・形容詞・副詞という基本品詞にごとに統一された語尾(品詞語尾)がわりふられる。このような品詞語尾というしくみは、祖語であるエスペラント語からの継承である。

 名詞は語幹に品詞語尾‐oを付加してえられる。名詞の複数形はoのあとに複数形語尾-yを追加してえられる。

 例;orano(人)/oranoy(人々) mono(金銭)/monoy(資金)

 なお、エスペラント語の名詞は唯一の格変化として目的格をもち、名詞語尾のあとに‐nを付加するが、エスペランテートの名詞は格変化しない

 例;Mo habi espero.(わたしは希望もっている。)⇔ エスペラント語の場合:Mi habas esperon.

Ⅱ 固有名詞

 固有名詞に関しては、つぎの法則にしたがう。

○固有名詞は、すべて大文字で表記する。

○固有名詞は、名詞語尾-oをともなわない。

○外来の固有名詞は、それが属する民族言語の発音に可能なかぎりちかい表記をする。ただし、ラテン文字での正式表記法があるばあいは、それにしたがう。

 たとえば、日本は英語でJapan、エスペラント語でもJapanio(名詞語尾つき)と表記されるが、エスペランテートでは、NIHONまたはNIPPONと表記される。一方、ニューヨークのような固有名詞は英語の正式表記にしたがい、NEW YORKと表記される。

Ⅲ 冠詞

 エスペランテートには冠詞は存在しない。ただし、普通名詞の頭文字を大文字で表記することによって定冠詞と同等の機能をはたさせることはできる。

 たとえば、Jo esti Baramenteyo.(あれが、かの議事堂だ。)のようにである。しかし、おおくのばあい、tiu(その)/diu(あの)といった相関詞をつかうことでたりるだろう。

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共産論[増訂版]・総目次

2019-07-25 | 〆共産論[増訂版]

English

本連載は終了致しました。下記目次各「ページ」(リンク)より全記事をご覧いただけます。


まえがき&序文
 ページ1

第1章 資本主義の限界

(1)資本主義は勝利していない
 ◇ソ連邦解体の意味 ページ2
 ◇ソ連型社会主義の実像 
 ◇ソ連型社会主義の失敗  ページ3
 ◇資本主義の「勝利」と「未勝利」

(2)資本主義は暴走していない
 ◇グローバル資本主義の実像 ページ4
 ◇「資本主義暴走論」の陥穽

(3)資本主義は崩壊しない
 ◇ケインズの箴言 ページ5
 ◇打たれ強い資本主義

(4)資本主義は限界に達している
 ◇四つの限界 ページ6

(5)共産主義は怖くない 
 ◇二方向の限界克服法 ページ7
 ◇共産主義のイメージ 

第2章 共産主義社会の実際(一):生産

(1)商品生産はなされない 
 ◇利潤追求より社会的協力 ページ8
 ◇無償供給の社会
 ◇文明史的問い 

(2)貨幣支配から解放される 
 ◇交換価値からの解放 ページ9
 ◇金融支配からの解放
 ◇共産主義と社会主義の違い

(3)計画経済に再挑戦する 
 ◇古い経済計画モデル ページ10
 ◇持続可能的計画経済モデル
 ◇計画の実際
 ◇非官僚制的計画

(4)新たな生産組織が生まれる  
 ◇社会的所有企業と自主管理企業 ページ11 
 ◇生産事業機構と生産協同組合 
 ◇諸企業と内部構造
 ◇農業生産機構 ページ12
 ◇消費事業組合

(5)土地は誰のものでもなくなる
 ◇共産主義と所有権 ページ13
 ◇土地所有制度の弊害
 ◇共産主義的土地管理制度
 ◇天然資源の管理

(6)エネルギー大革命が実現する
 ◇新エネルギー体系 ページ14
 ◇「原発ルネサンス」批判
 ◇「廃原発」への道  

第3章 共産主義社会の実際(二):労働

(1)賃労働から解放される
 ◇賃労働の廃止 ページ15 
 ◇資本主義的搾取の構造
 ◇「賃奴解放」宣言 ページ16
 ◇労働と消費の分離

(2)労働は全員の義務となるか
 ◇労働の義務と倫理 ページ17
 ◇職業配分のシステム
 ◇労働時間の短縮 

(3)純粋自発労働制は可能か
 ◇人類学的問い ページ18
 ◇3K労働の義務?
 ◇職業創造の自由
 超ロボット化社会

(4)婚姻はパートナーシップに道を譲る
 ◇婚姻家族モデルの揺らぎ ページ19
 ◇公証パートナーシップ制度
 ◇人口問題の解

(5)「男女平等」は過去のスローガンとなる
 ◇男女格差の要因 ページ20
 ◇共産主義とジェンダー

第4章 共産主義社会の実際(三):施政

(1)国家の廃止は可能だ
 ◇エンゲルスの嘆き ページ21
 ◇「税奴」としての国民
 ◇「兵奴」としての国民
 ◇民衆会議体制 ページ22
 ◇主権国家の揚棄 

(2)地方自治が深化する  
 ◇基軸としてのコミューン自治 ページ23 
 ◇三ないし四層の地方自治  
 ◇枠組み法と共通法

(3)「真の民主主義」が実現する 
 ◇「選挙信仰」からの覚醒 ページ24 
 ◇代議員抽選制
 ◇非職業としての政治
 ◇「ボス政治」からの脱却 ページ24a
 多数決‐少数決制
 大衆迎合の禁止

(4)官僚制が真に打破される 
 ◇立法・行政機能の統合 ページ25
 ◇法律と政策ガイドライン
 ◇一般市民提案
 ◇官僚制の解体・転換

(5)警察制度は必要なくなる
 ◇犯罪の激減 ページ26
 ◇警防団と捜査委員会
 ◇交通安全本部と海上保安本部
 ◇特殊捜査機関

(6)裁判所制度は必要なくなる
 ◇共産主義的司法制度 ページ27
 ◇衡平委員と真実委員会
 ◇矯正保護委員会
 ◇護民監
 ◇法理委員会
 ◇弾劾法廷

第5章 共産主義社会の実際(四):厚生

(1)財源なき福祉は絵空事ではない
 ◇福祉国家の矛盾 ページ28
 ◇二つの「福祉社会」
 ◇無償の福祉

(2)年金も生活保護も必要なくなる
 ◇年金制度の不合理性 ページ29
 ◇共産主義的老後生活
 ◇社会事業評議会

(3)充足的な介護システムが完備する 
 ◇介護の公共化 ページ30
 ◇介護と医療の融合
 ◇「おふたりさま」老後モデル

(4)名実ともにユニバーサルデザインが進む 
 ◇脱施設化 ページ31
 ◇障碍者主体の生産事業体
 ◇「反差別」と心のバリアフリー

(5)環境‐福祉住宅が実現する
 ◇賃貸/ローンからの解放 ページ32
 ◇公営住宅供給の充実
 ◇環境と福祉の交差

(6)効率的かつ公平な医療が提供される  
 ◇地域圏中心の医療制度 ページ33 
 ◇医師の計画配置  
 ◇保健所の役割  
 ◇科学的かつ公正な製薬

第6章 共産主義社会の実際(五):教育

(1)子どもたちは社会が育てる
 ◇親中心主義からの脱却 ページ34
 ◇義務保育制
 ◇地域少年団活動

(2)構想力と独創性が重視される
 ◇先入見的イメージの払拭 ページ35
 ◇資本主義的知識階級制
 ◇知識資本制から知識共産制へ

(3)大学は廃止・転換される
 ◇知識階級制の牙城・大学 ページ36
 ◇学術研究センター化

(4)遠隔通信教育が原則となる
 ◇学校という名の収容所 ページ37
 ◇脱学校化へ向けて

(5)一貫制義務教育が始まる 
 ◇ふるい落としからすくい取りへ ページ38
 ◇基本七科の概要
 ◇職業導入教育

(6)真の生涯教育が保障される
 ◇人生リセット教育 ページ39
 ◇多目的大学校と専門技能学校
 ◇高度専門職学院
 ◇ライフ・リセット社会へ

第7章 共産主義社会の実際(六):文化

(1)商品崇拝から解放される
 ◇「人間も商品なり」の資本主義 ページ40
 ◇本物・中身勝負の世界へ

(2)誰もが作家・芸術家
 ◇市場の検閲 ページ41
 ◇インターネット・コモンズの予示
 ◇開花する表現の自由

(3)マス・メディアの帝国は解体される
 ◇メディアの多様化 ページ42
 ◇誰もが記者 

(4)競争の文化は衰退する
 ◇資本主義的生存競争 ページ43
 ◇共存本能の可能性
 ◇共産主義的切磋琢磨
 ◇究極の自殺予防策

(5)シンプル・イズ・ザ・ベスト
 ◇シンプルな社会文化 ページ44
 ◇四つのシンプルさ
 ◇人間の顔をした近代

第8章 新しい革命運動 

(1)革命の主体は民衆だ
 ◇革命という政治事業 ページ45
 ◇マルクス主義的「模範」回答
 ◇困難な「プロレタリア革命」
 ◇「プロレタリア革命」の脱構築 ページ46
 ◇「搾取」という共通標識
 ◇「プレビアン革命」の可能性

