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ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

奴隷の世界歴史(連載第44回)

2018-02-25 | 〆奴隷の世界歴史

第六章 グレコ‐ロマン奴隷制

古代ローマの剣闘士奴隷
 古代ローマの奴隷制度の中でも際立った特色を持つのが、剣闘士奴隷である。剣闘競技の起源は不明であるが、当初は要人の死に際して追悼儀礼の一環として実施される宗教的な意味合いが強かったものが次第に世俗化され、観戦競技化したとされる。
 世俗化した剣闘士試合は公職選挙に合わせた政治的な意味合いも帯びるようになり、カエサル以後の帝政ローマ時代には皇帝自身が主催するようになった。それに伴い、剣闘士の養成所や剣闘士の資格・等級の整備なども進み、ほとんど国技となる。
 剣闘士は初期の儀礼時代には戦争捕虜となった外国人・異民族兵士が充てられたと見られるが、次第に興業化するにつれ、選手補充のため、身体能力の高い奴隷を徴募したり、懲罰目的で罪人から選抜したりするようになった。
 中でもバルカン半島の先住民族トラキア人の剣闘士奴隷は多く、共和政ローマを揺るがす奴隷反乱を起こしたスパルタクスもトラキア人であった。「トラキア剣闘士(トゥラケス)」という剣闘士の種別が設定され、トラキア人以外の剣闘士をトラキア風の衣装で試合に出すようになるほど、トラキアは剣闘を象徴する代名詞だった。
 徴募された奴隷らはまず、訓練生として剣闘士養成所で体系的かつ過酷な訓練を受けた。訓練生は逃亡防止のため厳重に監視され、専門的な訓練士が施す日々の訓練も自殺者を出すほど過酷を極めるものであった。選手として完成すると、興行師が主宰する剣闘士団に所属して試合に出場した。
 当初の剣闘試合は「助命なし」というむごいものであったが、帝政初代皇帝アウグストゥスがこれを禁じ、原則として死亡前に試合終了とされるようになる。ただし、例外として罪人出自の剣闘士だけは死亡するまで闘わされた。
 とはいえ試合では真剣を用いたまさしく真剣勝負であったため、重傷や死亡の危険が試合ごとにつきまとった。そうした危険の報酬として剣闘士にはかなりの額が支払われ、等級の高い剣闘士には褒美として贅沢な住居も与えられた。
 無事生き残って引退した剣闘士は養成所の訓練士になれたほか、運と才覚があれば解放され自由民の興行師として一財産作ることもできたが、剣闘士の社会的評価は低く、解放されてもローマ市民権は与えられず、自由民中最下位の階級にとどめられた。
 このような剣闘は帝政期にその頂点を迎え、試合も残酷さを増していった。帝政ローマが混乱期を迎えた「3世紀の危機」の時代には剣闘試合での死亡率が飛躍的に高まったとされるが、これは奴隷制自体が奴隷獲得の困難から行き詰まり、罪人や不良奴隷を剣闘士に採用することが増加したためと見られる。
 ローマにキリスト教が普及すると、異教風習の名残と見られる剣闘に批判が向けられるようになり、帝国の東西分裂後、404年に西ローマ帝国のホノリウス帝の命により闘技場が閉鎖された。そのおよそ70年後、西ローマ帝国は滅亡している。ある意味で、古代ローマの歴史は剣闘と共にあったといえるかもしれない。

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民衆会議/世界共同体論(連載第32回)

