ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産論(連載第51回)

2019-06-25 | 〆共産論[増訂版]

第9章 非武装革命のプロセス

共産主義社会は民衆による非武装革命によって実現することができる。その有力な手段は集団的不投票であった。ではその具体的なプロセスとは?


(1)革命のタイミングを計る:Figure out the timing of the revolution.

◇社会的苦痛の持続
 本章では、前章で論じたもう一つの革命の方法、すなわち集団的不投票による革命を中心として、あり得る革命のモデルとなるプロセスを考えてみたい。その際、まず最初の関門は革命のタイミングを計るということである。
 革命は、クーデターのように日付を定めて決行するものではない一方、ある日突然、大地震のように勃発するものでもない。革命には機が熟するタイミングというものがある。中でも集団的不投票による革命は、自然発生的なデモのようなものを導火線とすることが多い民衆蜂起型革命とは違って、タイミングの把握に微妙さがある。では、そのタイミングとは?
 まずは、資本主義の限界性が多くの人々にとってはっきりと認識されることが必要となる。もはやこれ以上資本主義の下では暮らしていけないのではないかという不安が現実的な切迫感を帯びてくることである。
 ただし、突発的な大恐慌的事態が直ちに革命につながることはない。歴史上も、1929年に始まった「大恐慌」は、その震源地・米国はもちろん、欧州、日本などの波及諸国でも革命を引き起こすには至らなかった。
 思うに、突発的な経済危機の渦中では大衆も一時的な窮乏に耐えることができ、嵐が過ぎれば日はまた昇るという心境になるので、革命によって資本主義を終わらせようという意志は芽生えないのである。アメリカ独立宣言でも言われているように、「人類は、慣れ親しんでいる形態を廃止することによって自らの状況を正すよりも、弊害が耐えられるものである限りは、耐えようとする傾向がある」のだ。
 そうすると、革命のタイミングとは耐え難い痛みの持続という状況が定在化した時ということになるだろう。この資本主義的疼痛とでも名づけられるべき社会的苦痛とは、具体的に言えば環境危機の深刻化による食住全般の不安に加え、雇用不安・年金不安に伴う生活不安の恒常化、人間の社会性喪失の進行による地域コミュニティーの解体や家庭崩壊、それらを背景とする犯罪の増加といった状況が慢性化することである。
 一方で、既成議会政治(広くは選挙政治全般)がそうした危機の慢性化に対して何ら有効適切な対応策を取ることができず、無策のまま推移していくことに対して、人々の忍耐が限界に達する。このような状況がほぼ確定した時こそ、革命の始まりの合図だと言えよう。

◇晩期資本主義の時代
 それでは、革命の始まりはいったいいつ頃のことになるのであろうか。その点、現在進行・拡大中の「グローバル資本主義」は、ある一国での経済・財政危機が全世界的に波及していく「津波経済」の様相を呈しているため、一つの危機―異常気象や大災害、伝染病といった自然現象による経済活動の停滞も計算に入れておく必要がある―によって、全世界的な景気後退局面を惹起する。
 また、しばらく好景気・成長局面に転じたとしても、資本企業は不測事態に備え、これまで以上に人件費節約に努めるから(予防的搾取)、「(安定)雇用なき景気回復/経済成長」となる可能性は高い。そうなると「好況の中の生活苦」という逆説的現象もごく通常のこととなる。
 このように、「グローバル資本主義」は世界経済のシステムを不安定化させ、世界各国それぞれの仕方で資本主義の限界を強く露呈させていくだろう。そうとらえるなら、すでに資本主義は先ほど描写したような持続的苦痛を伴う晩期の時代―終末期とまでは言えないとしても―に入っていると診断することも許されるであろう。

◇民衆会議の結成機運
 そうすると、前章で提起した革命運動組織としての民衆会議の立ち上げの機運も到来しつつあると言えよう。その組織の基本的なあり方は前章で述べたので繰り返さない。
 ここで改めて総括しておきたいのは、21世紀(以降)の新しい共産主義革命は、世界民衆会議の結成に始まり、各国レベルの民衆会議による革命が一巡し、世界共同体の創設をもって終わる世界連続革命であるということである。そのプロセスの詳細をさらに詰めていくことが本章の主題となる。


コメント    この記事についてブログを書く
« 共産論(連載第50回) | トップ | 共通世界語エスペランテート... »