(2)革命にはもう一つの方法がある  
 ◇革命の方法論 ページ47 
 ◇民衆蜂起  
 ◇集団的不投票

(3)共産党とは別様に 
 ◇革命運動体としての民衆会議 ページ48
 ◇革命前民衆会議の概要①―世界民衆会議
 ◇革命前民衆会議の概要②―各国民衆会議
 ◇しなやかな結集体 ページ49
 ◇赤と緑の融合
 ◇集団的不投票運動 
 ◇対抗的立法活動
 ◇政党化の禁欲

(4)まずは意識革命から
 ◇「幸福感」の錯覚 ページ50
 ◇「老人革命」の可能性
 ◇文化変容戦略
 ◇有機的文化人

第9章 非武装革命のプロセス

(1)革命のタイミングを計る
 ◇社会的苦痛の持続 ページ51
 ◇晩期資本主義の時代
 ◇民衆会議の結成機運

(2)対抗権力状況を作り出す
 ◇未然革命 ページ52
 ◇集団的不投票の実行
 ◇政治的権利としての「棄権」
 ◇対抗権力状況の確定
 ◇共産党に対抗する共産主義革命 ページ53
 ◇共産党の自主的解散?
 ◇反共革命に非ず
 ◇民衆会議=真のソヴィエト

(3)革命体制を樹立する
 ◇対抗権力状況の解除 ページ54
 ◇移行期集中制
 ◇「プロレタリアート独裁」との違い

(4)移行期の工程を進める
 ◇移行期工程の準備 ページ55
 ◇初期憲章(憲法)の起草
 ◇共和制の樹立
 (◇経済移行計画)
 ◇革命防衛 
 ◇移行期行政
 ◇軍廃計画の推進
 ◇移行期司法
 ◇代議員免許試験の実施
 ◇制憲民衆会議の招集
 ◇初期憲章の施行

(5)経済移行計画を進める
 ◇経済移行計画 ページ56
 ◇基幹産業の統合
 ◇貨幣制度廃止準備
 ◇土地革命
 ◇農業の再編
 ◇告知と試行

(6)共産主義社会が始まる
 ◇最初期共産主義 ページ57
 ◇通貨制度の廃止
 ◇計画経済の始動
 ◇社会革命の進行
 ◇全土民衆会議の発足
 ◇政府機構の廃止
 ◇軍廃計画の実行
 ◇完成憲章の制定
 ◇成熟期共産主義から高度共産主義へ

第10章 世界共同体へ

(1)「ドミノ革命」を起こす
 ◇マルクスとエンゲルスの大言壮語 ページ58
 ◇革命の地政学

(2)地球を共産化する
 ◇世界共同体の創設 ページ59
 ◇世界共同体の基本構制
 ◇グローバル計画経済
 ◇共産主義の普遍性

(3)国際連合を脱構築する
 ◇国際連合という人類史的経験 ページ60
 ◇人類共同体化
 ◇五つの汎域圏
 ◇南半球重視の運営
 ◇世界公用語の論議
 ◇非官僚制的運営 ページ61
 ◇経済統合機能の促進
 ◇人権保障部門の強化
 ◇地球観測体制の整備
 ◇地球規模での戦争放棄

(4)恒久平和が確立される
 ◇軍備の廃止 ページ62
 ◇司法的解決と紛争調停/平和工作
 ◇平和維持巡視隊と航空宇宙警備隊
 ◇軍需経済からの決別

あとがき ページ63

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共産論・部分改訂表

2019-07-25 | 〆共産論[増訂版]

当記事では、共産論・増訂版公開後の主要な部分的改訂箇所を随時お示しします。〇

 

第1章(2)

1.「資本自由主義」を「資本至上主義」に変更。
〈趣旨〉意味的にはほとんど変わらないが、資本の活動の自由を至上価値として最優先する思潮の特徴を強調するため。なお、通称では「新自由主義」と総称されてきた思潮に相当する。

第1章(4)

1.新興諸国や途上諸国からの近年の大量移民現象に関する言及を追加。
〈趣旨〉近年資本主義的成長を見せる新興/途上諸国からの大量移民という矛盾現象を資本主義の限界事象の一つとして把握するため。

第2章(1)

1.充足を追求する新たな物質文明のありように関する記述を追加。
〈趣旨〉原文では留保していた物質文明をめぐる問いへの回答を簡潔に示すため。

第2章(3)

1.「具体的環境規準を踏まえた厳正な需要設定」を「具体的環境規準を踏まえた厳正な供給設定」に訂正。
〈趣旨〉用語の誤記を訂正。

2.陸上輸送の計画策定に関して、「電気自動車または水素自動車によるトラック輸送と可能限り電化された鉄道輸送」を追加(下線部分)。
〈趣旨〉近年の電気自動車の普及や将来の水素自動車の普及を視野に入れ、記述を補足するため。

第4章(1)

1.「経済協力」を「経済協調」に変更。
〈趣旨〉意味的にはほとんど変わらないが、より緊密かつ対等な関係性を表現するため。

第4章(3)・続

1.「多数決‐少数決制」及び「大衆迎合政治の禁止」の節及びページを追加。
〈趣旨〉同章で提起した「真の民主主義」の具体像をより詳細に明らかにするため。

第4章(5)

1.「犯罪捜査庁」を「捜査委員会」に変更。
〈趣旨〉捜査機関をより公正な合議体をもって運営するため。

2.「交通安全庁」を「交通安全本部」へ、「海上保安庁」を「海上保安本部」に変更。
〈趣旨〉それぞれ交通警邏隊・沿岸警備隊という取締組織の統括責任機関としての性格を強化するため。

第4章(6)

1.小見出しを「裁かない司法制度が現れる」に変更したことに伴う若干の記述の補足。
〈趣旨〉権威主義的な裁判所制度によらない共産主義的紛争処理制度の特質を明瞭にするため。

2.「犯罪」の用語を一部削除(作業中)。

〈趣旨〉共産主義社会における刑罰制度の廃止の趣旨を徹底し、「犯罪」という刑罰的ニュアンスを包含する用語の使用をより限定するため。「犯罪」に代わる新たな用語としては、「犯則(行為)」を使用する。

3.「法令委員会」を「法理委員会」に変更。
〈趣旨〉法令の解釈という理論的な任務に専従する民衆会議常任委員会の役割をより鮮明にするため。

4.「護民官」を「護民監」に変更し、オンブズマンを削除。
〈趣旨〉「護民監」の監督司法としての性質を浮き彫りにするべく語変換するとともに、監察権力としての性質の強い北欧的な制度であるオンブズマンの語を司法分野では使用しないようにするため。

第5章(1)

1.「二つの福祉社会」の記述から、福祉社会の日米対比を削除。
〈趣旨〉アメリカ型の福祉資本主義による福祉社会と共産主義的福祉社会という二つの福祉社会を端的に対照させるため。

第5章(4)及びその他関連する箇所

1.「バリアフリー」の用語を原則的に「ユニバーサルデザイン」に変更。
〈趣旨〉障碍者包容政策の基本理念が、現時点では単なる障壁除去から普遍的設計へと進展していることを反映させるため。

