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共産論(連載第38回)

2019-05-20 | 〆共産論[増訂版]

第6章 共産主義社会の実際(五):教育

(5)一貫制義務教育が始まる

◇ふるい落としからすくい取りへ
 大学の廃止は決して教育全般の衰退を意味しない。それどころか、大学の廃止によって全く新しい義務教育のシステムが発達してくるだろう。
 現在の資本主義的教育システムが「一流大学」へ進学するというゴールをめざす大学至上の、ふるい落としのシステムであるとすれば、大学廃止後の共産主義的教育は個々人の可能性を最大限開花させることに重点を置いたすくい取りのシステムである。
 具体的にはまず義務教育の小学校・中学校等の区分けが撤廃され一本化されたうえ(一貫制)、その全体が入学試験なしでつながる基礎教育課程として再編される。すなわち(1)で述べた義務保育制に続く就学年齢6歳から18歳まで(標準的な場合)の一貫制教育である。
 前回見たとおり、基礎教育は通信制を原則として提供されるのであり、学年とか学級といった等級分けも一切存在しない。開始年齢は定められるが、修了年限はなく、13に区切られた各ステップを順次修了した時点で完結する。
 さらに、共産教育における基礎教育課程は、既存教育制度とは異なり、健常者教育と障碍者教育とを分離しない統合教育を基本とする。共産主義社会は、障碍の有無で人の社会的立場を分けることのない対等な社会参加を軸とするものだからである(詳細は別稿参照)。
 この一貫制義務教育の実施主体は市町村ではなく、中間自治体としての地域圏に一元化される。反面、私学による義務教育の運営は認められない。

◇基本七科の概要
 新しい一貫制義務教育課程では、従来の国語・数学(算数)・理科・社会の旧式な教科学習は廃され、より実践的で、願わくは楽しくもありたいカリキュラムが導入される。その大まかな概要を示しておこう。なお、各科目の詳細については別連載『共産教育論』に委ねる(以下各小見出しからリンク)。

1:言語表現
 これは、各領域圏ごとの公用語(複数ある場合はすべて)及び世界語としてのエスペラント語とによる表現力を身につける科目である。
 最終章で改めて論ずるように、共産主義的な世界共同体は暫定的な世界公用語としてエスペラント語を指定するので、各領域圏の義務教育においても初期からエスペラント語教育を行う。
 しかもそれを「外語」として分立させるのではなく、各領域圏の公用語(例えば日本語)と結合して教育することに「言語表現」科目の主旨がある。従って、例えば同じ文を日本語とエスペラント語の双方で書いてもらうといった方法になろう。
 こうした「言語表現」科目の内容的な特徴は、読むことより以上に書くことに重点が置かれる点にある。読むことは表現行為の基礎であり、読み解釈する作用(読解)を通じて表現行為の一環ではあるけれども、それは本質的に受身の表現行為である。子どもたちの構想力‐独創性を引き出すためには、一定の事柄に対する自己の見解を論理的に書くことの積極的な訓練が求められるのである。
 同時に、当科目はメディアやインターネット経由の情報の正確かつ批判的な読解力―情報リテラシー―を習得する教育を包含する。

2:数的思考
 従来の数学(算数)に対応する科目であるが、決定的に異なるのは数という概念そのものを教えることである。従来の数学教育は計算問題中心であり、計算力を訓練することに力点があった。このことが、数学を公式や定理の単なる暗記科目に矮小化させ、数学嫌いを増やす要因ともなっている。
 しかし数学とは数字という世界共通文字(ないし図形)を用いた一つの論理的な表現行為である。その意味で、数学は言語表現の一種であると同時に、科学的思考法の有力な手段ともなる。まさに数的「思考」であり、それは「言語表現」科目と次の「科学基礎」科目とをつなぐ科目でもあるのである。
 そのような性格を持つ「数的思考」科目は単に1+1=2という計算ができることに重点を置くのでなく、この数式がいかなる数的概念を表現するものなのかを考えさせるように努める。これはより複雑な数式や定理についても同様である。

3:科学基礎
 
科学基礎科目は、諸科学の基礎を学ぶ科目である。ここで言う「科学」は最も狭義の自然科学に限らず、一部人文・社会科学にまたがる広義の「科学」を意味している。その点で、伝統的な学校教科としての「理科」より広範囲に及び、伝統教科の「社会科」に一部またがる領域を持つ。
 その点で、いわゆる文系と理系という形式的な区別を撤廃した文理総合的な科学の素養を涵養することを目的とする科目であると言える。これを通じて、迷信や疑似科学的な俗説にとらわれない科学的な市民の育成が目指される。
 具体的には、生物学と物理学・化学の基礎を学ぶ「自然・生命科学系」、地理学と経済学の基礎を学ぶ「人文・社会科学系」、地球物理学及び環境科学の基礎を学ぶ「地球・環境科学系」の三分野から成る。非常に広汎な内容を持つ分野であるため、各系がさらに細分化されることになるが、詳細は上掲別稿に譲る。

