ザ・コミュニスト

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トランプ政権一年と新冷戦宣言

2018-01-31 | 時評

今月19日に米国防総省が公表した今後数年の優先課題を示す新たな国防戦略では、中国とロシアについて、自国の権威主義モデルに沿った世界の構築を目指す「修正主義国家」と規定し、過去十数年の間、米国が優先課題としてきた対テロ戦争から両国との対抗に重点を移すとした。

トランプ政権発足1年の節目前日に公表され、トランプ大統領による初の合衆国現状演説(一般教書)にも取り込まれたこの「新戦略」は、米国の21世紀第二四半世紀へ向けた新たな世界戦略を示したものと言えるであろう。

その特徴として、「競合国」と名指す中露両国の現状を「修正主義」と規定していることが注目される。「修正主義」とは、かつてマルクス主義内部で、その教条から離反しようとする一切の主義を非難する文脈で用いられた用語であったが、それを反マルクス主義総本山の米国政府が公式文書で用いるとは驚きである。

たしかに、現時点での中国は政治的には共産党体制を固守しながら、経済的には党の管理下で市場経済化と実質的な資本主義路線が定着、毛沢東時代であれば、間違いなく「修正主義」と断じられる道を歩んでいる。一方、ソ連解体後のロシアは共産党体制を清算した後、プーチン大統領率いる旧ソ連保安機関を出自とする諜報官僚集団が前面に出て、やはり国家管理の強い資本主義体制を構築しようとしている。

両体制に共通するものがあるとすれば、マルクス主義の修正よりも、むしろ資本主義の修正であろう。すなわち国家管理の強いタイプの資本主義―国家資本主義―というモデルを共有していると言える。その上部構造は両国で異なっているが、権威主義的な集権体制―筆者はこれを現代的な管理ファシズムと規定する―という限りでは近似している(拙稿1拙稿2参照)。

実際、近年の中国とロシアは、国際社会で共同歩調をとることが多い。とはいえ、現時点では経済力で明らかに優位に立つ中国がロシアに主導権を譲る可能性はないし、他方でロシアも中国に従属する意思はなく、両者の関係性は微妙である。その意味で、中と露の間には/記号を挿入しておく必要があろう。

こうした中/露に「対抗」して、再び大国間の競争的な世界を構築しようという米国新戦略の発想は、21世紀における新たな冷戦宣言と呼んでもよい意義を持つことになるだろう。世界の流極化のなかで、米国の絶対的優位性が示せない中、時間軸を再び冷戦時代に戻して覇権を取り戻そうという懐古主義の悲哀も感じられる。

しかし、旧冷戦時代とは異なり、新冷戦にあって、米国はもはや「自由」の守護者を主張することはできないだろう。なぜなら、米国トランプ政権も発足から一年、議会対応に苦慮しながらも、移民排斥や白人優越主義の活性化では着実な“実績”を上げ、自由の女神を色褪せさせているからである。

トランプ政権発足前の拙稿で予見したアメリカン・ファシズムの性格はまだ顕著化していないが、大統領が自身の「宣伝大臣」を務め、議会を通さない大統領令を濫発するトランプ政権の権威主義的性格は、歴代どの米政権よりも濃厚である。

とすると、中/露vs.米の新冷戦とは、権威主義vs.自由主義の対抗関係ではなく、権威主義―ひいては管理ファシズム―同士の内輪もめ的な内戦的対抗関係ということに帰着しそうである。この偏向した対抗関係の終着点が奈辺にあるのかはまだ不透明である。

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民衆会議/世界共同体論(連載第28回)