第7章(3)

1.「新聞法人」「放送法人」を「メディア協同組合」に変更。
〈趣旨〉非営利的で非集中的なメディア運営組織形態としての特徴を明確にするため。

第8章(2)及びその他関連する箇所

1.「集団的棄権」の用語を「集団的不投票」に変更。
〈趣旨〉「棄権」の用語が醸し出す投票権の放棄という怠慢的なイメージを払拭し、積極的な革命の手法として、集団的に投票しないことをもってブルジョワ選挙政治体制の転換を図る趣旨を明らかにするため。

第9章(1)及びその他関連する箇所

1.「非暴力革命」の用語を「非武装革命」に変更。
〈趣旨〉「非暴力革命」の対語「暴力革命」がしばしば革命的勢力全般に対する弾圧を正当化する常套用語として乱用されがちな点を考慮し、武装して立たないという革命の手段をより強調するため。

第9章(2)

1.「世界共同体の漸次的な樹立を宣言する」の下線部分を「暫定的な樹立」に変更。
〈趣旨〉民衆会議を通じた共産主義革命においては、まず世界民衆会議の結成を通じた世界共同体の樹立が出発点となることを強調し、世界共同体の樹立は間延びした「漸次」でなく、先駆的な「暫定」であるべきことを示すため。

第9章(4)

1.「革命防衛連絡会」(革防連)の意義に関する記述の補正。
〈趣旨〉革防連が政治警察の代替組織と化さないよう、監視・抑圧よりも、啓発・包摂に重点を置くことを明確にするため。

2.軍の「高度救難隊」への一部再編に関する記述を追加。
〈趣旨〉軍備廃止計画の一環として、在来の軍組織の平和利用的な転換の一策を提示するため。

〇第9章(6)

1.完成憲章の発効要件として、連合領域圏では連合を構成する全準領域圏における直接投票を義務づけ。
〈趣旨〉連合領域圏を構成する準領域圏はそれ自体がまさに領域圏に準じた自立性を有することを重く見て、完成憲章の発効要件を強化するため。

第10章(2)

1.上掲第4章(1)の項目1に同じ。

第10章(3)

1.世界共同体暦の策定を追加。
〈趣旨〉人類史的な一大転換点となる世界共同体の創設を銘記しつつ、暦法の上でも世界共同体の一体性を担保するため。

2.世界共同体のエスペラント語表記をTutmonda KomunumoからMonda Komunumoに変更。
〈趣旨〉より簡潔で発音しやすく、覚えやすい単語とするため。

第10章(3)・続

1.「環境経済理事会」を「持続可能性理事会」に変更
〈趣旨〉世界共同体のレベルにおける環境政策と経済政策の融合を徹底しつつ、包括的な任務を有する主要機関とするため。

2.「人権理事会」を削除。
〈趣旨〉世界共同体における人権保障体制を司法機関としての人権査察院に一元化するため。

3.「人権審査院」を「人権査察院」に変更。
〈趣旨〉個別的な人権侵害事案に対する世界共同体司法機関による強制力を伴う調査及び審決が実現されることを明瞭にするため。

10章(4)

1.「平和維持警察軍」及び「航空宇宙警戒軍」をそれぞれ「平和維持巡視隊」「航空宇宙警備隊」に変更。
〈趣旨〉世界レベルでの軍備・常備軍廃止の趣旨を徹底するため、世界共同体に統合される二つの共同武力に関しても、「軍」の名称を冠さないようにするため。

2.改称された「航空宇宙警備隊」の概要に関する記述の変更。
〈趣旨〉平和維持巡視隊に準じつつも、その防空任務に照らし、部分的には既存の空軍に近い側面を持つことを示唆するため。

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共産論(連載最終回)

2019-07-24 | 〆共産論[増訂版]

あとがき

 真の共産主義―まがい物や自称ではなく―を発見する旅も、これにて終わりである。文字に書けば短い旅に見えるが、実践しようとすれば長旅になるだろう。
 その点、ロシアの文豪ドストエフスキーが特異な問題作『地下室の手記』の主人公におおよそこんなことを言わせている。人間は物事を達成するプロセスは好きだが、目的を達成してしまうことは好まない。だから目的はいつもプロセスのまま道半ばで終わってしまうのだ、と。
 共産主義社会も、これを人類社会の一つの到達点として見れば、そこへ至る過程は一つの「道」と言えるのであるが、ここで従来提示されてきた共産主義への道を大別してみると、次の三つに分かれる。

○第二の道:社会主義から共産主義へ  
 これは旧ソ連及びその影響下にあった諸国が当初辿ろうとした道であり、資本主義が未発達な段階から始めて、国家に全生産手段を集中させる社会主義=集産主義の段階を経て共産主義に至るのだと宣伝されていたが、まさしく道半ばで挫折し、現在ではすべて放棄されてしまった。総本山ソ連とその最も忠実な同盟国東ドイツでは、国自体が消滅してしまったことで、この道は完全に破綻したとみなされている。

○第三の道:社会主義から(名目)共産主義へ  
 これは第二の道と決別した西欧共産党(中でもイタリア共産党)によって志向された道であり、資本主義の高度な発達という現実の壁にぶつかり、資本主義議会への参加を通して事実上資本主義へ合流していく道である。「ユーロコミュニズム」とも称されたが、その実態は道半ばでの断念であり、名ばかりの共産主義への道である。  
 他方、当初はソ連にならい第二の道を歩んだ中国共産党は、「社会主義市場経済」のドクトリンの下、社会主義に市場経済を埋め込むという方向へ舵を切って相当な成果を収めてきた。これも暗黙のうちに資本主義へ合流する第三の道の中国版という趣意で、「チャイノコミュニズム」とも呼び得るが、実態は共産主義の棚上げである。

○第一の道:資本主義から共産主義へ  
 これは資本主義が高度に発達し切ってその限界に達した時、共産主義社会への移行が開始するというマルクスが本来提示していた共産主義への道である。

 このように第一の道を最後に掲げるのは順不同にも思えるが、実はこれこそが世界で文字どおりにはまだ試行されたことすらない道であり、まさに本連載が提唱する道でもあるのである。その意味で、あえてこれを最後に持ってきた次第である。  
 その点、第二の道は第一の道をショートカットしようして失敗、第三の道は第一の道を回避して実質上資本主義への道に合流したのだとも言える。その意味で、第一の道こそ、共産主義への本道なのである。それだけに至難の道であり、至難だからこそ、第二、第三の道への誘惑も生じたのだろう。  
 筆者自身、共産主義社会の実現可能性について決して無垢な楽観を抱いているわけではないことを告白せざるを得ない。人類が数千年をかけて構築してきた貨幣経済と国家を廃するという道は、決して平坦ではないからである。それを可能とするには、通常的な意味での意志とか努力ではなく、生物学的な意味での新たな「進化」を要するのかもしれない。  
 そうした人類の新たな進化を促進するのは、他の生物と同様、生息環境の変化である。現在、悪化の一途を辿る地球環境に適応していくためには、小手先の技術的な「環境対策」ならず、共産主義への道が唯一本質的な打開策であるという理に世界の大半の人々が気づいた時、共産主義への本道が真剣に追求されるであろう。  
 本連載は「その時」―筆者の見通しでは半世紀以内には到来し得る―に備えたある種の設計図であって、福音書のようなものではない。あくまでも将来の共産主義社会を見通すためのたたき台となる設計図である。  
 そもそも共産主義は一人の教祖的人物が説示する教義のようなものではあり得ず、皆で協力し合いながら未来を創り出していく、それ自体が共産的な共同プロジェクトであるからして、共産主義に経典のような教義書はそぐわない。  
 そうした意味では、本連載をたたき台としながら、その内容を骨抜きにしたり、歪めたりするのでなく、改良・更新し、さらに凌駕していくような理論と運動が生まれることを、あと半世紀はとうてい生きられない筆者としても大いに期待したいところなのである。

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共産論(連載第62回)

2019-07-23 | 〆共産論[増訂版]

