裁判員制度は2009年5月21日の施行から15周年を迎えた。この制度は賛否両論や懐疑論もありながら、10年の節目を超えて生き延びている。この間、私見は反対の立場を維持してきたが、なお維持すべきかを考えるについて、まずは過去15年間における制度運用の実態を振り返ることから始める。
現状
15周年はいささか半端でもあるせいか、15年間の制度運用を総括するような公式データは見当たらないが、最高裁判所の戸倉三郎長官は3日の憲法記念日を前にした会見で、「おおむね安定的かつ順調に運営されている」と総括し、「法廷で必要な証拠を直接見聞きし、的確に心証を取ることができる審理が、ほぼ定着したと思われる」という認識を示している。
その点、5年前の10年の節目では、最高裁自身の総括や研究者による量刑傾向の研究などが公表されている。15年の総括に関しては、NHKや産経新聞のまとめ記事をもとに、便宜上手続き面と審理面に分けたうえ、さらに後者を事実審理と量刑審理とに分けて職業裁判官裁判の時代との対比で総括すると、おおむね次のようである。
〇手続き面
[拒否率]
裁判員選任手続きへの出席率は、初年度2009年の80%超えから、2023年は68.6%に低下。すなわち、およそ三人に一人が無断欠席(=就役拒否)している計算に。
[期間]
裁判員裁判開始前に争点を絞り込む公判前整理手続の平均期間は、2023年は11.1カ月と初年度2009年の4倍に長期化、初公判から判決までの平均実審理期間も2009年の3.7日から、2023年は14.9日と同じく4倍に長期化。
〇審理面
[事実審理]
有罪率99%は職業裁判官裁判時代から不変
[量刑審理]
*死刑判決は顕著な減少傾向(2022年は第一審でゼロ件)
*有期刑では、殺人罪と性犯罪で厳罰化傾向、放火罪では執行猶予付きが増加するなど寛刑化傾向も
*検察側求刑を上回る量刑は制度施行当初に相次いだが、2014年以降は減少。
評価
以上の簡単な総括から評価すれば、現状に鑑みて、裁判員制度否定論を撤回する必要はないと見る。理由を箇条化する。
〇裁判員制度の政治的基盤である「厳罰ポピュリズム」は本質的に不変である。
「厳罰ポピュリズム」とは、犯罪者に対する市民の応報感情を根拠に刑罰法規の立法及びその司法的適用の両面で厳罰化を進めることで大衆を満足させ、もって体制維持を図らんとする政治思潮であり、日本ではオウム真理教による化学テロ事件や少年による凶悪事件などが相次いだ1990年代半ば頃からの治安悪化期に発現し、2000年代以降は強固に定着している。裁判員制度自体も、そうした思潮の渦中で創設された経緯がある。
その点、上掲戸倉最高裁長官が裁判員制度の一般的な意義について、「わかりやすい審理が行われることは、刑事裁判に対する国民の信頼を確保する上でも、大きな意義がある」と指摘しているのも、そうした裁判員制度創設の経緯に沿う最高裁の公式見解の踏襲である。ここで言う「わかりやすい審理」とは、「大衆が望む厳罰判決に向けた結論先取り的な審理」と読み替えてもよい。裁判員制度はこうした「厳罰ポピュリズム」を担う制度として、まさに「定着」してきた。
もっとも、検察側の求刑超え判決というまさに「厳罰ポピュリズム」を象徴する制度発足当初の傾向に関しては最高裁も懸念を強めたらしく、2014年の判例で、公平性の観点から、従来の判例を上回るような量刑とする場合には「根拠を具体的、説得的に示すべき」として歯止めをかけたことが、求刑超え判決の減少を結果していると考えられる。しかし、検察側求刑はあくまでも参考であるので、今後も「根拠」を示せば、求刑超え厳罰判決は続けられることになる。
もう一つ、裁判員制度創設の隠された狙いと考えられる死刑制度護持政策との関連でも、最高裁は2015年の判例で、死刑判決については公平性の確保にも十分に意を払い、慎重に判決すべきものとして、改めて評議上の注意点にまで及ぶ詳細な判示を行っており、死刑判決の乱発を歯止めようとしている。しかし、元来、死刑の量刑基準(もっと言えば、量刑基準全般)を算術的に明確化することなど不可能であることはさておくとしても、死刑判決の減少は死刑廃止に直結せず、むしろ裁判員が厳しい基準で真剣に考えて慎重に適用されているとの標榜から、死刑制度護持の根拠に利用されるだろう。
〇量刑が不安定化し、予測可能性が担保された公平・妥当な司法判断が損なわれ、司法判断がある種、政治化している。
「厳罰ポピュリズム」の反面として、被告人への同情が強く働くような事案では意想外の寛刑となる場合もあるが、結果として、重過ぎも軽過ぎもしない中庸な量刑が困難になる。最高裁自身も、10年節目での総括報告書で、「重い刑と軽い刑の双方向に量刑の幅が広くなっている」と分析している(参照)。
日本の刑法は法定刑の幅が罪刑法定原則を空洞化するほど広く(例えば、殺人罪では上限は死刑から下限は懲役五年まで)、量刑が不安定化することは、当事者(検察官及び被告人・弁護人)から見た判決の予測可能性を奪い、司法判断を場当たり的なものとする。
