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共産論(連載第47回)

2019-06-17 | 〆共産論[増訂版]

第8章 新しい革命運動

(2)革命にはもう一つの方法がある

◇革命の方法論  
 革命といえば、かつてのプロレタリア革命論は武装した労働者階級が武装して立つことを想定していた。しかし、基本的には武装革命論者であったマルクスも平和的な方法による革命があり得ることを示唆していた。とはいえ、彼が「平和的な革命」の具体的な方法論を明示することはなかった。  
 いかに革命を呼号しても、その実践の具体的な方法が見出せなければ、それは空文句に終わってしまう。しかし従来、革命を方法論的に突き詰めて考える風潮は乏しく、革命というものに人々がまだ大いにリアリティーを感得し得た時代にあっても、漠然と武装革命をイメージするだけに終わりがちであった。  
 しかし、革命がリアリティーを喪失しつつある今日であればこそ、革命の方法―特に前節で示したプレビアン革命にふさわしい方法―を突き詰めて問い直す必要がある。そのことを通じて革命のリアリティーも再び取り戻されるだろう。  

◇民衆蜂起  
 民衆蜂起は、その劇的な性格からしても革命のイメージの中では最も象徴的なものである。20世紀以降の民衆蜂起的革命の成功事例としてはロシア革命(1917年)が代表例であるが、青年たちがゲリラ活動を通じて武装蜂起したキューバ革命(1959年)もこの範疇に含めてよいと思われる。  
 この方法では通常、革命に参画する民衆は武装して立つが、非武装の民衆蜂起もある。「ベルリンの壁」を解体させ、旧ソ連の忠実な衛星国として、ソ連型集産主義体制と冷戦の象徴的存在であった旧東ドイツを消滅に追い込んだ大規模デモ行動(1989年)などは非武装型民衆蜂起の実例とみなすこともできる。
 いずれにせよ、民衆蜂起による革命の相手方は必ず専制的な抑圧体制と決まっている。大規模な民衆蜂起は体制に対する民衆の反感・憎悪をエネルギーとしてはじめて成り立つものだからである。  
 その意味で、民衆蜂起による革命は体制側との熾烈な対決状況を生み出す。体制側が鎮圧のために動員する警察や軍との全面対峙の局面が避けられないほか、ロシア革命がそうであったように、革命成就後にも旧体制側の反革命策動が内戦に発展することもある。  
 一方で、この方法による革命によって樹立された政権自身が旧体制に勝るとも劣らぬ抑圧的な体制と化すこともある。ロシア革命後の共産党による圧制はその最も苦い事例として記憶されるべきものであろう。
 総じて民衆蜂起による革命は、偶発的な民衆のデモ行動が導火線となることが多く、その勃発と展開の方向が読み切れないという難しさがある。  
 ともあれ、露骨な形の専制支配体制が次第に減少してきた今日、この方法による革命を目にする機会も減少しつつあると言える。プレビアン革命がこのような民衆蜂起の形を取ることは、抑圧的な全体主義体制下ではなおあり得るが、それは比較的限られたものになるだろう。

◇集団的不投票 
 近年は、多くの諸国でとりあえず「民主的」な選挙を実施することが増えてきた。その趨勢には喜ぶべき点もあるが、他方で、選挙を介した間接的な代表政治は多くの諸国で、職業政治家と民衆の遊離や腐敗した利益誘導などにより機能不全を引き起こし、終末的な限界をさらしている。  
 とはいえ、とりあえず「民主的」な規準を充たす選挙で成立した体制を民衆蜂起で打倒することは、事実上困難なことである。そこで、想定されるのが、集団的不投票という方法である。これは中央及び地方すべての公職選挙で有権者が集団的に投票しないことにより当選人を出させず、およそ議会も政権(地方自治体レベルのそれを含む)も成立させない方法である。 (※)
 そのようにして選挙法の規定に基づく合法的な選挙無効による「無政府状態」を作り出したうえで、残存する旧政権との交渉を通じて平和的に政権を移譲させる段取りとなる。従って、この方法は基本的に非武装の平和的革命であり、また不投票を実行するに際して市民は街頭に繰り出す必要もない「在宅革命」というユニークな性格も帯びている。  
 ただし、この方法による革命の実例は、筆者の知る限り、歴史上いまだ皆無である。その理由として、まさに集団的不投票という手段の技術的な困難さがあるだろう。  
 実際、選挙法では当選に必要な最低得票数はほとんど意図的に低く設定されているため、集団的不投票のような事態への備えもなされていることに加え、国によっては投票そのものを罰則付きで義務付けることもあり、体制側は処罰の脅しで大衆に投票を強制することもできるのだ。  
 そこで、集団的不投票は純粋な形ではなく、第一の民衆蜂起的な方法と組み合わせなければ成功には導けない場合もあるかもしれない。そうした未知の技術的な困難さは伴うけれども、この方法は、一種の市民的不服従を通じたもう一つの革命の方法として、プレビアン革命にふさわしいものと言える。

※従来、各旧版では、この方法を「投票ボイコット」あるいは「集団的棄権」と表記してきたが、前者では投票を暴力的に妨害するかのような印象を否めないこと、一方、後者では「棄権」という語が醸し出す怠慢の印象を否めないことから、「集団的不投票」という表記に変更した。ただし、意味内容に変更はない。


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