第10章 世界共同体へ

(4)恒久平和が確立される

◇軍備の廃止
 前節でも述べたように、国連脱構築計画の最後を飾るものが地球規模での戦争放棄、恒久平和の確立である。おそらく、これが最難関となるに違いない。
 その点、現行の国連憲章は初めから戦争放棄を「放棄」してしまっており、専ら「集団的安全保障」に関心を集中している。それどころか、場合によっては国連自らが国連軍を組織して戦争を発動することさえも否定していない。ここに、現存国連体制の本質的な限界が露呈している。
 その限界とは、まさに国連が主権国家の連合体にすぎない点にある。しかも、国家主権には伝統的に交戦権とそれを物理的に担保する常備軍保持権とが含まれるのであるから、主権国家体制とは、軍事的に見れば、諸国民が戦車と戦艦と戦闘機で互いを威嚇し合う実に奇怪な体制なのである。
 これに対し、世界共同体は、その創設にあたり、憲章をもって共同体を構成する各領域圏の軍備及び常備軍保有を禁止する。これによって、各領域圏はそれが国家と呼ばれていた時代に保持していた軍隊やそれに準じる武装機関を完全に解体する義務を負う。このように、核兵器にとどまらず、通常兵器を含めたあらゆる軍備を廃絶しない限り、恒久平和の体制を構築することはできない。
 とはいえ、共産主義的な世界共同体の下でも領域圏間ないしは領域圏内部の紛争の発生を完全にゼロにすることは難しいかもしれない。世界共同体は主権国家を揚棄し、世界統合を実現はしても、諸民族間の不和対立を一掃してしまえるほど完全万能のものではないからである。

◇司法的解決と紛争調停/平和工作
 不可避的に生じるかもしれない紛争に対して武力をもって対処しても本質的に解決されないことは、国連の歴史的経験上明らかである。そこで世界共同体は武力によらない紛争解決のシステムを用意する。そのシステムは二段構えである。
 第一段は司法的解決である。具体的には汎域圏民衆会議司法委員会による第一審、世界共同体司法理事会による第二審から成る民際司法システムである(その詳細は『民衆会議/世界共同体論』の拙稿を参照)。
 司法的解決自体もこのような二段構えとするのは、地域的な紛争はまず当該紛争地域が包摂される五つの汎域圏内部で解決を図り、世界共同体はその上訴審を担うことが適切だからである。
 この司法的解決には強制執行力があるため、通常はこれで決着するはずであるが、万一決着せず蒸し返された場合、または司法的解決を待てない緊急性の高い衝突が発生した場合の次なるステップとして、世界共同体平和理事会による紛争調停/平和工作がある。
 すなわち紛争の発生または発生の切迫した危険を認知した理事会はまず、紛争当事者(潜在当事者を含む)から中立的な領域圏に属する紛争解決専門家で構成された「緊急調停団」を任命し、紛争の迅速な解決に努める。
 この調停が功を奏した場合も、再発防止と調停履行の監視のため、平和理事会の下に専門的な訓練を受けた要員から成る「平和工作団」を常備し、同理事会の決議を受けて随時紛争地へ派遣することができるようにする。
 その現地での活動の安全を担保するためには武装した要員も一定必要とされるかもしれないが、それは「軍人」ではなく、特別な訓練を受けた特殊治安要員であれば十分である。そうした世界共同体の特殊治安組織として、平和維持巡視隊が編制される。

◇平和維持巡視隊と航空宇宙警備隊  
 上述の世界共同体平和維持巡視隊は、平和理事会の下部組織としての地位を持ち、指令委員会の指揮下で任務に従事する。性格としては現存国連平和維持軍に類似しているが、個別紛争案系ごとに組織されるものでなく、常設される武装機関である。  
 しかも、各国軍隊から寄せ集められる国連平和維持軍とは異なり、世共平和維持巡視隊は統一的な専従要員を擁する正式の機関である。要員の養成は各領域圏に応分に委託され、主要な領域圏には訓練学校が設置される。訓練学校を修了した候補生は士官として任官するが、上級士官となるには別途教育訓練課程を経る必要がある。ただし、軍隊とは異なり、階級呼称は存在せず、所属部隊・部署ごとの役職で区別された上下関係が存在するのみである。  
 平和維持巡視隊は基本的に地上部隊であるが、限定的に海上部隊も保有すべきであろう。これとていわゆる海軍ではなく、その役割は海賊の取り締まりや、各領域圏沿岸警備隊の権限の及ばない公海上での海難救助等に当たる海洋巡視である。  
 他方、平和維持活動は空爆のような戦争手段を採り得ないから、航空部隊は不要とも言えるが、宇宙から飛来する隕石への対処や、―現時点では多分にしてSF的想像の世界にとどまるとはいえ―他の惑星に住んでいるかもしれない高等知的生命体からの接触や攻撃の可能性をも想定した宇宙空間の警戒のため、平和維持巡視隊とは別途、防空機能に特化した航空宇宙警備隊を組織することも検討に値しよう。その装備や組織のあり方や要員の訓練等に関しては、おおむね平和維持巡視隊に準ずるものの、部分的には現在の空軍に近いとなるかもしれない。

◇軍需経済からの決別
 ところで、軍備廃止程度のことなら、現行国連体制下でも将来的には可能ではないかという疑問が生じるかもしれない。しかし、それは不可能である。世界はなぜ、軍備廃止に踏み切れないか。
 現存世界の主要国で完全非武装政策に踏み切った国は皆無である。これは各国が心情において好戦的であるからというよりは、資本主義の構造の然らしめるところなのである。
 資本主義経済は、国家の軍事的ニーズに対応する軍需経済を用意している。この軍需経済の担い手が軍産複合体という官民合同セクターである。軍需経済は資本主義の第一経済部門である民需経済に対して第二経済部門を成している。
 ちなみに、資本主義の言わば第三経済部門として麻薬や偽造品等の禁制品の闇市場が存在するが、兵器が闇市場に流れているとすれば、第二経済部門と第三経済部門とは地下で連絡していることになるだろう。
 さて、この資本主義の第二経済部門たる軍需経済が扱う商品とは、人を効率的に大量殺傷するための兵器と呼ばれる特殊な物品である。不道徳な使用価値を帯びてはいるが好不況に関係なく需要のあるこの高価品は、景気循環の直接的な影響を受ける不安定な第一経済部門たる民需経済を補完する働き、安全弁の役割を果たしている。言わば、「生の商品」を「死の商品」が裏から支える関係である。
 それに加えて、労働経済という観点から見ても、軍備を支える常備軍組織は景気にかかわりなく要員補充を行うから、失業者または潜在的失業者を吸収する一種の失業対策の調整弁ともなり得るものである。
 このようにして、資本主義経済は軍需経済を不可分の構成要素として内在化している。この第二経済部門としての軍需経済は東西陣営が軍備拡大競争に狂奔した冷戦時代に飛躍的な成長を遂げたが、冷戦終結によっても縮退するどころか逆に増殖している。
 兵器のハイテク化に伴い、軍需産業の射程範囲が兵器そのものを製造する狭義の軍需産業から、兵器に搭載され、または指令システムを構成する情報通信技術を開発するハイテク産業分野にまで拡大を遂げているからである。加えて、近年は軍務そのものの効率化を目的として、戦闘を含む軍務の一部民間委託も広がり、民間軍務会社のようなサービス産業型の軍需も生じてきている。
 大国間の世界戦争危機がさしあたりは遠のいた冷戦終結後の世界では、かえって局地的な地域紛争への派兵の多発化により、軍需産業のビジネス・チャンスは広がっている。軍需資本にとって、戦争はたとえ小さなものであっても自社製品の性能をテストするチャンスであるから、かれらの顧客である主権国家には時々戦争を発動してもらわねば困るのだ。戦争もビジネスなり。何とも不埒ではあるが、これこそ「死の商品」の現実である。
 「死の商品」の究極を行く核兵器とは、自動車と並ぶ資本主義のもう一つの“顔”と言ってよい。自動車と核兵器が資本主義総本山・米国の“名産品”であることは決して偶然ではない。ここから、資本主義経済構造を踏まえないあらゆる平和論・運動の非現実性が明らかとなる。資本主義経済構造に手を付けないままでの戦争放棄・常備軍廃止論は、カントの恒久平和論のような観念論に終始するからである。
 カントが正当に思弁した恒久平和を単なる観念的理想論でなく、現実の世界秩序として確立するためには、資本主義から共産主義への移行によって軍需経済の桎梏を断ち切ることが不可欠なのである。

