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共産論(連載第3回)

2019-01-05 | 〆共産論[増訂版]

第1章 資本主義の限界

(1)資本主義は勝利していない(続)

◇ソ連型社会主義の失敗
 それにしても、ソ連型社会主義はなぜ失敗したのであろうか。最も中心的な原因は、国家による経済計画が効果的に機能しなかったことである。国家計画機関による計画とは行政官僚たる計画官僚による机上プランであったから、生産現場の感覚を離れ、「西側―わけても米国―に追いつき追い越せ!」との共産党指導部の号令に押された無理難題となりがちであった。
 より根源的には、商品‐貨幣経済を廃止しないままに計画経済を導入していたことが問題であった。貨幣は本性上計画になじまないアナーキーなモノであって、いかなる机上プランをもってしても物と金の流れを秩序正しく規制することなど果たせぬ夢であったのだ。ソ連の計画経済はしょせん欠陥のある統制経済の域を出ないものであった。逆に言えば、真の計画経済は商品‐貨幣経済を廃止してはじめて意義を帯び、有効に機能したであろう。
 加えてソ連では工業化と軍備増強を急ぐあまり、重工業・軍需産業傾斜政策が採られたことから、民生に関わる消費財の生産体制に立ち遅れがあり、西側でしばしば揶揄された商店の空の棚に象徴される品不足が恒常化し、批判的論者から「不足経済」の名を冠せられた。そのうえ品薄の消費財の質も粗悪であった。
 こうした事情から、ソ連の「発達した社会主義社会」では西側の資本主義社会と比べて消費生活の貧困を招き、大衆の不満を鬱積させていた。

◇資本主義の「勝利」と「未勝利」
 
資本主義が勝利したと称する相手方とは、実は以上のような実態を伴う集産主義であったのである。たしかに、このことは認めてよいであろう。特に消費生活の豊かさは、資本主義が最も華々しい勝利を収めたフィールドであったと言える。
 ただし、この「勝利」も留保付きのものである。おそらく戦後日本が好例であろうが、資本主義諸国も決して市場経済を野放しにしていたわけではなく、国家による経済介入によって市場を管理する仕組みも備えてきたし、部分的には国有企業も備えていた。
 またソ連モデルとの対比でしばしば理想化されてきたスウェーデン・モデルに象徴されるように、資本主義経済の枠内で労働法制と社会保障制度を整備して労働者階級の生活を支え、労使協調をもたらす福祉国家の仕組みも、程度の差はあれ資本主義諸国で発達してきた。自由放任経済体制をタテマエとする資本主義総本山・米国でさえ、1930年代の大恐慌に対応するためのニュー・ディール政策以来、同様の方向を採ってきたのであった。
 このように、資本主義の側から社会主義へにじり寄るような資本主義原理の修正も、「勝利」をもたらす大きな要因となったのである。
 しかし、資本主義がまだ勝利していない相手、それがかの共産主義である。勝利していないのはもちろん、共産主義に敗北したからではない。真の共産主義はまだ一度も本格的に試みられたことがないからである。それは資本主義にとっていまだ未知のライバルだと言ってよいであろう。ただ、この得体の知れない未知のものについて語り始める前に、「勝利」した資本主義の現況について概観しておく必要がある。


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