2018-01-29 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第6章 世界共同体の理念

(4)グローバル民主主義
 世界共同体は世界民衆のネットワーク機構であり、グローバル民主主義の実践の場である。しかし、グローバル民主主義という理念は、現状では恒久平和と同じくらい観念的な夢想にすぎない。
 現行の国家体制にあっては、「民主主義は工場の門前で終わる」とともに、「民主主義は国境線の内側で終わる」。すなわち資本制企業の内部に民主主義は届かず、なおかつ国境を越えて民主主義は展開されない。民主主義は、政治という狭い場で―それも「議会制限定民主主義」の限度で―、かつそれを標榜する国内でしか適用されず、国際社会は主権国家間の談合か戦争の場でしかないのだ。
 もっとも、しばしば米欧に主導された国際社会が独裁国家と名指された諸国に「民主主義」を軍事的に強制しようとするが、このように横槍的に強制される「民主主義」は侵略的軍事介入の口実でしかなく、ここで言うところのグローバル民主主義とは無関係のしろものである。
 世界共同体は、このような民主主義の狭い限界を乗り超え、かつ「民主主義」の口実的な標榜を排し、民衆主権の理念に基づき、地球規模で民主主義を展開することを目指すグローバル民主主義の実践体でもある。そのためにも、世界共同体はそれ自体が民衆会議―世界民衆会議―によって運営されなければならないのである。
 最終的に完成された形態においては、世界共同体はその総会を兼ねた世界民衆会議をベースとして、それを構成する各領域圏の民衆会議が有機的に結びついた民際ネットワーク機構として機能することになる。そのため、本連載のタイトルも当初は『世界共同体/民衆会議論』を予定していたのであるが、世界共同体の核心も民衆会議にあり、民衆会議が起点となることから、タイトルを『民衆会議/世界共同体論』へと中途変更した次第である。
 このようなグローバル民主主義は恒久平和の必須条件でもあり、恒久平和の機構化である世界共同体はグローバル民主主義の実践体でもあるという意味において、グローバル民主主義と恒久平和とは等価的である。

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民衆会議/世界共同体論(連載第27回)

2018-01-29 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第6章 世界共同体の理念

(3)恒久平和の機構化
 およそ200年前にカントが提唱したような常備軍の存在しない恒久平和は理念としてはなお尊重されているが、それが実現された試しはない。特に現在のように200近くにも及ぶ主権国家が地球上に林立・競合する状況では、かえって恒久平和の実現からは遠ざかっていると言わざるを得ない。
 20世紀の二つの世界大戦は、第一次大戦後の不完全な成果であった国際連盟を経て、現在の国際連合(国連)という地球規模の安全保障機構を生み出したが、この機構は元来、恒久平和ではなく、当面の大戦抑止を目的とした暫定的な国際安全保障の枠組みにすぎない。
 カントは恒久平和の条件として国際的な共和制の樹立と常備軍の廃止を思念したが、排他的な領土の保持を存立条件とする主権国家群が並立する限り、主権国家が常備軍を手放すことは原則としてなく、国連も、各国の常備軍保持を前提とした連合体であるにすぎない。
 国連自身が国連軍を組織する可能性は認められているが、加盟国の常備軍を没収して国連に集中する“刀狩”のような体制ではなく、加盟国の常備軍保持の権利は留保されている。しかも、核保有の特権を公認された五つの大国中心の非対称な運営機構でもあるため、核兵器の廃絶という国際平和の初歩的必要条件すら満たされる見込みはない状況である。
 それでも、国連はここまで何とか第三次世界大戦の危機を冷戦のレベルに抑止し、風雪に耐えてきたが、冷戦終結後は対テロ戦争や五大国に対抗しようとする野心的な国家による核開発という新たな危機に見舞われている。
 特に対テロ戦争は、世界大戦とは異なり、もはや国家間の戦争ではないため、主権国家の連合体にすぎない国連の枠組みでは根本的な解決がつかない。また対抗国家による核開発は、五大国にのみ公認の核保有特権を認めるという国連の不平等な構造のツケである。
 そうした国連の本質的な限界を乗り超え、恒久平和を真に実現させるためにも、主権国家という観念を揚棄して、よりグローバルな統治機構を構想する必要があるのである。
 歴史的にやや図式化して俯瞰すれば、世界共同体とは、第一次大戦後の不安定な休戦的平和の機構であった国際連盟、第二次大戦後の核兵器付きの矛盾した安全保障の機構である国際連合に続き、冷戦及び対テロ戦後に現れるべきはずの恒久平和の機構である。

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奴隷の世界歴史(連載第42回)