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共産論(連載第61回)

2019-07-22 | 〆共産論[増訂版]

第10章 世界共同体へ

(3)国際連合を脱構築する(続)

 ◇非官僚制的運営  
 第五に、外交官主体の運営を廃すること。  
 現在、国連で各国代表を務めるのは加盟国から派遣された外交官たる国連大使たちであるが、結果として、国連は外交官主体の運営となり、それ自体も官僚制的な事務局と相まって国連官僚主義を形成している。  
 これに対して、世界共同体の最高議決機関たる総会は民衆会議のトランスナショナル組織でもある世界民衆会議それ自体であって―従って、正式名称は「世界共同体総会‐世界民衆会議」となる―、世界民衆会議代議員は、原則として各領域圏民衆会議が各々一名ずつ選出する。これによって、間接的ながら各領域圏の民意が代議員の任命に反映される。(※)
 他方で、世界共同体と正式にオブザーバー協約を結んだ民際団体(医療、福祉、学術などの幅広い団体を含む)は世界共同体総会及び理事会にオブザーバを派遣し、討議に参加・発言する権限を認める。
 あわせて、官僚制的な事務局機能も打破されなければならない。前述したように、五汎域圏代表者会議を世界共同体の常設責任機関として位置づけることはその一環である。事務局の任務は総会や代表者会議の実務的補佐及びその他諸機関の間の調整に限局され、事務局自体は主要機関ではなく、事務局長も政治的な発言力は持たない。

※同時に、共同体としての円滑な討議と議決を促進するため、小規模な領域圏は周辺領域圏との合同化を促進し(合同領域圏)、合同領域圏からは原則として輪番で一人の合同代議員のみが参加できるものとする。詳細は、拙稿参照。

◇経済統合の促進  
 第六に、経済統合を高めること。  
 現行の国連経済社会理事会は主要機関でありながら経済問題に関してほとんど有効に機能しておらず、むしろ専門機関である国際通貨基金(IMF)や世界銀行が国際資本主義の司令塔として支配力を持っている。
 他方で、国連自身が喫緊の課題とする地球環境問題に関しては、独立した主要機関を擁しておらず、総会補助機関としての国連環境計画(UNEP)が存在するだけである。 
 これに対し、世界共同体は環境的持続可能性の観点から、環境政策と経済政策を融合して所管する独立の主要機関となる持続可能性理事会を立て、その専門機関として、先に見た世界経済計画機関をはじめとする経済諸機関を置き、地球共産化へ向けた経済の世界統合を促進する。他方、保健や教育を所管する社会文化理事会は経済理事会とは切り離され、別個の主要機関となる。

◇人権保障部門の強化  
 第七に、人権保障部門を大幅に強化すること。  
 国連は2006年に国連総会の新たな下部機関として人権理事会を設置して人権保障部門の一定の充実を図ったが、独立した人権審査機関は設置されておらず、国際人権規約をはじめとする人権諸条約の執行体制が不備なままである。拘束力を欠いた国連の一般的な勧告は多くの場合、人権侵害の当事国によって公然と無視される。  
 これに対し、世界共同体は独立の主要機関として人権査察院を創設し、各種人権条約に基づく拘束力を伴った個別事案に対する人権査察を通じた人権保障体制の強化を図る。
 さらに、人権査察院に告発された人権侵害行為が反人道的な犯罪行為に該当する場合、人権査察院は審決に基づき改めて特別人道法廷を設置し、当該反人道犯罪の全容解明と関与者の処分を行なう。

◇地球観測体制の整備  
 第八に、科学的な地球観測体制を整備すること。  
 近年、国連は気候変動問題に精力的に取り組んでいるが、独自の常設的な観測機関を持たないために、その環境科学的な公式見解の威信になお揺らぎが見受けられる。それに対して、世界共同体は常に威信ある環境科学的知見を全世界に提供することができるように、世界中の地球科学者を常任または顧問のスタッフとして擁する「地球環境観測所」を主要地点に開設し、地球環境の恒常的な定点観測を実施する。

◇地球規模での戦争放棄  
 第九に、地球規模で戦争を放棄すること、その物的な担保として全世界で軍備及び常備軍を廃止すること。それとも関連して、非軍事的な航空宇宙探査を世界共同で行うための仕組みを導入すること。
 このうち、前者の本題については問題の大きさからして改めて次節で論じるとして、ここでは後者の関連問題に触れておく。  
 従来、宇宙探査は軍事的な思惑を伴いつつ、東西冷戦時代から米ソ両国間で競争的に繰り広げられ、冷戦終結後の今日でも技術先進国による「宇宙開発」競争が国益と経済的思惑を絡めて展開されている。  
 しかし、共産主義の下では他の天体を含む宇宙空間は、地球上の土地や天然資源にも増して誰の所有にも属しない。大気圏を離れた宇宙は地球人の共有物であるとさえ言い得ないし、まして戦場であるべきではない。
 ただ、宇宙探査自体は地球人の学術的共同利益に関わる事柄であるから、世界共同体は、平和的な宇宙探査を担う機関として、目下各国ごとに分かれている宇宙研究機関を統合した「世界共同体宇宙機関」を創設する。

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共通世界語エスペランテート(連載第16回)

2019-07-20 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(2)発音法則

 習得容易性という世界語の条件からすると、エスペランテートの発音法則は可能なかぎり簡単明瞭でなければならない。その点で、エスペランテートの発音法則の特徴はつぎの四点に集約される。

Ⅰ 母音はa e i o uの五つである
Ⅱ すべての単語はかかれたとおりによまれる
Ⅲ アクセントはつねに最後から二番目の音節にある
Ⅳ 声調は存在しない

 この四点はエスペランテートの祖語であるエスペラント語の発音法則と共通であるが、いくつか補足すべきことがある。

 まず一番目の五母音主義は、母音数をしぼることで、英語にみられるような区別の微妙な曖昧母音を排除する趣旨である。いずれの母音も明瞭に発音される。

 二番目の文字と発音の一致は、フランス語や英語にもみられるように、表記されているが発音されない黙字やおなじ文字が単語によりなんとおりにも発音されるといった変則が一切存在しないことを意味する。
 
 三番目の固定アクセントは、単語ごとにアクセントの位置がことなる煩雑さを排除する。たとえば、エスペランテート:ESPERANTETOのアクセントはTEのところにある。日本語でカタカナ表記するばあいは長音記号ーを付するが、発音に際しては日本語の長音ほど長く伸ばさない。あくまでもアクセントの問題である。 
 ただし、アクセントのある音節は明瞭につよく発音されるので、こころもちながめになるだろう。結果的に長音にちかくなるが、いわゆる長母音となるわけではない(長母音と短母音の区別は存在しない)。
 なお、固定アクセントのみさだめに関して、auのような二重母音は母音一個とみなされるので、たとえば、hierau(きのう)のアクセントの位置はhierauとなる。

 四番目は、中国語に代表されるような音の高低調が音節ごとにさだめられた声調言語ではないということで、結果として比較的平板な発音になるが、声調を習得する労は要しない。

 なお、子音に関しては、前回文字体系に関連してふれたように、エスペランテートにはF/fやV/vのような唇歯摩擦音、歯茎側面接近音L/lの音素が存在しないほか、P/pの音素は、その出現範囲が限定されている。

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共通世界語エスペランテート(連載第15回)

2019-07-19 | 〆共通世界語エスペランテート

第2部 エスペランテート各論

(1)文字体系

 世界語の相対的な条件として、習得容易性という性質は最重要のものである。その点、かきことばをともなう言語習得において最初の関門は文字であるが、世界語の文字体系は極力簡便であることが習得容易性をたかめる。
 エスペランテートでは、英語等とも共通するラテン式アルファベット(ローマ字)を使用する。おそらく、ラテン式アルファベットがもっとも簡便な文字体系だからである。

 この点で世界語の絶対条件となる言語学的中立性がとわれるが、今日ではおおくの非西欧言語でもラテン文字表記を正書法表記もしくは補助的な表記として公認していることにかんがみると、ラテン文字の採用は許容される範囲内といえるだろう。