2018-02-20 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第6章 世界共同体の組織各論①

(4)汎域圏代表者会議
 現行の国際連合の組織構制にあっては執政機関に相当するものが存在しないことが、世界的な問題を国連主導で処理するうえで大きな弱点となっている。
 もっとも、事務総長が指揮する事務局は存在するが、その本質は官僚制であり、事務総長も五大国が仕切る安全保障理事会の推薦により総会が任命する五大国の総代理人的性格が強く、国連事務局の執政機関としての性格は弱い。 
 反面、国連の枠外で主要国首脳会議が一種の国際執政機関として代行的に機能している面もあるが、経済大国中心の偏った構成で国連の頭越しに国際的な問題を決するのは寡頭制的であり、民主的ではない。そこで、世共にあっては、より公平性が担保された民主的な執政機関を擁することが要請されるのである。
 領域圏レベルの民衆会議はそれ自身が議決機関であると同時に執政機関でもあるが、世共の議決機関となる世界民衆会議は世界中の領域圏で構成される関係上、このような一元的構成を採り難い。そこで、世共の執政機関は民衆会議とは別途立てる必要がある。
 その方策にもいろいろなものが想定できるが、前回述べた五つの汎域圏の代表者で構成する汎域圏代表者会議をもって世共の執政機関とするのがさしあたり最も簡明妥当と考えられる。 
 汎域圏代表者の地位や選出法もまた様々に考えられるが、領域圏レベルのように民衆会議議長をもって単純に代表者とするのは世界の問題を扱う役割の重要性に鑑み適切と思われないので、汎域圏民衆会議が選出する常任全権代表をもって汎域圏代表とする。よって、汎域圏代表者会議はこの汎域圏常任全権代表五人で構成されることになる。
 汎域圏代表者会議は、世界民衆会議に条約案を提出したり、成立した世界条約の履行を確保する任務を負うほか、大災害や感染症パンデミック、民際紛争などの緊急的な問題について討議し、対処方針を決定する権限も持つ。
 なお、世共には事務局も設置されるが、事務局は汎域圏代表者会議の下にあって、その任務を補佐し、他の主要機関、専門機関との調整を担う(詳細は次章で述べる)。

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民衆会議/世界共同体論(連載第31回)

2018-02-19 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第7章 世界共同体の組織各論①

(3)世界共同体と汎域圏
 世界共同体(世共)は領域圏を単位とする世界民衆会議を最高議決機関として成り立つが、それとは別に、領域圏よりも広い包括的な地域―汎域圏―を内包する二重構造を取る。
 この汎域圏は文化的な共通項を持つ周辺領域圏の緩やかな連合体として構成される。その区分法は唯一ではないが、一例として、筆者は次のような五つの区分を提唱している。

(Ⅰ)汎東方アジア‐オセアニア域圏:東アジア、東南アジア、オセアニア
(Ⅱ)汎西方アジア‐インド洋域圏:西アジア、中央アジア、南アジア、インド洋域
(Ⅲ)汎ヨーロッパ‐シベリア域圏:欧州、ロシア(シベリアを含む)
(Ⅳ)汎アフリカ‐南大西洋域圏:アフリカ、南大西洋域
(Ⅴ)汎アメリカ‐カリブ域圏:南北アメリカ、カリブ海域

※1 南極大陸は世共の直轄圏とする。
※2 現行の海外州/県のような「飛び地」は認めず、厳密に隣接的な地域として区画される(海外州/県は独立の領域圏となるか、近隣の領域圏と合併する)。

 一つの領域圏は一つの汎域圏にしか参加できないが、境界域にある領域圏は別の汎域圏にオブザーバー参加することができる。これら汎域圏は世共内部の地域分権機構として機能し、地域的に処理すべき事項については汎域圏のレベルで決定される。
 汎域圏は、今日の欧州連合やアフリカ連合等の地域統合体と重なる部分もあり、類似性も認められるが、各汎域圏は相互に自立競合する地域ブロックではなく、あくまでも世共内部の分権体であることに留意されなければならない。
 汎域圏は、それ自身も民衆会議を最高議決機関とする共同体である。しかし、地域ブロック化を避ける趣旨からも、汎域圏民衆会議の代議員の選出法は、構成領域圏内の広域圏(連合領域圏の場合は、連合を構成する準領域圏)の民衆会議で各一名の代議員を選出するものとする。
 その場合、領域圏内の広域圏の数は各領域圏によりまちまちであるので、公平を期するうえでも、汎域圏民衆会議に代議員を送ることのできる広域圏の数を、例えば20圏までとする。その20圏の選抜法については各領域圏の裁量に委ねられるが、これについても、二期連続での当選を排した抽選制とするのが最も公平かつ紛議を招かない方法と考えられる。
 さらに、地域ブロック化を避ける上述の趣旨からも、汎域圏民衆会議の議決では領域圏ごとにまとまって投票することは禁じられ、代議員を擁する広域圏ごと個別に投票しなければならない。

