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弁証法の再生(連載第16回)

2024-07-13 | 〆弁証法の再生
Ⅴ 弁証法の再生に向けて 

(15)自然科学と弁証法
 前回、形式論理学が支配する自然科学分野においても、形式論理学のみではとらえ切れない点があり、弁証法の適用余地があり得ることを指摘したが、その具体例として、量子物理学の分野における「物質と反物質」という現代的なテーマが挙げられる。
 反物質とは、簡単に言えば、反粒子から成る物質である。陽子、中性子、電子から成る物質と、対になる反粒子としての反陽子、反中性子、陽電子から成る反物質が衝突すると、対消滅現象を生じ、質量がエネルギーとして放出される。
 この対消滅現象においては、粒子と反粒子が衝突し、エネルギーが他の粒子に変換される。 例えば、電子と電子の反粒子たる陽電子の衝突では、電子と陽電子がそれぞれの静止エネルギーとそれらの持つ運動エネルギーの和に等しいエネルギーを持つ光子に変換され、γ線として観測される。
 対消滅では運動量が保存されるため、電子と陽電子の対消滅により変換された二つの光子は、均等に分配された静止エネルギーを持つ。このような現象は、まさに対立物が出合い、それらが限定否定されつつ止揚されるという弁証法の定式にあてはまるものである。
 科学史的には、陽電子が未発見だった時代、英国の物理学者ポール・ディラックが、真空という状態について、すべての負エネルギー状態が通常の電子によって占められている状態であると仮定し、負エネルギーの電子が正エネルギー状態に移った後に残る空孔は見かけ上、正の電荷をもった電子のようにふるまうとする「空孔仮説」を立てたが、かかる「空孔」こそ反物質たる陽電子にほかならないことが証明され、より簡明な物質‐反物質の弁証法的定式が可能になったと言える。
 もう一つの事例は、生物学の分野における進化論である。進化とは、生物個体群の性質が世代を経るにつれて変化する現象と定義されるが、この定義のうちには、発達と退化という相反する現象が弁証法的に包摂されている。
 すなわち退化とは、生物の個体発生または系統発生の過程において、特定の器官、組織、細胞、もしくは個体全体が次第に縮小、単純化、時に消失することと定義されるが、進化論との関わりでは、系統発生の過程における退化が想定される。人間の尾の消失が、最も身近な例である。
 このような退化は、人間の脳の発達のように、発達と相伴う形で進化の過程を形成しているのであり、その意味では、進化とは相対立する発達と退化の弁証法的総合であると換言できる。なぜそうであるのかについては、適者生存を説く自然選択(淘汰)説が長く主流であったが、これに対し、進化の偶然性(中立性)を説く木村資生[もとお]の中立進化説が提起された。
 しかし、現代では両理論の対立は緩和され、折衷的な総合説が有力化している。とはいえ、自然選択と偶然性の対立がどのように止揚されるのかついてはまだ確定的とは言えず、ここでの「総合」はより整理された「止揚」の域にはまだ達していない。

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