 エスペランテートの文字体系は、英語より5個少ない以下の21文字(大文字/小文字)で構成される(カッコ内は発音)。
 エスペランテートで大文字が使用されるのは、文頭単語のはじめの一文字のほか、人名や地名等の固有名詞である。固有名詞は、そのすべてを大文字で表記する。例:YAMADA TAROU(山田太郎)

 A/a[アー] B/b[ボー] C/c[ツォー] D/d[ドー] E/e[エー] G/g[ゴー] H/h[ホー] I/i[イー] J/j[ジョー] K/k[コー] M/m[モー] N/n[ノー] O/o[オー] P/p[ポー] R/r[ロー] S/s[ソー] T/t[トー] U/u[ウー] W/w[ウォー] Y/y[ヨー] Z/z[ゾー]

 上記のうち、W/wは下記の準文字hw及びbwにおいてのみもちいられる形式文字であり、単独ではもちいられないので、実質的な文字数は20個とみなすこともできる。

 P/pは単語の語頭にたたず、語末にもつかない。また、P/pはうしろにかならず母音をともない、子音をともなうことはない。ただし、外来語の固有名詞のばあいは、そのかぎりでない。

 rは原則として、まきじたで発音されるが、arのように、rが単語の語尾につくばあいは、まきじたにならず、標準英語のrのような歯茎接近音となる。なお、まきじたができないばあいは、各自の母語のr音の発音で代用してよい。

 文字のくみあわせによる追加的な準文字として、つぎの4種がある。これらを大文字化するときは、筆頭文字(それぞれc s h b)だけを大文字にする。

 ch[チ] sh[シュ] hw[フッ] bw[ブッ]

 hwとbwは、うしろにかならず母音をともなって、ファやブァのように発音される。fやvのような唇歯摩擦音ではない。

 英語には存在するが、エスペランテートには存在しない文字として、つぎの5文字がある。

 F/f  L/l  Q/q  X/x  V/v 

 これらのうち、F/fやV/vのような唇歯摩擦音をもつ言語は英語やエスペラント語をはじめすくなくないが、日本語のように、これをもたない言語も存在するため、世界語たりうる中立性という観点から、エスペランテートでは唇歯摩擦音が排除される。

 また、歯茎側面接近音とよばれるL/lは、その発音が不明瞭になりやすく、ききとりにくい難点をもち、日本語のようにこの音素をもたない言語も存在することから、エスペランテートでは排除される。

 ただし、上掲6文字は人名・地名等の固有名詞を表記する際には一種の外来語として使用されうるので、完全に排除されるわけではないことに注意を要するが、エスペランテート固有の文字体系からは排除されるのである。

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共産論(連載第60回)

2019-07-17 | 〆共産論[増訂版]

第10章 世界共同体へ

(3)国際連合を脱構築する

◇国際連合という人類史的経験
 先に世界共同体には国際連合(国連)と類似する点もあると述べたが、実際、世界共同体は国連を共産主義的に解体再構築したモデルだと言うことができ、国連を単純に否定するものではない。
 しかし、国連は第二次世界大戦における勝者たる連合国主導で結成された連合国中心の国際秩序という本質を免れることは永遠にできない。そのうえ、国連五大国内部で冷戦期‐ポスト冷戦期を通じて東西の分裂があり、その機能は阻害されている。
 そうした欠陥にもかかわらず、国連というシステムは人類史上稀有な経験であるという事実はもっと評価されて然るべきである。ほぼ全地球上をカバーする国連のような連合体が半世紀以上にわたって存続し得たことは、人類史上例を見ないからである。国連は世界を二分した東西冷戦の真っ只中でも完全に崩壊することなく、風雪に耐えたのである。
 世界共同体は、このような国連という貴重な人類史的経験の上に成り立つものである。しかし、国連はその本質的な限界ゆえ、いずれ行き詰まることは必然的である。その解体的再編によって、世界共同体が現れるのである。以下では、現存国連と対比させる形で、世界共同体の仕組みを見ていきたい。

◇人類共同体化
 第一に、単なる国家連合体でなく、人類共同体としての結合を強化すること。
 そうした結合の名辞的担保としてエスペラント語を暫定的な公用語とし、エスペラント語でMonda Komunumoを世界共同体の正式名称とする。(※)
 さらに、従来事実上の世界共通歴となってきた西暦(グレゴリオ暦)に代わり、世界共同体憲章発効年度を第一年とする新たな暦法(世界共同体暦)により運営する。ただし、西暦を含め、独自の暦法を各国構成主体が採用することは自由である。

※monda(世界の)+komunumo(共同体)が語源である。なお、暫定的な英語名称はWorld Commonwealthとする。

◇五汎域圏
 第二に、五大国(米英仏露中)中心の運営を廃すること。
 五大国支配に代えて、世界共同体は「五汎域圏代表者会議」を常設執行機関とする。ここに、五汎域圏とは地球上の次の五つの連関地域を指す。(※)

○汎アフリカ‐南大西洋域圏
:アフリカ大陸と周辺大西洋島嶼の領域圏を包摂
○汎ヨーロッパ‐シベリア域圏
:欧州全域と極東シベリアを除く現ロシア連邦に属する領域圏を包摂
○汎西方アジア‐インド洋域圏
:西アジア・中央アジア・南アジアの領域圏を包摂
○汎東方アジア‐オセアニア域圏
:東南アジア・東アジア・オセアニアの領域圏を包摂
○汎アメリカ‐カリブ域圏
:カナダを含む北米・中南米・カリブ海の領域圏を包摂

 以上の五つの汎域圏にも各々汎域圏民衆会議が設置され、汎域圏内部のリージョナルな政治経済政策の決定と域内協力の場となる。
 汎域圏民衆会議の代議員は汎域圏に包摂される領域圏内の地方圏(例えば日本領域圏内の近畿地方圏とか東北地方圏など)―または準領域圏(現行連邦国家における州に相当)の民衆会議がその代議員中から各1人ずつ選出するものとする。
 このように汎域圏民衆会議の代議員を領域圏ごとでなく地方圏または準領域圏ごとに選出するのは煩雑にも思えるが、五つの汎域圏が包摂領域圏のリージョナルな同盟体と化して相互に競争的な政治経済ブロックとならないようにすると同時に、汎域圏内の協力関係をより地方的なレベルで密にするための工夫である。
 この汎域圏民衆会議は領域圏内の民衆会議とは異なり会期制を採るから、会期ごとに「会期議長」を選出するが、それとは別に、各汎域圏を対外的に代表する「常任全権代表」を選出する。
 これはいわゆる元首ではなく、専ら対外的な関係においてのみ各汎域圏の代表者であるにすぎないが、特定の問題ごとに任命される特命全権大使とも異なり、4年程度の任期をもって選出される常任職である。
 この五人の汎域圏常任全権代表で構成するのが先の「五汎域圏代表者会議」であり、グローバルな重要政策はすべて同会議で協議される。これにより、現在の主要国首脳サミットのように、国連の頭越しに少数の主要国首脳だけで意思決定するような国際寡頭制システムは廃されるのである。

※『世界共同体通覧―未来世界地図―』は、このような見通しに沿った未来の世界地図を描出する試みである。

◇南半球重視の運営  
 第三に、北半球中心の運営を改めること。  
 現存国連は本部及び軍事に関わる安全保障理事会(安保理)をはじめとする中核的主要機関がニューヨークに、人権に関わる人権理事会がジュネーブにと、その中枢機能がすべて北半球、それも米欧に集中している。これに対して、世界共同体は歴史的に北半球に従属しがちであった南半球重視の運営に変わる。  
 具体的には、世界共同体の本部及び平和工作に関わる平和理事会をはじめとする中枢機能は環アフリカ‐南大西洋域圏内のいずれかの都市に置く。アフリカに置くのはアフリカはかねて「南北問題」の象徴とも言える地域であることに加え、紛争多発地域でもある一方で、大陸全域に核兵器が存在しないという事実が世界共同体の中心地にふさわしいと考えられるからである。  
 一方、人権に関わる機能は環アメリカ‐カリブ圏内、とりわけ南米のいずれかの都市に置く。南米に置くのは、しばしばアジア・アフリカ地域で人権侵害を正当化する口実とされてきた「人権=西欧中心的価値基準」という偏見を回避するためにも、西欧的でありながら非西欧的でもある南米の微妙さに加え、この地域でかつて横行した暴虐な軍事独裁体制を自主的に克服してきた歴史的経験が人権の拠点としてふさわしいと考えられるからである。

