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ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

21世紀独裁者は選挙がお好き

2018-08-12 | 時評

かつて独裁者と言えば、クーデターのような不法な手段で政権を奪取して最高権力の座に就き、一度も選挙をしないまま、もしくは野党を排除した出来レースの茶番選挙によって長期間居座るということが普通だったが、21世紀の独裁者はもはや違う。

昨今の独裁者たちは以前はあれほど回避していた選挙を好むようになっている。固有名詞は挙げないが、このところ、世界中で選挙によって長期政権を維持する独裁者が増えている。この様変わりはどういうわけだろうか。

その秘密は新興国・途上国でも発達し始めているネット情報社会にある。かつては新聞・テレビくらいしかなかった選挙メディアがインターネットにより急速に拡大され、選挙過程で有権者を惑わすような情報操作が容易になったことが大きいであろう。

アメリカで疑惑が持たれているように、外国政府が選挙過程に情報操作介入し、選挙結果に影響を及ぼすことさえ可能になっているのであるから、自国内での情報操作くらい朝飯前のことである。

こうして形式上は合法的に虚構された選挙で当選を重ねれば、強い「民意」を得たことになり、むしろクーデター等の不法手段で政権に就いた場合以上に、「民意」に基づいて堂々と恣意的な権力行使が可能となるという点で、選挙は独裁体制を助ける。

筆者はかねて「議会制ファシズム」という概念矛盾的な用語を提示してきたが、「ファシズム」に限らず、様々なイデオロギーを帯びた「選挙制独裁主義」という政治手法が現実のものとなっている。裁判官でさえ選挙する選挙王国のアメリカにおいてすら、その傾向が増してきているありさまである。

しかし教科書的には、現在でも公職選挙こそ民主主義の最大の象徴と記され、そう信じられているから、「選挙制独裁主義」は概念矛盾であり、選挙がお好きな独裁者への批判は歯切れの悪いものとなる。

このあたりで、長く奉じられてきた「選挙信仰」に見切りをつけるべき時なのではなかろうか。選挙は民主主義を保障するものではない。それどころか、ネット情報社会にあっては、情報操作によって独裁者に「民意」のお墨付きを与えてしまう危険がますます高まっているのである。

その点、筆者はかねてより代議員免許制に基づく抽選制(くじ引き)を提唱してきた。抽選は遊戯のように見えて、実は誰からも異論の出ない最も公正な選出方法である。選挙制度への代替案として、真剣な論議の対象となることを期待したい。

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熱波禍から計画経済へ!

2018-08-05 | 時評

世界中で熱波の被害が広がっている。「禍」と冠するべき明らかな異常気象であり、しかも自然的な要因のみならず、人為的な要因を抜きにしては想定し難い異常さである。

異常気象の被害は、貧困層や一般労働者階層に集中して生じやすいとも言われる。たしかに、海面上昇や洪水は一般的に高台の一等地に住む傾向の強い富裕層には及びにくい被害かもしれない。そうした意味では、気候変動にも階級的な側面は認められる。

しかし、熱波の被害は階級的に「平等」である。もっとも、冷房完備の邸宅・移動手段を利用しやすい富裕層は、熱波からの自衛上有利な立場にあるとも言えるが、年齢や既往歴などを考慮すれば必ずしも決定的な有利さではない。

この期に及べば、党派を超えて環境破壊的な市場経済からの決別を考えてもよいものだが、そうした議論はいまだに低調である。美しい理念と詳細な環境政策を標榜する先進的な環境諸政党も、相変わらず「市場経済と環境保護の両立」という予定調和論でお茶を濁し続けているようである。

他方、世界最大級の二酸化炭素排出国アメリカでは、気候変動の用語すら検閲削除しようとする強硬な反環境主義政権が出現し、大衆の喝采を浴びている有様である。

熱波に斃れても、最期の瞬間まで金銭的利益を追求したいホモ・サピエンスの動物的な衝動なのであろうか。しかし、ホモ・サピエンスが文字どおり「知恵あるヒト」ならば、市場経済はその本質上、環境的に持続可能でないという現実にそろそろ目覚めてもよい頃である。

そうして熱波を自然からの警告ビームと受け止め、改めて環境的に持続可能な計画経済の可能性を探ることである。標語的に言えば、熱波禍から計画経済へ!である。

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