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奴隷の世界歴史(連載第43回)

2018-02-18 | 〆奴隷の世界歴史

第六章 グレコ‐ロマン奴隷制 

古代ローマの奴隷制
 古代ローマはラテン族の都市国家としてスタートしたが、初期から奴隷制を擁していた。伝説によれば、ローマの建国者ロームルスが家父長に我が子を奴隷として売ることを認可したことに発祥するとされるが、この伝説が暗示するのは、おそらく貧困対策的な目的からの奴隷売買である。
 その真偽はともかく、ローマが強勢化していくにつれ、ローマの奴隷制は拡大していき、ローマ帝国の社会経済を支える不可欠の支柱となった。ローマ法上、奴隷制は自然法に反すると認識されながら、実際の必要上正当化されていたのである。そうした点では、古代ギリシャの奴隷制以上に実際的な面があった。
 古代ローマの奴隷も市場で売買される家産とみなされ、法人格を認められなかったが、他方で事実上の個人財産を保持し、事実婚をすることもできた。また技能を持つ奴隷は自立して生計を立てることができ、有償で解放され得るなど、柔軟性もあった。ローマの解放奴隷身分については、後に別項で見ることにする。
 古代ローマ奴隷制の大きな特徴として、その専門分化とそれに応じた階級内階級分岐が挙げられる。大別すると私有奴隷と公有奴隷とがあったが、大半は私有奴隷であった。私有奴隷にも、中上流階級の邸宅で家事に従事する家内奴隷や貴族の従者、各種専門職、剣闘士、地方の農場で農業労働に従事する農場奴隷といった種別があった。
 家内奴隷は各種家事を担う奴隷で、比較的良い暮らしが保証されており、解放される可能性も高いカテゴリーであった。従者は幼少期から家庭教師によって子弟とともに育成され、貴族子弟に匹敵する地位が与えられた特級待遇の奴隷であった。
 現在では公的資格・免許によって認証される専門職の多くも古代ローマでは奴隷の職業であり、ギリシャ人が充てられることが多かった。このカテゴリーには会計士や医師、家庭教師、個人秘書といった知的・事務的専門職が含まれる。こうした専門職奴隷は付加価値が高いため転売目的で育成され、一種の利殖投資の対象物とされることもあった。 
 私有奴隷の中で過酷な運命にあったのが、農場奴隷である。元来、古代ローマでは小農でも奴隷を使役するのが慣例であったが、大土地所有制の発達により、いわゆるラティフンディウム農場で使役される奴隷が増大した。これら農場奴隷は肉体労働者であり、専門的な技能に欠ける奴隷が投入、酷使され、解放される可能性も低かった。
 しかし肉体的な面では、剣闘士奴隷が最も悲惨だったかもしれない。剣闘士は古代ローマで最も人気の高い格闘技であった剣闘の選手であるが、真剣を使った実戦の形を取ったため、敗戦すれば重傷・死亡を免れなかった。その悲惨な境遇ゆえに奴隷反乱にも関わることになる剣闘士については、後に別項を立てて見ることにしたい。
 一方、公有奴隷は東洋のに類似し、国家や都市によって公的に所有され、建設や清掃その他様々な公共事業に使役された。中でも鉱山奴隷の労働環境の苛酷さは際立ち、事故や酷使による死者は後を絶たなかった。
 また公有奴隷の一種に下級官吏があった。古代ローマの執政官をはじめとする上級行政職は貴族の名誉ある無償奉仕として行なわれていたが、その下で行政事務に当たる下級官吏は奴隷身分の者が充てられた。彼らは、私有奴隷における個人秘書のような存在と言えるかもしれない。

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民衆会議/世界共同体論(連載第30回)