◇世界公用語の論議
 第四に、事実上英語に偏向した国際言語状況を変え、単一の中立的な世界公用語の採用に関する論議を開始すること。
 現在の国連は五大国の公用語である英語・仏語・露語・中国語に、話者の多いスペイン語・アラビア語を加えた六言語を公用語に指定する公用語複数主義を採用しているが、事実上は英語が基軸的な公用語としての地位を与えられていることは明らかである。
 これに対し、世界共同体は普及率の高い英語の慣用的な使用を排除するものではないが、先に述べた人類共同体の名辞的担保として、より中立的な単一の公用語で全世界の民族が対等にコミュニケートする可能性を拓くために、かねてより世界語として開発されてきた計画言語の中でも最も普及率の高いエスペラント語を暫定的な単一の世界公用語に指定する(※)

※ここで暫定的なものにとどめるというのは、ヨーロッパで開発されたエスペラント語が果たして政治的のみならず言語学的にも中立と言い切れるかどうかに論議の余地が残るからである。そこでエスペラント語をそのまま世界公用語として確定させるか、新たに言語学的にもより中立な計画言語を開発するかについて世界共同体は議論を開始する。これは容易に結論を得られない難問であるかもしれないが、英語偏重主義が固着した現存国連体制の下では、そうした世界公用語に関する議論自体が論外のタブーもしくは空想として退けられているのである。なお、筆者自身、新たな計画言語の一例として、エスペランテートを提案している(別連載『共通世界語エスペランテート』を参照)。

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共産論(連載第59回)

2019-07-16 | 〆共産論[増訂版]

第10章 世界共同体へ

(2)地球を共産化する

◇世界共同体の創設
 東西冷戦時代に地球共産化などと口走れば西側諸国諜報機関の監視対象リストに載ったであろうが、今日ではさすがにそんなこともなくなったであろう(と願う)。
 そこで、今こそ言えることであるが、ドミノ革命によって地球全域を共産化することができるし、そうすることが、この地球そのものを存続させるためにも必要である。特に環境的持続性を保障するためのグローバルな環境規準を達成するには、各領域圏レベルのみならず、地球全域での計画経済が導入されなければならない。
 加えて、公的部門における二酸化炭素排出量にかけてはトップ級の各国常備軍の廃止、それとほとんど同義である戦争の地球規模での放棄―戦争はそれ自体が環境破壊活動でもある―も実現されなけれならない。
 こうしたことを可能にするのが、すでに各所で言及してきた世界共同体の創設であり、これこそが世界連続革命の最終到達点でもある。

◇世界共同体の基本構制
 世界共同体は現行の国際連合(国連)=United Nationsと類似する点もあるが、政治的な面で決定的に異なるのは国家主権という観念が―従って、そうした主権を保持する主権国家も―揚棄されることである。
 現行国連はこれに加盟する主権国家の連合体という構制を特色とすると同時に、まさにそこに大きな限界がある。各加盟国には各々自国の利益(国益)のために行動する権利が留保されている以上、国連総会の単なる決議はもちろん、国際法の性質を持つ国連条約にすら批准の義務はなく、その批准は加盟国の国家主権・国益の名の下に選択される。時に批准した条約すら順守しない国家もある。
 これに対して、世界共同体の下では主権国家が揚棄されて、各「国」は世界共同体に包摂された「領域圏」として一定の領域内での自治的な施政権を保持するが、その施政権は世界共同体憲章(世界憲法)及びそ諸条約(世界法律)とに完全に拘束されるのである。
 こうした構制を採ることによって、歴史上戦争原因のナンバーワンを成してきた「領土問題」も消滅する。なぜなら、各領域圏はもはや排他的な「領土」を保有せず、ただ相対的な施政権が及ぶ「領域」を保障されるだけだからである。
 もっとも、その「領域」の範囲をめぐる紛議は存続し、また新たに発生もし得るが、そうした「領域紛争」はすべて世界共同体直轄の紛争調停機関を通じてのみ平和的に解決されるようになるのである。
 ちなみにこのような世界共同体の公式名称は、その統一公用語(暫定)となるエスペラント語でMonda Komunumo(モンダ・コムヌーモ)とするが、その意義については次節で改めて触れる。

◇グローバル計画経済
 さて、世界共同体が現存国際連合と最も決定的に異なるのは、経済的な側面においてである。国連はあくまでも諸国家の政治的な連合体に過ぎないのに対し、世界共同体の本質は地球全体をカバーする統一的な経済主体である。
 すなわち現在は基本的に内政問題として各国の主権に委ねられている経済政策のグローバルな統一が可能となる。具体的には、まさしくグローバルな規模で商品生産と貨幣交換が廃され、共産主義的な計画経済と補完的な経済協調とに置き換わるのである。
 その目的のために世界共同体の直轄専門機関として「世界経済計画機関」が創設され、環境規準を踏まえた世界レベルでの生産計画目標が提示される。
 もう少し立ち入って述べると、世界経済計画機関とは、二酸化炭素その他の有害物質排出規制上特にターゲットとなる環境負荷的な産業分野を中心に各領域圏の生産事業機構を統合化したうえで(例えば世界鉄鋼事業機構体、世界自動車工業機構体等々)、それらの生産事業機構体が共同してグローバルなレベルでの経済計画を策定・実施する機関であって、各領域圏における経済計画会議の世界版と考えればよい。
 こうしたグローバルな経済計画は地球全域での生産活動の大枠(キャップ)を設定する意味を持つ。これによって各領域圏ごとの個別的経済計画の裁量性がゼロになるわけではないが、こうしたキャップ制が確立された暁には、各領域圏の経済計画はこのキャップの枠内での自主的な割り当て(クォータ)として機能するようになるであろう。
 このような世界レベルでの計画経済は同時に、各領域圏が自足できない財・サービスを可能な限り近隣から調達する(例えばアフリカの自動車はアメリカや日本からではなく、より近隣の欧州から調達する)ための地域間経済協調の意義をも担う。
 さらに、一般的経済計画とはなじまない食糧・農業分野の経済協調機関として、現行の「国連食糧農業機関」を継承・発展させた直轄専門機関「世界食糧農業機関」も創設される。これにより、現在「自由貿易」の名の下に国際資本に取り込まれようとしている食糧・農業を奪還することができる。
 このようにして今日世界貿易と呼ばれている国際商取引が消失することは、グローバル資本主義を特徴づける巨大な国際物流輸送を大幅に減少させ、二酸化炭素の排出規制にも寄与するであろう。
 最後に、地球共産化は天然資源の持続可能な管理に関しても画期的な貢献をなし得る。すなわち、共産主義の下で土地とともに無主物化される天然資源をグローバルなレベルで採掘・管理し、公平に供給するために直轄専門機関「世界天然資源機関」が創設される。また生物全般にとって死活的な天然資源である水の保全とその衛生的かつ公平な供給のため「世界水資源機関」を別途創設することも検討に値するだろう。
 この施策によって、地球環境に配慮された集約的な天然資源管理が実現し、資源ナショナリズム/資源資本主義の弊害が克服されるのである。

◇共産主義の普遍性
 ところで、地球共産化などと聞けば、果たして文化的な風土も経済的・社会的な発展の度合いも異なる世界の諸民族を一つの共産主義の傘の下に統合することなどできるのだろうかという疑念が浮かぶかもしれない。
 これに対しては、共産主義とは特定の文化モデルや発展モデルを押し付けるものではなく、生産と労働を軸とする社会運営のシステムの一つにすぎないから、資本主義システムがかなりの普遍性をもってグローバルに広がってきたのと同様に、否、それ以上に共産主義システムも普遍的な広がりを見せることは十二分にあり得ると答えておきたい。
 特に、貨幣支配から解放されることは、おそらく世界のどの民族にとっても朗報となるものと確信する。依然として解決しない地球の南北格差問題、そして近年顕著化してきた南南格差問題に象徴される諸民族間の著しく不均等な発展も、煎じ詰めれば諸民族間の貨幣の持ち高の格差を反映するものにほかならないからである。
 そのような意味で、人類は様々な違いを備えた「諸民族」であり、かつ、それ以前に、共に共産主義を目指す普遍的な「民衆」たり得るのである。

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共産論(連載第58回)

2019-07-15 | 〆共産論[増訂版]

第10章 世界共同体へ

共産主義革命の最終到達点は世界共同体。言葉のあやでなく文字どおりの「地球村」の創設である。ここに至って初めて恒久平和が地球に訪れる。それを現実のものとするには?