2018-01-28 | 〆奴隷の世界歴史

第六章 グレコ‐ロマン奴隷制

古代ギリシャ人の奴隷観
 古代ギリシャ人は哲学論争を同時代のどの民族よりも好んだが、奴隷制の是非論もその一つであった。とはいえ、古代ギリシャの名だたる哲学者の間でも、奴隷制は圧倒的に是認されていた。最も初期の論者では、ホメロスが奴隷を戦争の不可避的な結果として正当化している。
 同じことをヘラクレイトスはさらに敷衍し、戦争は「万物の王」であって、彼(戦争)は人を奴隷にしたり自由人にしたりする権利を持つと論じた。こうした議論は、ギリシャに限らず、奴隷制の起源の一つが人狩りによる場合を含めた戦争捕虜に発していることを示唆するものである。
 しかし、奴隷制が戦争捕虜に限らず、社会的な制度として定着した時代には、もはや奴隷制をあえて哲学的な論争の主題として掲げる論者もほとんどいなくなり、ソクラテスやプラトンといった大家も奴隷制について主題的には論じていない。プラトンによれば、ギリシャ神話上の「黄金時代」には、奴隷制なくしても人々は暮らせたが、それはすでに遠い過去の原初の社会だというのである。
 プラトンが構想した哲人王による理想国家においても、奴隷制は当然の前提とされていたし、すべての市民が財産及び教育に関して平等であるべきことを初めて憲法的に説いたカルケドンのファレアスが理想とした都市国家においてすら、公共的任務に従事する公共奴隷は正当化されていた。 
 ギリシャ都市国家の衰退期に出たアリストテレスは、奴隷制について最も強力に弁護している。とりわけ人間の中には生まれながらにして奴隷として定められた者が存在しているという「生来性奴隷説」は後世の奴隷制擁護論者によっても引用され、スペインにおける奴隷論争のきっかけともなった。 
 しかし一方で、アリストテレスは、奴隷とはそれなくして市民が生活することのできない家産の最も重要な一部だとして、奴隷制を正常な社会における必需という実際的な観点からも正当化しており、「生来性奴隷説」の自然学的な説明とは齟齬する部分もある。
 このことは、古代ギリシャのポリスがそれだけ奴隷制によって支えられており、彼が強調するとおり、奴隷の存在なくしては成り立たない構制であったことの証左であろう。その点、古代ギリシャの奴隷は、資本主義社会において必需的な賃金労働者―ある見方によれば「賃金奴隷」―に照応するものであったと言えるだろう。
 他方、アリストテレスと同時代の弁論家ソフィストであったアルキダマスは「自然は誰をも奴隷にはしない」と論じて、アリストテレスとは対立的な議論を提起したが、ソフィストは危険な詭弁家と見られており、正統派の議論とはなり得なかった。
 しかし、すべての人間は等しく同じ種族に属するという原理を初めて哲学的に明確に論じたのはソフィストたちであった。ソフィストによれば、真の奴隷とは精神の奴隷であり、地位は奴隷であっても精神が自由であれば、その者は自由人である。
 このようなソフィストらしい一見詭弁的な議論はその後、ヘレニズム時代のストア派やエピクロス派の哲学にも継承されたが、「精神的奴隷」の概念は真の奴隷解放の断念を示しているとも言える。そして、ヘレニズム哲学が広く隆盛化した頃には、古代ギリシャを上回る強力な奴隷制を築いたローマの時代となっていた。

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奴隷の世界歴史(連載第41回)

2018-01-21 | 〆奴隷の世界歴史

第六章 グレコ‐ロマン奴隷制

古代ギリシャの奴隷制
 古代ギリシャと古代ローマは、そのきらびやかな文明で世界の人々を魅了してきたが、その裏には史上最も巧妙かつ組織的な奴隷制度を擁する奴隷制国家体制でもあった。その意味で、古代ギリシャ及び古代ローマの奴隷制は特筆するに値する。
 とはいえ、両者の奴隷制には相違点も少なくない。しかも、先行する古代ギリシャは集権的な統一国家ではなく、植民市ごとの都市国家ポリスの形態を最後まで維持したため、奴隷制のあり方もポリスごとの政策により異なっていた。しかし、奴隷制の実態に関する史料の大半はアテナイのそれに集中しており、その他ポリスの奴隷制の実態は不明な点が多い。
 元来、古代ギリシャには入植地の先住民を農奴のような隷属農民として使役する慣習があったと言われる。アテナイにもヘクテモロイと呼ばれる隷属農民がいたが、農業が不振で商業に活路を見出したアテナイでは時代が進むとヘクテモロイは廃れ、奴隷制に移行していった。
 他方、アテナイのライバルとなるスパルタは奴隷とは異なる隷属農民ヘイロータイが一つの社会階級として定着した一方で、奴隷制は根付かなかった。ちなみに、商工業を低俗とみなしたスパルタ支配層は参政権を持たない二級市民ぺリオイコイに商工業を押し付けたことも奴隷の需要を生じさせない要因であったと見られる。
 アテナイ奴隷制は古代ギリシャにおいて最も典型的かつ大々的なものであり、その最盛期には人口の三分の一を占めたとされるまでに膨張しており、奴隷なくしては存立し得ない状況であった。これほど奴隷制が膨張した要因として、参政市民層が家事を含む労働を軽視し、様々な労働を奴隷に依存していたことがある。
 中でもアテナイの商業的成功の秘訣となった銀山ラウリオンの採掘では過酷な奴隷労働が行なわれていた。一方、小さな都市国家の形態を採る古代ギリシャに大農場は形成されず、古代ローマのような奴隷農場も出現しなかった。
 奴隷売買は主として古代ギリシャ世界の共通聖地でもあったデロス島の奴隷市場を通じて行なわれ、奴隷の持つスキルに応じて価格がつけられた。その給源は戦争捕虜や債務者などもあったが、多くは小アジアなど東方から奴隷商人によって奴隷として輸入されてきた異民族であった。
 奴隷の待遇はその業種によって異なり、上述のように鉱山奴隷が最も劣悪であったのに対し、家内奴隷は比較的待遇がよく、子どもを教育する権利も与えられていた。奴隷は有償で解放されることもあったが、解放後も市民権は与えられず、外国人扱いされるなど、法的制限は付いてまわった。
 古代ギリシャでは古代ローマのような奴隷反乱事件は記録されていないが、ペロポネソス戦争末期にアテナイ奴隷2万人が逃亡したとされる。このような奴隷労働力の大量喪失は奴隷に依存したアテナイの衰退を決定づけたことであろう。