2018-02-13 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第7章 世界共同体の組織各論①

(2)世界民衆会議
 前章で世共は、最終的に完成された形態においては、世界民衆会議をベースとして、それを構成する各領域圏の民衆会議が有機的に結びついた民際ネットワーク機構として機能すると説明した。つまり、世共の中核は世界民衆会議である。
 民衆会議の組織構成については、すでに第3章及び第4章で論じたところであるが、そこでは専ら世共を構成する各領域圏及びその内部の地方自治体における民衆会議の組織構成を扱った。本章及び次章で扱うのは、世共における世界民衆会議の組織構成についてである。
 世界民衆会議は世界共同体の総会を成す機関であり、その正式名称も「世界民衆会議‐世界共同体総会」であるが、これと現行の国連総会が決定的に違うのはその構制である。国連総会は国連加盟各国で構成されるが、それだけに総会は各国首脳らによる年末の「顔見世」儀式に終始しがちで、議案をめぐる実質的な審議はなされず、実務的な交渉は外交官(外務官僚)である国連大使レベルで行われている。
 しかも、国連総会はそれぞれ対等な主権を有する国連加盟各国代表の集まりであるから、当然にも各国の利害が入り乱れ、条約交渉は政治的駆け引きのゲームに終始し、国連条約の成否・内容はとりわけ五大国内部の利害対立に大きく左右されることになる。
 世界民衆会議の最大任務も条約の審議・議決にあるが、この世共条約は現行の国連条約が加盟各国によって批准されない限り加盟国を拘束しないのとは異なり、一個の「法律」(世界法)として、世共を構成する各領域圏を例外なく拘束する。従って、その審議・議決は各領域圏を代表する一定の民主的な基盤を持った代議員(大使代議員)によってなされる。
 ただし、その選出方法は直接選挙ではなく、各領域圏民衆会議による複選制により、選出後は出身領域圏民衆会議の特別代議員を兼職する(特別代議員は審議に参加できるが、表決には参加できない)。
 また複数の領域圏による合同領域圏の場合は、それを構成する各領域圏が半年会期ごとの輪番で合同を代表する1名の大使代議員(合同代議員)を送る。ただし、8領域圏以上の大合同の場合は、2名の合同代議員を送ることができる。
 合同代議員を出さない合同構成領域圏は、各1名の副代議員を送ることができる。副代議員は合同代議員を補佐しつつ、合同代議員が出身領域圏の利益に偏らず、合同全体の利益のために活動するよう方向付けする任務を有する。

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民衆会議/世界共同体論(連載第29回)

2018-02-12 | 〆民衆会議/世界共同体論[改訂版]

第7章 世界共同体の組織各論①

(1)世界共同体と領域圏
 前章で、世界共同体は一定の地理的範囲内で自主的統治権を留保された領域体である「領域圏」で構成されるグローバルな共同体であると定義づけた。つまり、世界共同体(以下、世共と略す)は、領域圏の集まりである。
 この領域圏は、既存の主権国家とは異なり、もはや「国」ではない。ただし、一定の領域内で民衆会議を主体とした自主的統治が認められる一つの領域公共団体である。それらが世共の構成要素となるわけであるが、領域圏にも大別して二つのタイプがある。
 第一は単独領域圏である。これは、その名のとおり、単独で領域圏を形成するもので、中央民衆会議を中心に統一的な統治が行われる最も標準的な領域圏である。
 この単独領域圏はさらに、統合領域圏と連合領域圏とに分かれる。この違いは、現行国家制度では中央集権制と連邦制の違いに近く、統合領域圏は集権型、連合領域圏は連邦型である。連合領域圏は領域圏に準じた高度な自治権を留保された複数の準領域圏の連合で構成されるが、全体としては単独領域圏を形成し、準領域圏は独立して世共を構成しない。
 以上に対して、第二の合同領域圏は複数の領域圏(最大で12)が協定を締結して一つの合同体を形成するタイプのものである。先の連合領域圏とやや紛らわしいが、あくまでも全体としては単一の連合領域圏とは異なり、複数領域圏の緩やかな合同にすぎない。
 ただし、単なる友好善隣グループではなく、合同領域圏は共通的な経済計画を策定するほか、常設の政策協調機関を設けて重要政策を協調的に執行する。さらに世共には会期ごとの輪番制で単一の代表代議員を送り込むため、一体性は強い。よって、通常は民族的・文化的な一体性の強い近隣領域圏間で形成されるであろう。
 現行国連は年々加盟国が増大し、現時点では200か国近くに上るが、それによって国連が大所帯となり、大小各国の利害が入り乱れ、円滑な国際的意思決定に困難を来たしている。その結果、国連は実効性を失い、儀礼的な存在と化す危険の中に置かれている。
 これに対し、世共は実質的な世界民衆の意思決定機関たり得るため、総会‐世界民衆会議の議決に参加する領域圏の数を最大で100前後まで絞り込む必要がある。その際には、上記の合同領域圏の活用が期待される。