(1)ドミノ革命を起こす

◇マルクスとエンゲルスの大言壮語
 かつて冷戦時代に反共主義の国際政治ドクトリンとして、ドミノ理論なるものが風靡したことがあった。これは、インドシナ戦争当時の米国がベトナムへの軍事介入を正当化するにあたり、アジア地域における共産主義革命のドミノ倒し的連鎖の危険性を強調したことで悪名高い俗流政治理論である。しかしこのドミノ理論、案外革命理論として逆利用できそうな面がある。
 前章でも論じたように、共産主義革命は一国単位でなし得るものではなく、世界的な革命のうねりの中で初めて成功し完遂されるのであった。
 若き日のマルクスとエンゲルスは「共産主義は主要な諸国民の行為として一挙的かつ同時的にのみ可能」だと述べ、その前提条件として「生産諸力の全般的な発展及びそれと連関する世界交通」を指摘していた。世界同時革命!
 彼らがこれを書いた19世紀半ばにはほとんど大言壮語としか聞こえなかったであろうが、交通手段・情報通信技術の大発達を経た現在、「世界同時革命」は決して夢物語ではなくなっている。
 少なくとも主要国間に短期間で革命が継起するという連続革命的状況を作り出すことは決して不可能ではない。そのためにも、前に論じたような共産主義社会の実現を目指す民衆の革命的ネットワークとしての世界民衆会議の結成がすべての起点となる。

◇革命の地政学
 ここで如上の連続革命が実際どのように発生し得るのか、革命の地政学とでも言うべきものを明らかにしてみたい。
 まず、革命の最初の導火線はどこで引かれるであろうか。意外にも、それは発達した資本主義国のどこかにおいて、と答えておきたい。資本主義が強力に定着した国での共産主義革命など一見不可能事とも思えるが、資本主義が発達すればするほどその限界性も同時に鋭く明瞭に露呈してくる。それだけに、革命の可能性はかえって現実のものとなるという逆説が成り立つのである。
 わけてもアメリカ合衆国である。アメリカ共産主義革命!!
 “進歩派”の米国人でも、これを悪いジョークと受け止めるかもしれない。しかしコミュニティー自治を基礎とし、政府に依存しない自助と共助の風土を持つフロンティア精神の社会であるアメリカこそ、本連載が提起するような共産主義―米国人の心にも響くようにこれを「自由な共産主義(free communism)」と呼ぼう―に最適の場所だということに米国人自身が気づいた時、アメリカ合衆国発の世界連続革命が始まることを期待できる。
 そして、そうなった時、その波及効果は絶大であるに違いない。おそらく、それは欧州、日本など世界の他の発達した資本主義諸国にも直接的に波及し、革命的なうねりを作り出すであろう。そこから、まさしくドミノ倒しのように、米国から中南米へ、欧州からアフリカ・中東へ、さらにはアジア諸国へ・・・といった後発資本主義諸国への革命の流れが続くであろう。
 これら後発国では専制的な政治体制に支えられていまだに大土地所有制や露骨な形の階級差別が残存していることも少なくなく、革命のマグマは相当に鬱積している。こうした諸国のいくつかでは民衆蜂起型の革命も見られるかもしれない。
 これに対して、新興資本主義諸国―ここに「社会主義市場経済」の中国も含めておく―では、まだ資本主義的発展の伸びしろが残されており、人々の資本主義に対する期待感も根強いことから、革命の波及は容易でないかもしれない。
 実際、これら新興国のめざましい資本主義的経済成長は、近年かげりも見えてきた米欧日のような先発国にとって製品・サービス及び資本の輸出を通じた経済再生の鍵ともみなされている。
 他方、ロシア・東欧圏の集産主義から資本主義へ「復帰」した諸国では、資本主義的階級格差の再発現や社会保障制度の劣化などの症候が早くも現れ始めていたところへ世界大不況の直撃を受けたのであるが、これら諸国では資本主義に対する幻滅以上に、旧体制が空文句として唱えていた似非“共産主義”に対する不信、憎悪さえもが残されているだけに、それら諸国における共産主義革命には一定以上の時間を要するであろう。
 とはいえ、中国を筆頭に右肩上がりを続ける新興諸国にも必ず「成長の限界」は訪れる。その結果、当面は新興諸国が牽引役となる世界経済の成長が総体として鈍化・縮退する極点が現れる。そうなれば、資本主義の限界に対する共通認識がグローバルに拡大する。
 その時機こそがまさに世界連続革命の本格的な開始点であり、その際、先発資本主義諸国における共産主義革命の勃発は、その他諸国の民衆に対しても出発の合図となるはずである。

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共通世界語エスペランテート(連載第14回)

2019-07-13 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(13)エスペランテートの創出②

新たな計画言語として
 
当連載とはタイトルちがいの実質的な旧版『検証:エスペラント語』では、エスペラント語を正統語法と公用語法にわけつつ、エスペラント語の改訂版としての公用エスペラント語なるものを提案していた。
 ここで、正統語法とは正統的な文法にのっとった語法であり、エスペラント語でいえばまさに「エスペラント語の基礎」16箇条を厳守した語法のことである。これに対し、公用語法とは口語体ほどくだけてはいないが、正統語法を改訂して公用語としてよりつかいやすくした改訂版という趣旨であった。
 この点、自然言語のばあいには正統語法がもっとも公式的な語法としてそのまま公用語法でもあることがほとんどで、日常的な慣用語法は口語体としてむしろ非公式の語法とみなされる。ただ、自然言語のばあいでも、たとえばインドネシア語のようにマレー語の一方言を地域の共通語としてある程度人工的に簡略化して形成された公用語も存在する。
 一方、ノルウェー語のように、公式標準語として、旧宗主国の公用語だったデンマーク語の影響を受けたブークモール(文章語)とノルウェー独自の方言を統合して人工的につくられたニーノシュク(新ノルウェー語)―その意味では、計画言語にちかい―の二種類を公認するという二重国語政策を採用するくにもある。
 正統語法と公用語法をわけるというかんがえはこのノルウェーの国語政策にちかい面もあるが、ノルウェーにおいても国民全体で共有されているのはブークモールであって、ニーノシュクは学校教育ではおしえられているものの、日常語としては普及はしていないという。
 エスペラント語を正統語法と公用語法にわけるという旧版における管見は、正統英語―とはいえ、これも英語圏のくにのかずだけ存在するが―とチャールズ・オグデンによって創案されたベーシック英語の関係性によりちかいかもしれない。
 しかし、このように一つの言語に正統と簡略の二つの語法体系を公認し、並存させることは、両語法をつかいこなせる知識人層と簡略語法しかつかえない大衆層を分離するある種の言語階級制をつくりだす懸念もあり、かならずしも健全な言語政策ではないかもしれない。
 また筆者が提案した公用エスペラント語は、変更不能なエスペラント16箇条の一部改訂にふみこみ―その時点で、エスペラント語からの離反とみなされる―、実際、語彙や文法においてもエスペラント語からはかなり離脱するものとなったので、これを「公用エスペラント語」とよぶことはふさわしくないと再考するにいたった。
 そのため、旧版の提案を変更し、本連載ではあらためてエスペランテートとなづけた新計画言語として提示しなおすこととした次第である。エスペランテートという命名は、序文にもしるしたとおり、簡略化されたエスペラント語という含意による。このあらたな計画言語の具体的な詳細については、第2部で概説していく。

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