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共通世界語エスペランテート(連載第12回)

2019-07-06 | 〆共通世界語エスペランテート

第1部 エスペランテート総論

(11)エスペラント語の検証④

エスペラント語のジェンダー中立性
 エスペラント語の自然言語近似性はエスペラント語の世界語としての条件を担保する特徴であるが、それゆえにやや問題をかかえるのはジェンダー中立性の条件である。まえにも指摘したように、この条件は付加条件ではあるも、現代的水準からは、世界語に是非そなわるべきものである。―その意味では、より積極的にこれを世界語の「十分条件」とみなしてもよいものとおもう。
 おおくの自然言語はなんらかのかたちでジェンダー差別的な語彙や表現をともなっている。その点、エスペラント語にも、基本中の基本語彙として、patro(父)/patrino(母)という問題含みの対語がある。
 エスペラント語で‐inoは女性形をつくる接尾辞であるから、これを直訳すると「父女」というような奇妙に矛盾した含意になる。patroは元来、印欧語族系でちちおやを意味する語に由来するから、これを語源としてははおやを「父女」と表現することは、やはりちちおや中心の父権主義的語彙といわざるをえないだろう。
 knabo(少年男子)に女性形接尾辞‐inoをつけてknabino(少女)とするのも、同種の例である。その他、職名に女性形接尾辞を付けて、policistino(婦人警官)といった単語をつくる例もある。
 もっとも、これらはかずあるエスペラント語のなかでも例外的な語彙であるから、このことだけをもってエスペラント語そのものがジェンダー中立性をかくとみなすべきではないかもしれないが、ジェンダー中立の条件を貫徹するためには再考されるべき問題である。
 他方で、エスペラント語は自然言語近似的ではあっても、意識的に創出された計画言語であるゆえに、すべての自然言語につきものといってよい各種の差別的俗語がほとんどみられないという長所はもつ。
 とはいえ、個別的にみるといくつか問題もなくはない。たとえば、エスペラント語で「おいた」を意味するmaljunaは否定の接頭辞mal‐に「わかい」を意味するjunaを合成してつくられた単語であるが、直訳すると「わかくない」ということになり、わかさを基準にしておいを否定的にあらわしている。「健康」を意味するsanoに否定辞mal‐をつけて「病気」を意味するmalsanoという合成語をつくりだすのも同種の例である。
 ここで否定辞mal‐は形式的な否定の意味しかもたず、価値的な否定の含意はないと解釈することも可能ではあるが、否定辞mal‐は「悪」や「異常」を含意するラテン語を参照語源としていることから、上例ではわかさや健康にたかい価値をおいて、おいや病気を価値的に否定する含意は払拭できないだろう。
 以前指摘したように、エスペラント語は接頭辞を多用して合成語や派生語をつくりだし、実質的な語彙数を限定できるという簡便さがあり、否定辞malもその代表例といえるのであるが、言語の全般的な非差別性という観点からは個別的に再考すべき点にかぞえてよいとおもわれる。

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