4:歴史社会
 歴史社会は、歴史及び現存社会について学ぶ科目である。歴史分野では、伝統的な歴史教育のように国史(例えば日本史)と世界史を分離する教育が転換される。世界史から切り離された国史はまさにナショナリズム教育の最前線であり、国家が廃止される共産主義社会では存在しないカテゴリーである。
 ただ、共産主義の下でも個々の領域圏の歴史というものはなお残るのであり(例えば日本領域圏史)、それを世界史の中に統合的に位置づけながら教育することは行なわれる。
 それと同時に、先史時代から現代までを総覧的に教えるのではなく、近現代史(具体的には、おおむね産業革命以降の歴史)に特化し、それ以前の歴史については自学に委ねれば十分である。
 社会分野では、歴史的到達点としての共産主義的な政治・法律の仕組みを総合的・客観的に理解させることに重点を置く。これは、民衆会議代議員という重要な市民的任務を果たすうえで必要な初歩的理解を身につけさせることに主眼がある。

5:生活技能(一部通学科目)
 共産主義社会では各人の生活体験に根ざす判断力が重視されるため、日常生活の基本技能を学ぶ生活技術教育は一般教科と同等の重要性を持つ。
 全般に、資本主義のもたらした技術革新は利便性を偏重し、自分の手で何かを作ったり、直したりする体験を子どものうちから奪った結果、人間はその本来の創造性を失いつつあるように見える。一方で、利便性を促進する機械化・自動化の波を押し戻すことは、共産主義革命といえども無理であり、日常的に使用する機械を正しく安全に操作する訓練も重要である。
 特に未来社会ではよりいっそう全般化するロボットを含めた情報機器の構造理解や操作法はもちろん、生活の一部となった情報ネットワークの安全かつ正当な利用法の習得も当科目の重要な内容となる。
 こうした機械化対応に加えて、この「生活技術」科目では、性別を問わず全生徒に家事・育児の基礎的技能を修得することも大きな柱とする。かつては各家庭で伝授できたこうした技能も、現代では義務教育を通じて学習すべき必要性がますます高まっているからである。

6:健康体育(通学科目)
 従来の体育教育は多種の競技を総花式に教える競技体育を中心としているが、これは個々の生徒の適性や関心を無視した競技の押し付けであるばかりか、個々の競技の技能も上達しない無駄の多い教育方法である。
 これに対して、共産主義的体育教育は、病気やけがを予防するための体操やトレーニングを中心とし、個々の運動神経にかかわりなく可能な健康体育に転換される。一方、競技体育は民間のスポーツクラブ等に委ねられる。

7:社会道徳(一部通学科目)
 共産主義的道徳教育の重点は、反差別教育である。このことは、前章でも先取りしたように、共産主義社会が社会的協力=助け合いの社会であるからには、互いに異質な者同士も協力し合う社会慣習が不可欠であることに由来する。
 そこで、「人間をその先天的または後天的に獲得された特徴・属性のゆえに劣等視してはならない」というごく単純な道徳規範を一貫制義務教育の全体を通じて徹底的に教育していかなければならない。
 このことはまた、いじめの防止にも効果的と考えられる。なぜなら、対象生徒の自殺を招くような深刻ないじめとは子どもの領分における差別(その多くは容姿に関わる。)にほかならないからである。
 この反差別教育は、義務教育の前半では障碍のある生徒や海外出身の生徒などとの交流を通じた体験学習を中心とし、後半ではより広く被差別当事者(少数民族、性的少数者、容貌/体型少数者等々)をゲストに迎え、その話を聞き質疑応答するといった教科学習的な方法を採ることが有効と考えられる。

 以上に概観した基本七科(言語表現・数的思考・科学基礎・歴史社会・生活技術・健康体育・社会道徳)が一貫制義務教育の必修科目として、その全課程において、反復的かつ発展的に割り振られていくことになる。
 なお、音楽、美術(図工)などの芸術系科目は全くもって個々人の趣向と適性に依存するため、義務教育課程の科目からは除外され、民間の指導教室に委ねられる。

◇職業導入教育
 さて、一貫制義務教育では、以上のような教科学習と並んで、職業導入教育に力点が置かれる。
 職業導入教育とは、一貫制義務教育の中盤から、労働現場に触れさせる体験学習である。これによって、10代から職業イメージを持ち、将来の人生設計を準備することが容易になれば、いわゆるニート化のようなモラトリアム期間の遷延を防ぐことができ、また第3章で論じた純粋自発労働制の可能性にも道を開くことができるかもしれない。
 具体的には、職業導入教育が始まる一貫制義務教育の中盤では「社会科見学」方式で様々な労働現場を直接に見学して回る。終盤では工業、情報、一般事務、農業、水産、福祉、医療、研究等々、代表的な職域ごとの職業指導に加えてインターンシップを導入し、希望する職場で短期間体験労働に従事する。
 このようにして一貫制義務教育を修了した段階で、原則として全員がひとまずは就職する体制が作られる。そのために、心理学や社会学の知識を備えた専門教員を養成・配置したうえ、職業紹介所と連携して生徒の適性と志望に合った職場を紹介するシステムが構築される。
 なお、医師、法律家、教員などの高度専門職については、少なくとも5年以上の就労経験を持つ有職者を対象に、選抜試験に依存せず、職歴内容や使命感、人格識見などを主要素として選考したうえ、前回触れた高度専門職学院で養成する。知識階級制のない共産主義社会では高度専門職の純粋エリート培養は廃されるのである。


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