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民衆会議/世界共同体論(連載第26回)

2018-01-16 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第6章 世界共同体の理念

(2)民族自決から人類共決へ
 国家なき世界の構想に対して正当な不安が喚起されるとすれば、それは主権国家が否定されることで、民族自決権が損なわれるのではないか、ということであろう。たしかに、民族自決思想は帝国主義への抵抗理念としては有効であり、歴史的な意義を担ってきた。しかし本来、「民族」という概念は曖昧かつ無数に細分化されていくため、「一民族一国家」という算術的定式は成り立たない。
 従って、世界中のすべての国が内部に複数の民族を抱え、すべての国で民族間対立や少数民族差別、分離独立問題などが噴出し、少なからぬ国で内戦やテロリズムの要因ともなってきた。現今、緊急的な国際課題となっている対テロ戦争の要因にも、民族自決運動の暴走という一面が見られる。
 ここでも、発想の転換が必要である。すなわち民族自決から人類共決へ。人類は複数の人種と多数の民族に分岐しているが、生物学上の種としては一つである。そして現時点での知見による限り、人類は地球上にしか生息していない。とすれば、人類が共有する地球上での類的な共同決定は可能であり、必要でもある。そうした人類共決の場が、世界共同体である。
 ただし、世界共同体は文字どおりに世界を一つにまとめ上げてしまうものではない。その点では、「世界連邦」の構想とは異なる。世界連邦という構想は、つとに世界連邦運動という国際運動において提唱されている
 そこでは、主権国家の存在を前提に、「世界連邦政府」なる国際機構を観念したうえ、国家主権の一部を世界連邦に委譲するという構制を採る点で、世界を一つの「国」として観念しようとする思考法がなお残存している。
 これに対して、世界共同体は世界民衆のネットワーク機構である。ただ、ネットワークといってもいわゆる「地球村」構想のように、発達した交通・通信手段を通じて世界民衆が単にコミュニケートするだけの仮想空間を意味するのではなく、地球規模での政治的な意思決定も行う施政機構としての実体を備えたネットワークである。
 その具体的な組織については次章以下で扱うが、とりあえずの一般的なイメージとしては、現行国際連合の機構をより統合的かつ民主的に仕立て直したものを想定すればよいであろう。
 ただし、世共は現行主権国家よりも広い地理的範囲で自治的施政権を認められた領域圏で構成され、各領域圏は互いに排他的な領土を持たない。しかも各領域圏は民族単位ではなく、施政上の便宜を考慮した地理的一体性のみを基準に設定された領域統治体にすぎない。従って、一つの領域圏の一部の編入や組み換えなども、主権国家より柔軟に行なうことが可能となる。

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民衆会議/世界共同体論(連載第25回)