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貨幣経済史黒書(連載第7回)

2018-02-04 | 〆貨幣経済史黒書

File6:中世日本の徳政一揆

 現代では貨幣経済が津々浦々に定着し、絶対化している日本社会であるが、歴史的に見ると、日本における貨幣経済の普及は遅々としていた。現時点で最古の鋳造貨幣は7世紀代に遡る銀銭であるが、都市部の商人を中心に貨幣経済が普及するのは平安時代末、日宋貿易を通じて宋銭が大量流入したことが貨幣経済を浸透させる推進力となった。
 貨幣経済が浸透した社会で最初に発達するのが金融業である点は、日本でも同様である。当初は寺社関係者や富裕な商人などが余剰資金を無担保で融資する寛大な原初的貸金業―借上―が主流であったが、当然ながら焦げ付きリスクの大きな無担保融資は商業としての持続性に欠けるため、担保を取るより本格的な貸金業者が出現する。
 業者が担保物を保管する土蔵から、土倉と呼ばれるようになったこれらの貸金業者が本格的にその政治経済的な権勢を持つようになるのは、室町時代からである。土倉の財力に目を付けた幕府は土倉への課税を主要財源とし、土倉の有力者を一種の徴税請負人である納銭方に任じて徴税を行なわせた。
 土倉は一般の商人と同様に同業者組合である座(土倉方一衆)を形成して、業界利益を保持したが、幕府の財源を担うに至った土倉層は幕府と強く結びつき、その政策にも影響力を持った点で特筆すべき地位にあった。そのため、幕府の利息制限法令も効果を発揮せず、高利貸が横行した。
 土倉は幕府膝元の京都をはじめとする自治都市でも有力な町衆として市政を掌握するようになるが、中世イタリアのメディチ家のように政治的支配力まで擁する突出した金融資本一族が出現することはなく、土倉を兼業する例が多かった酒屋と並び、集団的な権勢を持つにとどまった。とはいえ、土倉の客層は上は荘園領主から下は農民まで、あらゆる階層に及び、土倉は債権者として優位に立った。
 こうした土倉資本に対する民衆の反感が爆発したのが、15世紀代に頻発した徳政一揆であった。中でも代表的な嘉吉の徳政一揆で、馬借や農民、地侍で構成された一揆勢が農民のみならず、公家・武家を含む一国平均での徳政令の施行を要求したことにも、階級を越えた土倉資本への反感が反映されている。
 この一揆では、鎮圧を命じた時の管領細川持之が土倉から多額の収賄をしていた事実が発覚し、反発した守護大名らが鎮圧への協力を拒否するという一幕もあり、金融資本と政治権力の結託構図も露呈されたのである。
 徳政一揆は、1428年の正長の徳政一揆が記録される限り最初のものであるが、興福寺の僧で、史家でもあった大乗院尋尊が正長の徳政一揆を評して「日本国開闢以来,土民蜂起これ初めなり」と記したように、金融資本に対して決起する徳政一揆が日本における民衆蜂起の最初の形態でもあったことは注目に値する。

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