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近代革命の社会力学(連載第2回)

2019-07-30 | 〆近代革命の社会力学

一 北陸一向宗革命

(1)概観  
 世界最初の「近代革命」が何かという問いの答えは難しいが、中世の封建的な社会経済構造に対する蜂起という視点から見れば、日本の近世における一向一揆、中でもおよそ一世紀近くにわたり、一向宗門徒が自治的な政権を担った越中と加賀の一向一揆が先駆けではなかったかと思われる。  
 いずれも単なる一過性の一揆に終始せず、持続して政権―「百姓の持ちたる国」―まで担った点、また両一揆は連続した地域で連動して勃発した点―時系列的な順序としては、越中が先行する―では、「越中‐加賀における北陸一向宗革命」(以下、単に「一向宗革命」と表記する)と呼ぶにふさわしいであろう。
 もっとも、「一向宗革命」は通説的な時代区分によれば「近代」に先行しているが、本連載における「近代革命」には、近代黎明期とも言える近世の諸革命も含めるという趣旨からすれば、「一向宗革命」は対象範囲内である。  
 「一向宗革命」を生み出した中世末期・近世初期にかけての一向一揆自体は、日本版封建制度とも言える守護領国制が室町時代末期に拡大し、とりわけ西日本はこうした守護領国制の「先進地」となっていたという状況下で、これに対抗する民衆の運動として発生したものであった。  
 とはいえ、一向一揆がある種の抗議運動―今日的な民衆デモに近い―であった農民一揆とは異なり、革命的な性格を持ったのは、そこに一向宗という信仰共同体が形成されていたことが大きい。そのため、そこには農民のみならず、名主や地侍、国人といった当時の中間階級も参画する形で、階級横断的な結束が形成されていた。  
 こうした性格のため、一向一揆は単なる領主への抗議運動を越えて、領主権力の排除と自治政権の確立、守護領国制の社会経済構造の変革にまで及ばんとする革命的な動因を持つこととなったのだろう。信仰を精神的な基盤とする革命という点では、17世紀英国に勃発する清教徒革命にも通ずるところがある。  
 とはいえ、一向一揆は全土的な規模の革命とはならず、西日本各地で散発したにとどまり、しかも多くが守護領主らによって武力鎮圧され、失敗に終わる中、越中‐加賀のそれだけは一世紀近くも持続し、地方的な革命政権を維持できた社会力学的な要因は何であったのだろうか━。


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