2018-01-15 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第6章 世界共同体の理念

(1)国家なき世界へ
 
前章まで論じてきた民衆会議は国家なき統治を前提とする代議制度の構想であったが、国家なき統治はそうした対内的な関係においてのみならず、対外的な関係においても国家なき世界の構想に結びつく。つまり、主権国家という観念の廃棄である。
 対照的に、現在の世界は主権国家の林立状態で成り立っている。帝国主義の時代には主権国家は植民地支配を行なう諸国プラスアルファ程度の数にどとまっていたが、二つの世界大戦を経て、民族自決の思想が浸透すると、民族単位の国民国家の独立が相次ぎ、現時点ではおよそ200に及ぶ主権国家が林立し、現代世界は主権国家の広大な森林のような様相を呈している。
 その結果、林立する各主権国家の利害がまさに枝の絡み合う深い森林のように複雑に入り組み、しばしば深刻な対立・衝突を引き起こしている。第二次世界大戦後の国際社会を規律してきた国際連合も、加盟国の増加に伴い、統一的な意思決定がますます困難になり、その存在意義も揺らいでいる。
 一方で地球環境問題のようにまさにグローバルな意思決定を必要とする重要課題が浮上する中、主権国家体制は限界をさらけ出している。この状況を根本的に転換するためには、主権国家という永きにわたる観念を放棄する必要があるのである。それが、本連載のもう一つの主題である世界共同体(以下、世共と略す)という構想である。
 世共は、現行国連のような主権国家の連合体を超え、世界を一つの共同体として把握する視野に基づく新たな機構である。それは一定の地理的範囲内で自主的施政権を留保された「領域圏」で構成されるグローバルな共同体である。
 従って、この共同体の内には鉄条網や国境警備隊によって管理される国境の概念はない。まさに世界は一つであるから、原則として人は自由に世界中を移動して回ることができるのである。国家なき世界は、当然に国境なき世界である。
 なお、世共の英語名としてはWorld Commonwealthを用いる。commonwealthには「連邦」という含意もあるが、本来的にはcommon:共同の+wealth:富であり、富の世界的な共同管理という経済的な含意も持ち得る語義となる。世共は地球規模での計画経済を担う経済中核機関でもあるので、政治的‐経済的な二義性を持つcommonwealthという用語には含蓄がある。
 もっとも、世共の公用語は英語ではなく、何らかの世界公用語が指定される。従って、世共の正式名称も世界公用語で示されることになるが、ここでは当面、エスペラント語を指定するとして、Monda Komunumoを仮称として示しておきたい。

*この場合、monda:世界の+Komunumo:共同体で、文字どおりの世界共同体を含意し、上記英語名のような含蓄はなくなる。

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貨幣経済史黒書(連載第6回)

2018-01-14 | 〆貨幣経済史黒書

File5:メディチ銀行の破綻

 近代的な銀行の原型となったのは両替商であるが、とりわけ今日銀行を意味する「バンク」の語源を成す「バンカ」(banca)は、フィレンツェの両替商が業務に使用した机のことを指したとされるほど、銀行と両替商との歴史的な関わりは深い。中でもまさに中世フィレンツェは両替商が政治的にも支配的な金融都市国家であった。
 その頂点を成したのがメディチ家である。メディチ家の起源は欧州系名族の中でもとりわけ不詳な点が多く、医師を意味する家名と商業で成功した事績に照らせば、元来は医師を兼ねた薬売りだったと推測される。実際のところ、メディチ家は銀行業を開始する以前、様々な商品を扱う多角化商法で富を築いていた。そうした蓄積を元手に両替商に転じて大成功を収める。
 メディチ家の台頭過程そのものはここでの論外であるので、先を進めると、14世紀に銀行家として確立したメディチ家は、フィレンツェの都市政治をも支配するようになる。中世イタリアには強力な君主が存在せず、諸都市ごとに寡頭制的な民主主義が行なわれていたことも好都合であった。
 メディチ家は自派が多数派を占めるよう選挙過程を操作して市会を牛耳り、ギリシャ風の僭主として正式の公職に就かないまま市政を専制支配する体制を作り上げたのであった。その全盛期は15世紀後半に出たロレンツォの時代である。
 ロレンツォはルネサンス芸術のパトロンとして壮大な文化事業で知られ、フィレンツェは当代随一の文化都市として名を残すも、その内情はメディチ家独裁の暗黒政治であり、反対派は容赦なく弾圧された。同時に「大ロレンツォ」の通称で称えられる彼の時代こそ、メディチ銀行が破綻危機に瀕した時代であった。
 メディチ家では当主が実質的な職業政治家に転じる中、本業の銀行は支配人任せとなっていた。すでに銀行はイタリア主要都市から、ロンドン・リヨン・ジュネーヴ・ブルッヘなど外国主要都市にも支店網を拡大し、欧州随一のメガバンクに成長していたが、情報管理システムが致命的に不備な時代、こうした広域での業務拡大は各支店支配人の専横を招きがちであった。
 破綻はまずリヨンとロンドン支店に始まり、ブルッヘ支店にも及ぶ。さらに「大ロレンツォ」の文化事業は企業メセナの先駆けの側面も認められる一方、度を越せば銀行にとって浪費以外の何物でもなかった。
 ロレンツォは都市の公金を横領・私物化するクレプトクラシー(泥棒政治)にも手を付け始めた。銀行の不良債権も巨額に上ったが、ロレンツォとその早世後、彼を若くして継いだ息子ピエロの代になると、当主にはもはや銀行家として経営再建する才覚は備わっていなかった。
 政治家としては手腕を持っていた父とは異なり、ピエロは「愚か者ピエロ」という不名誉な渾名を付せられるほど、政治家としても手腕に欠け、人望もなかった。結局、彼はフランス軍の侵攻を許した不手際によりフィレンツェを追われ、流浪中に溺死して果てた。家業メディチ銀行もピエロとともに破綻し、銀行家メディチ家支配のフィレンツェは終焉する。
 その後、生き残りに長けたメディチ家は傍系一族によって再興され、フィレンツェを都とするトスカナ大公国を建設するが、これはもはや銀行家メディチ家の支配ではなく、貴族メディチ家の支配であり、金融支配力という担保はなかった。 
 銀行家メディチ家支配下のフィレンツェは金融資本による直接的な支配という点では、金融資本が巨大化した現代でも類例を見ない独異な事例であるが、それは銀行の盛衰と運命を共にする寡頭的専制政治であった。金融資本の政治的影響力が増す状況なら、現代でもあり得る先例である。

