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共産論(連載第30回)

2019-04-25 | 〆共産論[増訂版]

第5章 共産主義社会の実際(四):厚生

(3)充足的な介護システムが完備する

◇介護の公共化
 高度資本主義社会は長寿社会とほぼ重なっている。しかし長寿社会は同時に、要介護老人の増大とその介護負担が社会にのしかかる社会でもある。一方で、人手も限られた少人数の核家族にすべての介護責任は負い切れない。
 そこで、資本主義は介護をサービス商品化することにより、介護サービスを営利性の強い介護事業者の手に委ねる方向へ進んでいく。結果、介護サービスの受益は応益負担化するとともに、介護労働は搾取性の強い過密労働となるというように、資本主義の特徴が介護分野にも顕著に発現してくる。
 共産主義はそうした方向性とは異なり、介護を公共的なサービスとして確立しつつ、柔軟なニーズに対応した介護システムを構築するだろう。具体的には在宅ケアが高度に充実するが、「在宅」といっても、文字どおりの自宅に限らず、介護士や看護師が常駐する高齢者向けの公的なケア付き公共住宅が数多く用意され、随時無償で入居することができるようになる。
 このように「在宅」の概念が拡張されることにより、高度な共助に基づく在宅介護の仕組みが構築され、いわゆる老人ホームのような典型的な施設介護は不要となり、在宅か施設かといったカテゴリー分類は相対化されることになる。

◇介護と医療の融合
 共産主義的介護の最前線は、地域医療と異なり、生活関連行政の拠点である市町村のレベルで担われる。具体的には、市町村の地区ごとに公共介護ステーションが設置される。ここには、ホームヘルパーのほか、訪問看護師や老人医療に精通した往診専門の医師も駐在して介護と医療を融合することを可能にする。
 介護希望者は医師の的確な診断と助言に基づいて自らの望むケアのメニューを選択することができる。この介護ステーションは24時間対応制で、夜間でも必要に応じてヘルパーや看護師の派遣を求めることができるし、本人や家族の要望に応じた通所デイケア機能も備えたワンストップ型のものとなるだろう。
 一方、多重的な疾患を抱え、完全看護が必要であるとか、ケアの困難な進行した認知症の患者などは地方圏が運営する病院型の長期療養所へ無償で入院することができる。
 さらに、公共サービスではまかない切れない民間の介護ボランティア組織による特色あるサービス提供も排除しないが、それらも市町村に登録され、公的な監督を受けることになる。

◇「おふたりさま」老後モデル
 核家族化の結果、独居老人が増加していく中で、充足した介護システムの完備など非現実な夢物語だという声も聞こえてきそうである。そこで、近年は非婚率の高まりにも対応して、自己完結的な「おひとりさま」老後モデルを推奨するような議論も聞かれる。
 これは一見社会的現実に即した議論のようであるが、介護サービスも商品化された資本主義社会の現実にあっては、しょせんそれは単身で生きることを明確な主義とし、なおかつ老後の単身生活の資となり得る年金収入や資産、頼れる人脈とを十分に備えたプチ・ブルジョワ以上の有産階級向け老後モデルにほかならない。
 プロレタリア階級の「おひとりさま」老後生活の厳しさは、いわゆる「孤独死」問題が象徴している。プロレタリア階級の「おひとりさま」は「無縁仏さま」予備軍である。
 その点、第3章で見たように、共産主義社会における公証パートナーシップ制度は独身高齢者同士のパートナー関係にも利用しやすい制度であるから、この制度が普及すれば「おひとりさま」ならぬ「おふたりさま」の高齢世帯の増加が見込めるかもしれない。その点でも、「婚姻家族からパートナーシップへ」という家族モデルの変容は重要である。
 もちろん、共産主義的な共助に基づく公共的な介護システムは単身者にとっても有益なものとなるだろう。その点、各街区に設置される社会事業評議会は独居高齢者を管轄街区内の社会サービス計画における重点的な対象として、サービス網に組み込むことになる。


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