中庸な公平・妥当性は司法判断の真髄であるはずだが、それは「市民感覚」―要するに応報感情―で参加する裁判員には期待できず、期待もされていない。このことは、司法判断を有権者(=裁判員の給源でもある)の政治判断に近いものとし、ある意味での司法作用の政治化を招いている。
〇人権尊重の立場から一部で期待されていた冤罪防止機能は全く見られない。
裁判員制度には弁護士会など一部の人権派勢力が市民の参加により冤罪防止が図られるとの淡い期待が寄せられていたところ、上記のとおり、有罪率99%(逆に、無罪率1%)は職業裁判官裁判の時代から不変であり、冤罪防止機能は全く働いていないと言ってよい。
それどころか、今年2月時点までに一審の裁判員裁判で無罪となった計157被告人のうち、10%を超える17人(昨年末時点)の一審判決を高等裁判所の控訴審(裁判員制度なし)が破棄している状況であり、司法当局は裁判員制度の冤罪防止機能に否定的であるとさえ言える。無罪判決は「厳罰ポピュリズム」の対極にあるのであるから、当然であろう。
構造上も、裁判員裁判開始前の(裁判員が参加しない)公判前整理手続が一年近くにまで長期化し、この手続きが事実上の「予審」(非公開)と化しており、ここで裁判の帰趨が事実上決せられる傾向が強まっている。裁判員裁判の実審理期間も長期化しているとはいえ、わずか2週間程度の審理であり、半ば結論先取りの法廷儀式と化している現状からすれば、なおさら裁判員裁判に冤罪防止機能を期待することなどできはしない。―いっそのこと、公判前整理手続で無罪の蓋然性が高まった被告人については「免訴」として、刑事手続から早期に外す救済手段を設けたほうがよいだろう。
〇市民に権力意識を植え付け、従順さを強化する規律装置として機能している。
こうしたミシェル・フーコー的な社会哲学的観点からの反対論も制度発足前から一部で指摘されていた。その点、2023年の最高裁によるアンケート調査によると、裁判員を「やってみたい」との回答は約4割にとどまりながら、実際の裁判員経験者の感想では「非常に良い」「良い」とする回答が96.5%に上ったとされているとおり、未参加の市民は裁判員制度に忌避的でありながら、いざ参加後には一転し、壇上から人を裁き、刑罰を適用する実体験から高い満足を得られていることが窺われ、規律装置としての裁判員制度の本質を裏書きしている。
〇抽選による市民の司法参加制度自体、現代社会の実情に適していない。
厚生労働省の2023年度委託調査によると、裁判員に休暇を認める「裁判員休暇」を導入した企業は50.4%にとどまるとされるように、現役世代の大半が勤労者として働く時代にあって、市民の司法参加制度自体が時代に適していないと言わざるを得ない。このことは英米式の陪審制度にも妥当することであり、裁判員制度に代えて陪審制度を導入すべきということにもならない。
対抗
本連載はタイトルどおり、「良心的裁判役拒否」を最大の対抗策として提示してきており、その点は不変である。実際、上記のとおり、拒否率が年々上がり、三人に一人が拒否している状況である。規律装置としての裁判員制度らしく、本来なら、抽選された裁判員候補者の無断出頭拒否には罰則が用意されているが、最高裁は市民の反発を考慮してか現在のところ罰則を運用していない。そのため、事実上「良心的裁判役拒否」を暗黙に認めるに等しい形で、巧妙に運用されているとも言える。
となると、「良心的裁判役拒否」は必ずしも制度運用上の打撃となっていない。とはいえ、拒否率がもっと上昇し、裁判員の選任に難渋するケースが多発化すれば、制度廃止ないしは縮小の契機となり得るので、引き続き「良心的裁判役拒否」は有益である。
しかし、それだけでは力不足であり、「厳罰ポピュリズム」を歯止めるべく、厳罰化に批判的な市民があえて裁判員として参加する批判的裁判参加も必要である。裁判員裁判は死刑判決でさえ全員一致を要求しない多数決制のため、技術的に困難な面もあるが、評議で一人でも厳罰判決に異議を唱えれば、一定の歯止め効果は期待できる。少なくとも裁判員全員が厳罰意見で一致するよりははるかにましである。
代案
蛇足ながら、私的な代案として、専門参審員制度を提案する。専門参審員制度とは、法律以外の知見を持つ各種の専門家の中から、当該事案の審理に参加するにふさわしい知見を有する二名の専門参審員を選任し、裁判官と共に審理と判決に臨む制度である。専門参審員は予め候補者の登録名簿を作成しておき、その中から適任者を裁判所が事件ごとに選任する仕組みである。
なお、どうしても市民参加の形態を維持したければ、裁判員と同様の方法で一般市民からも二名を無作為抽出して裁判に加え、原則として裁判官三名に専門参審員二名及び市民参審員二名の計七名で審理・判決する折衷的な制度としてもよい。