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年頭雑感2018

2018-01-01 | 年頭雑感

昨年の漢字は「北」だという。理由はよくわからないが、ある解説によると、北朝鮮のミサイル問題が選字の要因の一つになったという。たしかに、昨年は北朝鮮が軍事的に激しく活動した。その北朝鮮と舌戦を展開したトランプ米政権の発足も「北」の出来事である。

ここ数年持ち越しのイエメン内戦、シリア内戦下での難民飢餓、ミャンマーのロヒンギャ虐殺等々も、おおむね地球の北側(北半球)の出来事であったが、南側もサハラ以南アフリカを中心に種々の苦難に見舞われている。

いずれにしても、昨今はこうした南北の地球的問題をうまく解決する能力を国際社会が喪失していることが問題である。国際連合が機能せず、せいぜい型どおりの非難決議や制裁決議を出すばかりで、実質的な調停や救援の能力を発揮できない。

主権国家の増殖により、国連も200近い加盟国を抱えており、もはや統一的かつ実効的な意思決定をするには多すぎる加盟国数である。そのうえにトランプ政権に象徴されるような自国優先主義の潮流が主要国の間にも広がってきている。南北いずれの懸案も、今年解決するという見込みはない。

皮肉なことに、これら自国優先主義は呼号する「自国」の内部でも移民・少数派排斥政策により社会の分裂と不和を招き、国としての市民保護機能を果たせなくなっているのである。国家というスキームの終焉的な姿が露呈しているわけだが、こうした傾向は今年、一層顕著になるかもしれない。

さて、今年2018年は次の十年である2020年代へ向けてのカウントダウンの年とも言える。当ブログも今年で開設八年目を迎えた。主軸としてきた『共産論』も昨年二度目の改訂を終え、完成版に近づいている。その中で提唱してきた「自由な共産主義社会」へ向けた革命の芽はどの程度見えてきているだろうか。

短期的に見るなら、ほとんど何も見えてこない。それどころか、ますます遠ざかっていくようにも。だが、長期的には56パーセントの確率をもって人類は共産主義社会の建設に向かうと予測する。言い換えれば、残りの44パーセントは向かわない予測となる。

五分五分よりは幾分確率が高い56パーセンテージは微妙に控えめな半端数字であるが、次のような筆者なりの人類観に基づいている。

人類という動物は想像以上に頑固な保守的習性を持つから、資本主義の放棄は容易でなかろうが、今後、環境悪化・生活不安・人間劣化に加え、文明劣化という資本主義の矛盾・桎梏がいっそう表面化すれば、何らかの覚醒的な変化が起こるに違いない。

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